第24話:暗黒騎士は断罪の剣を下し、そして……
「星が発するそれを超えた引力……いわば超引力によって極限まで圧縮された空間のエネルギーを、同じく超引力が形成した球状の密閉空間内で爆発させる。狙った標的以外には一切被害を与えず、かつ敵には徹底した破壊をもたらす。なんというか、まあ……実に貴方らしい必殺の技ですね、フレイ」
翼をマントに戻して着地したフレイに続き、ミクスとリオがその隣に降り立つ。
勇者は、三人から少し離れた場所に蹲っていた。
微細な亀裂が走る勇者の身体が光り出したのを見て、ミクスは焦りの声を発する。
「っ、いけません! また逃げられて復活を――!」
「いや、その心配は必要ない」
フレイは勇者に向けて手のひらをかざした。
勇者の身体が粉々に砕け、いくつもの光の欠片となって天に昇ろうとする。
しかし光がピタリと空中で静止し、フレイの方へと引き寄せられた。
戦闘で発揮した、有無を言わさぬ超引力とはどこか違う。
むしろ光が自らフレイの、フレイが纏う漆黒の騎士鎧へ還ろうとしているかのようにミクスとリオには見えた。
最後の光の欠片を、フレイはそっと包み込むようにして握り込む。
そして後に残ったのは、ミクスたちには見慣れない服装――学ラン姿で愕然とした表情を浮かべる生身の勇者……ただの男子中学生、サエキ・ショータだった。
「貴様の身体を構成していた光は、全て返してもらった。これでもう、死に戻りで王国に逃げ帰ることもできないぞ」
「僕の、僕の力が……勇者の力が……。返せ! 返せよ! 僕の光を返せ!」
「違う。奪ったのは貴様の方だ。正確には、貴様に勇者の力を与えたモノだがな」
傷こそ負っていないがダメージはあるのか、膝を突いたままでがなり立てるショータに、フレイは静かにそう告げた。
「ミクス。ここ数年で子供が生まれ難くなっている話を覚えているか?」
「え、ええ。確か、族長たちがそんな話をしていましたね。それが一体……」
「このネビュラの森だけではなく、北の王国でも同じことが起きている。いや、おそらくはこの島全域で。王国はそれも魔族の呪いなどと主張していたがな」
元々魔導科学による繁栄で、王国の人口は人間が溢れ返るほどだったため、フレイ自身あまり実感がなく、特別疑問を感じたこともなかった。
しかしその裏では、魔物という人災の規模をさらに超えた事態が起こっていたのだ。
「全ての生命は大自然のマナから生まれる。そして死した魂はマナに還り、新たな生命としてまた生まれ変わる。それがこの世界の輪廻だ。
だが悪意ある者ーー王国の人間が《女神》と崇める存在が、死した魂たちから『生まれ変わる力』を奪い去り、集めた力で人形を作った。
それは英雄譚という名の舞台で踊る人形。自分が目にかけた人間の魂を吹き込んだ、どれだけ破壊されようが無限に生まれ変わる、朽ちず滅びぬ光の器。それこそが、勇者の不死身のカラクリだ」
「ちょ、ちょっと待って。いきなり過ぎて、話についていけないんだけど!?」
「私もこれは、話を呑み込むのに時間が欲しいですね……」
リオとミクスの困惑も尤もだ。
フレイとて、赫炎と同化することで「当事者」の記憶を垣間見ていなければ、到底信じられないような話である。
「生の苦しみを味わい、死してなお、またこの世に生まれたいと願う力。
その根源にあるのは生きている間に経験した温かく幸福な思い出、あるいはそれを求める想いという『希望』の光だ。それを奪われた魂は生まれ変わることも、大自然のマナに還ることもできない。
温かな記憶や気持ちを失い、残ったのは怒りや苦しみばかり。そんな人が邪悪と呼ぶ負の思念の塊が、何千何万を超えて寄り集まり、一つの巨大な集合意識と化した怪物……それが、俺の中に宿る邪悪な存在の正体」
しかしどれだけいきなりで突拍子のない話だろうと、この少年には聞く義務がある。
自分が一体なにを、勇者ごっこという殺戮の道具にしたのかを。
「わかるか? 貴様が我が物顔で振りかざしてきた光の力は、元々俺の中に宿る魂たちの持ち物なんだ。俺は奪われたモノを、あるべき場所へ返したに過ぎない」
「はあ? 知るかよ、そんなの! そんなこと、僕はなにも知らない! なにも聞かされてない! だから僕はなにも悪くないんだ! そんな意味わかんない裏設定とかどうでもいいから、さっさと僕の力を返せよ!」
やはり、と言うべきなのだろう。
ショータは耳を傾けようともしない。自分が振り撒いた惨状と悲劇をまるで省みず、それが招いた血と涙と屍に見向きもせず、踏み躙った命と笑顔と幸福の重みを一かけら分の罪悪感でさえ背負おうとはしない。
