第11話:自殺の清算

 食材が切れたので、仕方なくヒカゲは買い物へ行くことにした。

 冬晴れの空が照らす太陽の光が眩しくて目を細める。

 イサナに連絡をとり買い物を頼んでも良かったが、最近は天喰と一緒にいるのが楽しくて、引きこもっているので、周囲に変化がないことを確認するための外出も兼ねた。

 近所のスーパーへ足を運んだところで、祝日だったことに気づく。

 最近は探偵事務所を休業中にしているのもあって曜日感覚がなかった。

 人が多くて辟易するので、早々に帰宅しようと決める。少し離れた場所では卵のタイムセールが始まり、列をなしていた。パンケーキを作るのに卵も欲しかったが、人の群れに入るのは気が進まない。イサナの方が作るのが上手なのでパンケーキの材料はイサナに選んでもらうことにした。その代り、洋菓子や生クリームを買った。

 天喰には健康に気を使ってほしいから、ビタミンが取れそうな野菜類も買い物かごに中に入れていく。

 マイバックに買い物にした商品を詰めてから、外に出る。

 疲れたので糖分が欲しかった。美味しい洋菓子の店がないかなと周囲を見渡すと、まだ立ち寄ったことがないカントリーな洋菓子店を発見したので、寄り道をしてショートケーキとチョコケーキを購入する。

 ショートケーキの上にのった、まんまるとした苺を思い出すと気分が上がるし、マンションが近づくと疲れが吹き飛ぶ。

 天喰と一緒に食べよう。

 天喰は何日たっても、ヒカゲがやることなすことに抵抗してくるが、それすらヒカゲは楽しい。


 千〇〇五号室の鍵穴に桜のキーホルダーをつけた鍵を入れた瞬間、違和感を覚えて手を止める。

 そのままドアは開けずに、髪をマフラーのように首周りに一周させてからかがみこんで鍵穴をのぞくと、傷がかすかに反射して見えた。

 ピッキングされた跡だ。侵入者は――どちらに用事だ。

 玄関の扉をゆっくり開ける。チェーンはかけられていなかった。玄関に靴はない。廊下の先――リビングは扉がしめられている。侵入者は、ヒカゲに存在を気づかれたくないようだ。それに応じよう。ただいま~と呑気な声を出す。

 普段はそんな合図はしないのだが、天喰以外は知らないから、油断と緊張を誘うには効果的だ。

 靴を脱ぐか迷ったが、脱いだ。廊下に荷物を置く。折角のケーキの気分が台無しだ。

 何より、天喰が無事かどうかが気がかりだ。はやる心を無理やり抑えて、冷静を保つ。誰であろうと、まともな用事があった人間ではない。

 懐からナイフを取り出して左手に持つ。リビングに入った瞬間、視界に見知った男がいた。


「お前か――舘脇たてわきさん」


 ヒカゲは舘脇が余計な言葉を発する前に口を封じた。

 ナイフで一閃。急所を的確にとらえた素早い動きは、探偵事務所を利用していた舘脇が行動をとる前に仕留める。

 舘脇も武闘派として名を馳せているし、力ではヒカゲは叶わない。だが、最初の一手はヒカゲの方が圧倒的に早い。

 何故、どうして、という疑問を尋ねることも、答える隙も与えない。

 答えなど必要ない。天喰との日々に水を差した。

 殺す理由はそれだけで充分。

 男が絶命したことで、動揺の広がりが伝わる。視線を動かすと、男が他に三人いた。この男の仲間、と判断したヒカゲは彼らが鎖で繋がれた天喰を人質にする前に始末した。


「天喰、大丈夫? 怪我してない?」

「……君につけられた怪我以外はすこぶる元気だよ」

「良かった。天喰が無事で」

「……君は普通に人も殺すんだな」


 天喰の言葉にヒカゲは一瞬理解が遅れてから、あぁと生返事をする。


「これらのこと? どうして」

「ヒカゲは甚振って殺すのが好きなんだろ?」

「顔が好みじゃない」

「は?」

「僕は好みの顔が泣き叫ぶのが好きなんだ。好みじゃないやつらの悲鳴なんて、耳障りだろ。だから、別に殺す必要もない男たちだが。でもこいつらは僕の天喰との時間を邪魔した。生かす必要もない」

