第15話:天喰遥
*
年末年始を天喰と共に過ごした。新年を迎えても、天喰に対する感情は薄まることはなかった。
天喰の悲鳴を堪能すると心が得も言われぬ快感を覚える。
快楽に身を任せてずっと浸っていたい気持ちが日を追うごとに増していく。
天喰の仕草の一つ一つが、表情の機微が、声色が、全てが愛おしい。
手で触れるたびに、顔を顰める天喰の感情が、何度甚振っても抵抗を辞めない精神が、たまらない幸福感を与えてくれる。
幸福で甘美なる時間に、酔いしれる。毎日が、充実していた。
「ん。さて。僕はシャワーでも浴びてくるよ」
おやつにパンケーキを食べたあとヒカゲは後片付けを済ませてから天喰にそう告げる。天喰は無視して読書をしている。たまに返事をしてくれる。今日はなくて残念だ。
いつもの愛おしき日常。
洗面所でリボンを解き、お団子を解きほぐすと、長い髪がさらに長くなる。長髪に拘りはない。妹がショートだから、兄はロングなだけだが、最近は少し短くしてもいいかなと思い始めている。ドライヤーで乾かす時間が長い。短くなれば天喰と一緒にいる時間が十分でも増える。服を脱いでから折りたたんで洗濯籠へ移す。
ぬるま湯のシャワーが身体に流れる。一人の時間で考えることは天喰のことばかりだった。光沢ある肩甲骨まで伸ばした黒髪に、灰色と紫の虹彩異色症。中性的だが、男だとわかる整った顔立ち。玲瓏な声が奏でる悲鳴。
思い出すだけでうっとりとし、早く天喰の姿が見たくてたまらなくなる。
今まで殺していた誰よりも、心が躍る。
いつもなら長くても二時間程度で満足して殺害するのに、天喰に対してはまだまだ遊び足りない、もっと遊びたい。
殺したくなんてない。
「――あれ?」
殺したくなんてない、と自然と浮かんだ思考にヒカゲは疑問を覚える。
何故そう思ったのだろうと思案するが、出会った当初にあった天喰を殺したい気持ちは、隅々まで探っても見つからない。
天喰を失ったら嫌だ。
「うん。殺すのはなしだ」
お湯が泡を洗い流して、気分をさっぱりさせる。
殺したくないのならば、殺さなければいい。
天喰を殺してしまえば、金輪際会うことは叶わず、美しさも、悲鳴も、苦悶も、堪能出来ない。
天喰が失われた悲しさを考えると胸が張り裂けそうだ。色鮮やかな視界は、くすんだものに代わる。
だったら、殺さなければいい。簡単な結論だ。
殺さないのならば、自殺マンションは必要ない。
「天喰を、僕の自宅で監禁しよう。うん。最高だ。ふふ、天喰どんな表情してくれるかな」
天喰を適切なる環境下で監禁するのにふさわしいのは自宅だ。この部屋を借りたのは天喰で遊ぶためだったが、せいぜい数日の予定だった。
だから、部屋には最低限の家具しかない。もっといい環境下で天喰に暮らしてほしい。一人用のソファーくらいならばなんとかなったが、大型家具を新たに導入するには業者を呼ばないといけない。
人間を監禁している環境下に一般人を入れるわけにはいかないし、それで殺してしまうのはさすがにまずい。
天喰を隠したところで、いくら防音とは言え室内にいれば露呈する可能性もある。天喰が何も知らない業者を巻き込むかといわれると、判断に迷う。おそらくは巻き込まないとは思うけれども、他人を自殺させていたのが天喰だ。監禁されている状況が変動する可能性にかけることがないとは言い切れない。
何より、自殺マンションでは、セキュリティー面で若干の不安が残る。
この場所を知っているものは複数いるし、天喰が自殺マンションの管理人であったことも、知っているものは知っている。
自殺マンションは終局した場所。
ならば、那由多以外には教えていない自宅で監禁すればいい。
自宅であれば防音も完備してあり、悲鳴を音楽のように聴くことも出来て、天喰を監禁するのに最適で安全な場所だ。
一蓮托生の那由多だって一度しか足を踏み入れたことはないし、非常事態以外はお互いの自宅に足を運ばない約束をしている。
