第07話:少女は若き狩人の雄姿を見届ける
《戦士の試練》――ダークの民にとって成人の儀式でもある、その内容は単純明快。
「七日以内に、森で自分の身体より重い獲物を一体仕留める」ことだ。
己の力のみで獲物を仕留めることで、一人前の狩人だと証明する。
獲物が大きければ大きいほど武勇を讃えられるが、力量に合った獲物を選ぶ慎重さと観察眼も同時に試されている。
村の生活を支える狩りの戦士は、臆病すぎても無謀すぎてもいけないのだ。
本来、緑が芽吹く春の季節に開催される――冬眠していたモンスターたちが目覚め、かつまだそれほど活発でないため――行事だが、ダークの民が外からの人間を迎え入れるようになってからは、一族の戦士に加わる資格があるかを試す通過儀礼も兼ねていた。
そして今日も、ネビュラの森に挑む若き狩人が一人……。
『ガアアアア!』
『ぬおおおおおおおお!』
「あはは! やってるやってる!」
試練が始まり、今日で七日目。
リオはその辺りで一番背の高い木の上から、外よりやってきた新参者の狩りを眺めていた。
ポニーテールに結わえた赤紫の髪。琥珀色の瞳はキラキラと無邪気に輝き、やや幼さを遺した顔立ちと合わさり子犬的な印象を受ける。やはり露出の多い上下の服から伸びる、毛皮の軽装を身につけた肢体は、日に焼けた肌と程良い筋肉で引き締まっている。
太陽の日差しと大自然がよう似合う、健全かつ健康的な元気娘といった感じだ。
ただし、それはあくまで表層の一面。初対面の者でも、口元から大きな八重歯を覗かせた笑みに、理由のない悪寒が背筋を走るだろう。
そして同族の者たちは知っている。彼女の内に潜む、獰猛な『獣』の存在を。
なぜリオがこんな場所で新参者――フレイの狩りを眺めているのかというと、それは彼女が試練の監視役だからだ。
他部族の縄張りや『危険領域』に踏み込まないよう見張り、最悪の場合は失格と見なす代わりに死にそうな挑戦者を助ける。いつもなら目が良い鳥類系の戦士の役割なのだが、親友であるミクスの頼みもあって今回はリオが立候補した。
リオとしても、親友が花婿に選んだ男を見定めるべく張り切っている。
もしミクスと番うに相応しくない軟弱者であれば、村から叩き出してやる所存だ。
(でも、これは……)
フレイに対する評価が固まりつつあったところで、リオは鼻をひくつかせる。
覚えのある、覚えたくもなかった臭いが近づいてくるのに気づいて顔を顰めた。
隣の木に視線をやると、ほどなくして樹皮を爪で引っかく嫌な音を立てながら、巨漢の熊男が登ってくる。
「よお、リオ。余所者野郎の監視とはごくろーさまだな」
「バルゴス……。邪魔しないでよ。今、いいところなんだから」
枝の上で可能な限り距離を取りながら、リオはうんざりした顔をする。
常に威張り散らした態度で振る舞うこの男が、出会ったときから嫌いだった。
自分のみならずミクスのことまで女というだけで見下してくるし、嫌な目つきで胸や尻を無遠慮に凝視するし、女を嬲って楽しむためだけの道具と思っているようなヤツだ。
ダークの民は強大なモンスターと戦い、打倒する武勇を誉れとする。そして戦士はモンスターを狩り、その肉で一族の腹を満たしてやることが使命だ。
その点で、バルゴスは確かにキマイラ族一の戦士である。それでもバルゴスを本気で慕う者はほとんどおらず、それだけバルゴスの横暴な性格には誰もが辟易しているのだ。この男は元いた部族に追い出されて流れ着いたクチだが、そうなったのも当然と言える。
(――ま、元いた場所を追い出された嫌われ者っていうのは、あたしも他人のこと言えないけどさ。こんなのと一緒くたにされるのはゾッとするね)
「確かにいいところで来たみたいだな。見ろよ、あの無様な姿! みっともなく逃げ回ることしかできねえ!」
今もフレイを指差し、ゲラゲラと下品に笑うバルゴスにリオは嫌悪を禁じ得なかった。
現在、フレイは体長三メートルを超える巨大な熊に追われて走り回っているところだ。
二本角に赤銅の毛皮、闇夜に光る青い眼を特徴とする巨熊の名は――《オニビグマ》。
ネビュラの森に於ける苛烈な食物連鎖。その中でもかなりの上位に位置する強豪捕食者だ。
火を吐くなどの目だった特殊能力こそ持たないが、その分全ての魔力を注いで強化された肉体は脅威の一言。爪を振るえば大木もへし折り、硬い毛皮は金属の斧を弾く。暗がりで鬼火のごとく光る眼は、大の男も裸足で逃げ出す恐怖の象徴である。