「……にしたって、舘脇とやらの話も聞かずに殺すとは思わなかったよ……」

「言葉を交わせば天喰を人質に取ることはわかっていたからね」


 抵抗がまともにできない天喰は格好の人質だ。天喰の顔だって傷つけられるかもしれない。ヒカゲ以外の人間が天喰を傷つけることを許せるわけがなかった。


「まぁ、ヒカゲが戻ってきたら俺を人質に、君を殺すっていってたけど」

「なんだ。天喰は言葉を交わしたんだ」

「暇つぶしらしい。君が中々戻ってこないから……」


 スーパーが混んでいたせいだ。混んでいたお陰、かもしれない。だが、混んでいなければそれ以前に、天喰を危機に晒すこともなかったはずだ。


「じゃあ益々生かしておく必要もない。興味がなかったけれど、何故の答えを天喰は知っているのだから」

「俺が話せばね?」

「話さないの?」

「いや、隠す必要も別にない。言ってみただけ。彼は、俺と君が、姪っ子を殺したから許せなくて殺しに来たそうだ」

「姪っ子? あの男に姪っ子? そんなのいるの? 怖そうな顔で?」

「あの日の屋上で飛び降り自殺した女性」

「あー」


 天喰と出会うきっかけの女性だ。うっすらだが覚えている。

 妹が自殺するはずがないと、探偵事務所に真相解明を依頼してきた。

 姉自身も、真相を突き止めようと自殺マンションに自ら住んで、そして屋上から飛び降りて死んだ。


「でも、それで僕を殺すっておかしくない? 僕は何もしなかっただけなのに!」


 ヒカゲは何もしなかった。ただ、彼女が屋上から自らの意思で幸せそうに飛び降りるのを眺めていた。


「俺が同じ立場なら、ヒカゲも殺す側にカウントするよ。死ぬとわかっていて何もしなかったんだからな」

「でも、女性が自殺してから日数が立っている。僕たちを突き止めるのに時間がかかったのか?」


 ヒカゲは首を傾げる。


「――ねぇヒカゲさ」

「何?」

「舘脇って人のこと、忘れているだろ」

「……あぁ、この男か?」 


 死体に興味がないとばかりに、舘脇を軽く足蹴りする。


「鶏だってもう少し記憶しているぞ」

「三歩は歩いたよ」

「……彼女に関しては記憶が割と鮮明なのに対して、舘脇に対しては忘却している。なるほど、基準は自分の手で殺したか否か、か」


 天喰は顔を顰めながら、独り言をつぶやき納得した。


「君が戻ってくるまでの間、俺は舘脇に色々話を聞かされた。君の探偵事務所を彼は度々利用していたそうだ」

「あぁ、なんかそうだった気がする。確か、僕に依頼料の報酬として美人の子をくれてたんだ。つまり、舘脇は姪が何故、僕の探偵事務所を知ったか調べていたわけか。だから、此処に来るのが遅れた」

「ご名答。君の本性を知っていたから、舘脇は姪っ子に、君のことを教えなかった。けれど姪っ子は知っていた。ならば、入れ知恵をした存在がいる。それを突き止めていたそうだ」 


 事のあらましを天喰はヒカゲに説明した。

 ヒカゲの嗜好を知っていて、大事な姪っ子がいるならば、確かに、探偵としてヒカゲは紹介しない。

 おぼろげな記憶の中で、舘脇という男は、組織のボスが殺されたあとに姪っ子の誕生日を祝っているといった。恐らく姉の誕生日だ。いつ妹が自殺したのかは知らないが、日数経過や姉の探偵事務所に依頼しまくった経緯を考えると、妹の誕生日祝いから死までは直近すぎる。

