第20話:少女の恋心は伝説の怪物にも怯まない
――痛い。痛いし、熱いし、痛い。痛すぎて気絶することもできない。
――しかし痛みを感じるのは、まだ生きている証だ。
朦朧としていたミクスの意識と視界が回復する。
まず目に飛び込んできたのは、森を焼く炎で赤々と染まった夜空。
次いで、自分を庇うようにして覆い被さる少女の、自分の紫紺とは対称的に赤味の濃い紫髪だった。
「リオ? リオ!? しっかりしてください!」
ミクスは声を張り上げて揺さぶるが、リオは全くの無反応。完全に脱力し切っていて、密着した身体から伝わる鼓動も弱々しい。見れば、背中の全面が真っ黒に炭化していた。揺さぶりに合わせてパラパラと微細な破片が崩れ落ち、あまりにも無残な状態に言葉を失う。
そしてふと周囲が目に入り、その変わり果てた光景に再度絶句した。
浅いすり鉢状に大地が抉れており、焼け焦げた地面が覗いている。
勇者が放つ閃光も数え切れない爆発で地面を抉ったし、穴の深さで言えば閃光の方が規模は上だろう。しかし土砂や瓦礫を周辺に撒き散らした閃光と違い、こちらの炎はそれすら余さず灰塵と帰していた。すり鉢には砂粒一つ見当たらず、スプーンで綺麗に削り取ったような曲面を晒している。
川も花畑も、跡形もなく消し飛んでいた。
「【グルルルル……ッ】」
唸り声に視線を移せば、すり鉢の中心で佇む炎の怪物。
外周部分にいるミクスとリオには一瞥もくれず、怪物は勇者を殴り飛ばした方角へと鎌首を向けていた。
その先で再び爆発が起こり、茂みから光が飛び出してくる。
「な、にすんだコノオオオオ! 痛いだろオオガアアアア!」
光の正体は、金切り声の絶叫を上げる勇者の剣と手甲だった。
剣から放たれた一条の閃光に、怪物は避ける素振りも見せなかった。
怪物の胸部、赫炎が時折飛沫のように零れる黒殻の隙間に、閃光が突き刺さる。
そして――なにも起きなかった。
「は? なんだよ、オイ! とっとと吹き飛べよ!」
剣を怪物に向けたまま勇者は地団駄を踏むが、依然としてなんの変化も起こらない。
今も放射の続く閃光は、怪物の胸部に吸い込まれる一方だ。爆発どころか、怪物を身じろぎ一つさせられずにいる。黒殻の面相が、どこか退屈げにさえ見えた。
勇者が躍起になって閃光を撃ち続ける中、怪物の口から複数の声色が発せられる。
「【知っている】【知っている?】【この光を知っている?】【思い出せない】【だけどわかる】【理解できる】【この魂のどこかが覚えている】【これは俺の】【僕の】【私の】」
怪物の胸部にある黒殻が蠢き、閃光の刺さっている隙間が広がっていく。
それをダメージがある証拠と解釈したのか、勇者の顔に笑みが浮かんだ。
しかしミクスの目には、まるで第二の口が顎を開いているかのように見えて――
「【返せ】【かえせ】【カエセ】【返せええええええええ!】」
ミクスの予感は的中。
怪物の開かれた胸部より火柱が噴き出した。
まさに《竜の息吹》と呼ぶべき、業火の奔流。
それが閃光を呑み込みながら――否。油を染み込ませた糸に火を点けたかのごとく、閃光を燃やしながら勇者に向かい遡っていく。
「ひっ!?」
無形の光さえ焼く赫炎の異常性を、本能的に悟ったのだろう。
閃光の放射を止め、悲鳴を漏らしつつ勇者は脇に飛び退いた。赫炎はそのまま直進し、森を焼き払いながら突き抜ける。
大きく息を吐いて安堵した勇者の顔が、敵に臆した屈辱と怒りで真っ赤に染まった。
「ちが、う! 違う違う! 今のはちょっと驚いただけさ! 僕は怯えてなんかいないぞ! いいか、調子に乗るなよ! 僕はお前に怯えてなんか」
髪を掻き毟って喚く勇者の顔に、黒殻の拳が突き刺さる。
森を焼く赫炎に気を取られた一瞬の間に距離を詰めた怪物は、問答無用とばかりに勇者を地面に殴り倒した。
怪物の眼窩から炎が溢れ、バルゴスのときと同様にいくつもの面相を形作る。
「【返せ!】【返せ!】【返せ!】【返せ!】」
腹を踏みつけ、宙に蹴り上げ、尻尾で叩き落す。
剣を振り回せば腕に噛みついて逆に振り回し、放り投げたところをまた殴り飛ばす。
ダークの民を滅ぼさんとした勇者が、まるで見かけ通りの子供扱いだ。
「【返せ返せ返せ!】【それは俺の】【僕の】【私の】――!」
「うるっ、せええんだよおおおおおおおお!」
勇者の剣先から、特大の閃光が爆発した。
球状に広がる衝撃波は、怪物を半歩と動かさなかったが、逆に勇者を反動により吹き飛ばすことで両者の間合いを引き離した。
立ち上がった勇者はやはりと言うべきか、あれだけ一方的にやられたというのに傷一つない。しかし怪物の攻撃は――こちらもやはりと言うべきだろう――光のカラクリも全く問題にせず、勇者にダメージを与えたようだ。
絶え絶えに息を荒げながら、勇者はセットされた金髪をグシャグシャにかき乱して叫ぶ。
