第18話:望んだ未来

 美人の男に、ヒカゲは反応を示した。

 抜け殻の男に、殺す価値が戻ったかの如く感情に光が宿っている。正確に言えば、相変わらず真っ黒な瞳には光などないのだが、不運なことに、事務員をやっているせいでイサナにはヒカゲの機微がよくわかるようになってしまった。

 黒猫アルカはヒカゲの腕から移動して横にちょこんと座った。可愛いなとイサナは素直に思うし、人に慣れている。飼い猫だった説は有力だ。捨てたやつこそヒカゲが殺せば、快楽殺人鬼も少しは社会に貢献できるのに。世の中ままならぬものだ。


「ふふ。イサナが認めて、アゲハが連れてくる美人の男、興味があるな」


 天喰以降、ヒカゲは美人の顔を傷つけるほど興味を失っていた。だが、黒猫と出会ったヒカゲは、美人を想像して期待を抱いている。ヒカゲの趣味を把握しているイサナの保証と、妹の保証があれば、それは美人の証明になるから自然と期待値も高いのだろう。


「今夜の十時に、ヒカゲがいつも使っている場所で会う約束をしています」

「流石イサナ、手際がいいな。名前は?」

出利葉いでりはさんと名乗っていました。ヒカゲに復讐を希望です」

復讐リベンジ?」

「ええ。そうです」


 イサナはあらかじめとっておいた写真をヒカゲに見せる。生気のなかった肌が潤っていく様を見た。健康になるのが早いのは年下の若さか。


「憂いがあるのに勝気で顔に傷がない美人……!」

「武道の心得もあります」


 闇討を望まなかったくらいだ。ヒカゲに負けない自信があるのだろう。


「ますます、いいな!」

「元気になったようですね」

「僕は落ち込んでいたの?」

「自覚なかったのですか?」


 意外でイサナは問い返した。


「調子は悪かった」

「それを落ち込んでいるというのです。干からびたなめくじのままだったら、粗大ごみで捨てるところでしたよ」

「なんで!?」

「じめじめうっとおしいので」

「なら慰めてくれてもよくない!?」

「優しさは有料です」

「給料払っているのに!?」

「仕事に優しさが含まれるとでも? 時間外労働も甚だしいです」

「えー。えー」

「まあ。でも仕方ないですね。戻ってきたら、パンケーキを用意してあげますよ。ご褒美にしましょう。生クリームたっぷりとイチゴの三段重ねふわふわパンケーキを作ります、どうですか?」

「やった! 楽しみが増えた」


 無邪気にヒカゲは喜んだ。この男、太らないからって調子にのって糖分取りすぎだなとイサナは思う。


「あ!」


 ヒカゲが突然声を上げた。どうしたのかと目線で続きを促す。


「出利葉は僕に復讐したいって、来たんだよな?」

「ええ。舘脇や笠間といいモテモテですねヒカゲ」

「もしかして出利葉って、昔僕が殺し損ねた男じゃないか?」

「は?」


 快楽殺人鬼としての顔が、表に出てきた。ふと、黒猫がびっくりしないかとイサナがソファーに視線を向けるとすやすやと眠っている。


「僕を殺すために――復讐のために、警察にも通報せずに今まで生きてきた、辻褄があう」

「……どうしてそう言えるのですか? だって貴方はその人物が何となく男だったことしか記憶していないのでしょう?」


 天喰のことを覚えているのが例外なのだ。

 ヒカゲは興味が尽きた相手のことは記憶しない。

 舘脇や笠間のことだって顔はもう覚えていない。出利葉はともかく、いかつい顔の彼らから殺意というモテを向けられたところでヒカゲは喜ばないのに、ツッコミを入れてこなかったのが、その証明だ。


