第23話:暗黒騎士は光の勇者と対決する


 灼熱の激情が心臓から全身を駆け巡り、鋼の殺意は冷たく思考を研ぎ澄ます。

 前世の地球で両親を殺め、転生してからも多くの外道を惨殺してきたこれまでとは、同じようでいて異なる感覚。燃え盛る激情の炎に呑まれず、されど拒絶もすることなく、己の一部とした確固たる意志で自分が立っているのをフレイは自覚した。

 少しだけ、ミクスとリオの方を振り返る。

 ただの怪物となっていたときは認識すらできなかった、自分にとってどういう存在かも忘れてしまった二人のことが、今はハッキリと見えていた。


(大丈夫。ちゃんとわかる)


 壊してはいけないもの。壊したくない、守りたいもの。

 そして――大切なものを守るため、壊さなければならないもの。

 己の討つべき「敵」が、今のフレイには二つの眼で見えている。


「この野郎……! やられ役の分際で調子に乗るなああああ!」


 全身を白銀の鎧で包んだ勇者が、今度は剣と六対の翼から閃光を放ってきた。

 一回り大きく、形状はより禍々しくなった盾で閃光を防ぐ。

 閃光が盾に触れると同時、不可視の力で外側へと捻じ曲がった。

 剣で初撃の閃光を返したときと同様の現象は、闇が持つ「引力」によるものだ。


 黒が光を一切反射せずに吸収する色であるように、闇には物理的にも心理的にも「引き寄せる」性質が存在する。光速すら捉えて呑み込むブラックホール然り、万人が恐怖を抱き怪奇の源泉としてきた闇夜然り。

 フレイはその力を具現化することで、閃光の軌道を捻じ曲げているのだ。


 しかし、


「ぐ……っ」


 外側へ受け流してなお骨を軋ませる圧力に、両足がジリジリと地面を削る。

 どうにか閃光を防ぎ切ったものの、大きくよろめいた身体を地面に刺した尾で支えた。

 その様子を見て、勇者が引きつった声で笑い出す。


「は、ハハハハ! そら見ろ、やっぱり僕にやられて瀕死なんじゃないか! さっきの妙な炎もすっかり消えてるし、強がってないで観念しろよ!」

「ちぃ――っ」


 勢いづいた勇者の攻勢を剣と盾で捌きながら、フレイは短く舌打ちする。

 勇者に与えられたダメージはないに等しいが、大幅にパワーダウンしているのは事実だ。

 赫の世界でああ啖呵は切ったものの、実際のところ赫炎に宿る全ての魂がフレイに味方してくれたわけではない。フレイを再び赫炎の一部に取り込もうとする魂たちも、未だに大勢存在する。味方側の魂たちも彼らを抑えるのに手一杯の状態だ。

 故に今のフレイには、魔術も魔法も超越した赫炎の力が使えない。

 暗黒騎士の鎧も、味方側の魂たちから少しずつ与えられた《闇》の力を束ねて作り上げたモノ。十二分に強大だが、あくまでこの世界の理の延長線上にある力なのだ。

 世界の理から逸脱した光を振るう勇者を討つには、今一歩力が足りない。

 ――この怒りと憎しみに、全てを委ねてしまえば。


(うるっさい!)