 妹に関しては、自殺という事実を受け入れたのだろう。だから、生きている姉の誕生日を祝った。けれど姉までもが死んだ。

 姉は妹の自殺に納得していなかったから探偵をやとった。その相手がヒカゲであった。

 ならば手引きした人間を探し出すのが先だ。ヒカゲでもそうする。

 その情報源を――姪っ子がヒカゲに殺害されるように仕組んだ相手を見つけ出し、舘脇は殺害した。

 状況を整理し情報を手に入れた舘脇は、姉の死の真相を知り、元凶である天喰と、何もしなかったヒカゲを殺しに来た。


「俺はすでに、君に殺されていると思っていたそうだよ」

「だろうね。天喰の写真を舘脇が見ていたらそう判断するだろう」


 天喰の顔はヒカゲ好みに美しい。マンション管理人はヒカゲに殺害されたのだと考えるのが道理だ。

 だからこそ生きていた事実には驚愕しても、ヒカゲへの人質になるとすぐに冷静な判断を舘脇は下せた。天喰は元凶だ。すぐにでも生き地獄を味あわせて殺したかったことだろうが、鎖でつながれて身動きがまともにできない状態の男よりも、人殺しを堪能するヒカゲへの対処に比重をおいた。

 快楽殺人鬼が、美人を殺さずに生かして監禁している。人質としての価値は生きていることで証明されている。

 けれど、状況をいち早く察知したヒカゲは、舘脇を無言のままに切り捨てた。


「さて、いつまでも死体があるのは健康に悪い」


 ヒカゲが携帯を取り出し、数少ない友人へワンタッチダイヤルでかける。今日の那由多は休日だ。


「もしもし、那由多。食材四つあるから『自殺マンション』まで取りに来い」


 返答を待たずに切る。自分で人を殺すのは手間だと思っている那由多だから、せっかくの食材を手に入れる機会を無駄にはしない。


「……あの短気な彼がくるわけ?」

「うん。死体回収は那由多の得意分野だし、死体欲しがっていたからちょうどいいだろ?」

「どっちも嫌だな」

「あはは、天喰は那由多が苦手?」

「君ほどは嫌いな相手じゃないが……」

「あは。僕への感情のほうが大きくて嬉しいな」

「最悪だ」


 死体の血の匂いが煩わしい。天喰のいい匂いが上書きされてしまう。

 早く那由多が来ないかなと待ち遠しい気分でいると、程なくして那由多がキャリーケースを片手にやってきた。海外旅行にも使える鍵がついた大きいものだ。


「うわー。死屍累々の山だな。どうしたんだこれ」


 那由多が口笛を吹きながら尋ねてきた。


「天喰と僕を殺しに来た」

「ご愁傷さま。しっかし、普段の美男美女じゃねぇから、あんま美味しくないんじゃないか?」


 珍しがって那由多が、死体の顔を観察している。


「逆に油が多くて美味しいかもしれないぞ?」

「だったら次から美男美女を殺すの禁止にしてもいいな」

「美男美女じゃなかったら、料理するときつまらないだろ」

「てめぇじゃねぇから、興奮しながら料理なんてしねぇよ」


 那由多は死体に手を伸ばして触れた。ヒカゲは天喰の方を見ると、複雑な、何とも言えない顔をしていた。


「どうしたの天喰? ああ、大丈夫だよ。僕はお前を食べたりしないから」

「そりゃどうも」

「まあ、人食の趣味は一切ないけど、天喰なら……とは思わないでもないが」

「おい。前言撤回が早いんだが?」

「あはは。大丈夫。天喰を食事にはしないさ。那由多にだって一ミリも上げたりするものか」