幼稚なまでの傲慢さを引きずり、歪んで、こんな末路に行き着いた姿は、いっそ哀れむべきなのだろうか。
「まあ、こちらも最初から貴様の理解は求めていないさ。どの道殺すのだからな」
しかしそんなヤツを懇切丁寧に説教して更生させようなどと思うほど、フレイは人間ができてはいなかった。
とうの昔に決壊して瀑布と化した怒りを、鉄を断つ水刃のようにただ鋭く研ぎ澄ます。
憤怒は赫と黒に燃え上がり、地獄の業火を剣に灯した。
身を守る鎧も力も失った今になって、闇色の騎士が放つ濃密な殺意に気づいたのか。
ショータは両眼を開き、震えて力が入らない下半身を引きずるように後退りする。
「な、なんだよ、その目は……僕は邪悪な魔族を退治しただけじゃないか! いいことをした僕がなんで殺されなくちゃいけないんだよ! ふざけんな! お前らが死ねよ! 人間を脅かす醜いバケモノのお前らが死ぬべきだろうが!」
一歩。二歩。暗黒騎士の歩みは止まらない。
「オイ、待て。待ってよ。本気で殺す気なのか!? ほら、僕はもう戦闘不能なんだぞ? 武器も鎧もない人間を殺そうなんて、そんなの卑怯じゃないか! 騎士道に、いや人の道に反するとは思わないのかよ!?」
三歩。四歩。研ぎ澄ましてなお溢れる憤怒が、炎となって龍面の顎から零れた。
「わ、わかった! 悪かった! 全部僕が悪かったよ! 反省する! 罪を償う! だから命だけは、命だけは助けてくれよ! もうこんなに僕を痛めつけたんだから、十分だろ!? なにも殺すことはないじゃないか! なあ!?」
五歩。六歩。盾を放り捨て、両手で片手半剣を握り直す。
「それにほら、僕はまだたったの十三歳なんだよ!? 大人と同じように裁かれる歳じゃないし、せいぜい少年院送りが妥当だって! 第一僕を勝手に死刑にする権利なんて、お前にはないだろ! ここで僕を殺したりしたら、お前だって結局ただの人殺しじゃないか!」
抗議を叫び、道理に訴え、、助命を懇願し、最後は涙交じりの引きつった甲高い声でショータは命乞いをする。
滑稽で無様だが、大して面白くもなかった。
「言いたいことは山ほどあるが…………貴様は、そもそも誰を相手に命乞いをしている?」
「はへ?」
内なる無数の声がたった一つの望みを叫ぶ中、暗黒騎士は静かに問いかけた。
「勇者か? 英雄か? 聖人か? 神か?
戦士か? 魔術師か? 僧侶か?
貴族か? 村人か? 衛兵か? 盗賊か?
――【なあ、貴様には、我らがナニに見えるんだ?】」
憤怒と殺意で彩られた赫黒の炎が、異形の騎士鎧を包み込む。
右眼に紫電、左眼に赫炎を迸らせながら、暗黒騎士は重ねて問うた。
――暗黒騎士とは言わば、「異形の姿をした騎士」ならざる「騎士の道を往く異形」だ。
騎士でありながら異形に堕ちたのではなく、異形でありながら騎士を成すモノ。
悪しきを倒し、弱きを守る……そんな人が騎士道と呼ぶ志を、人の道から外れた人外の所業でもって成し遂げるモノ。
あたかも人ならざる存在が、物語の中にだけ住む「正義の騎士」を真似るかのごとく。
罪深き咎人を、倫理にも社会にも道徳にも縛られず、ただ喰らって殺して断罪する。
つまるところはただの――
「バケ、モノ」
「【正解だ】」
万感の殺意を乗せて、剣が振り下ろされる。
静かな無音の一閃。黒刃はショータの身体を眉間、胸、腹、股下の順に通過し、縦一文字の細いラインを刻んで地面を割った。
一秒遅れて、ショータの身体も正中線から左右に分かたれる。
しかし、まだショータは死んでいなかった。
「なっ、な、な……っ!?」
絶句しながら、左右の眼球で離れ離れになった半身を凝視するショータ。
真っ二つになった身体の断面からは、臓腑どころか血の一滴も零れ落ちてはいなかった。
ただ、艶のない黒一色で塗り潰されている。
ポッカリと暗闇が広がっているかのようなその切り口が、突然燃え上がった。
「なんだ、これ……あ、ああああ……!?」
ショータを燃やす赫炎の中から、黒い手がいくつも這い出てくる。
煙のようにボンヤリしているがそれは実体を持ち、ショータの身体をしっかり掴んだ。
黒い手が伸びる赫炎の向こうに、怨念に満ちた顔が手と同じ数だけいくつも浮かぶ。
見覚えのある顔も多いだろう。ミクスとリオがハッと息を呑んだ。
――赫炎に浮かぶのは、ショータとその仲間に殺された、キマイラ族を始めとしたダークの民の顔だった。
「貴様の仲間もそこにいる。貴様が殺した人々の怒りと憎しみの炎で焼かれ続けろ。彼らの悲しみと苦しみが癒えるその日まで、永遠にな」
「や、やめっ、助け……」