 他ならぬ自身が囁きかけてくる誘惑ごと、フレイは閃光を剣で切り捨てる。

 赫炎に身も心も委ね、再び炎の怪物となれば、確かに勇者を屠るのは造作もない。

 しかし引き換えにネビュラの森を、大切な人たちまでも全て焼き尽くして、一体なんの意味があるだろう。

 それに、


「無駄無駄無駄ぁぁぁぁ! お前一人がどんなに悪足掻きしたところで、勇者の僕に敵うわけがないんだよ!」

「――誰が、一人ですって?」


 誰も助けてくれなかったかつてとは違う。

 今のフレイには、こんな自分と一緒に戦ってくれる人がいるのだ。


「フレイのおかげで詠唱の時間は十分でしたよ」


 フレイが吹き込んだ赫炎により、体力まで完全復活したミクス。

 再び三種混合の異形に変異した彼女は、フレイの背後より飛び上がって頭部の翼を広げ、戦闘の再開直後から準備していた必殺の魔術を解放する。


「【凍てつけ、《音速の息吹雪》!】」


 突き出した両手の間に、圧縮された極低温の冷気。

 それがミクスの口から発した超音波に乗り、まさに音速のブリザードとなって射出された。

 射線上の大地が瞬間的に凍りつき、勇者は避ける間もなく一瞬で氷像と化した。

 流石にそれ以上維持できずに冷気は霧散したが、そこら中が炎上しているこの状況で、これほどの冷気を作り出せただけでも驚嘆に値する。

 ミクスが作ってくれた機を逃さず、フレイも動いた。


「馬鹿が! こんなもので僕の動きが封じ……え?」


 全身を覆う氷を軽々と砕いた勇者だが、すぐに余裕の笑みが凍りつく。

 攻撃の手が止まった数秒の間で、フレイの剣が眼前に迫っていた。

 正確にはフレイと勇者の中間地点に引力を発生させ、それにお互いが引っ張られる形で間合いをゼロにしたのだ。

 黒刃が勇者の肩に食い込み、白銀の装甲を砕きつつ、その身体を地面に叩きつける。

 フレイ自身の膂力に引力も加えた一撃は、地の深くまで勇者を埋もれさせた。


「いっでええええ!? だから! なんで! こんなに痛いんだよおおおお!?」


 倒れた姿勢のまま、勇者の翼が光り輝く。

 放つ光を攻撃ではなく推進力に変えて、勇者は飛び上がった。

 地面に着地した後も、バック飛行を続けてフレイから距離を取ろうとする。


「僕は、僕は無敵の勇者なの――にぃ!?」

「あたしがいるのも、忘れてない?」


 その足を、ミクスと同じく赫炎の治癒で復活した人狼姿のリオが払った。

 不意打ちで崩れた体勢を、勇者が慌てふためきながら立て直そうとする。その間にフレイが距離を詰め、横薙ぎに胴を斬りつけた。胴鎧に亀裂が走り、骨身の芯にまで響く衝撃に勇者の口からくぐもった声が吐き出される。


「あが、ふっ。この、駄犬がぁぁぁぁ!」


 勇者がリオに剣の切っ先を向け、閃光で射抜こうとする。


「させませんよ」


 その手にミクスの蜘蛛糸が絡みつき、剣ごと明後日の方向に閃光を逸らした。

 三度目の横槍に、勇者の額にビキビキと青筋が浮かぶ。

 苛立ち任せに今度はミクスへ剣を向けようとするが、余所見している隙に接近したフレイに盾で殴り倒された。


「太刀筋も体捌きもまるでなっていないな、このド素人が!」

「ほらほら、どこ見てるのさ! このノロマー!」

「その無駄にパタパタしてる翼は飾りですか? プークスクス」

「こ、の……! 雑魚どもがチョロチョロ群れやがってええええええええ!」


 勇者は気炎を滾らせて吠えるが、戦況は彼が望むような、自分が最強・無双・独壇場とは全くの逆方向に運びつつあった。

 剣で斬ろうにも閃光を放とうにも、横から誰かに邪魔をされ、目移りしている間に死角からの攻撃をまともに喰らう。その繰り返しだ。

 ミクスとリオの攻撃は痛打を与えられないものの、見下している相手からの攻撃は勇者の集中を乱し、結果としてフレイの剣が着実にダメージを与えていく。


(いける! やっぱりこいつ、まともな斬り合いはまるでなっちゃいねえ!)


