第16話:小娘はそれだけの話なんだと笑う
王国の辺境、金網の柵に囲まれてそびえるその巨大施設は城塞のような、あるいは監獄のような威容を放っていた。
辺境でも特に汚染された大地と相まって、此処こそ魔王の城ではと錯覚しそうになる。
その実、施設の正体は《魔導科学》のエネルギー源である《魔力結晶》の生産工場だ。
農作物も魔導科学で生産されるようになった現代、辺境に生まれた貧民はこの施設で働かされている。ここでの人間はただの消耗品。いくら使い潰そうが替えの利く歯車でしかない。人間なら、栄華を極めた王都で溢れ返るほどに生まれるからだ。
そして様々な理由で社会から転げ落ちた落伍者が、辺境に追放されて工場を動かす労働力になる。どれだけゴミのように酷使されようが、ここ以外に生きる場所が彼らにはない。
いかなる工程を経て魔力結晶が造られているかは不明だ。魔導カメラによる監視が厳重で、《影の水路》を用いても見つからずに内部を探るのは困難だった。
しかしフレイが確かめたかった「それ」は、工場の外壁にすぐ発見できた。
排水溝と思しき壁の穴から、黒ずんだ液体が大地へ垂れ流しにされている。
液体は小さな川を作っているが、柵まで達する前に全て地面に染み込んでいく。
そして液体が染み込み汚染された黒い大地が起き上がり、怨嗟の産声を上げるかのように、がらんどうの眼が二つ空いた頭を振った。
「――ああ……」
その光景を目にして口から零れたのは、世界が異なっても変わらない、人間の業に対する落胆と失望。
少し考えれば簡単にわかることだった。
魔物を生み出す汚染された大地。それは魔族、つまりダークの民の仕業だとされてきた。
しかしダークの民が住まう《ネビュラの森》やその周辺には汚染など欠片も見当たらない。
そもそも大地の汚染が問題なら、最も汚染の進んだ場所こそが元凶と考えるのは当然。
そして今、目の前の光景から導かれる結論はただ一つ。
――魔物の正体は、魔導科学の産業廃棄物から生まれた人災にして公害なのだ。
「……で? それがわかったところでどうするんだよ、俺……」
フレイが蹲ってため息を吐くそこは、奇しくもミクスと出会ったあの路地裏だった。
森を抜け、荒野を渡り、王国の辺境まで戻って工場を探り、気づけばとうに夜も更けている。ミクスに話したケジメ、確かめるべきことは確かめたのだ。とりあえずこの町に神官隊の姿はないが、長居は無用だろう。
そうわかっていても、フレイはなかなかネビュラの森に帰る決心がつけられなかった。
(科学で生活は便利になったけど、環境破壊と公害で自分の首を絞めました……って地球の人類と同レベルの間違い犯してんじゃねえか。ファンタジーどこ行った。まあ、魔導科学のデタラメさを思えば、これくらいのリスクがあって然るべきなのかもしれねえけど)
ダークの民が操る「魔術」は、長い詠唱を必要としながらも、起こせるのは元ある事象を操るという小規模なもの。
一方で魔導科学による「魔法」は、起動ワード一言で大火力攻撃の瞬間構築や超遠距離転移、果ては無から有を生み出す物質創造まで可能とする。
魔術が「事象の操作」だとすれば、魔法は最早「事象の上書き」だ。
そんな反則を可能にするエネルギーがなんの代償もなく作れるなんて、人間に都合の良すぎる話があるはずもない。おそらく魔力結晶は大地の《マナ》になんらかの加工を施した代物なのだろうが、怪物を産むような汚染物質の出る工程が真っ当な手段とはとても思えない。
その代償こそが廃液による大地の汚染と、そこから発生する魔物なのだろう。
(国民はともかく、国を動かすお偉方がこのことを知らないはずがない)
大地からマナを絞りつくし、王都までが汚染と魔物に呑み込まれる未来はそう遠くない。
そこまでわかっていながら、なおも魔力結晶の生産を続けているのだろう。
魔導科学がもたらす、快適で便利な生活を手放したくないがために。
(ここまでくれば、《ダークの民》が邪悪な魔族だなんてデタラメを吹聴した理由も明らかだ。新しく魔力結晶を作り出す資源のため、王国は最初から《ネビュラの森》の豊かな自然を狙って、侵略戦争を起こしていたんだ……!)