黒い手が力を込めると、ショータの全身に亀裂が走る。
そして、
「うああああああああァァァァ―――――!」
彫像のごとくバラバラに砕けたショータは、赫炎の中へと引きずり込まれていった。
力に溺れ、殺戮と破壊の限りを尽くした愚者の魂は仲間共々、踏み躙られた者たちの憤怒と憎悪にくべられる贄となったのだ。
暗黒騎士が顎を開くと、赫炎はその口内に見る見る吸い込まれていく。
ショータの断末魔ごと全てを腹に収め、漆黒の騎士鎧は糸を解くようにして消えた。
「ふぅぅぅぅ」
竜鱗の軽装鎧姿に戻って、フレイは鉛のように重いため息を吐き出す。
見かけは元通りでも、腹の中では今も地獄が燃え、怒号と怨嗟と断末魔が渦巻いていた。
赫炎に宿る魂は、踏み躙られた被害者だけではない。
今回のショータたちのように赫炎に喰われ、復讐の業火に焼かれ続けている、悪意に満ちた魂たちも数え切れないほど存在するのだ。
それは今回フレイに助力しなかった魂にも含まれ、中には未だ正気を保ったまま、肉体の主導権を奪おうと狙っている者までいる。
まさしく腹の中に地獄を呑んでいる心地だが、大丈夫だ。耐えられる。
なにせ、自分という人間は前世からこんな具合なのだから。
(わかってる。これは終わりじゃねえ。むしろ始まりなんだ)
ショータを倒して奪い返した光は、ほんの一滴に過ぎない。
人間にもわかるほど表面化したのが近年というだけで、魂たちから光を奪う女神の暴挙はずっと昔から行われてきたのだ。
元凶である女神を滅ぼさずして、赫炎に宿る魂たちの憤怒と憎悪が晴れることはない。
なによりフレイ自身、自然と生命を弄ぶ女神に地獄を拝ませずには気が治まらない。
(女神を殺す。それを邪魔するなら、勇者だろうが王国だろうが滅ぼす。大切なモノを守るために、この身を怒りに捧げる覚悟はできている。ただ……)
自分の下した所業の一部始終を見届けていたミクスとリオを見やる。
これからフレイが歩む道は血に塗れ、罪に塗れ、到底天国には行き着かないだろう。
そんな旅路に、ミクスやリオを巻き添えにすることが許されるのか。
勇者によって死ぬ寸前の傷を負わされた、あまりに痛々しい姿が今のミクスと重なり、フレイはぎゅっと唇を噛んだ。
するとその表情に気づいたミクスが、仕方のない人だとでも言いたげな苦笑を浮かべる。
そしてなにを思ったのか変異を解くと、マントの両端を掴みながら軽く頭を下げた。
まるで、ドレスの裾をつまんでお辞儀でもするように。
「――こんなに待たせるなんて、意地悪な人ですわね、私の騎士様は」
下手くそに騎士を気取る怪物に、同じだけ不格好にお姫様を気取って見せながら。
芝居というよりごっこ遊びのようなおどけた口調で、ミクスはそう言った。
フレイが抱える異常性も、これから歩もうとしている道の血生臭さも、聡い彼女はきっとフレイ以上に理解しているだろう。
それでも、ミクスはこれまでと変わらない、からかうような悪戯っぽい微笑みでフレイを迎え入れてくれた。
思わず破顔して――ふと、彼女の強く握り締められた手がフレイの目に留まる。
そこに握り込まれた物がなにかに気づいたフレイは、仕方のない人だという苦笑をやり返しながら、指先から赫炎を走らせた。
灯火ほどの小さな赫炎は、ミクスの手から「それ」を取り上げてフレイの下に戻る。
それは、おそらくショータに壊されたのであろう、粉々になったペンダントの欠片。
驚かせるつもりがあっさりバレてしまった、彼女への秘密の贈り物。
砕けてしまった鉱石の欠片と鎖が、赫炎の中で新しい形を成していく。
フレイ一人が操れる範囲の赫炎で出来るインチキは、これが精一杯。
しかし、ミクスが目を丸くして驚くくらいの効果はあったようだ。
「――俺は貴女と一緒に生きたい。他の誰でもない、世界にたった一人の貴女と」
騎士のように恭しく、ミクスの前に片膝を突いて跪く。
「――醜さも弱さも浅ましさも、二人で一緒に笑い飛ばして、幸せになりたい」
そして彼女の手を取り、フレイは随分と待たせてしまった返事を今こそ告げる。
「――ミクス。俺のお姫様。どうか、俺のお嫁さんになってくれませんか?」
格好も場所もまるでムードがない、なんとも出来の悪い愛の告白。
それでもミクスは、言葉を紡げないほど涙を流しながら、何度も頷いてくれた。
フレイが取ったその左手には、薬指に嵌められた指輪が。
そこには彼女の瞳によく似た桜色の宝石が、儚くも眩く輝いていた。
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