「ごちゃごちゃ叫びやがって! なに言ってるのか意味わかんないんだよ! つーか、さっきからなんでこんなに痛いんだよ!? 痛覚制限は最大にして置いたはずだろ!? そのくせHPが全然減らないからリスポーンもできないし……なんだよ、これバグか!? 女神はなにやってんだよ! クソクソクソクソ! どいつもこいつも僕の足引っ張りやがってええええ!」
なにを思ったのか勇者は、左手に持ち替えた剣で手甲をガンガン殴り出した。
「このポンコツアイテムが! お前のせいだぞ! お前が僕の役に立たないからこんな目に! お前は僕がこの世界を楽しむための道具だろうが! 絶対無敵の勇者様としてチート無双プレイするためのツールだろうが! だったらほら! ご都合主義な女神の奇跡でもなんでも起こして僕を助けろよ! さあ! さあ! さあ!」
なんたる子供の我儘。
呆れ返るほどの勝手な主張を叫びながら、勇者は見苦しく道具に当たり散らす。
女神に遣わされたとは思えないこの物言いに、応える神がどこにいようか。
しかしどうやら王国が崇める女神は、余程の悪趣味か面食いらしい。
「お? おお! 来た! キタキタキタキタキタアアアアアアアア!」
剣と手甲が目を覆うほどの眩さで輝き出し、勇者を呑み込んで辺りを白に染める。
光が収まると、手甲と同じ白銀の騎士鎧が勇者の全身を包んでいた。
その身を覆う装飾過多な白銀に、勇者はご満悦の哄笑を響かせる。
「これだよ、これ! さもピンチのように見せる演出かーらーの、覚醒! 逆転! 大勝利! ちょっとカビ臭いくらいだけど、まっ、王道のお約束ってヤツは得てしてそういうものか。やれやれ、馬鹿どもの期待を背負う主人公は辛いねえ」
先程までの醜態を棚上げにした余裕綽々の態度を取って、勇者は怪物と向き直る。
「待たせたな、隠しボスめ。僕の、勇者の真の力を見せてやる――ぞ!」
鎧の背部から六対の銀翼を広げ、勇者は宙に飛び上がった。
それぞれの翼に備わった宝玉が光り輝いたと思うと、剣と同様の閃光を放つ。
光度と密度から威力も倍増したとわかる、計七つの閃光が怪物に襲いかかった。
今度は無反応といかず、降り注ぐ光のシャワーを受けて怪物が後退りする。赫炎も白い奔流を呑み込み切れず、せめぎ合うように激しく猛っていた。黒殻と赫炎に弾かれた閃光が四方に裂けて地面を抉り、木々を吹き飛ばす。
「【グル……アアアアッ!】」
煩わしげに吼えると同時、怪物が鉤爪の生えた両腕を横薙ぎに振るった。
赫炎を伴う爪撃が、閃光を焼き裂いて霧のごとく散らす。
無傷かに思われた直後、ピシピシと不吉な音を立てて、怪物の身を覆う黒殻の各所に亀裂が走った。
しかしそれも、最初の閃光と同様の反応に過ぎない。
「【グルアアアアアアアア!】」
怪物の全身に開いた『口』が、お返しとばかりに炎のブレスを吐き出す。
怒り狂う山の噴火にも似た火柱が、天を焼かんばかりに幾重も昇った。
「アハハハハ! いいぞ、来いよ! せっかくの覚醒イベントなんだ! ちょっとくらいは歯応えのあるところ、見せてくれなくちゃねえ!」
勇者も剣と六翼で応戦し、閃光と赫炎の壮絶な撃ち合いに発展する。
ほんの地上十数メートルの中空で、白と赫の筋がいくつも交差と衝突を繰り広げ、特大の火花を咲かせた。
一種の芸術品じみた光景だが、その周囲では破壊の嵐が巻き起こっていた。
叩き落された閃光が地面を抉り、四散する土塊を砕かれた赫炎の残滓が塵に変える。
一歩でも踏み込めば骨どころか髪の毛一本残らぬ暴威を前にして、ふとミクスの脳裏にある名称が蘇った。
「《ヴァーリ・ド・ラース》……」
それは帝国で旅をしていた頃、フレイにも語った地下遺跡が有名な街で耳にした伝説だ。
――ネビュラの森と王国の間にある広大な荒野。百年ほど前にはそこにも森があり、山があり、川があり、そして南北を長大な交通路で結ぶ巨大国家が存在したらしい。当時は大国と交通路の存在により、ダークの民と王国の間にもささやかな交流があったそうだ。
しかし山の主である一体のドラゴンが、なんらかの理由で大国を滅ぼした。天を支配する雷の化身とも、地獄より噴き出た炎の権化とも謳われるドラゴンの力はまさに絶大。森も山も川も国も焼き尽くし、大陸の中央部を平坦な更地に変えてしまったのだとか。
そのドラゴンの名こそ《ヴァーリ・ド・ラース》。断罪と憤怒を司るという邪龍だ。
地下遺跡は災厄から逃げ延びた大国の生き残りが、ヴァーリの再来に備えて建造した要塞だという説が、遺跡より発掘された文献などからまことしやかに語られている。
ヴァーリとは大規模な災害の比喩で、地下遺跡は国単位で住民を収容する避難壕――それが学者間の有力な説であり、ミクスも長らくそう思っていたのだが……今目の前にいる炎の異形こそ、失われた大国が語る伝説そのものではないのか?