「僕を殺したい、復讐したいといわれることが珍しい」


 ついこの間、復讐も命も狙われたばかりだが、あれはあれで番外的な復讐なので、その点に関してはイサナも同意する。

 通常、ヒカゲが快楽殺人を行ったあとの死体は那由多が持ち帰り調理して食べる。死体は残らない以上、いなくなった人間は皆、失踪者として扱われる。

 故に、ヒカゲの犯罪は露呈しない。悪徳業者よりも性質が悪い。


「性別は男だったのは記憶している。出利葉は合致する」

「この世の約半分が該当しますね」

「それだけじゃない。出利葉って聞いてピンと来たんだ。そういえば、殺し損ねた相手は四文字の音だった気がする」

「なるほど。黒月くろつきも四文字ですね」

「揚げ足取らないでよ」


 天喰もアマジキで四文字だ、とは思ったがそっちは口を噤んだ。


「だからきっと彼だ。彼が僕の殺し損ねた男だ」

「あまりにも推理が杜撰すぎて、ヒカゲが探偵かどうか疑わしくなりました」

「外に出て看板確認してきたらいいよ」

「面倒なのでやめときます。一つ疑問ですが、ヒカゲとアゲハさんの兄妹仲がいくら悪いからと言って、普通、実の兄を殺そうとするのですか?」

「アゲハは、世の中が悪いのは僕が生きているせいだって思っている」

「正論ですね」

「酷い」

「快楽殺人鬼が死んで、世の中が良くなることはあっても悪くなることは、そうはないですよ」

「だから、アゲハは僕が死ねばいいと思っている。僕にこの世から消えてほしいのさ……ってよく考えると理不尽だよな」

「判断に困ります」

「いや困るなよ。僕の味方しろよ。兄妹仲が良かったら別だったんだろうけど、僕は妹に興味ないし、妹も僕に興味がないからね」


 お揃いのリボンを意地の張り合いでつけておいて何を言っているのだろうかとイサナは思った。


「けど、ヒカゲはアゲハさんを殺そうとか、死んでほしいとかは思っていないのですね?」

「自分と同じような顔を甚振っても面白くないだろ。楽しくもない」


 納得の答えだった。

 ヒカゲとアゲハは異性一卵性双生児にも見えるほどに似ている。

 愛があるわけではなく、同じような顔に興味がないだけだ。


「さて、時間もあることだし、一度、僕はアルカを自宅に置いてくるよ」

「わかりました。ここには戻ってこず、いつもの場所に向かうのですか?」

「うん。出利葉を堪能したら戻ってくるよ。パンケーキが楽しみだからな。十一時? くらいには食べられると嬉しいな」

「わかりました」

「アルカ。僕の家に行こうな」


 ヒカゲが黒猫を撫でると、にゃーと鳴いてヒカゲの腕へ収まった。



 アゲハは出利葉いでりはとともに指定された廃ビルの中でパイプ椅子に座り待機する。


「アイス食べる?」


 約束の時間にはまだ早いので、コンビニで買ったアイスを見せる。バニラ味だ。特別な日なので、高級なアイスを買った。


「いや、いいよ」

「わかったわ」


 アゲハはカップの蓋を開けてスプーンに一口よそって食べる。舌の上でアイスが溶けていくのが心地よい。程よい甘さに、バニラの香りが口の中を広がる。

 嬉しい気持ちを分けようと、出利葉へ笑顔を向けたら、彼の眉間に皺が寄っていた。端正な顔が台無しだ。

 アゲハは立ち上がりパイプ椅子にアイスをいったんおいてから、出利葉の額に手を触れた。


「どうした?」

「皺、寄っているわ。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。万が一にも兄貴が善人だとかはないのだから。おまえが人を殺して心を痛める必要はない」


 出利葉は優しい人だ。闇討ちも人質も非推奨だった愚かさはある。復讐を遂げたいのならば、手段を選ぶ必要はない。真っ向勝負に持ち込む必要もない。だが、だからこそ出利葉の善性に愚かさも含めて、アゲハは彼の幸せを願いたくなる。


