輝く月のように

 僕が朝、教室の戸を開けると、彼女の姿があった。何者かに部屋を荒らされ、行方不明になっていた氷川喜与味は、まるで何事もなかったかのように教室の自分の席に座っていた。クラスはざわついている。しかし、彼女に話しかけようとする者は誰もいなかった。クラスみんなの注目を浴びているため、誰も声をかけづらいのだろう。このクラスはそういう人間であふれている。しかしだからといって、嫌われ者というわけでもなかった。むしろ彼女は『いい人』だった。喋ればなんでもやってくれる、という意味で。人気者ではなく目立たないが、いい人。それが氷川喜与味だった。

 クラス全員が氷川喜与味の方を、腫れ物を触るように見ている。それは単に、何者かに部屋をめちゃくちゃにされたからだとか、行方不明で騒がれていたとかの理由だけではなかった。スッキリしているのだ。頭が。

 自分で刈ったのか床屋にでも行ったのかはわからないが、一昨日までは腰のあたりまで伸びていた彼女の髪は、丸く刈り上げられていた。修行僧のように、尼さんのように彼女の頭は、教室の蛍光灯の明かりに照らされて輝いていた。しかしクラスの人間のなかで、それを笑うようなものはいなかった。むしろ驚きの顔をみせていた。彼女にいったい何があったのだろう。

「彼女…」

 後ろから黒沢アカネの声が聞こえ、僕は振り向いた。

「彼女、輝いてるわね。まるで満月みたい」

 頭が、という意味でなのか、それとも別の意味でなのかはわからないが、彼女は真顔でそうつぶやいた。そう言われて改めて氷川喜与味のつるりとした頭をみると、そう思えてきた。

「わたしもあんな風に頭を丸めれば、輝けるのかしら。彼女のように」

 それも頭が、という意味でなのか、注目を浴びるという意味でなのかはわからない。黒沢アカネは、目立ちたいのだろうか。その地味な髪型に地味な眼鏡。それを改善するだけでも結構違うと思う。

 朝のショートホームルームの時間になり、担任が教室に入ると、やはり氷川喜与味の姿をみて驚いていた。それからその頭はどうしたの?とか、今までどこにいたの?とか、そういう質問をしたが、「話せば長くなるので、ここでは話したくありません」とだけ答え、あとは黙っていた。担任は氷川に、昼休みに職員室へ来るように促した。彼女に何があったのか、教室にいる誰もが知りたがっているだろう。この僕でさえもそうだ。

 その日の昼休み、僕は教室で自分の机にうつぶせになりながら、ヘッドホンで音楽を聴いていた。いや、聴いているフリをした。教室に残って、雑談をしている生徒から、氷川喜与味に関する情報を聞きたかったからだ。昼休みの教室ほど、噂話を耳にする場所はない、と僕は思っている。

 しかし、僕の耳に飛び込んできたのは、予想外の事実だった。

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