 勇者が振るう光の力は確かに規格外だが、勇者自身は素人同然。

 それは結果的にダークの民を蹂躙した一方、何度も倒され教会にリスポーンしている事実からも明らかである。

 戦い方は閃光による安全圏からの一方的な攻撃のみ。

 相手に接近するのも、大抵は遠距離攻撃で抵抗できなくなるまで嬲った後だ。

 剣道の経験があると自慢話で零していたが、実戦経験は皆無と言っていい。

 この少年に多人数……ましてや熟練と言えないまでも、共に何匹もモンスターを狩った三人の連携に、対応できるだけの技量などありはしないのだ。

 そしてこの状況を打破しようと、勇者が取る次の行動は見え透いている。


「アアアア! うっぜえんだよおおおおおおおお!」


 絶叫と同時、勇者の全身から閃光が放射された。

 全方位への無差別攻撃で巻き起こった土煙を幸い、勇者は上空へと逃れる。


「お前らなんて、僕が本気さえ出せばなああああ!」


 剣と翼の宝玉にエネルギーを溜めながら、血走った勇者の目が敵を探す。

 そして、こちらを見失ったか背中合わせで警戒するミクスとリオの姿を捉えた。


 ――あの二人だけなら自分の閃光はどうにもできまい。邪魔な雑魚敵さえ潰せば、一対一の正々堂々とした勝負で、勇者の自分が負けるはずがない。


 そう勝機を見出した勇者は、二人に向けて最大に高めた閃光を一斉放射する。

 光の柱が二人を呑み込み、地面もろとも蒸発させて消し飛ばした。

 それを見届けた勇者がけたたましく高笑いする。


「ハハハハ! どうだ、僕にかかれば雑魚掃除なんて一瞬なんだよ!」

「一体なにを掃除したんだろうねー?」

「まずはその、節穴の目玉を掃除することをオススメしますね」


 ギョッとして勇者が顔を上げると、そこには地上で閃光の直撃を受けたはずのミクスとリオがいた。何故か上下逆さまの姿勢で空中に浮いている。


「あんたが今消し飛ばしたのは、ただの幻だよー」

「周囲の熱気と私の冷気を風の魔術で操作し、光の屈折で生み出した幻影……いわゆる『蜃気楼』というヤツです」

「でも上下逆に映るからって、逆さまにならなきゃいけないのはキツいよー」

「悟られないように、貴女を支えつつ飛ばなければいけなかった私の身にもなってくださいね……おや、もしかして蜃気楼も知りませんでしたか? 光の力を振るう勇者のくせに、お勉強不足ですね。五歳児と机を並べてやり直しては?」

「て、めっ、駄犬とバケモノ女の分際でええええ!」


 今度こそ消し飛ばしてやると、勇者が剣を振り回しながら息巻く。

 対して、ミクスは何気ない風に勇者の背後を指差した。


「私たちに構っていていいんですか? 後ろ、凄いことになっていますよ?」


 突如、鋭利な刃物で背骨を削るかのような悪寒が勇者の背筋を走る。

 堪らず振り向いた勇者が目にしたのは――夜空を塗り潰して輝く漆黒の太陽。


「【集え】【集え】【天に落ちる力をここに】【幕を下ろす力をここに】【始まりは終わりへ】【旅立ちは帰還へ】【創造は崩壊へ】【夜明けは日暮れへ】【誕生は死別へ】【光は闇へ】【アルファはオメガへ】【全ては一つに集束する】【全てはここに集束する】【力を引き込み】【光を呑み込み】【星を終焉へ導く暗黒を成せ】」


 暗黒の騎士が掲げる黒剣の切っ先に浮かんだ、黒い球体。

 炎のように揺らめくそれは、しかし見る間にサイズが縮んでいく。

 かと思えば周囲から不可視のエネルギーを取り込んでボッと膨張し、また縮小する。

 黒球が膨張と縮小を繰り返すに連れ、空間の軋む異音が雷鳴のように響き渡った。

 一点へと向かう引力を発生させ、ただひたすら増幅に増幅を重ねる――言葉にすればそれだけの単純な魔術だが、その規模は既に人知の域を超えていた。

 際限なく凝縮されるエネルギーの密度。そこに在るだけで空間が歪むほどのプレッシャーに、勇者は思考よりも先に生存本能に駆られて逃げ出そうとした。

 しかしその身体が、意に反して黒球の方へと引っ張られる。


「な、ぐぅ……!? 引き寄せられ、なんで、僕だけ!?」


 強烈な引力に、勇者は翼から光を噴射しながら全力で抗う。

 かろうじて推進力が引力と釣り合い身体は静止するが、それ以上は指の一本たりとも身動きが取れなくなってしまったようだ。

 それほどの引力だというのにどういうわけか、周囲には風どころか木々のざわめきすら起こっていなかった。勇者一人だけが黒球へ引きずり込まれようとしている。


「どうやら今のフレイの《真言》は、本物のドラゴンが操るそれに限りなく近いモノになっているようですね。言葉に乗せた勇者への怒り、憎しみが術に反映されて、勇者だけに引力の影響を及ぼしています。そして勇者は引力に逆らうので精一杯のご様子。つまり――」

