第12話:可能性の排除

 傷口に舌を這わせる。天喰の血は、特別な味がした。

 ざらざらとした舌が傷口に触れるたびに、天喰の噛みしめた唇から苦悶がこぼれ出てくる。視線を上げると、眉を顰め、端正な顔を歪めている。

 歓喜なる時間を満喫していると、携帯が鳴った。

 天喰と一緒にいるから無視しようと思ったが、いつまで無視しても鳴りやまない。


「誰だよ」


 舌打ちしながらヒカゲは携帯を手に取る。

 天喰の痛みから離れた安堵の息が聞こえてきた。

 着信の主はイサナだ。


「ただいま天喰で満喫中です。営業時間にお掛け直しください」


 ふてくされながらそう名乗り出る。平日の十一時なので、本来ならば営業時間だが、今は無期限定休日だ。


『ヒカゲを殺したい人がいるので事務所へ戻ってきてください』

「……は?」

『だから、ヒカゲを殺したいからヒカゲを呼び寄せてくれと言われたので電話をしたのですよ。そうじゃなきゃ好き好んで私が連絡するわけないでしょう』

「誰だよ僕を殺したいやつ!」

『心当たりが多すぎてわかりませんか?』

「心当たりはそんなにいないよ」


 殺したい程に憎んでいる人物は大抵既にあの世だ。


『笠間さんです』

「笠間……? あぁ……舘脇が依頼した会社のボスの息子を殺した候補のやつか?」


 舘脇のことは殺してしまったのでおぼろげだが、天喰から聞いた範囲の内容はしっかりと覚えている。

 ボスの息子を殺した候補で舘脇が依頼してきた笠間のことは、殺していないので記憶していた。


『その笠間さんです。では待っていますね』


 ヒカゲの返答を待たずイサナは通話を切った。長々続けてもヒカゲが文句を言うのが目に見えていたからだろう。流石に理解しているとヒカゲは思った。

 心境的には、天喰で満喫しているのを邪魔されたのでこのまま放置しておきたかったが、天喰がいる部屋に乗り込まれても困るし、イサナが殺されても困る。

 仕方ないのでヒカゲは最近足を運んでいない探偵事務所へ戻ることにした。

 休業中なのにイサナが探偵事務所にいるのは、有給をこれ以上使うのが勿体ないから、映画でも見ながら仕事しますといっていたからだ。拒否する理由はないので承諾した。


「僕を殺したいのが事務所へ乗り込んできたみたいだから、ちょっと出かけてくる」

「殺されてきなよ」

「やだよ。というか僕が殺されたら天喰はこのまま餓死コースになるけど」

「君に殺されるよりかはマシだな。だから死亡フラグ回収してきな」

「あはは、そんなの天喰が一番嫌だろうに、面白いな」


 天喰はヒカゲに一矢報いたいその心は今日になっても折れていない。

 だから、死亡フラグを回収して死んでほしいとは本心では思っていない。他人に殺されて欲しくはないと思う感情を向けられてヒカゲは心地良かった。

 ヒカゲは部屋の隅に置いてある段ボールから、長い鎖を取り出してから壁に引っ掛ける。


「何しているんだ?」

「んー」


 鎖を片手に持って、廊下まで歩く。玄関には届かない。洗面所の扉を開けて入る。鎖はぎりぎり届く。

 天喰の元へ戻り、首にはめている鎖の長さを取り換えた。


「これで、洗面所と台所には移動できるようになったよ。多分今日は帰り遅くなるから……食事とかはおいておくけど、何かあったら自力で水分とかはとれた方がいいだろ?」

「……床はうのは、普通に身体痛いから、なるべくなら移動したくないが……」

「だろうね。僕も、僕が見ていないところで天喰が呻いていても楽しくないけど。念のため」


 夏場ではないとは言え、万が一脱水になったら困る。作り置きの食事だけでは足りなくて、空腹になったら冷蔵庫から食事も勝手に取れるし、動きたくなければ動かなくていい。玄関までは届かないから鎖を長くしたからと言って、逃げられる心配はない。


「暇つぶしおいていくけど何がいい?」

「本でいいよ。読めるかわからないけど」

「わかった」


 コートを羽織って外に出ると空はうっすらと曇っており、冷え込んでいる。

 ふと、駅周辺の店を眺めると、周囲はクリスマス商品で溢れている。

 夜になればイルミネーションが、この空間を色鮮やかに彩るのだろう。


「そうか、もうすぐクリスマスか」


 ヒカゲはクリスマスが近づいている光景を目にしながら思う。天喰と過ごす日は毎日が快楽に溢れていて瞬く間だな、と。

 チョコが沢山催事コーナーに並ぶバレンタイン以外はさして行事に興味はなかったが、天喰と過ごすクリスマスと思うと途端に特別な味が心を満たした。天喰とクリスマスを満喫しよう。