天喰を人の目には触れさせたくない。大切に、鳥かごの中に閉じ込めておきたい。
天喰遥をヒカゲのものにしたい。
逃走されないよう、鎖につないで天喰を愛で続けたい。
恍惚としながら、未来に想いを馳せる。想像するたびにめぐる思いは――至福。
*
一矢報いる機会が巡ってきた。天喰ははやる心音を落ち着かせようと深呼吸をする。
ヒカゲがシャワーを浴びている間に、彼に復讐をする。
足は殆ど使い物にはならないし、身体から傷が消えることはなく上書きされ続けているが他の日に比べたら痛みが少なく楽だった。
この日を、虎視眈々と狙い続けていた。傷口に染みるのを我慢して冷水を浴びて、頭痛を引き起こして鎮痛剤をもらい、身体の痛みを軽減する方法も考えたが、ヒカゲが心配をして片時も離れない状況も考慮してやめた。
長髪のヒカゲは一度風呂に入ると、上がってくるまでに時間がかかる。風呂につかる時間より、ドライヤーの方が長い。
例えば、買い物のため外出した時は、天喰一人にはなれるが、買い物時間はまちまちで、早い時はコンビニに足を運んだのか、十分足らずで戻ってくる。
脱走途中で遭遇したら、二度と脱走できないようにがんじがらめにされるだろう。
深夜も、扉が閉まる物音で目を覚ます可能性が高いので除外だ。
一番安全なのは、風呂の時間だ。入浴時間にはシャワーな気分と湯舟につかる気分がありまちまちだが、髪を乾かすのにかかる時間はほぼ変動がない。
水音やドライヤーの音で多少の物音はかき消されるし、風呂場の脱衣所の扉も締めてヒカゲは入るので、音を最小限に減らしてくれる。
前髪からヘアピンを抜き取り、鎖の鍵穴に入れる。
読書を理由に用意させたヘアピンだ。怪しまれるかと思ったが、ヒカゲは気づかなかった。マットレスだ、座椅子だ、ソファーだ、読書台だ、と色々要求してきた中に紛れさせて手に入れた。
柔らかに身体を沈めてくれるソファーだって、少しでも痛みを減らして動けるようになるために、欲したものだ。
焦るな。天喰は心に言い聞かせる。手が、痛みではなく緊張で震える。
思った以上に時間がかかったら、別日に日を改める。
ヒカゲは最近、天喰を痛めつけるより一緒にいる方を好んでいる。だから、チャンスは今日限りではない。
天喰は自分にそう言い聞かせながら、ヘアピンを巧みに動かしていくと、やがてかちゃりと、音がなった、天喰は安堵する。
手で鎖を動かすと、外れた。鎖から解放された手を動かす。腕を傷つけられた痛みが、伝わってくるが動けないほどではない。
監禁生活で体力は落ちているが幸いなことにここは千〇〇五号室で、目的の場所までは最短距離でたどり着ける。
――よし
天喰は一人掛けソファーからゆっくりとおり、意識を整え匍匐前進で進む。
床をこすれる身体が痛いが、この程度は、洗面台と台所の行き来は許されていた時と変わらない。
身体を張って進ませると、肩口から強烈な痛みが襲ってくる。
懸命に移動してリビングの扉までたどり着いた。身体を起こし、ドアノブに手をかけてあける。
風呂場のまで進み、耳を澄ませるとドライヤーの音が聞こえる。今がチャンスだ、と痛みで声が漏れそうになるのを必死に我慢して進む。汗が身体を伝ってくる。
短い距離を移動しただけなのに、身体が悲鳴を上げている。
しかし、諦める選択肢はない。
このまま、ヒカゲの手のひらの上で生かされ続けるのはごめんだ。
自分の人生を選ぶ。
玄関にたどり着き、手を伸ばし開錠して開けると、外から風が吹き込んでくる。一体、外に出たのはいつ以来だろうと苦笑しながら廊下に出た。
「はぁはぁ……」
呼吸が荒い。早く進まなければならないのに、身体が思うように動かない。
室内から目的の場所までが途方もない距離に感じる。
歩ければ、あっという間にたどり着くというのにと、天喰はヒカゲに何度も執拗に甚振られた足首へ視線を移す。アキレス腱を切られた初日以降も、度々足首の同じ場所をヒカゲは痛めつけてきて、そのたびに痛みのあまり、悲鳴を上げた。