「あぁ……わかっているが」

「復讐を成せることに高揚する必要もない。普段通りの、出利葉でいればいい。大丈夫、わたしが隣についているわ。出利葉」


 復讐相手を殺した罪悪感に蝕まれる必要もない。それでもきっと出利葉は悪夢を見る。


「それなんだが……アゲハは今からでもここから立ち去らないか? 俺の私情にこれ以上巻き込むわけにもいかない」

「い、や、よ」


 力強くアゲハは断る。

 出利葉を一人にするわけがなかった。

 復讐のせいで不安定な矛盾を抱えている出利葉を一人にできるわけがなかった。



 アゲハは出利葉と出会っときの事を思い出す。

 兄貴がどうやったら死んでくれるかなと考えていたある日、鴉のような人物を探している男がいるという噂を小耳に挟んだ。

 その男は顔立ちが整っているときいたから、万が一にも兄貴を探している可能性を考慮して、男に会うことにした。顔が整っていれば兄貴の興味を惹く材料になる。

 果たして、男の探し主はヒカゲか否か。

 答えは、男と顔を合わせれば一目瞭然だった。


「お前は――?」


 警戒心がむき出しの、手負いの獣のように荒れた瞳で、男――出利葉は右往左往している。

 アゲハは嬉しくなって軽やかにスキップしながら出利葉の前に一歩躍り出た。出利葉は虚を突かれたように戸惑う姿が、可笑しかった。

 切りかかってくればいいのに、とアゲハは不思議に思った。

 だって、ヒカゲと双子のように同じ顔をしている自分が、出利葉の探し人とは違う保証など、現段階では何もないはずなのだから。

 性別すら、あてにならないことをアゲハは知っている。


「ねぇ、おまえ。わたしの顔みて驚いたわね?」

「あ、えっと悪かった……初対面の人に対して失礼だった」


 出利葉が頭を下げて詫びてきたので、アゲハは逆に驚いてしまった。

 その行動は不正解だ。二連続で彼は間違えている。

 なのに、目が離せないと思った。


「いいえ。失礼ではないわ。だって、おまえはわたしと同じ容姿をした男を殺したいのでしょう? だから、わたしを見て驚いたのでしょう?」

「どうしてそれを」

「ふふ。わかるわよ。おまえの探し人とそっくりな顔を、わたしはしているからね。わたしは、おまえが喉から欲しがっている情報をあげられるわ」

「……」


 出利葉の喉ぼとけが動いた。拳を無意識だろう。握りしめている。


「どう? わたしと一緒にこない? わたしの名前はアゲハよ。そして、おまえの探し人はヒカゲ。わたしの兄貴」

「兄貴……」

「そう。わたしの兄貴、疑っている?」

「いいや、疑っていない。どうしてお前が兄貴を殺したいと思うのかがわからない」


 不可解だと、出利葉は首を横に振った。

 答えはアゲハにとって明日の天気を答えるより簡単だ。


「わたしが兄貴を死んでほしいほど、嫌っているからよ。兄貴が生きていてなんの意味があるのか、わたしにはわからない。だから、わたしは兄貴を殺したいと願うおまえと手を組みたい。どう? 合理的でしょう。利害の一致。おまえは、武術に長けている。わたしは、おまえが欲しい情報を持っている」


