第17話:「地獄」は想像したのも創造するのも人間である



「…………あった!」


 ミクスはフレイの部屋をそこら中ひっくり返し、ようやく「それ」を見つけた。

 手の込んだことに、机の引き出しに二重底など作って隠されていた長方形の箱。

 その無事を確かめて安堵の息を漏らす。


「ミクス、急いで!」


 リオの急かす声。ミクスはすぐさま箱を掴んで、半分転がるように部屋から飛び出した。

 直後、炎に包まれた平長屋が崩れる。あと数秒でも脱出が遅ければ、焼け落ちた瓦礫の下敷きになっていただろう。


 平長屋だけではない。キマイラ族の村が、街全体が火の海と化していた。

 家が燃え、人が燃え、悲鳴と断末魔が方向の区別もつかないほどたくさん聞こえてくる。

 そしてそれに混じって響き渡る、暴虐に酔った笑い声。


「ハハハハ! どうだ、邪悪な魔族め! 正義の力を思い知ったか!」


 地獄のような光景を、太陽が如き眩さで輝く光の剣を手に見下ろしながら、笑い声の主は楽しげに破壊を撒き散らしていた。

 背中に翼が生えているわけでもなく、風の魔術もなしに上空高くで静止する姿は、王国の人間ならこれぞ女神の加護と跪いて拝むことだろう。声の主があどけなくも端正な顔立ちをした美少年だから尚更に。


 しかし人が虐殺されていくのを愉悦の表情で眺める者は、本来悪魔と呼んで然るべきではないのか――問えば王国の人間はこう返すだろう。「邪悪な魔族を皆殺しにする行いは正義以外の何物でもない」と。

 故にこの少年を王国の人間たちは崇め奉り、こう呼ぶのだ。


「《勇者》……!」


 一夜にして生まれ故郷を地獄に変えた悪魔の名を、ミクスは怨嗟を込めて呟いた。









 ――《勇者》を名乗るその少年は、王国に向かったフレイとすれ違うように森に現れた。

 男の子という呼び方でも差し支えない年頃だが、最初に出会ったライカン族の若い狩人に対し、挨拶もなくいきなり首を切り落としたらしい。

 その光り輝く剣の一振りは、雷とも異なる超高熱の閃光で辺り一帯を薙ぎ払い、爆発と森の炎上で襲撃を知らしめた。

 隠れる理由もないと言わんばかりの派手な襲撃に、すぐさまドラグ族を筆頭に戦士たちが迎撃に出た。異様な威力を発揮する光の剣は脅威だったが、勇者自体は戦いの素人も同然。剣が放つ閃光に多数の犠牲が出たものの、程なくして勇者は倒された。勇者が連れていた仲間も、どういうわけか勇者が倒れると同時に戦士たちの眼前で姿を消す。


 それで、事態は収束したかに思われた。


 しかし僅か十数分後、勇者は何事もなかったかのように無傷の姿で再び現れたのだ。替え玉や双子などでは断じてなく、確かに同一人物である。

 それから少なくとも三度は倒したが、勇者は何食わぬ顔で何度でも復活した。

 戦う度に指折りの戦士たちが次々と犠牲となり、瞬く間に戦力差の天秤は敵側に傾く。


 ――そしてとうとう戦いは、勇者たちによる一方的な虐殺に変わってしまった。









 上空より勇者の剣から放たれる閃光。

 閃光の突き刺さった場所で爆発が起き、家や人が吹き飛ぶ。

 光が直撃すれば大抵は即死だ。当たった箇所が真っ赤に溶け崩れ、箇所によっては絶命まで地獄の苦しみに身を捩ることになる。直撃せずとも爆炎に焼かれ、火達磨となって転がる者も数え切れない。


 そして重傷・軽傷を負いながらもまだ息がある者を、勇者が連れてきた仲間たちが殺していく。

 仲間の数はほんの四、五人ほどだが、今や村に残っているのは女子供に老人ばかりだ。


 囃し立てながら逃げ惑う者の背中を撃ち、動けなくなった者を執拗に嬲った上で死骸まで踏み躙る……ダークの民を邪悪の権化と呼ぶ王国の人間たちは、今の己こそ醜悪極まりない餓鬼の顔で嗤っていると気づかないのか。


