第14話:日常

 ヒカゲが出かけている間、天喰は読書をしていると部屋の扉が開いた。読みかけの本からわずかに視線をずらすと、呆けている那由多が目に入った。

 また建脇のような男だと困るなと思ってはいたが、ヒカゲと仲間である殺人鬼がいても困る。


「あのバカは監禁して嬲っていることを忘れているのか?」

「この通り、鎖は外れていないけど」


 天喰が軽く手を挙げると鎖が音を立てた。那由多の視線が鎖に先にいって、眉をひそめた。


「なんか鎖伸びてね?」

「台所とか洗面台とかに自力で移動できるように伸びた。ヒカゲがいないときに脱水にでもなったら困るって。でも玄関まではたどり着けない」

「そもそも足やってるんだから必要か? いや、てめぇなら逃げるか」

「そうだね」


 流石に否定するのも嘘らしいから天喰は肯定する。


「本当に必要な時以外は動くつもりはないよ。身体痛むし」

「つーか、鎖以前に、ソファーに座って譜面台みたいなやつで本読んでいるからびっくりしただろ。なんだこれは」

「あはは。ソファーは床にずっと座っているのは腰が痛いっていったらくれたし、読書台は、手で本を持つのが痛いっていったらくれた。食事の時は座椅子もある。車椅子は逃げるって却下されたけど」

「あのバカはなんなんだ?」


 那由多が額に手を当ててため息をついたが、天喰こそそれを聞きたかった。

 天喰が欲しいものを告げると、ヒカゲの許容範囲内の場合は快諾してくれる。渡されて礼を言うと嬉しそうにする。

 この間はヒカゲが出かけるときに「いってらっしゃい」と言ったら、破顔した。桜が開花したような、笑顔ではしゃぐ姿は、天喰から見れば滑稽だ。

 天喰を監禁している立場を忘れているのではないか。どれだけ一緒にいようと情など沸くはずもないのに。だが、思い違いしているのならば、それは天喰にとって好都合だ。

 那由多が天喰の手に目をつけて、手をとってまじまじと眺めた。ヒカゲの手を見慣れてしまったせいか、健康的でしっかりとした男らしい手だ。


「何?」

「いや爪が全部そろっているなと」

「物騒なこと言わないでほしいんだが」

「あいつは爪を剥いだり、指折ったりはしねーのか?」

「俺が困るけど。ないよ。顔よりかは優先度低いみたいだけど、手に傷ついて食事の時に黴菌がついたら困るって」

「バカか?」

「俺に聞くなよ」

「……指以外の骨も平気なんだな」

「足を除けばね。まぁ足も骨は折られていないけど」

「ヒカゲは甚振るの好きなくせに、主な手段がナイフで切りつけるくらいだよな。単調で飽きねぇのか?」

「バリエーション持たせられても困るって」

「天喰だって飽きるだろ?」

「痛みにバリエーションいらないから」

「毎日同じメニューだと飽きるだろ」


 那由多はケラケラと笑った。理解不能だ。ナイフで肌を撫でられれば、いつだって痛い。


「つか、てめぇ前と来た時と服も変わっているな。着せ替え人形の趣味もヒカゲにできたのか?」

「違うよ。ピッタリした服は着替えの時がつらいと言ったら、ゆったりしたのを買ってきてくれた」

「監禁生活に至れり尽くせり増えているんじゃねぇよ!」

「監禁生活に潤いあっても嬉しくないけど、ないよりはましだからね。この本も、この間くれたやつの続刊だし」

「あいつはなんなんだ!?」

「俺が聞きたい」

「はぁ」


 那由多はため息をついて台所へ移動した。冷蔵庫の中を開けて物色している音がする。


「何か飲むか?」

「いや……ちょっと」


 言い淀んだ天喰の言いたいことを察したようで、那由多の舌打ちが聞こえた。


「何も入れねぇよ、普通の茶だ!」

「いや、けど……」

「てめぇは、人ん家いくのに卵持って歩くのかよ!」

「ないな……お茶、お願いするわ」


 それもそうだと天喰は納得した。最初に部屋に入ってきたときも那由多は手ぶらだった。ズボンのポケットが膨らんでいたからそこには財布と携帯が入っているのだろう。ならば、変なものが混入される不安はない。

 那由多がマグカップに入れてきたお茶を受け取る。腕に痛みがはしった。


「映画館の飲み物置き場みたいなのあるのは?」

「ペットボトルは蓋の開け閉めが大変だから」

「監禁生活至れり尽くせりすぎるだろ! オレは今日、何回このセリフを言わなきゃいけねーんだ!?」

「どれだけ至れり尽くせりになっても、ナイフで切られるし、傷口触れられるし最悪だけど」

「そりゃそうだ。そういや天喰って名前か?」

「遥が名前」

「ヒカゲのやつ名前の方で呼ばないんだな」

「たまに呼んでくる」

「……あれか? なんかこう特別に酔いしれたいとき的な?」

「…………嫌すぎるけど……多分、それ」

「はは。ならオレが遥って呼んでやろーか? プリンから、朝食の目玉焼きくらいにはなれると思うぜ」

「いや遠慮するよ。ヒカゲがうるさそう」


 那由多の顔がみるみるしかめっ面になった。


「やべぇ、脳内のヒカゲがめちゃくちゃうるさかった。やめとく。つかてめーはヒカゲなんだな? 黒月じゃなくて。苗字知っているよな? 知らないなら黒月ヒカゲがあいつのフルネームだ」