荒い呼吸が少し収まったところで動きを再開する。一歩身体を前に進めるだけで身体中が痛みの信号を送ってくるが、難関はここからだった。
階段にたどり着く。
此処を、突破しなければいけない。一歩、腕を階段にのせ、動ける部分の足と、身体全体を使って一段一段を確実に移動していく。
滝のように汗が流れる。踏み外してしまえば、動けなくなる。血を吐く思いで進んでいく。
絶え間なく襲ってくる激痛に耐えながら、天喰はようやっと――ヒカゲの手から逃れた。
*
髪を乾かし終えたヒカゲはリボンのお団子に髪型を纏めて躍るような気分で廊下に出る。天喰に引っ越しを告げよう、未来を想像して恍惚しながらリビングに戻ると、そこに天喰の姿はなかった。
「――天喰!?」
思考が停止する。いるべき姿が見当たらない。
ヒカゲの心をとらえてやまない、天喰の姿はどこにもない。
天喰を繫ぎとめる鎖が外されている。
「僕の天喰はどこだ、何故いない!?」
廊下に駆け出す、施錠したはずの玄関の鍵がかかっていなかった。
思考が乱れる。
「遥はどこ」
玄関から飛び出し、天喰のことを考える。天喰ならば何をするか、視界が空を捕らえる。
「屋上か――!」
青ざめながら、ヒカゲは階段を駆け上がった。
*
自殺マンションの屋上。夕焼けの空は、美しいほど血のように赤く、風は冷たく冬を伝える。
空が奏でる自然の光景を眺めていると、静寂を切り裂く悲鳴のような音が聞こえ、視界をそちらへ向けた。
「あはは」
天喰は笑いが零れる。ヒカゲの顔は、悲痛の一言で片付く。
屋上と空中の境目、生と死の狭間に座っている天喰に、顔色を失っている。
「遙!」
悲鳴にも似た懇願。名前で呼ばれるのは嫌いだったが、この時だけはそよ風のように気持ちがいい。
「天喰、死なないで」
ここは自殺マンション。飛び降り自殺に最適な場所。十一階から飛び降りて助かる見込みはない――そう作ってある。途中でクッションになる木々はなく、ぬかるみのある土ではなくコンクリートが待ち構えている。
天喰が一歩踏み出せば、屋上の入り口にいるヒカゲではどうやってもその手を掴むことができない。
そしてヒカゲが走り出したところで、ヒカゲに天喰を止める手立ては何一つない。
探偵だろうと、殺人鬼だろうと、物理的な距離という壁は越えられない。最高の演出だ。
「遥、やだ。ねぇ、嫌だよ……遥……」
「あはははは、面白いな。あれだけ俺を甚振っていたくせに。飽きたら殺すつもりだったはずのくせに。いつから殺人鬼が人殺しをしたくなくなったんだ。そんなに俺が好みだったか?」
「遥!」
痛快だった。心地よい。
「やっと一矢報いることができるよ。ここは自殺マンション。死ぬための場所だ。死こそ美しい」
「天喰、まて。遙まって!」
幽霊のような、足取りでヒカゲは近づいてくる。すべてが手遅れ。
「やだね。君の怜悧な頭なら理解しているだろう? この状況に持ちこんだ時点で、君に逆転することはできない」
ヒカゲの絶望した顔は、泣きそうなほどに悲痛で、天喰の心が満たされる。
「ははっ! 最高だ。その、君の絶望した顔が、楽しくて嬉しくてたまらないよ。その顔を見るために、俺はこんにちまで生きた」
「いやだ、遙! 死なないで」
「ヒカゲ。――天喰遙は、俺のものだ」
――君のものじゃない。
笑いながら、天喰は身体を空中へ傾ける。満面の笑顔を、ヒカゲに届けて。
「天喰!!」
落下しながら、風に乗って届く悲鳴は、最高に心地がよかった。
空を見る。夕焼けが瞼に焼き付く。
ヒカゲに一矢報いる。ヒカゲを絶望させる。
「あぁ、最高だな」
己が至高としていた自殺で、絶望を与えられるのは、なんと幸せだろうか。
天喰は幸せのまま、地面へ衝突した。
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