熟練の戦士とて単独で狩ることは難しい。キマイラ族でそれを成し遂げた者は、族長を除けばバルゴス一人だけだ。
間違っても、成人を迎えるための試練で戦う相手ではない。
「あーあー、みっともねえ! 戦う力もない雑魚が、身の程も弁えねえで戦士の狩場に出しゃばるからだ! ああいう腰抜け野郎なんざ、子も作らせず絶滅させるべきなんだよ! それくらい、てめえだって仮にもメスならわかるよなあ? オイ」
(ワカルカ。本当に腕力でしかモノを量れないよね、こいつ)
自分もミクスに出会うまでは同じ穴の狢だったことを思うと、軽く吐き気がした。
この男は、あらゆることに対して考え違いも甚だしい。
まず《戦士の試練》で失格になったからといって、それを理由に一族から追放されたりすることはない。昔はそういう風習もあったそうだが、少なくとも今のキマイラ族にそんな決まりは存在しないはずだ。
勿論試練を達成できなければ戦士として認められないし、森へ狩りに出ることも厳しく禁じられる。それでも次の春が巡れば、またチャンスを貰えるのだ。
また外から来た人間に試練を受けさせるのは、あくまで森に入って共に狩りをする資格があるか否かを試すため。狩り以外の形でも、村に貢献できる人材であれば受け入れる。そうしてキマイラ族は発展してきた。
(ま、そこら辺の知識はミクスの受け売りだけどねー)
幼い頃のリオは森に捨てられ、モンスター同然に育った凶暴な野生児だった。
バルゴスと同じで己の爪と牙だけを信じるリオを、牙も爪も用いず叩きのめして捕縛。
それからは親友であると同時、姉か母のように世話を焼いて、人間らしい心を与えてくれたのが、他ならぬミクスなのだ。
だからリオは知っている。
爪でも牙でもなく、思考を研ぎ澄まして獲物を狙う狩人の侮ってはいけない恐ろしさを。
『ゴアアアア!』
『どわああああああああ!』
一見すればただ逃げ惑っているだけのフレイ。しかし腰抜けという認識は正しくない。
弱肉強食の生存競争では「逃げる」こと自体が一つの戦いであり、それを成し遂げるにも相応の能力が必要だからだ。生き延びるための行動をなにも起こせず死ぬことこそが恥である。
フレイは鎧こそ急所を最低限守るのみの軽装だが、身体に巻いたベルトには多数の武器や道具をぶら下げており、重量は総合してかなりのものだろう。そんな状態で走り回っていながらも息一つ乱さず、ああしてオーバーリアクション気味な絶叫を上げる余裕すらあるのだ。
それになにかと障害物の多い森の中を、なんの苦も無く駆け抜ける身のこなし。
段差や木の根は視界に留めるまでもなく躱し、邪魔な茂みの小枝は鉈で切り払う。
明らかに森慣れした動きには一切の無駄がなく、特に木々の密集した道なき道を通って、巨体故に障害物をいちいち破壊する必要のあるオニビグマに距離を詰めさせない。
外から来た人間は大抵、ただ森の中を歩くだけで音を上げる。それに比べれば、この一族にも見劣りしない体力と身のこなしだけで十分大したものだ。
その気になれば逃げきることも十分可能だろうが、敢えて一定の距離を保っている。
周到に狡猾に計略の糸を張り巡らす、狩人の目で。
『あて!』
どこかわざとらしい悲鳴を上げながら、フレイが木の根に躓いて転んだ。
好機と見たオニビグマは、必殺の構えを取るため大きく前足を振り上げた。
「ハッ! 来るぞ、来るぞ! オニビグマのかち上げがよお!」
拍手喝采せんばかりにバルゴスが囃し立てる。
オニビグマ最大最強の攻撃。それは突進からの二本角によるかち上げだ。
地面が爆ぜるほどの勢いで突撃し、その膂力全てを集約して振るわれる角の威力は、自身と同サイズの鉄鉱石を粉々に粉砕するほど。並のモンスターが喰らえば、胴が二つに千切れて血と臓腑を宙に撒き散らす。人間ならもっと惨い死に様を晒すことになる。
今まさにそれを繰り出そうと、オニビグマは深く深く身体を沈めて突進の姿勢を取った。
そして――踏み込んだ前足が、そのまま地面を突き抜ける。
『グガッ!?』
「なあ!?」
オニビグマとバルゴスで驚愕の声が重なる。
前足の下、ポッカリと空いた穴に落ちて、オニビグマの上半身が地面に埋もれてしまう。
汚い声で問い質されるのも煩わしく、リオは先んじてバルゴスに解説してやった。
