第6話:自殺マンションⅡ
「私はこのマンションの管理人兼大家の、
「では、お話を伺ってもいいですか? 外装は勝手ながら拝見させていただいたので……」
「構いませんよ。それでは事務室でお話ししましょうか。失礼ですがお名前を伺っても?」
「私は、
「ヒカゲです」
イサナに袖を引っ張られたヒカゲは、おどおどしながら消えるような声で名乗った。
「イサナさんと、ヒカゲさんですね」
ヒカゲの態度を人見知りだと判断したようで、マンションの管理人である天喰は怪しいと思った様子もなく柔和な微笑みを向けてくれた。
耐えきれなくてヒカゲは直にイサナの後ろへ引っ込む。
天喰が先頭歩き出すと、イサナが振り返ってヒカゲに困惑した眼差しを見せた。
「どうしたのですか? いくら天喰さんが美人だからといっても、様子がおかしすぎますよ」
小声でイサナが尋ねてきた。天喰のまっすぐな背中をヒカゲは見る。
「だって……あり得ないくらい好みの顔していたから」
管理人である天喰の顔は美しかった。
一目見た瞬間、脳に雷をうけたような衝撃があった。次いで、全身が蕩けるような感覚も訪れた。
「は? それで? 面食いで普段から美男美女を飽きるほど見ているというのに?」
「天喰と比べたら今までの美人は偽物だった気がする。それに、あいつの目を見たか?」
「え?」
「
「そうなのですか……気づきませんでした」
「赤縁の眼鏡をかけて
「男にしては珍しい長髪って、ヒカゲが言っても説得力ありませんが」
「天喰の、あの……あの整った中性的でありながら男だとわかる顔立ちが、僕の心をつかんで離さない。これが一目ぼれ……」
ヒカゲのうっとりとした声色に、イサナが虫を見るような目をしてきた。
「……そうですね。確かに天喰さんは美人です。色仕掛けをして落としてみますか」
「は!? 駄目!」
「冗談です。嫌がらせにマジレスの即答しないでください。そもそも、私はもっと小さくて可愛い天使みたいな子がタイプなのです。天喰さんは大きすぎます」
イサナの趣味が、ちょっとヒカゲには理解できなかったが、ともあれ色仕掛けが冗談で良かったと安堵する。
イサナは綺麗なので、天喰と並んだら映えるのは間違いなく目は堪能できるが、天喰を独占したい気持ちの方が強かった。
「天喰の悲鳴が聞きたくてたまらない。あの優美な顔が歪む姿を想像しただけで興奮がとまらないんだ」
「ちょっと顔を赤く染めないでください気持ち悪い。顔がいいから許されるものを」
「許されているのに気持ち悪いっておかしくない!? とにかく! 天喰を殺したい……」
「顔もまともに見れないのに、殺すとき見れるんですか?」
「大丈夫。堪能する」
ヒカゲの笑みに、イサナが嘆息した。
背後で物騒な会話をされているとは思いもしない天喰は、エントランスに足を踏み入れ、管理人室のロックを解除しているようだ。
ヒカゲはその一挙一動をイサナの横から眺める。
真っすぐに伸びた背筋。艶やかな黒髪。赤いマフラーが存在を主張して、天喰の顔への視線をずらさせる色選び。ストライプの入った黒のシャツに、黒の上着を羽織っている。桜入りの簪が揺れるたびに、天喰の顔をヒカゲは想像して頬が緩む。
管理人室の扉を開けた天喰は、先に室内へ入るようへ促した。応接室も兼ねているのか、無駄な装飾がなく、綺麗な部屋だった。
奥に扉がもう一つあるが、閉まっているので様子は伺えない。
書類棚とポットと食器入れ、それにソファーとテーブルが置かれており、入って左側にはパソコンとエントランスとエレベーター内の監視カメラのモニターが映っている。
ソファーに座るように促されたので、イサナと並んでヒカゲは座る。
天喰が手際よく、流れる様な動作でお茶をヒカゲとイサナの前に置いた。正面に座ると天喰の顔が良く見えて、ヒカゲは顔を逸らしたくなったけれど、人見知りをこえて嫌われたのだと思われたくないので、視線をお茶に向けた。
普段であれば、飲食店でもない赤の他人が出したお茶に口を付けないのだが、せりあがってくる感情を飲み干したくて、ヒカゲはお茶を飲んだ。天喰が入れてくれた思うと、それだけでとても美味しかった。
「入居希望者ということでいいですか?」
「あぁ。僕が入居を希望している」
イサナにつつかれたのでヒカゲが答えると、天喰が柔らかく微笑んだ。