(フレイに宿る邪悪なソウルの正体が、伝説に語られる邪龍? そんなまさか…………。しかし、あの勇者すら凌駕する力の絶大さと異質さは、それこそ地下遺跡に記された伝説くらいでしか説明がつけられません)
勇者の非常識さを存分に味わった今では、在り得ない話ではないと思えた。
未だ人間大のサイズにも関わらず、ネビュラの森を焼き尽くして余りある力を怪物は発揮しているのだから。
(でも、もし本当にそうだとしたら……フレイは、もう……)
フレイが変わり果てた炎の怪物を、ミクスはただ座り込んで見つめることしかできない。
全身が変異を遂げたあの姿が、ヴァーリの意志が完全に目覚めた証だとすれば。
フレイの心はヴァーリに呑まれ、もう塵芥と残ってはいないのかもしれない。
一度はミクスを守るため、一度はミクスの呼びかけで自身を取り戻したフレイだが、今はミクスの存在を認識もしていない様子だった。
しぶとさと生き汚さだけが取り柄の心が、今度こそ音を立ててへし折れそうになる。
しかしそれを遮るように、小さな呻き声がミクスの耳に届いた。
腕の中でリオのまぶたが震え、ゆっくりと目を開く。
「リオ!? 貴女は、とんだ無茶をして!」
「ははは。火事場の馬鹿力ってヤツ? それでもかなりやばかったけどねー……フレイが助けてくれなかったら消し炭も残らなかっただろうね」
なにを言っているのか咄嗟には理解できず、そして天啓的にミクスは悟った。
そうだ。あいつがもしフレイの心が完全に失われた、正真正銘ただの邪龍ヴァーリだったなら、自分たちはとうに死んでいる。ディノガーやバルゴスと同じように、最初の赫炎の放射で蒸発していたはずなのだ。
なぜそうならなかったのか。そんなことは言うまでもない。
フレイが守ってくれたからだ。
邪龍の意志にギリギリで抵抗し、二人が消し飛ばないレベルにまで火力を落とした。
そうでなければ、今もこうして自分たちが呼吸している事実に説明がつかない。
(なら……まだ私には、やるべきことが残っています)
全身の具合をチェックする。
手足はおろか小指を動かすだけで走る激痛。水溜まりができる量の出血で朦朧とする意識。
翼の一方が千切れ、体中に穴が空き、内臓もほとんど潰れている。
無事な箇所を探す方が困難で、まだ生きているというだけで奇跡的な有様だ。
それでも知ったことかとばかりに、神経に魔力を通わせる。
「ちょ、無理しちゃ、駄目だよっ。本当に死んじゃうって」
「今にも死にそうなのはお互いさまでしょう。死に体に鞭打つようで申し訳ありませんが、少しばかり私の身体を支えてください」
三つの種族が混ざったミクスの変異は、三つの能力を併せ持つが故に個々の力が弱い。
しかしそのおかげで、こうして瀕死の状態でもどうにか変異を維持できている。
とはいえこの傷では長く持つまい。
変異も、変異でかろうじて繋ぎ止められた命の火も。
「今度は私が、あの人に手を差し伸べる番なんです」
化身だか権化だか伝説だか知らないが、邪龍などに私の花婿をくれてやるものか。
残る頭の翼を羽ばたかせ、ミクスは桜色の瞳に闘志の《闇》を燃やした。
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