第7話:自殺マンションⅢ

「君の大事な人が死んだのと同じ場所だ。同じ場所で、同じ先で、会える」


 惑わされてはいけない甘言が心地よく耳に響く。


「大切な人がいないこの世で生き続けるよりも、最後を同じにした方が幸せだろ? 君と彼女の唯一無二の証だ。それとも、この世界で幸せを見つけられる?」


 繰り返される誘惑に、心が空に飛び立つような浮遊感が、身体を支配していく。


「生きているのが辛いだけなら、あの世に期待したっていいだろ」


 そうだ、そうしようと頬が緩む。

 大切な人が生きていない世界で生き続けることは地獄だ。

 地獄から脱却するには、死を選べばいい。

 なんて、単純で明白な答えに今まで気づかなかったのだろうと自嘲する。

 眼下を見下ろせば、地上が見える。

 なんてちっぽけな世界なのだろう。恐怖はない。

 この世から飛び立てる世界を、この場所は生み出してくれている。

 何より、最愛の人の軌跡を追えるのだ。これ以上嬉しいことはあるだろうか?

 新たなる旅立ちに感謝だ。

 そう思って――彼女は笑って、屋上から地面へ飛び立った。



「最高だ。まさか笑いながら死んでいくとはね」


 屋上の壁を背もたれにしながら、拍手をする。


「そうだな。笑いながら自殺するとは、僕も予想外だ」


 突然の声に、愉悦に浸っていた甘美なる時間を打ち切り、声の方向――屋上の入口付近へ身体を振り返ると、少年のような外見をした黒髪の青年と、妙齢の女性が姿を見せた。

 ヒカゲとイサナだ。

 ヒカゲは、部屋の内装を服と同じように黒一色に拘りを見せた、新しい入居者。

 イサナはヒカゲと行動を共にしている、しっかり者の女性だ。

 一緒に並ぶ姿は恋人のようであるのに、恋人ではないのが明確に伝わってくる二人組。


「どうして、此処にいるのですか。ヒカゲさん、イサナさん」

「お前が、自殺マンションの真相だから、だよ。天喰あまじき


 名前を呼ばれて、天喰は顔を顰める。姿を目撃されるとは思わなかった。

 彼女が死んだのは自殺に間違いない。背中を手で押したわけではない。

 けれど、自殺マンションの意味を理解している相手に誤魔化しは不要だ。管理人としての面を捨てる。


「俺が自殺をさせるとわかっていたのか? 君たちは」

「そうだよ。自殺マンションで死んだ人間に共通点はない。そりゃ、偶然の接点とか、出身都道府県だのなんだのにすれば、全くないわけではないだろうけど。あくまでも偶然の産物だ。ただ、全員に明確な共通点が存在する。『自殺マンション』と呼ばれるが故の、自殺マンションが共通点であり、そしてもう一つ――マンションの管理人である天喰、お前との接点がな」

「……そうだな」

「なら、天喰が自殺へ誘導していると考えるのが自然というものだ。他人を自殺させるために管理人という立場に身を置いた。仮に警察がお前のことを唯一の共通点だとして怪しんだとしても、正真正銘の自殺である以上、それ以上の手出しは出来ない。疑われたところで、手を下していないのだから痛くないというわけだ。自殺ほう助の証拠は流石に残していないだろう」

「だから、このマンションを借りたのか? 俺が自殺をさせていると突き止めるために」

「それは別の理由」

「は?」

「僕が借りた理由はおのずとわかるよ。お前は、色々な手練手管を使って入居者たちの信頼を得ていた。そして、自殺へ誘導していく」

「そうだ」


 否定する理由もないので、天喰は肯定する。

 赤いリボンをした男の目的が読めない。一挙一動を見逃さないように目を細める。


「このマンションの建築年数は若い。つまり、このマンションを建てる段階で、各部屋に監視カメラを仕込んだ。普通最初から監視カメラがあるとは思わない。エントランスホールにはちゃんと目に見える監視カメラを仕掛けておいて、はた目にはセキュリティーも大丈夫です、という安心も次いでにつけておく。目に見えているものがあれば、それと同じものが目に見えない形で隠されているなんて中々思わないからな。ましてや、借りた段階から監視されているなんて、疑わない。誰も知らないままに、監視して、自殺するに値する情報を仕入れていく」