「知っているよ。ただ最初に知ったのがヒカゲだったから。君のことも那由多だけど」

「苗字は名桐なぎりだ。那由多のままでいい」

「ん。今更ヒカゲのことを黒月と呼んでも、なんかこう面倒そうだしいいかと」

「そりゃそうだ」


 それ以外にも――理由がないわけではないけれど。わざわざ那由多に教えるつもりもない。


「つーかおせぇなぁヒカゲ」


 君が来てからまだ十分程度だけど、といったら短気な那由多は殴りかかってくる気がするので飲み込んだ。殴られなくていい場面で殴られたくはない。

 大体、ヒカゲと那由多の暴力は別だ。那由多が座椅子にあぐらをかいた。


「ヒカゲに何の用が?」

「ん? 暇つぶし。あいつ最近、全然連絡もよこさねぇから。たまには現状把握しときてーんだ」

「あぁ……なるほど」


 ヒカゲとはある意味一蓮托生である那由多だからこそ、ここに足を運んだのだ。


「普段は何してよーが別にどーでもいいけどな。今日は休みだったし。まあ、天喰の今の状況をみてドン引きしたけど」


 それはそうだろうと天喰は本日何度目かの同意を心の中でする。

 今の天喰は、一人用のソファーに座り、読書台には単行本。簡易テーブルには、飲み物や食べ物がおけるようになっている。服装はゆったりくつろぐ部屋着スタイルだ。髪の毛は本を読むのに邪魔だからヘアピンで前髪を止めている。後ろ髪は背もたれの邪魔にならないようにおろしてある。これはヒカゲの気分で後ろ髪は結ばれることもある。左手首には鎖があり、壁に伸びている。


「あいつって案外尽くすタイプだったんだな」

「これは尽くされているというのか? 放任主義の方がいいんだけど」

「放任主義なら餓死コースだろ」


 似たようなやり取りをヒカゲともした。ヒカゲと那由多は殺人鬼同士思考回路も案外似ているのかもしれないと天喰は思った。


「あいつ気まぐれの猫と見せかけて、実は犬だったかな」

「猫じゃないのか……いや、どっちでもいいや」

「お前は猫派? 犬派?」

「仮に猫だったとして、この流れで猫だといえと? 那由多は犬派? 猫派?」

「言わなくていいわ」


 玄関の扉が開く音がした。リビングの扉を開けたままなので、すぐに誰だかわかった。寝巻から普段着まですべて黒で統一しているヒカゲだ。色白の肌は外出が似合わない。


「なんで那由多がいるのさ~」


 靴の数が増えていることに気づいていたのだろう。以前のように、来訪者だと切りかかることもなく不満そうに頬を膨らませている。

 那由多がパーカーのポケットから鳥のキーホルダーがついた鍵を取り出した。


「合鍵はお互い持つって約束だからな」

「だからって、ここに暇つぶしに来ないでくれる?」

「お、よく暇つぶしだってわかったな」

「那由多のシフトは毎月送ってもらっているだろ。飲食店は不定休だから嫌だな。土日祝日が休みならいちいちシフトを覚えなおさなくて済むというのに」

「探偵事務所で土日祝日が定休日なのもどうなのかと俺は思うぜ」


 那由多とヒカゲの会話のおかげで、天喰は余計な情報が増えたな、と思う。


「えー。土日祝日年末年始にお盆、ゴールデンウィークは休むものでしょ。電車もすべて休日にしてしまえばいいのに」

「てめぇは軌道に乗るまで昼夜関係なく働いていたくせになに言ってんだよ」

「軌道に乗ったら必要ないよ。おかげで今、天喰と日々を過ごせている」


 ね、とヒカゲが笑顔を向けてきたので、それは無視する。


「無視しないでよー」

「なんで返答しないといけないの」

「あはは。天喰可愛い」


 ヒカゲが楽しそうにしているのを見て那由多が舌打ちをした。

 短気な那由多だがキレることはなかった。

 那由多がヒカゲの近況報告――特に代わり映えなし。を確認してから帰っていった。

 天喰は安堵する。那由多がキレなかったことではない。天喰の思惑に気づかれないで済んだことだ。

 ヒカゲは天喰との日常を送っているが、那由多は時折姿を見せるだけだ。それゆえの空白で、不自然を感じ取られる可能性はゼロではない。


「那由多に変なことされなかった? 大丈夫?」

「君と比べたら、変なことは何一つなかったよ」


 那由多は怒らせなければ殴ってこないが、ヒカゲは興奮して傷つけてくる。

 天喰の返答にヒカゲが不貞腐れた。


「あとお茶を入れてくれた」

「は!? 那由多の出したものを飲んだの!? ちょっと吐いて!」

「大丈夫だ。ただのお茶だ! ちゃんと確認したから」


 危うく無理やり嘔吐させられそうになった。まだヒカゲは疑いの眼差しをむけてきている。


「やっぱ一回吐いといたほうが良くないか……」

「ないから! 平気だから!」


 ヒカゲに変な趣味が目覚めても困る。変な趣味は舌で傷口を舐められるだけで十分だった。

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