そんなことをしたところで、問題の先送りでしかない。
いずれ島中の自然を食い尽くして、最後は結局滅びるだけ。
それを理解したところで王国は止まらないだろう。今ここにいる自分たちさえ満足できれば、未来で子や孫がどうなろうが知ったことではないのだ。つくづく人間という生き物は度し難い。自分でそう理解しながら、何一つ改めようとしない辺りは特に。
自分もまたその一人に過ぎない事実に、フレイは我が事ながら反吐が出た。
(――でも、だからどうする? こんなの、俺にはどうしようもないじゃねえか)
これらの事実を、工場で働く辺境の貧民たちも薄々悟ってはいるだろう。
しかし声を上げる者はいない。最下層の身分にいる彼らの声に、王国が耳を傾けてくれることはあるまい。それに作物も育てられないこの辺境では、工場で働く以外に生きる術がないのだ。その工場こそが、自分たちの暮らす大地を汚す元凶とわかっていても。
そして異端者として追われる身のフレイも、王国に口出しできるような立場にはない。
自分一人が叫んだり暴れたりしたところで、捕まって拷問後に処刑されるだけ。
(王国に生まれて、王国の嘘っぱちを知っていながら、王国が起こした侵略に対して俺はなにもできない。侵略を止めさせるとか、王国の考えを正すとか、そんな力、俺にはない。そんな俺に、ミクスと結婚してダークの民の一員になる資格があるのか?)
魔物の元凶、王国の欺瞞を、ミクスは自分と出会ったときにはもう気づいていたはず。
そしてフレイのどうしようもない醜さまで知ってなお、一緒に生きようと手を差し伸べてくれた。それはフレイがずっと望み、焦がれ、同時に諦めていた救いそのものだった。
しかしその手を取るだけの資格が、価値が自分の中にどうしても見つけられない。
繰り返す自問自答に足が縫い止められたかのように、フレイはその場から動けなかった。
「――あれ? 酒場のときのにーちゃん?」
突然かけられた声に、条件反射で背中の剣に手をかけつつ身構える。
そこにいたのは見覚えのない、十歳そこらと思しき背丈の子供だった。
かなり使い古されたボロの、それも大人用の丈が合っていないマントで全身を隠すように包まっている。フードもぶかぶかで、顔が鼻の辺りまで隠れて前が見えづらそうだ。そのくせ、ぶかぶかマントに包まれてなお自己主張する胸の膨らみに軽く戦慄が走る。
「ちょ、タンマタンマ! 私だよ! 一週間以上も経ってるから忘れちゃった?」
慌てたように声を上げて、子供が頭に被ったフードを外す。
すると露わになったのは、いかにも勝気そうな瞳と癖の強い栗毛の髪。
フレイの脳裏にミクスと出会うより前の記憶、そもそものきっかけとなった一件のことが蘇った。
「君は確か、酒場で勇者に絡まれた……」
「そうそう! いやー、まさかにーちゃんとまた会えるとは思ってもみなかったよ!」
少女は印象を裏切らない、カラッとした笑みを浮かべた。
「お礼を言い損ねてたけど、あのときはありがとね! おかげで変態勇者に犯されずに済んで、助かったよ!」
そう。フレイがミクスと出会った際、異端認定されて神官隊に追われる羽目になった理由。
勇者を殴り飛ばしたのは、この少女に無理やり迫る勇者の蛮行を止めるためだったのだ。
立ち寄った辺境の町で案内されたいかがわしい酒場。なにかしらの「お慈悲」でも期待したのか、若い女たちが辺境なりに精一杯の扇情的な格好で、勇者に色香と媚びを振りまいた。
少女もその中の一人で、いわゆる「ロリ巨乳」な身体を惜しげもなく晒した格好をさせられていた。
それに目を血走らせた勇者の食いつき様は、女の味を覚えて盛りのついた猿そのもの。思春期真っ盛りの男子中学生とはいえ、同じ男のフレイが引くほどの鼻息の荒さだった。
嫌がる少女を捕まえ脅しつけ、今にもその場で押し倒しかねない勢いの勇者に、フレイは例の「ブツン」が発動。
気づいたときには、殴り飛ばした勇者が壁に埋まって白目を剥いていた。
我に返ったフレイはクズ勇者の御供に嫌気が差したのもあって逃げ出し、三つほど離れた町でミクスと出会ってなんやかんや現在に至るわけだ。
「……違う。違うんだ。礼を言われる資格なんか、俺にはねえんだよ」
しかしフレイは、少女の感謝を受け取る気にはなれなかった。
打算のない笑顔から逃れるように目を背け、かすれた声で呟く。
「俺はただ、あのクズ勇者がむかついてぶん殴っただけだ。君を助けようだとか、あいつが間違ったことをしてるから許せないとか、そんなこと考えもしなかった。俺のやったことで、君にどんな迷惑がかかるかだって……」