「まるで見てきたような物言いだな。推測でしかなく証拠もないのに、それが真実であるかのような振る舞いだね。まあ、正解だけど」

「自然と会話を誘導するのは、お前にとっては容易だろう。簡単に言えば、コールドリーディングやホット・リーディングにもたけていそうだしね。人を操るのは得意だろ?」

「必要とあらば」

「そうして警戒心がなくなった住民たちの懐へ入り、自殺へ誘導していく。その手腕は見事なものだろうな。例えどれだけ死者のでるマンションだったとしても――本人が本人の意思により死んでいるのだから。全て自殺で終わる」


 全て正解だった。

 マンション内に仕掛けた監視カメラから入居者の普通ならば知りえない秘密や情報を拾い、そこから相手の悩みや心配事を心配するふりをしてつけ込む。心を開かせて、後は自殺へ徐々に誘導していく。

 死に魅入られた人間は、天喰が最後の背中を押せば簡単に死を選んだ。

 その歓喜なる姿を天喰に見せてくれた。


「で、どうして自殺をさせていたんだ? 自殺をさせた理由までは流石にわからない」

「簡単だよ。それが、俺にとっての至福だから」

「至福?」


 真実を告げる審判も、動機までは理解出来なかったようだ。隠す必要もないので、天喰は素直に告げる。

 天喰にとって苛烈に心を動かされる、それを丹念に、わかりやすく解す。


「最期に人が自らの意思で死を選ぶ瞬間こそが、俺にとって高揚できること。だから、俺はこのマンションの管理人をやっている。此処は最高の自殺場所だよ。嬉しそうに、幸せそうに、皆、死んでいく。最高だろ?」


 天喰は両手を広げて、幸せを語る。

 天喰にとっての快楽は人の自殺だ。

 特に死ぬ間際に幸せな顔を浮かべていると最高に興奮する。

 先ほどの笑いながら死んでいった彼女は、最高の死を演出してくれた一人として、天喰のアルバムに残るだろう。


「あはははっ! いいなそれ」


 ヒカゲが突如笑い出すものだから、天喰は身構える。

 他人に理解されたことのない思考を、いいなと言われるとは思っても見なかった。

 得てして、そんなことを言い出す相手は関わってはいけない人種だ。


「ふふ。天喰は最高だね。ますます素敵だよ」

「素敵……だと?」

「そうだよ。天喰。お前は僕の好みだ、その美しい外見や虹彩異色症ヘテロクロミアたまらないね」

「……は?」


 意味が理解できなくて、怪訝な表情を見せると、ヒカゲは頬を染めながら高揚したまま言葉を続ける。黒のコートが翻る。


「お前のことが好みだ。お前を甚振って殺したいほどに、愛してる」


 想定外の告白に、天喰は背筋が粟立つ。

 咄嗟に逃げようとしたが、ヒカゲが天喰の顔から眼を離さない。

 逃がすつもりはないのだと、目が雄弁に語っている。

 そもそも逃げるには天喰の背にあるのは屋上の柵だ。

 逃げるためにはヒカゲとイサナの横を通り抜ける必要がある。

 天喰は深呼吸をして覚悟を決める。

 護身用として持ち歩いている折り畳みのナイフをコートのポケットから取り出し、先端を向ける。

 ナイフに怯んでくれればいいが、殺したいという殺害の告白されてしまった以上、残念なことに不可能だろう。


「僕に武器を向けてくるなんて度胸があるな。どうして、天喰はそんなに僕の好みを刺激するんだ?」


 だが――流石に、さらに喜ばれるとは予想外だった。嫌な汗が伝う。


「君の好みに合わせているわけじゃない!」


 天喰は先手必勝とばかりに走り出す。ヒカゲと会話をしていると、鳥肌が立ってたまらない。

 後方にいる女性は優美に腕組をしているだけなので、ただの付き添いだと判断した。

 天喰がナイフを振りかざすと、金属音が響く。ヒカゲもナイフで応対した。


「――!」


 天喰はすぐさま後方へ飛びのくと、ヒカゲの一閃が虚空を切り裂いた。

 瞬時の判断が遅れていれば、腹部を真っ赤に散らしただろう。

 距離をとって不用意に近づくことはせず、天喰は神経を集中させる。

 ヒカゲはナイフをお手玉のように遊びながら、微笑む。手慣れているのが伝わってきてため息が零れる。


「武術もできるとかますます好みだ。お前の泣き叫ぶ声が聴きたくてたまらないよ! 悲鳴が、その瞳に涙をためて懇願する姿を見たい!」


 恍惚としながらヒカゲは笑う。


「性格悪いよ……!」


 ヒカゲを殺すしかない。この男を自殺に見せかけて殺害は不可能だ。

 下手をすれば、今しがた自殺した女性も自殺じゃないと判断され、捜査される可能性がある。

 新たな入居者であったヒカゲを自殺させたら、自殺マンションを手放す潮時だと、最初は考えていた。引き際を間違えた。本来とるべきは最後まで自殺マンションを活用しようと思わず、早々に売り払うことだった。