「今なら殴りたい放題ってわけだねー」


 ニィィ、と顔に獰猛な獣の笑みを浮かべ、ミクスとリオは拳を握る。

 なにか叫びかけた勇者の顔面に、氷と炎で武装された拳が突き刺さった。

 無防備な体勢の勇者を、二人の容赦ない拳の連打が全身くまなく叩きのめす。

 黒球の引力に抗うので精一杯の勇者はロクな反応もままならず、心なしか無駄に整った顔を重点的に滅多打ちにされた。

 やはりダメージこそないが、勇者の凝り固まった鍍金製のプライドは粉々になる。


「てめ、こん、ぎ、がああああ!」


 最早言葉の体を成していない罵声を叫びながら、勇者は二人を殺さんと聖剣にありったけの光を注ぎ込む。


「あ、馬鹿だー」

「馬鹿ですね」

「あっ? あ、うああああああああ!」


 結果、翼の推進力が減じた勇者の身体は一気に黒球の方へ引きずり込まれた。

 待ち構えるフレイが剣を振り上げ、それに追随して黒球が飛来する。

 勇者も、思い切ったことに翼の推進力を止めた。そのまま引きずり込まれるのに身を任せ、全エネルギーを注いだ光の剣を黒球へと叩きつける。


「こん、ちくしょうがああああ!」

「【我らが敵に終幕を――《暗黒剣・黒星》】!」


 闇と光の激突。

 世界から一瞬音が消失し、やがて無音の中で嘶きにも似た振動が大きく響き渡る。

 しかし光と闇が激突と呼べる均衡を保っていたのも、またほんの一瞬だった。

 黒球の発する引力の前に、勇者の放つ閃光は余さず呑み込まれていく。

 絶え間なく光を注ぎ込むことで、かろうじて勇者自身が呑まれるのを防いでいる状態だ。


「このおおおお! 消えろ! 消えろよっ、くそおおおお!」


 勇者がどれほどの声量で叫び、力を費やしても、黒球の許容量には遥かに遠く及ばない。

 ついには閃光が弱まり、光の奔流が徐々に細くなり始めた。

 それに反比例する形で黒球も、勇者を丸ごと呑み込めるサイズに膨れ上がっていく。


「あ、あっ、あ……!」


 勇者は絶望的な表情を浮かべ、なにか求めるようにモノクロに染まった視界を巡らす。

 しかし、そこにはなにもない。

 物語のように都合の良い助けも逆転も奇跡も、何一つ起こりはしない。

 あるのは眼前に迫りつつある、たった二文字の現実のみ。


「くそっ、なんでだよ……!? 僕は、僕は勇者だ! 人類皆の未来を背負った、光の勇者なんだぞ! その僕が負けるはずない! 怒りだの憎しみだの、ズルズルとくだらない過去を引きずった薄汚いクズどもの闇に、正義の光が敗北するなんてあっちゃいけないことだろ!」


 なぜ自分だけにこんな理不尽が、とでも言いたげに勇者は喚き散らす。


「なのに、なのになんなんだよ、この力は……!? バケモノのくせに! 闇に魂を売った、やられ役の負け犬のくせに! 一体なんなんだよ、お前はああああ!」

「【わからないか。わかるまいよ、「勇者」という言葉に踊らされているだけの貴様には】」


 この愚かな子供にあるのは正義でも信念でも大義でもない。

 そういう「最大多数が口にする正しさ」というお題目さえ振りかざせば、自分は正しい。

 勇者という「正義」の立場と力さえあれば、自分はなにもしても許される。

 そんな幼稚で浅はかな傲慢と残忍さに、理不尽なまでの力が伴った結果があの惨状だ。

「闇だから悪」と決めつけるような節穴の目では、わかるはずもない。

 暗黒の騎士が纏う闇。その根源にある輝きなど。



「【思い知れ! 我らの怒りと憎しみ! そして――】」



 輝きへの想いが怒りと憎しみを呼び、憤怒と憎悪は焔となって燃え上がった。

 主導権を争っていた魂たちの全てが、勇者に対する殺意という一点で同調する。

 フレイの左目から赫炎が噴き出し、鎧の全身から迸った赫と黒の獄炎が、巨大な龍の頭を形作った。そして牙が三列になって並ぶ顎を、グバリと開く。



「【貴様が嘲笑い踏み躙った、笑顔と生命の重みを!】」



 振り下ろす剣と共に、獄炎の龍が黒球に噛みついた。

 それを最後の一押しに黒球が勇者を呑み込み、閉じた龍の顎の中に消える。

 一拍の間。突如数倍に跳ね上がった引力が、赫黒の炎をも引きずり込んで凝縮。

 さらに一瞬後、赫黒の球が直径十メートル近い大きさに膨らんだ。

 爆音も爆炎もない。それでもなお大気に伝わる地割れめいた震動が、球体の内部で起こった爆発の凄まじさを雄弁に物語っていた。

 黒球が消失し、中から白目を剥いた全身ヒビだらけの勇者が地面に落ちる。

 闇と光。暗黒騎士と勇者の戦いは、驚くほど静かに決着した。


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