「嬉しいことですね」
柔和な笑みに耐え切れずにヒカゲがイサナの方へ凭れ掛かると、押し返される。イサナが冷たい、と腰を小指でつついたが無視された。
「私はヒカゲの付き添いです。ヒカゲがこのマンションを気に入ったもので、しかし何故家賃が周辺の土地価格に対して安いのかが気になりまして、勝手ながら拝見させて頂きました」
ヒカゲに会話をさせるのが面倒になったイサナが会話を進め始めたので、天喰の視線がイサナへ向いた。ヒカゲは見とがめられない程度に天喰の顔を堪能する。
灰色と紫の虹彩異色症を目立たなくするための赤縁眼鏡に、艶やかな黒髪。健康的だが色白の肌。滑らかな頬のラインや、美鼻。全てが整っている。壱から百までヒカゲの好みで構成されたような顔立ちだった。
「噂はご存知で?」
それだけでなく、水のように澄んだ声までもが、好みだった。
「『自殺マンション』そう呼ばれているそうですね」
「ええ。管理人としてはそう呼ばれたくはないのですが、しかし実際に幽霊という非科学的なことすら検証したくなるほど、このマンションは自殺者が多いのです。今では入居者が一人だけになってしまいました。これだけ、立地も良い建物なのに残念です」
悲しそうに伏せる睫毛の長さも、悲し気な表情も、全てがヒカゲを魅了してやまない。
「だからといって月三万は安すぎませんか? 田舎の交通が不便なところでも防音完備の建物でしたら三万では借りられないと思うのですが」
「そうですね。しかし安くしなければ誰も人が入ってきません。三万に下げた当初はこれでも入居者も結構いたのですが、自殺者が続いて、退去する人たちも大勢いまして」
「建物を解体して売るという予定はないのですか?」
「それも考えましたし、最終的にはその方法をとるでしょうが、『自殺マンション』として有名になりすぎて売ったところで買い手が中々ね……私としてはマンションが継続できるなら、そちらの方を優先したいのです。それに、別に入居した人間の全てが自殺するわけではありません。私も生きていますし。どうされますか? 入居されるのでしたら可能な限り、ご希望を叶えたいと思っていますが」
「ヒカゲ。どうしますか?」
流石に入居希望の条件はイサナはわからないと、ヒカゲへ訪ねてきた。ヒカゲは元から決めていたので、悩むことはなかった。
このマンションで現在入居者は依頼人だけ。管理人を含めても二部屋しか埋まっていない。
「十階で、両隣と上下に人が住んでいない部屋がいい。あと可能ならば1LDKではなく2LDKがいいな」
「かしこまりました。ご希望通りの部屋が空いていますので、そちらにご案内いたしましょう」
「審査とかは必要か?」
「いえ。こんな状況ですので、入居して家賃が支払われるならば頂けるなら構いません。管理費用と前金は頂きますが宜しいですか?」
「勿論。今でいいか? このまま契約を勧めたい」
「畏まりました。ご入居日はいつにされますか?」
「可能なら今日からで」
「では少々お待ちください」
天喰がソファーから立ち上がり、書類棚から必要な書類を手際よく取り出していく間、ヒカゲは希望の部屋に思いを馳せる。周囲に人のいない防音完備の部屋。
それも自殺マンションとして有名。マンションの立地はいいから、心霊観光に来る人間もいない。噂で人が寄り付かない。
安心して綺麗な場所で人殺しを堪能できる。なんて幸せなことだろうか。
「部屋、せっかくだし好みのインテリアで揃えたいな」
「どうせ黒なんでしょう」
「よくわかったな」
「わからないわけないじゃないですか。まあ、でも黒ばっかなことを除けば、センスが悪くない部屋が出来そうですね」
「無秩序は好まないよ」
「無秩序みたいな人が何を言っているのでしょう」
天喰が書類一式をテーブルの上に並べる。爪先まで手入れがされており、ヒカゲはその手に触れたい欲を我慢する。まだ時期尚早。殺人を堪能するには早い。
「では、必要事項を確認の上、此方にサインをお願いできますか?」
「わかった」
全てがつつがなく進行していくのは好ましい。
ヒカゲは手袋をはめたままの左手でペンを持ち、黒月ヒカゲと記入する。