少女がこんな格好でここにいるということは、少なくともあの酒場にはいられなくなったのだろう。おそらく、フレイが起こした騒ぎが原因で。
あのまま見て見ぬフリをするべきだったとは思わない。しかし、もっと上手いやり方がいくらでもあったのではないか。自分のような人でなしではなく……それこそ、物語の主人公ならきっと全てが丸く収まるような方法で解決できたのだ。
暴力を振りかざすやり方しかできない自分に、フレイは自己嫌悪を募らせる。
「悪いけど、俺は君が思ってるような善人なんかじゃない。本当は、血塗れで薄汚れた人でなしなんだ。だから……」
まさかこんな子供相手に、自分の血生臭い経歴を語るわけにもいくまい。
どう説明したものかと言葉を探すフレイに、少女は呟く。
「…………にーちゃん、なんかくっっっっそめんどくさいね」
「め、めんどくさい!?」
つい昨日にも見た覚えがあるような呆れ顔に、フレイは愕然とする。
やれやれと大袈裟なため息をついて見せながら少女が言う。
「にーちゃんが善人だろうが聖人だろうが、ひょっとして大悪党だとしたって私には関係ないでしょ。あのいかがわしい酒場だって、親の作った借金で無理やり働かされてただけだし。にーちゃんが大騒ぎ起こした隙に食べ物盗んで逃げられたから、むしろ大助かりだったもん」
酒場が迷惑を被ったならむしろいい気味だ、と少女は舌を出して小憎らしく笑った。
「にーちゃんが何者で、どういうつもりだったにしてもさ。にーちゃんの行動で結果的に私は助かった、だからありがとう。……これってそれだけの話じゃない? なのになにが間違ってるとか正しいとか、善人だの悪人だのとか、にーちゃん無駄に話を難しくしすぎだよ」
それだけの話なんだと、少女はいとも簡単そうに言ってのけた。
フレイの抱える事情や闇などなにも知らない、子供の戯言と片づけることもできただろう。
しかし不思議と少女の言葉は、その笑顔と共にストンと胸に落ちた。
ぎこちなくもどこか吹っ切れた思いでフレイは笑う。
「そっか。俺、難しく考えすぎてたか」
「そうそう!」
少女と小さく笑みを交し合っていると、表の通りから誰かを探す呼び声が聞こえてきた。
フレイが身構えるより先に、少女はその声に応じる。
「今行くよー! ……実は私、運よく内地を行き来する馬車に乗せてもらえることになったんだ! 見たことない鎧着てるし、にーちゃんも内地の人なんでしょ? じゃ、縁があったらまた会おうね!」
ありがと! ともう一度礼の言葉を告げて、少女はあっという間に飛び出していった。
少しだけ路地裏から顔を覗かせる。そこには人の良さそうな青年と女性が、少女の手を取って歩き出す姿が。まるで、親子のようだった。
「……ありがとうは、こっちの方こそだよ」
少女からもらった言葉を確かめるように、フレイは自分の胸に手を当てる。
――祖父と、祖父との思い出が詰まった山を失い、都会で暮らし始めてからも、大切だと思える存在との出会いが何度かあった。しかし、それら全てを守れず失った。大切な存在を脅かす悪意に対し、物語の主人公のように颯爽と立ち向かいやっつけることができなかった。
自分が主人公じゃないから。
脇役にすらなれない、醜く邪悪な感情が心に渦巻いているような人間だから。
だから自分はなにも守れなかったし、救えなかった。
この醜さ、邪悪さを変えられない限り、幸福なんてものには永遠に手が届かない。
ずっと、この世界に生まれ変わってからもずっと、そんな風に思っていたのだ。
(馬鹿だよなあ、俺も。何様のつもりだったんだか)
確かに自分は主人公ではないし、主人公にはなれない人間だ。
だからこそ世界の命運だの事の善悪だの、そんなことに囚われる必要がどこにあるのか。
正しい人間だけが報われて、幸せになれるように世界はできていない。
善良な人間にも理不尽は降りかかり、外道が罰を受けずに平気でのさばりもする。
――だったら。
「俺たち以下のクズが笑ってる横で、俺たちが自分の幸せを諦めなきゃいけない理由なんて、あるはずないよな」
それこそ、あまりに馬鹿馬鹿しい話ではないか。
そう考えたら、随分と心が軽くなるのをフレイは感じた。
(王国の問題なんて知ったことか。どうせ王国軍は魔物がひしめく荒野を渡れないし、チート持ちといえどもクズ勇者一人に、日々モンスターとの過酷な戦いに生きるダークの民が負けるもんか。放って置いても、王国は自分で招いた環境破壊と魔物の脅威で遠からず自滅する)