「ミクス!」

「わかって、ますっ」


 変異して赤毛の狼女となったリオに呼びかけられ、立ち止まりかけた足を動かす。ミクスが背中に乗るのを確認すると、リオは四足で一気に駆け出した。

 すぐ目と鼻の先で繰り広げられる地獄を前に、背を向けて逃げ出すことしかできない。見覚えのある死に顔から目を逸らし、聞き覚えのある声の断末魔に耳を塞ぎ、ただ我が身が助かることだけを考えた。


 逃げなければ。誰も助けられない。そんな余裕、自分にはない。


 涙の一つも零れない自分は、やはり我が身だけが可愛い、卑しく浅ましい人間だろうか。

 十八番であるはずの小賢しさも、皆を助け出すような知恵は出てこない。

 無力感と自己嫌悪が腹の中をグルグルかき回す。胃から込み上げる酸っぱい液体を無理やり飲み下し、ミクスはリオと二人で逃げ延びるために頭を回した。


「おっ、やっりー! こいつで二点追加―!」


 大通りから外れた狭い道へ入ろうとしたところで、運悪く勇者の仲間に見つかってしまう。

 バンダナを頭に巻いた少年の顔は場違いに明るい。それこそ、ただの鬼ごっこでもしているつもりかのような緊張感のなさ。今の発言からして、殺した数を仲間と競っているのか。


 事実、遊んでいるのだ。

 生きるための狩りでも守るための戦いでもなく、ただ愉しむためだけの殺戮。


 バンダナ少年の手には、王国辺境で遭遇した神官隊のそれより二回りも大きな杖型の魔導機が。もう杖というより手持ちサイズの大砲に近く、形状も岩塊のごとく武骨で厳めしい。


「【開け。影より通じる秘密の裏道よ】」

「ヒャッハー!」


 ミクスが真言を紡ぐのと、こちらに向けられた魔導機の先端が回転を始めるのがほぼ同時。

 展開された魔法陣も先端の動きに合わせて高速回転し、光弾を雨あられと連射する。

 変異したリオでも避け切れない速度と量の弾幕だが、既にミクスとリオは影の中に飛び込んでいた。光弾の雨が石畳の道路をガリガリと削るが、二人に届くことはない。


『はあ!? なんだそれ、ざっけんなよ! 出てこい、オラ!』


 影越しに届く、バンダナ少年の金切り声と破壊音。

 どうやら光弾で地面を掘っているようだが、無駄だ。

《影の水路》は、正確には影を出入り口としたに存在する異空間。現世とは限りなく近くも隔たれた場所なのだ。

 故に荒野を渡ったときも地面を潜行する魔物と鉢合わせることはなく、昼になって地表だけが太陽に照らされても通り道が消えることはない。


「どうする? 守備隊のおっちゃんが言ってた通り、帝国がある南に逃げる?」

「いえ……敵の裏をかいて北に向かいましょう。王国で勇者のことを知ってフレイが戻ってくるかもしれませんし、合流する必要があります。――彼がこの状況を目の当たりにしたら、どうなるかわかったものじゃないですしね」