一瞬天喰が黒月の苗字に反応した様子だった。ヒカゲが苗字ではなく名前を名乗った事実を疑問に思ったのだろうが、相手は入居者と判断したのだろう、何も言ってこなかった。その配慮も心地よい。
ヒカゲさんと名前で呼ばれるのが嬉しかった。
探偵事務所の名前は黒月探偵事務所にしてあるが、ヒカゲは元々、苗字で呼ばれるのを好まない。天喰にならば、苗字で呼ばれても嬉しい気持ちになれるだろうが、やはり名前呼びに勝るものはない。
「部屋は、最上階の一〇〇五号室になります。現在十階、九階は全て空き部屋なので、音漏れも、防音設備で完璧ですが、万が一の心配もいりませんよ。上の階は屋上ですので、部屋はありませんし」
「いいね、最高だ」
「イサナさんも、もしもお部屋を用意してほしければ、いつでもおっしゃってください。いつでもご用意できますので」
「有難うございます。お心遣いだけ頂いておきますね」
イサナは事故物件など気にしないし、部屋を安く借りられたと喜ぶタイプだが、ヒカゲのご近所になるのは御免です、というオーラが伝わってきてヒカゲは笑った。
イサナはヒカゲの快楽殺人の面を気にしない。
人を殺す趣味はないが、人を助ける善性もないのがイサナだ。だから、ヒカゲが人を殺しても気にしないが、率先して鑑賞するような趣味も持ち合わせてはいない。そして美人で料理上手。ヒカゲが事務員として雇うのに最高の人材だった。
天喰に部屋を案内してもらうことになり、エレベーターを使って十階まで到着する。エレベーターは二機搭載されている。屋上への入り口は階段のみ。一つの階に部屋は六部屋あり、エレベーターから右手に少し歩くと、一〇〇五号室に到着した。
天喰が鍵束の中から、一〇〇五と描かれているのを取り出し、茶色のドアノブに差し込み開錠する。
清潔な空間が漂う玄関がまず視界に入る。
左手には靴箱が置いてあり、そこを開けるとスリッパが何組か置かれていた。最初に、天喰が玄関で靴を脱いでスリッパへ履き替えてから、二人分のスリッパを並べる。
短い廊下には扉が四つある。玄関に一番近い部屋は十二畳のフローリングの部屋。
反対側に隣通しで並んでいる扉はトイレと洗面所だ。
一番奥の、真っすぐ進んだ先がリビングで、台所の作りはキッチンカウンターとなっていた。カーテンはなく、日差しがフローリングを照らしている。
「思っていたより綺麗で住み心地がよさそうだ」
「いつ入居者が来ても大丈夫なように準備だけは怠っていませんからね」
ヒカゲとイサナがキッチンを見るとガスコンロは電気式で、シンクの広さもあり、悠々と料理ができる空間になっていた。
「では、これが部屋のカギになります。無くさないようにお願いしますね」
「わかった」
ヒカゲは満足そうに頷いて、黒の手袋をはめた指で幸せそうに鍵を撫でる。天喰がそれでは何かありましたらと名刺を渡して去っていった。ヒカゲは名刺を顔を綻ばせながら、胸ポケットの中へしまう。
「最高だ!」
「……ヒカゲ。忘れていませんか? 仕」
「さて、イサナ。早々に部屋の道具を揃えにいこう。早くこの部屋で暮らせるようにしたい」
イサナの言葉を遮るようにヒカゲがハイテンションでイサナの腕を掴む。
「はいはい、わかりましたよ。鬱陶しい」
「いつにもましてイサナの口が悪い。どう改装しようかな。土足で歩けるようにはしたいけど……」
「それは流石にどうなんです? 事務所じゃないのですから。というか、ヒカゲは海外に住んでいたことでもあるのですか? 靴を脱ぐのあまり好みませんよね?」
「海外に住んでいたことはないけれど、僕は靴を脱ぐのが好きじゃないからな。土足のまま生活をしたい」
「変わった趣味ですよね。ヒカゲの潔癖さなら靴はむしろ脱ぎたいのでは?」
「さて、家具を一通りそろえるか!」
イサナの質問を無視して、ヒカゲはスキップしながら玄関へ向かう。呆れているイサナに早く早くと手招きをする。まだ泥棒に入られて困るものはないので部屋の鍵はかけなかった。
エレベーターに乗ったところでイサナが盛大なため息をついたのを、ヒカゲは笑う。
マンションから三分の距離にある大型家具を取り扱っている店に足を踏み入れる。
「本当に一式揃えるのですか?」
「あぁ。生活に必要なものは揃える。まずはカーテンが重要だ」
真っ先にカーテン売り場へ移動して、遮光性が非常に高い高級な黒のカーテンをカートの中へ入れる。