 事務所へ戻ると、笠間がソファーに座ってお茶を飲んでいた。


「ちょっと、殺害予告した人が、人の事務所で寛ぐなよ!」


 ヒカゲがナイフを向けると笠間がソファーから立ちあがる。短く刈り上げた髪に、強面の顔立ちは、それだけで凄味がある。


「お前がくるまで暇だったんだよ」


 舘脇も笠間も暇つぶしの仕方が大胆だなとヒカゲは思った。


「僕が舘脇を殺したから、殺しにきたのか?」


 無意味なやり取りは面倒なので、可能性が一番高いのを上げる。舘脇の死体は那由多が綺麗に処理をしたから、失踪扱いだろうが、笠間がこの場に現れている以上、舘脇を殺したのがヒカゲだと見抜かれているとみるべきだ。


「そうだ。数日前、舘脇が行方不明になった。数人の部下と共にな。舘脇が失踪したとは考えられない。そこで調査をしたところお前の名前が出てきた。舘脇が何度もお前を利用していることがわかった。ならば、お前が殺したと考えるのが妥当だ」

「話が飛躍しているな。何か証拠をつかんだんだろ」

「お前が、殺人鬼ってことをか」

「舘脇は僕の情報管理が杜撰だな……いや。違う」


 ヒカゲは考えを改める。

 杜撰な男であれば、快楽殺人鬼であることを教えたりはしない。

 ただの依頼人として接していたはずだ。

 仮に教えていたとしても、それが失敗だと気づいた時点で殺している。舘脇は利口な男だったはずだ。

 失態だ。とヒカゲは反省する。

 普段であれば、舘脇が自分を殺しにきた段階で、他に危険な要素はないか調べていた。天喰との日々を優先したくて、思考が回らなかった。結果、余計な手間を増やすことになった。


「舘脇は、僕に繋がる情報をわざと残していったというわけか。簡単には目につかないように、けれど調査したら僕という存在が明るみに出るように」


 舘脇が、ヒカゲと天喰の命を狙ったさい、万が一のことを考えて用意していた仕掛け。その仕掛けが発動して、笠間がこの場にやってきたと考えれば筋が通る。


「俺は詳しくは知らない。お前と舘脇がどんな利害の一致でつるんでいたかはな。けど、危険なのは十分わかった。だから、殺しに来た。お前は舘脇を殺した。そんなやつを野放しにしていたら、いつか組織が危なくなる」

「下らないな。僕に関わらなければ、お前だって死ぬことはなかった。大体、僕を殺したいと思って白昼堂々と来るなんて馬鹿げている。闇討ちでもすれば良かっただろう。イサナを人質にとることもせずに、こうして暇だとお茶を飲んでいた。真面目か?」


 ヒカゲがケラケラと楽しそうに笑う。

 正面から向かってくるのは気に入った。これで顔が好みならばなおのこと良かったのに。ヒカゲは少し残念に思う。

 ヒカゲが一歩踏み込み跳躍する、ガラステーブルを土足で踏みつけてナイフで一閃すると笠間は見た目に反して俊敏な動きでナイフを交わし、突き出した腕を殴られた。


「つっ――」


 バランスを崩し、ガラステーブルの上に倒れかけたのを、右手で身体を抑えて笠間へ向かって蹴りを入れようとするが、ソファーから飛び跳ね、後ろへ回りソファーを盾にされる。

 柔らかく、けれど固い痛みがソファーを蹴った衝撃で伝わってくる。

 ヒカゲはガラステーブルの上を足場にして跳躍し、笠間との距離を詰める。ナイフを振るうより早く、よんでいたとばかりに笠間が蹴りを入れる。蹴りがヒカゲを捕らえ、腹に一撃入れられる。