「割と不安要素が多い……」


 天喰の血は美味しかった。だから天喰の肉なら口に含んでみるのもやぶさかではない。


「ヒカゲと天喰にオレの料理を振る舞ってやろうか? 腕によりをかけて作ってやるぜ」


 那由多が腕まくりをしながら、屈託のない笑顔で尋ねてきた。


「断る。人肉の正餐サイスティアンバンクィットなんてごめんだ」

「あ? なんていったんだよ?」

「人肉を食べる気はないってことだ」

「美味しいぞ。一度食べたら口がとろける。オレが保障しよう」

「いらない」

「ったく、どうして料理が一層輝いて美味しくなるか理解しねーんだよ」

食人カニバリズムの趣味がないからだ。あーあ。隠れ家みたいで楽しかったのに知っている人増えすぎじゃない?」

「半分は死体になっているから問題ねーだろ。さて、持ち運べるように解体するぞ。大きいキャリーにしてきたが、収まりきらなさそうだな……仕方ないから往復するか」


 鉈を取り出した那由多は、ブルーシートを死体の下へ引いてから、振り下ろす。ざくり、と肉が砕けて切り分けられていく。青がさらに赤を広げ、肉が露になる。


「うっ……」


 天喰のうめき声に、ヒカゲは視線を見せると、気持ち悪そうな顔をしていた。

 強烈な死の匂いに、天喰は今にも吐きそうに見える。


「天喰、顔色悪いけど大丈夫か?」

「気持ち、悪いだけだ。よく平然としていられるな」

「那由多の死体分解は別にみるのいつものことだし」


 相手の自殺を鑑賞するために、死体を沢山見ているはずなのに、目の前の死体を解体する作業は、天喰にとって全く別の行為に映っているようだ。


「今回は四人で時間もかかるから、部屋を移動するか。逃げないでね」

「この足で逃げられると思うのか」


 天喰が死体に目を入れないようにしながら、足を指差した。


「それはそうだけどさ。僕は天喰に逃げられたくないから」

「いまは、逃げないよ」

「未来永劫駄目だ」


 ヒカゲは鎖の鍵を取り出して、壁と天喰の手を繋ぐ手錠の鎖を外した。天喰が歩けるのならば、その足で歩いて移動してほしかったが、天喰の足はヒカゲが使いものにならないようにしたし、足が自由だったら天喰は逃げる。

 未だに抵抗を諦めていない天喰の性格は、心が躍るが、逃げられたら困る。どんな寂寥が心を満たすかなんて考えたくない。屋上からこの部屋まで移動させたのと比較すれば楽だ、とヒカゲは天喰を抱きかかえた。


「いつも運ばれるとき思うけどさ……せめて俵担ぎとかにしないか」

「我儘いわないでよ。この運び方が一番やりやすい……これだってかなりしんどい……から大人しくして」

「……わかった」


 廊下を出て、ヒカゲが寝泊まりに使っている部屋に移動する。1LDKの部屋にしなくて良かったとヒカゲは心底思った。天喰と一緒に暮らすこの自殺マンションは最高だ。

 新鮮な空気を天喰は吸っているようだ。ヒカゲは自室にしている部屋のベッドに天喰を寝かせた。


「……俺が寝るのもこれくらい心地よいといいんだけど……」


 ヒカゲは端っこに座りながら、天喰がベッドの沈み心地に文句を言ってきたのが面白かった。

 風邪をひかないように温度調整はしているし、絨毯はひいたし布団も渡しているがそれだけだ。ベッドは運べないので用意できないが、快適なマットレスくらいならば準備できる。天喰には快適に悲鳴を上げてもらわないと困る。