「ちょっと値段見ないのですか?」
「質で決めるから値段は別に構わないさ。それに天喰がいるマンションだぞ。お金くらいつぎ込むさ。見た目が悪い部屋とか嫌だろ」
「成人まで初恋をしないと、こうしてこじらせることがよくわかりました」
「別に恋ではないけど。でも、ここまで心が躍ることは初めての経験な気がする」
「それを世間では初恋というのでは」
「なんでも恋に結び付けるのは安直だ。あ、ソファーも買おう」
座り心地を確かめて、一番居心地のよいソファーの札を手にする。迷いのない買い物を次々と決めていく。
一通りの家具を揃えて、手で持って帰れるものは持ちかえり、できないものは宅配で届けてもらうことにした。
大半の品は本日中に配送してくれるが、一部は取り寄せなので明日以降届くことになった。
部屋に戻り、彩る。殺風景だった部屋は黒に塗りつぶされる。
荷物が到着すると家具が揃い始め、部屋のレイアウトが整っていく。
本日の改装の目途が立ったので、食事に出かける。夕食はイサナが肉を好んだので、焼き肉へ行った。
「では、私は帰りますね」
「うん。明日また引っ越しの準備手伝って」
「わかりましたよ。にしても、本当に住める状態にするのですね。偽装ではなく」
「勿論。あの部屋に天喰を招くためにね」
「依頼のことはちゃんと覚えてます?」
「大丈夫だ。自殺マンションの絡繰りについて憶測はついている」
「え、そうなんです? どこで」
「簡単だよ。それにしかないから。それ以外の要因がないと分かればそんなもの。問題ではない。ただ、時期ではないだけだ」
「……必要な時期があるのですか?」
「そうだよ。あぁ、イサナ。一つ言っておくけど。あのマンションにいるとき依頼人の話題は厳禁だし、僕が天喰を殺したことも匂わせちゃだめだよ」
「人目なんてどこにもないですけど」
「どこにあるかがわからないからだ。後は、後のお楽しみ」
「わかりました」
イサナはヒカゲの言う時期を待つことにしたようで、それ以上話題には触れてこなかった。
ヒカゲは一旦、本来の自宅へ着替えなどを揃えに戻った。那由多にしか教えていない自宅だ。イサナも知らない。
自宅に戻らない日もあるが、一番くつろげる空間だ。
今日は最高の一日だった。
まさか、ヒカゲの好みにあそこまで合致した顔立ちの男がいるとは思わなかった。浮足立つのも致し方ない。
自殺マンションにはまだベッドがないので、朝早起きをして向かうことにした。お湯をはり湯船につかって疲れを癒す。
翌朝マンションでイサナと合流をして部屋に入る。
鞄の中からパンケーキの材料を取り出してイサナに作るように頼んだ。
「手際よすぎませんか」
「どうせならパンケーキを食べて幸せに包まれたい。イサナの料理はおいしくて好きだからな」
「せめて先に褒めてください。パンケーキより序列が下です。大体、料理は出来るのでしょう? 一人暮らしをしているのですから……それともカップ麺ですか」
「料理は出来るけど、作るのは好きじゃない。カップ麺も好きじゃないし、外食するのも面倒な時は食べないことが多いかな」
「だから骨折れそうなんですよ。舘脇さんじゃなくて私でも折れそうじゃないですか」
「流石にイサナに折られるほど脆くはないと思うけど……」
インターホンが鳴ったので、会話を切り上げてヒカゲはいい香りがするキッチンから離れ、玄関の扉を開けると昨日買い物した荷物が届けられた。
ベッドやソファーなどの大型家具は設置までのコースを料金を払って頼んであるので、業者に一通り作業を任せる。
部屋が形になったところで時計を見ると夕方になっていた。
「ふふ。満足」
「この段ボールはいいのですか?」
リビングに数箱、段ボールのまま放置されているのをイサナが指さす。
引っ越ししてまだ片付けが終わっていないような見た目がそこだけ残っている。部屋のレイアウトとしては美しくないが、この先を考えると全く気にならない。
「うん。それはまだいい。さてイサナ」
ヒカゲがソファーから身体を起こす。作業の邪魔になるので、三つ編みにした黒髪が揺れた。
「自殺マンションの結末を見届けようか。そろそろのはずだから」
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