 笑顔のヒカゲが迫ってきたので、後悔を打ち切る。

 突き出されたナイフを受け流し、一歩踏み込み一閃するが、体操選手のように柔らかく後方へ重心をずらしたヒカゲにより交わされる。

 さらに二撃目を加えようとするが、はじかれる。重心を後ろへずらしたまま、ヒカゲの蹴りが天喰の懐に入り強制的に後方へ下げられる。口から空気が零れる。

 腹をさすりながら痛みが消えるのを待っていると、隙を与えないとばかりにヒカゲが駆け出し、ナイフを投擲してきた。

 てっきり切りかかってくると思っていた天喰は反応が遅れ、服が切り裂かれ腕を掠める。黒のコートにうっすらと血が滲む。


「ちっ……」


 投擲されたナイフは天喰の後ろのコンクリートに突き刺さったのだろう。音が響いた。

 武器を手放したヒカゲは、拳を固めて、鳩尾を狙ってきた。

 ナイフで天喰はけん制する。防ぐものがないヒカゲへ、頬に切り傷を軽く負わせた。ヒカゲは、頬を伝う血を黒の手袋で拭うと、顔からは笑みが消えないどころか、ますます笑顔になっていく。


「意外と強くて驚きだ。ヤバイ、どうしよう。ホント。天喰好きすぎる!」

「気味悪いこと言わないでくれるかな!」

「無理! だって好みだ!」

「知るか、気持ち悪い!」


 声を荒げてしまう。ヒカゲの言動は肌に合わない。一言で纏めると恐怖すら感じる。得体のしれない黒い瞳が、天喰を見据えてくる。

 蹴りを入れようとするが、素早く交わされるどころか、避け際に一撃を、脛に入れられた。


「っ――!」


 二撃目を覚悟した天喰だが、ヒカゲは深追いせず、天喰を通り過ぎて地面に転がっているナイフを拾った。


「この!」


 天喰がナイフを振りかざすと、後方へバク転しながらヒカゲは交わす。

 ヒカゲは天喰の猛攻を軽々と交わし、ナイフとナイフを衝突させる。

 ――こいつ、もしかして。

 天喰は何度も打ち合いをするたびに一つの可能性に気付いた。


「君。もしかして――俺の顔を傷つけたくないのか」


 天喰は容赦なくヒカゲの顔面や急所を狙っているのに、ヒカゲが攻撃してくる場所は、急所と顔を悉く避けていた。

 ヒカゲは一瞬目を丸く見開いてから、口裂け女を彷彿させる笑みを浮かべる。


「そうだよ。好きな顔を傷つけたいとは思わないだろ。その顔は、苦悶に歪み、それを僕に見せるために存在しているんだ!」

「この変態が!」


 顔を傷つけたくないという理由があまりにも、顔が好みという事実を裏付けている。


「変態とは酷い。天喰にとっての快楽が、自殺を見ることであるのならば、僕にとっての快楽は他人の泣き叫ぶ、悲鳴だというだけの話だ。同じだよ」

「趣味が悪い自覚はあるが、君の趣味は、俺を遥かに上回っているよ、同一扱いされたくないな!」

 

 ヒカゲの目玉に向けてナイフを突き出す。直前で割って入ったナイフに受け止められた。

 ヒカゲが反撃してきたが、顔面は狙ってこなかった。

 ならば、攻撃してくる場所に限りができる。天喰はそう考え、冷静にヒカゲの攻撃を捌いていく。

 凌ぎ切れるかと思ったとき、ヒカゲが狙ったかのように攻めてくる。

 巧みなるナイフ捌きに対応しきれず、天喰のナイフが手から離れて弾き飛ばされる。

 飛んだナイフは、屋上を飛び越え、地面へ落下した。


「しまっ――!」


 天喰に焦りの表情が浮かぶ。弾き飛ばされた勢いで右手は後ろへ下がってしまっている。ヒカゲの笑顔が近づく。

 反応しようにも、流れた身体ではうまく動けない。

 ヒカゲが回し蹴りを放ってくる。逃げ場はないならばいっそバランスを崩してしまえと地面へ身体を逃がした。

 鋭い蹴りが、髪の毛すれすれを掠めていく。


「あっ――! そっちに逃げるなよ、万が一顔に傷がついたらどうする! 僕の天喰の顔に傷がついたら大変だ」

「知るか! あと、君の天喰じゃない。俺は俺のものだ!」


 地面へ逃げた天喰の身体を踏みつぶすようにヒカゲが空中からかかと落としで地面へけりを入れてくる。

 地面を転がりながら回避して起き上がったところで、ヒカゲの拳が天喰を捕らえる。鳩尾に一発。怯んだすきを狙われ腕に手をかけてから、背負い投げで背中から地面へ叩きつけられた。


