第06話:諦観する少年は流されるがまま


「ええっと、つまり俺を連れて来たのは、あのしつこい熊男を黙らせるために花婿のフリをしろ、ってことでいいのか?」

「いいえ、全然違いますが?」


 そういうことなら合点もいくと思った推察は、間髪入れずに否定されてしまった。

《戦士の試練》に関する説明を受け、そのまま族長の家で食事をご馳走になった後の夜。

 ひとまずはここで寝泊まりするように、とミクスがフレイを案内したのは横並びに個室で区切られた平長屋の一室だった。障子や畳があったら完全に江戸時代の部屋だ。ベッドに机など、最低限の家具はあらかじめ備え付けてある。

 王都の屋敷で暮らした経験のあるフレイから見ても、住み心地は良さそうだ。むしろうっかり壊したら弁償代が怖い調度品が置かれた部屋より断然いい。


「確かに私が婿探しの旅に出て、しまいにはヤケクソ半分に北の王国まで出向いた原因は、あの男尊女卑思想にかぶれた熊男ですけどね。フレイのことは、一生を連れ添う相手として選んだつもりですよ?」


 でなければ族長に紹介して外堀を埋めたりしません、とミクスはベッドのシーツを整えながら言う。婚礼の儀もまだのため、当然夜の営みはおろか同衾もしないとわかっているが、それでもソワソワしてしまうのは男だから仕方あるまい。

 そう誰に対するものとも知れない言い訳を頭の中で並べつつ、フレイは反応に困ってイスをギシギシ揺らした。


「いきなりお婿さんとか言われてもなあ……。やっぱりこう、まずはお友達から段階を踏むべきじゃないですかね」

「私は婚姻から育んでいく愛があってもいいと思いますよ。世の中には政略結婚というものがありますし、それが必ずしも不幸な結果に終わるわけではないでしょう? 私たち、案外上手くやっていけると思うのですが」


 そうすました顔のミクスに、フレイの困惑と疑念は深まるばかり。


(……そもそも、なんで俺なんだよ?)


 つまるところ、その一点に尽きるわけだ。

 しかし言葉にしようとしたのを見越したように、それを遮る形でミクスは続ける。


「それにしても、貴方が《ビーストソウル》の持ち主だとは驚きでした。そういう意味でも、私の目に狂いはなかったのかもしれませんね」

「び、びーすとそうる?」

「ああ。王国出身のフレイには初耳でしたね」


 まず前提として、ミクスは《マナ》について語った。

 マナとは生命の源にして、万物に宿る神秘的エネルギー。

 死した生命は大自然のマナに還り、またマナより新たな生命となって輪廻転生を繰り返す。

 またモンスターや人間は、自身や周囲に満ちるマナに己の意思を注ぐことで魔力へ変換。それによって世界の事象に干渉する神秘、つまりは魔術を行使するのだという。

 ――王国の魔法とのについては触れず、フレイは続きに耳を傾けた。


「そして強き力と意志を持ったモンスターは、ときに魂がマナに還ってもなお、その形を遺し続けることがあります。それが人間に生まれ変わり、あるいは新しく生まれる人間の魂と混じり合うことで、人でありながら生まれつき獣の野性と力を宿す魂……すなわち《ビーストソウル》が誕生するんです」

「そんなものが、俺の中にも?」

「ええ。感情の爆発から起こる、まるで二つの人格を有しているかのような変貌ぶり。それは後者のパターンで特に見られる傾向で、つまり本当に二つの意志が同居しているに等しい状態なんですよ」


 どうやら「ブツン」の元凶は、そのビーストソウルにあるということらしい。

 原因がハッキリした安堵が半分、自分のものでない意志が存在することへの不安が半分。なんとも複雑な気分でいると、ミクスがあやすようにフレイの頭に手を置いた。


「なにも心配はいりませんよ。《ダークの民》は古来より獣との戦いに生き、強大な獣の力を制してきた一族。先祖代々伝わる闇の力《ダーク》を操る術を覚えれば、その身に宿る獣の力も自在に使いこなせるようになるはずです」

「あの力を、俺の思いのままに……」


 もしそれが本当に可能なら、ついに自分も物語の主人公的な覚醒を果たすということか。

 否応なく期待と高揚が胸を熱くし、フレイは顔がにやけるのを懸命に堪える。


「では、また明日。試練、頑張ってくださいね」

「ちょ!? 待って、まだ話が――」

「あ、一つ忘れてました」


 部屋を出ていこうとしたミクスがすぐさま踵を返す。

 問い質したい諸々をひとまず引っ込め、フレイはミクスの言葉を待った。

 ミクスは体重を預けるようにフレイに身体を寄せると。




 ちゅっ、と軽やかなリップ音を立てて、フレイの頬に柔らかい唇を押し当てた。




「私のために怒ってくれて、嬉しかったですよ。おかげで私の好感度もギュンギュン上昇中ですから、この調子で試練もかっこよく乗り越えて、もっと私をときめかせてくださいね」


「おやしゅ……おやすみなさい」と今度こそ部屋を後にするミクス。

 フレイはあまりの衝撃で口から魂を吐き出し、仰向けにベッドにぶっ倒れた。

 後でどれだけ高額の請求が来るんだろう――などとお花畑状態な頭の片隅で考えてしまうのは、前世を含めた彼女いない歴が長すぎたせいか。


「はー……本当に、なんでこうなった」


 あれよあれよという間に、随分と遠くまで来てしまったものだ。

 どうしたものか――と考えを巡らせようとして、やめた。

 花婿云々の話になにか裏があったところで、自分になにができるものか。

 仮にこの場を脱したとして、それでどうする?

 異端認定されたフレイには人間領に……否、最初からどこにも帰る場所などないのに。


「やめたやめた。もう、どーにでもなれってんだ」


 ビーストソウルの話には一度浮かれもしたが、どうせ自分が力を手にしたところで、たかが知れている。目的も信念も才能も努力も人格も――物語の主人公に足る要素など何一つない。それがフレイ=ドルギエルという空っぽの人間なのだから。

 だから希望なんて抱かない。明日になにも期待しない。

 ミクスの思惑がなんであれ、痛い目や死ぬような目にさえ遭わなければ、後は野となれ山となれ。今までずっとそう生きてきたし、それ以上を望むのは贅沢だ。

 これまで通り、ただ今日という日を消費するためだけに、フレイは眠りについた。




 ――しかし。

 本当に空っぽなら、この胸の奥底で燻る熱はなんだというのか。

 答えは見えない。……見たくも、ない。


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