帰る場所もない、親しい者も既にいない王国になんの未練があろうか。
勿論こんな考え、きっと何一つ正しくはないし、なにが解決したわけでもない。
別にそれでいい。正しい人間になんてなれないままでも、幸せになっていい。
今ならそう思うことができた。あの少女の、そしてミクスのおかげで。
「正しいとか間違ってるとか、最初からそんな話じゃなかったんだ。大切なのはそんなことじゃない。俺にとって大切なのは……」
そこで口を噤む。
ここから先は、ミクスに会って直に伝えるべきだろう。
すぐにでも《ネビュラの森》へ帰ろうと踵を返した、そのとき。
突然、内地の方角から光の爆発が起こった。
一瞬だけ真昼に変わったかと思うほどの眩い光は、地平線の向こうで集束すると同時、箒星のような尾を引いて夜空に飛び上がった。
一直線に向かうその方角は、南――ネビュラの森があり、ミクスたちがいる方角。
氷水を流し込まれたような悪寒と冷や汗が、フレイの背筋を駆け抜けた。
さらにそこへ、少女が出ていったのと逆方向から近づく気配。
そのまま《影の水路》に潜ってしまえば良かったのだが、長年の染みついた動きで反射的にフレイは壁から屋根に上がってしまう。
路地裏に入ってきたのは、粗末な金属鎧を身につけ、魔力で刃の切れ味を上げるだけの低級な魔導機を装備した二人組の衛兵だった。衛兵と言っても町を守るためでなく、貧民が暴動などを企てぬよう睨みを利かせるための監視役だが。
生真面目そうな顔の衛兵が、目つきの悪い相方に興奮した様子で喋りかける。
「オイ、見たか? 今の地上から飛び立つ流星! あれが勇者様だけに許された女神の加護《再誕の光》だ! 勇者様の朽ちない肉体はたとえ滅ぼされても、女神の加護が届く教会からああして何度でも蘇るのさ!」
「その話はもう何度も聞いたって……。しかし勇者様の復活、今ので何回目だ? ついに荒野を渡って魔族の領土へ攻め込んだって話だけど、随分と手こずってるみたいじゃないか」
「きっと四天王とか大幹部が出張ってきて、流石の勇者様も苦戦してるのかもな。あるいは邪悪な魔族のことだ、人間には思いつかないような卑劣で姑息な罠を使ったに違いない。ま、最後は光の使徒である勇者様が勝利するさ。『正義は勝つ』! 英雄譚のお約束だろ?」
子供のように目を輝かせる衛兵と、いつものことなのかうんざりした顔になる相方。
「お前、本当そういうの好きだねえ。ま、俺はそこまで信心深い方じゃないけど、当然俺だって勇者様の勝利を願っているさ。……俺の家族は魔物に皆殺しにされたんだ。勇者様には是非とも、クソッタレな魔族どもをぶっ殺してもらわないと」
「そうか、俺も弟を魔物にやられたよ。なあに、今に勇者様が邪悪な魔族を根絶やしにして、王国に平和を取り戻してくださるさ!」
「一日でも早く、その日が来ることを願いたいね。聞いたところによれば、魔族ってヤツは大昔に女神が倒した邪神の腐肉から生まれたそうじゃないか。それで薄汚い暗闇を身に纏い、身体は下等な動物がいくつも混じった、生命の紛い物だとか。ああ、おぞましい」
「全くだな。自然を破壊し、穢れを撒き散らす邪悪の権化め。世界のためにも必ずや一人、いや一匹残らず駆除しなけれぶぁ――」
言葉の途中で、衛兵の頭が下顎を残してズルリと転げ落ちた。
そのまま野菜をスライスしたかのような気安さで、全身がバラバラの肉塊と化して崩れる。
状況が一瞬呑み込めず、表情をぽかんとさせた相方も、理解が追いつくより先に同様のバラバラ死体に。そして胴から転げ落ちた首が地に着くこともなく、二人分の肉塊は空中で赫炎に焼き尽くされ、血痕も残さず塵と消えた。
つい数秒前まで人がいたとは思えない静寂の中、フレイが路地裏に降り立つ。ところが両足は地に着いておらず、背中から伸びる黒殻の『尾』が地面に刺さって身体を支えていた。
しかし尾の存在はおろか、衛兵二人を焼却した事実さえフレイは認識していなかった。
不吉な予感と不安に突き動かされるまま、《影の水路》に飛び込む。
(村の皆……リオ……ミクス……!)
ああ、神様。どうか今度は、今度こそは。
この世界で人間の崇める神がどういう存在だったかも忘れ、フレイは祈りながら暗闇の流れを突き進んだ。
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