「ぐっ――」


 空気が口から零れる。痛みで視界が一瞬黒く染まる――違う。ヒカゲだ、と思ったタイミングで、手錠の音がした。


「……はっ?」


 冷たい金属が手首に触れる感覚に、視線を向けると鈍色の手錠が自身の両手を拘束していた。


「嘘だろ……おい」

「筋弛緩剤とかが良かった? でも、だーめ」


 可愛く微笑みながら狂気の瞳を天喰へ向けてくる。

 勝敗は決した、とイサナがヒカゲの隣へ並ぶのが見えた。冷淡な瞳は、天喰に対して何の感情も抱いていない。

 抵抗して逃げようとしたが、ヒカゲの身体が、天喰の動きを封じる。


「ふふ。天喰を手に入れたよ」


 ヒカゲが嬉しそうに天喰の顔を撫でた。馬乗りされているので、ヒカゲの表情がいちいちよく見えるのが、どうしようもなく天喰には嫌だったが、どうしようもできない事実がまた最悪だ。


「美人は美人である程いい。その中でも天喰は惚れ惚れするほどに美しい。虹彩異色症ヘテロクロミアであり、しかも顔立ちが整っているし気も強い。そんな彼があげる悲鳴を想像したらもう、心が躍ってたまらないよ。例えるなら、クリスマスプレゼントを貰える夜のようだ。サンタさんまだかなって、待ちながらベッドで眠ってしまう子供と同じ心境さ」

「純粋な子供と快楽殺人鬼を同列にしないでください。可哀そうです」

「ひどい」


 初対面で――あの自殺マンションに住みたいという物好きが現れた時点で警戒するべきだった。

 警戒を抱かず、この男も死んでくれたらいいなと思ったのが失敗だ。

 そもそも、天喰は護身用に持ち歩いていただけで、人を直接は殺したことがない。その一方、ヒカゲは言動やナイフの扱いからいって人殺しに慣れている。

 相手が悪すぎた。

 けれど天喰は観念も諦念もしなかった。


「さて、僕が借りた部屋で遊ぼうか。天喰」


 あぁ――と天喰はヒカゲが部屋を借りた理由を理解した。

 完全防音設備なら、どれだけ悲鳴を上げようとも外からはわからない。

 誰も気づかない牢獄だ。天喰が作り上げた理想のマンションが、天喰を苦しめる地獄への入口へ変貌するのだ。


「ところで、ヒカゲ」


 イサナがヒカゲの歓喜に割って入った。


「なに。僕のお楽しみの時間のお預けはいただけないんだけどー」

「先ほど自殺した女性は、依頼主でしたよね? 妹の死が自殺なわけないって叫んでいた」

「うん。僕を除けば唯一の住民だったわけだし、そうなるね」

「依頼料は頂きましたか?」

「……あ」

「あってなんですか、あって」

「天喰が欲しくてそっち優先していたから、忘れてた」

「……依頼人の女性死にましたよね」

「うん。死んだな」

「依頼料もらえませんね。というかヒカゲ死ぬのわかっていて放置していましたよね?」

「折角なら天喰がどうやって自殺させるか見たかったし」

「ならせめて依頼料貰ってから死んでいただけなかったのですか?」

「いや、それだと天喰のせいって告げるから依頼料は貰えても、天喰が自殺させるの見れないじゃん」

「君たち……流石に人でなしすぎないか」


 依頼、といった話の内容は状況から何となく察することが天喰にはできた。

 しかし、天喰が自殺させる場面を見たいがために助けなかったのだとは思わなかった。


「あぁ、そうだイサナ。死体このまま放置しておくわけにもいかないからさ、那由多あいつに連絡しておいて。あと、監視カメラの始末も宜しくね」

「ハイハイ。わかりましたよ。それでは私は帰りますね」

「うん。僕は天喰と遊ぶね」


 イサナが同情もなく無表情のまま屋上から階段で降りていくのを、天喰は眺めることしかできなかった。 

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