 後方に下がりながら、顔を顰める。痛みは好きじゃない。痛みを与えるのが好きだ。

 幾度目かの攻防で隙を生み出させた笠間へ、ヒカゲはナイフで一閃する。血飛沫が上がり、髪から顔からを赤く染める。ナイフをしまい、黒の手袋で血を拭う。

 動脈を切り裂かれあふれ出た鮮血がモノクロの事務所に彩りを与えた。


「凄いね。二回も殴られるとは思わなかった……痛い」


 暇そうに事務机の椅子に座り頬杖をついていたイサナへ抗議の視線を向ける。


「そのままタコ殴りにされてもよかったのでは」

「イサナが冷たい」

「私が暖かったことってありましたっけ?」

「パンケーキ作ってくれるじゃん」

「給料分は働きますよ」

「冷たい……」


 ヒカゲは携帯を取り出し那由多へ連絡を取ろうと思ったが、あいにく那由多は仕事だ。

 仕方なくメールに切り替える。内容は仕事が終わったら連絡しろ、と。


「さってとー」


 うーんとヒカゲは背伸びをする。


「どうするのですか? まさかこのまま那由多さんがくるまで放置しておくとかいいませんよね? 死体と一緒に昼食は嫌ですよ」

「僕だって嫌だよ。知らない場所ならともかく、ここ事務所だし。それに、那由多がくるまでに準備も必要だ」

「なんの準備ですか? 笠間を埋める準備?」

「違うよ、舘脇から漏れた僕の情報がどこまで伝達されているのか調べる」

「ちゃんとヒカゲが後片付けをしていたらこうはならなかったのですよ?」

「知ってるし反省したよ。次はイサナが人質にされるかもしれない」

「それはもっと困りますね。ヒカゲは助けてくれなさそうですし」

「失礼だな。僕はそこまで人でなしなつもりはないが」

「嘘でしょう。殺人鬼が人でなし以外に何があると」

「おい」


 殺した相手の顔と名前は忘れるが、イサナが男のことを笠間と呼んでいたからこの男が笠間であることはわかっている。

 生きている時は人の顔と名前を覚えるのは得意なのだが、死体となると途端に名前すら覚えていられなくなる。

 別に構わないのだが、こうして自分に害があるかもしれない人間の死体があると少しは覚えて置ければいいのに――と思った。普段は必要ないからそう思うだけで、実際に覚える努力をするつもりは全くないのだが。

 天喰に暇つぶしの本と、食事、それにこの間購入したふかふかのマットを敷いておいて良かった。

 予想していた通り、帰るのは遅くなる。

 枕とマットを手に入れた天喰が少しご機嫌な顔をしたのを思い出して笑みが零れる。イサナに気色悪いと言われた。

 夜になると那由多から連絡がきた。


『なんだ?』

「バイクで事務所までこい。僕も乗るからヘルメット忘れないでよ。あと、拳銃」

『……は?』


 那由多は武器をコレクションする趣味があり、部屋の一室は那由多コレクションで埋まっている。今回はそれを使わせてもらう予定だった。警察に踏み込まれたら一発アウトだ。そもそも少女を誘拐して部屋で軟禁している時点でアウトだが。


「使い捨てる」

『ふざけんな! 安くねぇんだぞ! ってか、何をするつもりだ』

「この間、那由多に提供した食材あっただろ? 男が四人ほどの」

『あぁ、あったな』

「その男たちのリーダーだった舘脇が、どうやら自分に何かあったときのための保険を残していたみたいだ。笠間って男が僕を殺しに来た」

『のっぴきならないな』

「他にも僕の存在を知っているやつがいたら不都合だ。だから、その可能性を消滅させたいから手伝え」

『それは構わねぇが、しかし、それを持ち出したら流石に警察だって動くだろ。証拠隠滅だって簡単じゃないぞ?』

「大丈夫だ。彼らは裏社会の人間。敵対しているものたちは沢山いる。そいつらの犯行だと偽装する」

『濡れ衣か。別にいいけど、バレたときは余計に面倒にならないか?』

「はは。僕を誰だと思っている。その程度、朝飯前に仕上げてやる。それ以前に、彼らと敵対している人間たちだって薄暗い経歴の奴らばかりだ。痛い腹を探られても困るだろ? それに、いっそ壊滅してもらったほうが――世の中、綺麗になるよ。感謝されるかも」