 それでも出利葉は即断しなかった。視線をさまよわせて困惑している。


「けど頑張ったわね」

「頑張った? 何をだ」


 張り詰めた空気が霧散して、出利葉の顔は幼げに映った。


「おまえが、探し人の顔をわかっていることよ。兄貴、証拠を残さないことは得意なのに。どうして?」


 兄貴が殺したものは全て、兄貴唯一の友人である那由多が調理をして食べる。死体が残らない。

 目撃者がいても、殺して食べてしまえばいい。殺人に罪悪や、殺す予定じゃない相手を殺したくない気持ちも彼らにはない。


「……わずかな、手がかりから頑張った。月日をかけてな。たどり着くまで、長かったよ」

「でしょうね。だから、頑張ったと、わたしは言ったのよ」

「……有難う」


 伸ばされた手に、まっすぐな灰白色の瞳に礼儀正しく誠実な人なのだと、アゲハは理解して後悔した。

 命を薪にしても、復讐のために理性は捨ててないのだと、知った。

 けれど、理解したときには遅い。

 出利葉はアゲハと手を組むことを決めた、顔をしていた。


「アゲハ、よろしくな」

「……えぇ、よろしくね」


 焚きつけて誘惑しておいて、今更、復讐をやめてと口に出すことがアゲハにはできない。

 ならば、出利葉の復讐が成就するように協力し続けるだけだ。



 出利葉の顔から眉間の皺が薄れた。まっすぐな背中はたのもしくも愛おしくもある。アゲハはパイプ椅子に置いたアイスに手を伸ばして、ペロリと食べきった。


「出利葉……」

「大丈夫だよアゲハ。何も心配することはない」

「ええ、わかっているわ」

「心配性だなアゲハは」

「おまえの心配性がきっと移ったのよ」

「はは、じゃあ安心させないとな――きた」


 出利葉が身体を固くした。建物の扉が開いたのだ。

 アゲハが時刻を見る。時間に几帳面な兄貴らしく五分前だった。


「やっと、復讐をする機会が巡ってきた」


 出利葉がパイプ椅子から立ち上がり竹刀袋から刀を取り出した。剣道部に嘗て所属していた出利葉にとって、下手に拳銃を扱うよりもたのもしい相棒だと、アゲハは以前告げられていた。

 ヒカゲもナイフを好むから、距離において不利はない。

 アゲハはそう言い聞かせて鼓動を落ち着かせようとした。


「写真で見た通り、お前は僕の好みの男だな!」


 久々に見た兄貴は、嫌になるほどアゲハと似ている。ヒカゲは出利葉の顔立ちを見て、爛々としている。嫌になるほど顔の好みも似ている。


「アゲハもいいものを連れて来たな。そこにだけは感謝してもいい。出利葉の顔立ちや強気な表情はそそるね。自尊心プライドを崩して地べたに這いつくばらせて泣かせたいよ」

「相変わらず悪趣味ね」

「僕好みの男を連れてくる方が悪い」

「だって、兄貴にとって一番効果的な方法でしょう?」

「それもそうだ。妹なだけあって僕のことがよくわかるようだ」

「仕方ないじゃない。不幸なことにおまえはわたしの兄貴なのだもの」

「そしてお前も、顔の好みは僕と同じだろう。いいのか? 好みが同じなのに僕に提供して」

「いいわけないでしょう。兄貴にあげるつもりなんて一ミリもないわ」


 アゲハが兄貴の好みを把握しているように、ヒカゲもアゲハの好みを把握している。

 だが、ヒカゲに面と向かって好みだといわれるのは不愉快だった。

 出利葉は――アゲハのものだと、独占欲を主張したくなるのだ。

 最初はそんなつもりはなかった。

 ただ、嫌っている兄貴を殺してくれそうな、復讐のために命をくべている男がいると噂で聞いたから利用しようと思って声をかけた。

 それだけだったのに、手を握ってくれる暖かさが、恋しくなった。

 顔だけで好みを決める兄貴とは――違う。

 考えたくもないことだが、出利葉が負けるのならばその時は懐に隠し持っている拳銃で、出利葉を殺そうと誓っている。

 兄貴に弄ばれて無残に殺されるくらいならば、その命を自らの手で紡ぎ取る。

 その覚悟を決めながら、アゲハはナイフを取り出す。出利葉にだけ全てを任せるつもりはなかった。出利葉が隣に並んだアゲハに驚いた。


「おい、アゲハ」


 さがっていろと訴えてきているのをアゲハは無視した。


「酷いなー、二対一だなんて」

「あの女を一緒に連れてこない方が悪いわね」

「イサナに危ないことはさせないし、死なせるつもりはないね。大切な助手アシスタントだ。名目上は事務員だけど」

「美人なのに、珍しいわね」

「そうだな。だからこそ、代えは早々には聞かないんだ」


 アゲハがナイフを投擲する。

 真っすぐにヒカゲの心臓を狙って進むそれをヒカゲはナイフで弾き飛ばす。金属と金属が衝突する音が響いた。出利葉が止める間もなく、兄妹で切りあえば、出利葉がアゲハを下がらせる方法はなくなる。それをアゲハは知っている。

 出利葉に、心から笑いを。笑みを。アゲハは与えたい。

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