「じゃあマットを用意しておく」

「ん」

「柔らかくてふかふかにするね」

「あと枕もよろしく」


 普段はヒカゲがやることなすことに抵抗してくる天喰が素直なのが楽しかった。今度からもっと天喰の暮らしをよくするように整えようと決める。

 天喰を監禁するより前に、ちゃんと整えておけば良かった。そうすればベッドだって業者に搬入させることができたのに。

 天喰はまだ気分が悪そうだったので、一旦リビングに水を取りに戻った。

 那由多が懸命に解体作業を続けていた。死体が一つ減っている。

 部屋に戻り、コップに入った水を渡すと、天喰は抵抗せずに受け取って喉を潤した。余程気持ち悪いのだろう。

 死体が解体されていくのを目の当たりにした後は素直になるのだと思うと、少し那由多に嫉妬をしたが、同時に素直な天喰をみれたのも楽しいので感謝もした。

 廊下に置いてある買い物の食材を取りに戻り、ケーキを食べることにした。


「……何してんだよ」


 那由多はヒカゲがケーキを食べ終わったところで戻ってきた。


「ケーキ食べてた。天喰と一緒に食べようと思って買ってきたのに、台無しだよね」

「……天喰は食べたのか?」

「いや、食べてない。僕が二つとも食べた」

「お前なら断ったって無理やり口に詰めると思っていたんだが」

「普段ならそうしているけど」

「してんのかよ」

「天喰が気持ち悪いから食べたくなって」


 体調の悪さならば無理強いをするつもりはなかった。第一ベッドの上で吐かれても困る。天喰が苦しんで喉に手を当てる姿は興奮するが、嘔吐に興奮する癖はない。


「つーか、天喰が食べねぇなら、オレの分残しておけよ」

「忘れてた」

「マジ腹立つなこいつ。そだ、今更だけど、天喰生かしておいて問題はないのか? 天喰と連絡が取れないとかで両親や知り合いが、自殺マンションに探しにきたりしないのかよ」

「大丈夫。天喰がそういった連絡を取り合う親密な関係はいないよ。そのあたりは流石に調べてある。自殺マンションも元々入居希望してくる物好きなんていないだろうけれど一応募集は取りやめた状況にしてある」

「へぇ。何もしていないで遊んでいるだけかと思った」

「僕を何だと思っているんだ」

「事務所の助手を雇うのに大手広告会社に普通に求人募集を出す馬鹿野郎」

「昔の話をいつまでも掘り返してねちっこいな」

「いつまでだってねちねちしたくなるだろ。ってか天喰って実は金持ちか? こんな利便性の高い場所にマンションの管理人兼大家が出来るってことは」


 那由多が不思議そうに天喰へ視線を向けた。天喰の顔色は少しだけ良くなっている。血色が悪いのもいいけれどやはり血が通っている方がヒカゲとしては好みだった。天喰は答えるか迷ったようだが、別に秘密にしておく必要もないと判断したのだろう。那由多の沸点の低さも判断材料に加わっていそうだが。


「いやまぁ……遺産とかもあったけど、それだけだと足りないし、自殺マンションの構想は高校の頃からあったから、バイトとか、株の売買とかで補ったよ」

「へぇ。遺産か。だから親族はいないのか」

「流石にいたら捕まったときに親族に迷惑をかけるわけにはいかないから、こんなことしないよ」

「那由多に天喰の爪の垢を煎じて飲ませたいな」


 ヒカゲの言葉に、那由多が思いっきり顔を顰めた。


「てめぇも飲めよ」

「なんで僕がこの世で一番嫌いな男のために、良い子にならなきゃならないんだ」

「アゲハが困るだろ」

「アゲハは自由にやっていくから大丈夫だよ」


 那由多の両親は存命で仲が良い。そして不幸なことに、彼らは那由多が人を食材にしているとは知らない。


「ヒカゲは家族と仲が悪いのか?」

「母のことは好きだけど、僕が幼いころに病死した。父親は生きている。それだけだ」


 天喰の質問に、ヒカゲは短くまとめて答えた。妹のことは以前伝えてあるから不要だろう。


「ところで、ヒカゲ。一応オレが血の処理とかもしておいたけど、部屋ごと引っ越したらどうだ? お前以外住民いないんだろ?」


 那由多が、話題を変えてきた。珍しく空気が読める男だと思ったが、ヒカゲも空気は読めるのでわざわざ口には出さない。


「引っ越しが面倒だ。大体、業者を呼ばないと一部は運ぶの大変だろ。那由多だけじゃ足りない」

「てめぇも手伝えよ。なんでオレだけ引っ越し業者やるんだよ」

「お前が一番力持ちだからだよ。引っ越しはしない。まぁ……天喰以外の血が混じっていると思うと業腹だけど。ものすごく業腹だけど」

「なら、天喰の血で上塗りか?」

「そのつもり」


 爽やかにヒカゲは返事をした。天喰が嫌な顔をしたので心が躍った。怯えるのではない表情にそうこなくちゃっと。だからこそ天喰はいい。

 無意味な抵抗を飽きることなく続ける姿も、傷を負わされても怯えることなく強気に睨みつけてくるところも。命乞いをすることも、殺してと願うこともない。

 復讐せずに死ぬことも屈することも御免だというその意思が好きだった。

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