 つまるところ、まだ生き残っている村の皆を囮にしようというわけだ。

 リオはなにも言わず、ただ黙って頷く。ミクス以外の人間と関わりたがらず一匹狼でいた、人付き合いに淡泊な彼女の性格に今ばかりは救われた。


 後ろめたい思いを振り払い、離脱するべく暗闇の流れを進む。

 ――直後、空間そのものが砕ける衝撃。暗闇が一瞬で白に塗り潰された。


「ぐ、ああああ……!」


 咄嗟にミクスを抱きしめ背で庇ったリオが、苦悶の声を漏らす。

 火に高い耐性を持つリオの身体を焦がすほどの熱量で、光の爆発が二人を吹き飛ばした。

 建物の壁を数枚突き抜け、地面を幾度もバウンドした後にようやく止まる。


「リオ!」

「だいじょー、ぶ。ちょっと、背中の毛がチリチリになっただけ……」


 リオは気丈な声で立ち上がるが、毛どころか背中の皮膚が一部焼け爛れていた。彼女の耐性を考えれば、信じ難い高熱の攻撃である。

 高位ドラゴンのブレスに匹敵しかねない威力。この場で発揮できる者は一人しかいない。


 ミクスが頭上を見れば予想通り、勇者がこちらに視線を向けていた。

 目敏くも影に潜り込んで逃げる自分たちを見つけ、あの剣より閃光を放ってきたのだ。


 超高熱の閃光が二人のいる深さまで地面を抉り、二人が潜む暗闇を光でかき消して、暗闇から二人を炙り出した。

《影の水路》の絡繰りを見抜いたわけではあるまいが、そんなことはお構いなしのデタラメな威力だ。

 突き破った壁の穴から見える、まるで隕石でも落ちたかのような地面の抉れ方に戦慄する。


(なんて、理不尽な……!)


 王国の《魔導機》について、ミクスたちダークの民はそこまで多くを知っているわけではない。かつて荒野で魔物に襲われた王国軍の中、命からがら生き延びて渡り切った唯一の兵士。その生存者から聞き出した範囲内での知識だけだ。

 それでも、あの勇者の力が魔導機とは全くの別物、それも魔術や彼らの言う魔法の範疇を遥かに逸脱したものであることはわかった。


 自分たちが長い詠唱を重ねてやっと引き出せる威力を、たった一言二言で打ち出す魔導機も大概ではある。しかしアレはまだ、製造の過程で生活環境を破壊し、魔物を生み出すという自らの首を絞める代償が伴っていた。

 それに引き換え、この勇者にはなんの代償も支払っている様子がない。


 疲労の欠片も見せず、まるで手遊びのような気安さで数え切れない命を灰塵に変え、村を破壊していく。自らの命を決して盤上に乗せることなく、一方的に相手の命を踏み躙る絶対の暴力。

 これを理不尽と呼ばずに、他になんと呼べばいいのか。


「ナイス勇者様! それじゃあ有難く――」

「待てよ」


 喜々として魔導機の銃口をミクスたちへ向けるバンダナ少年。

 それを、少年のすぐ傍らに降りてきた勇者がポンと肩を叩いて制止した。


 勇者の声は甘ったるいアルトボイスで、街中で声をかけられたなら、大抵の女性はウットリと聞き惚れることだろう。

 さらに金髪をオールバック気味にまとめることで、惜しげもなく晒された美少年顔。少女趣味の恋愛小説に出てくるようなその王子様フェイスで微笑みかけられようものなら、ハートまで容易く盗まれること請け合いだ。


 しかし正面から勇者を見たミクスが真っ先に覚えたのは、足元に蛆虫が這いずってくるかのような怖気だった。

 バンダナ少年も、何気ない風に思える勇者の声や所作一つ一つに顔が青ざめていく。


「見かけに騙されちゃあ駄目だ。こいつらはこの辺りを支配する一番邪悪で凶暴な魔族に違いない。勇者の勘がそう言ってる。お前じゃプチッと殺されるだけだから、ここは僕に任せて雑魚掃除に向かうんだ。……僕が駆けつけてやらなきゃ死んでたところなんだ。よーく僕に感謝しろよ? 具体的には夜のとか、そこんところわかってるよね?」

「は、はい。わかりました、ありがとうございますっ」


 ガクガクと全身を震わせながら、バンダナ少年は頷きを繰り返す。

 少年を震え上がらせているのは、単純に圧倒的な力への畏怖だけではない。

 圧倒的な力が、遊び半分に牙を振りかざす、悪意ある者に備わっていることへの恐怖だった。

 遁走と言うべき勢いでバンダナ少年は走り去り、勇者一人がミクスたちと対峙する。

 その見下した目つきは先程の言葉と裏腹に、こちらをなんの脅威とも思っていない。


 そうだ。ミクスたちの実力など、この少年は最初から推し測ってすらいなかった。

 バンダナ少年を立ち去らせたのはもっと別の理由だ。


「そういえば、あのクソモブ野郎に邪魔されたのもあって、屈服プレイとかはまだだったんだよねー。――ほら、僕の靴を舐めて命乞いでもして見なよ。媚びの売り方が上手だったらよ、お姉さん?」


 ミクスの全身を粘ついた視線で舐めながら、勇者と呼ばれる少年は嗤う。

 美貌では到底誤魔化し切れないその醜悪さは、ミクスがこれまで出会ってきた外道下衆の類となんら変わりないものだった。



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