『ははっ殺人鬼が何をほざいてやがる。いいことをしたって、普段の行いが悪いからプラスマイナスはゼロにならねーよ』


 那由多の心底愉快な笑い声が聞こえてきたので、ヒカゲも自然と笑みを浮かべる。これで那由多は拳銃を持ってきてくれる。

 美しくない人間を殺すことに興味はない。食種は動かない。だが、邪魔な人間を殺すことに抵抗はないし、適当な人間を生贄にすることにも躊躇ない。

 面倒な作業だが、天喰との時間を今後もつつがなく作るために必要だ。


「必要なものを持ってきてね。一仕事だ」

『わかったよ。食材の補充もオレはするさ。この間の四人もまだ食べ終わってはねぇが、職場に大判振まいが出来る』

「可哀そうに。真面目なマネージャさんの胃が死んじゃうぞ」


 真面目で人当たりのよさそうな彼が、真実を知った時を想像してみる。少し楽しかったが、やはり天喰のような甘美さはない。

 一時間後、那由多が探偵事務所へやってきた。片方のもみあげだけ長い金髪を三つ編みにしている。

 那由多がヒカゲの姿を確認すると、懐から拳銃を取り出し放り投げた。


「まて! 安全装置がついているからって放り投げるなよ、危ないな!」


 ヒカゲの声を無視して、那由多はソファーにどさりと座り足を組んだ。

 イサナがお疲れ様です、と生きていた時は笠間が座っていた位置にいる那由多にお茶を出した。那由多が飲み干してから、ヒカゲを手招きする。ソファーを交換したかったが、流石に時間が足りなかったので、ヒカゲは座らない。

 机の上に、盗撮写真をいくつかばらまく。


「この辺を殺す」

「必要な手順は準備済みか」

「余計なことに時間を費やしたくないからね。選別は終わった。舘脇とやらも流石に馬鹿ではないだろうから、情報流出の経路は絞ってあるはずだ。あまりに三下に見られるような簡単な場所にはおかないだろう」

「何となくしか舘脇のこと覚えてねーやつの証言は話半分でいいか?」

「大丈夫だ。イサナとちゃんと確認した」

「ならいいや。信用するわ」

「お前、僕に対しての信頼度低くないか?」

「殺した人間の顔も名前も忘れるようなやつの語る死者の証言に信頼度があるわけねぇだろ」

「那由多さんのことも最もですね」

「イサナはどっちの味方なのさ!」

「どっちの味方でもありませんね。快楽殺人鬼も食人鬼もごめんなので」


 イサナが淡々と答えながら、ヒカゲに洋菓子を手渡した。


「イサナも付いてくる? 拳銃なら那由多からもらって」

「行きませんし、それどう考えても足手まといになったら置いて行かれるパターンじゃないですか。あとバイクは三人乗りではありません」


 ヒカゲも本気で誘ったわけではなかったので、洋菓子を口に放り込んで咀嚼してから立ち上がる。


「さて、那由多いこう」


 舘脇が所属している組織自体、今は脆い。

 ボスは引退して、溺愛する息子に跡を継がせる予定だったのに、継ぐ前に、息子は水下の手によって殺された。

 舘脇に水下が犯人であることを伝えた後、舘脇が水下を拉致して尋ねたところあっさりと自供した。爪を一枚剥ぐよりも早かったと、舘脇が漏らしていたことをイサナが覚えていた。その後水下は死んだ。

 組織内の金銭管理を一手に担っていた水下がいなくなったことは、組織全体としてみれば痛手だ。他の人間が経理についたが、まだ水下の仕事の全容も把握しておらず、もたついているとのこと。

 ボスは引退せずそのままボスのままだが、愛する息子が死んだことにより、抜け殻のような覇気のない状態となった。

 土浦が影で支えているらしいが、部下たちも組織に対する忠誠心が薄れてきている。

 そこへきて笠間、舘脇と続けざまに幹部を失った。主戦力も恐らく脅威になるのは土浦くらいだ。それでも、数の上では向こうにアドバンテージがある。地の利も当然。だから奇襲をかけて、最初に頭数を減らす。

 相手が動揺から立ち直る前に、一気に片付ける。

 普段ならば、そう簡単にはいかないだろう。

 いくらこちらのほうが強かったとしても、数で勝る相手に対してはわりと無力だ。

 ひびの入った地盤だからこそ崩せる。

 ヒカゲの作戦は問題なく実行され、殺人鬼の正体を知るものは舘脇周辺に存在しなくなった。

 那由多は新鮮な死体をキャリーケースに詰めて自宅へ戻っていった。夕飯はカルボナーラに決定したようだ。

 ヒカゲは、自殺マンションへ戻る途中、今度こそ天喰とケーキを一緒に食べようと思い立ち、ショートケーキとチョコケーキを購入してルンルンと踊るようにスキップをした。

 これでもう、天喰との日々を邪魔する輩は現れない。

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