「落とし穴だよ。あいつがあらかじめ用意して、ここまでオニビグマを誘導してきたの」
フレイがあのオニビグマを発見したのは、森に入って三日目。
それから四日目、五日目をオニビグマの観察に当て、六日目に入念な準備を行って迎えた今日だ。当然、ただ落としただけでは終わらない。
『グルルゥゥゥゥ!』
穴からどうにか這い出たオニビグマが、苦痛の声を漏らす。
その身体は、灰色の杭が何本も突き刺さって血を流していた。
「《鉱石樹》か!」
小癪な真似をと、どちら側に立っているのかという口調でバルゴスが唸る。
《鉱石樹》はネビュラの森の主要な樹木で、土から養分だけでなく鉱物も吸い上げる、特殊な生態を持つ。吸った鉱物を樹皮に蓄えることで、頑強な身体を作り外敵から身を守るのだ。
場所によっては鋼鉄製の樹皮を形成するものもあり、建材としては優秀だが、樹皮を剥がさなければ到底薪には使えない。この燃え難い木のおかげで、森には火を操るモンスターも多く生息している。
フレイは鉱石樹の枝を切り落とし、杭に加工して落とし穴に仕掛けていたのだ。
(でも、これは悪手かな)
ミクスから最低限の知識しか教わっていないはずの身で、ここまでの用意ができたのは実際称賛に値する。試練で普通相手にするモンスターなら、十分に仕留められたはずだ。
しかし、今回は相手が悪すぎた。
オニビグマの頑丈な毛皮と分厚い筋肉に、巨熊自身の体重をかけてなお、杭が刺さっているのはほんの先端。貫通しているのは、比較的毛皮と筋肉の薄い手のひらに一本ずつのみ。それも痛手と呼ぶには心許ない。
傷を負わせはしたが、これではオニビグマを怒らせただけだ。
『グゴアアアアアアアア!』
案の定、鉱石で覆われた木々がビリビリ震えるほどの怒号を轟かせるオニビグマ。
雄叫びだけでは足りぬと、全身で怒りを表現するように赤銅の毛を逆立たせ、後ろ足で直立して前足を大仰に広げて見せた。
――まさにそれを待っていたと言わんばかりのタイミングで、フレイが抜剣した片手半剣を横薙ぎに振るう。
『シィッ!』
地面をかすめるような一閃は、地面に転がる小石二つを弾き飛ばした。
その意図はすぐに判明する。
小石にはそれぞれ細い糸が繋がっており、丁度オニビグマの両手に刺さった杭と繋がっていた。そして糸付きの小石が別々の木に絡みつき、結果オニビグマは両腕を上げた状態のまま縛りつけられることとなったのだ。
「おお!」
これにはリオも思わず両手のひらを打ち合わせる。あくまで遠目から監視するだけだったため、この仕掛けには気づかなかった。
杭が大して効かないことは最初から織り込み済み。
フレイの狙いは最初から杭に繋いだ糸で、あの豪腕を封じることだったのだ。
サバイバル用の荷物はこちら側で用意したが、オニビグマの腕力でも引き千切れないところを見るに、どうやらミクスは『お手製』の糸を渡していたらしい。サバイバル道具には元々モンスターの素材を利用したものが多いので、ルール的にはセーフ範囲の助力だろう。
機を逃さずベルトと背中の盾を外し、身を軽くしたフレイは剣を手に猛然と駆け出した。
『ガアアアア!』
オニビグマも黙って待ちかまえたりはせず、全力で糸の拘束に抵抗。
すると糸が切れる代わり、左腕を拘束していた側の枝が根元から折れた。太い幹に巻きついた右腕側と違い、不運にも左腕側は細い枝に絡まっていたのだ。
自由になったオニビグマの左腕が、糸で結びついた枝ごと振り回される。
空を裂くのではなく、引き千切る暴力が豪風を巻き起こした。
――しかし、一手遅い。
『おおおおおおおおっ!』
巨熊にも劣らぬ裂帛の咆哮が轟く。
肉食獣の低い姿勢で疾走するフレイが、大地を踏み砕いてさらに加速した。
暴風が薙いだ場所は既に通り過ぎ、オニビグマの爪は後ろ髪数本を散らしただけに終わる。
互いの目に己が映り込むほどの真正面。両者の咆哮が激突する。
至近距離からの威嚇にも怯まず、フレイは剣の切っ先をオニビグマに向けた。
そして二度地に亀裂を入れる跳躍から、己と剣を一条の矢に変えて突貫する。
『ゴ、ガ……!?』
一直線に走る黒い剣閃。肉と骨を穿つ音。飛び散る鮮血。
自分ごと体当たりするような刺突で繰り出された刃は、オニビグマの口腔から肉を貫き、上顎の骨を穿ち、脳を抉って後方に突き抜けた。
青い双眸から光が失せ、弛緩した巨体はゆっくりと仰向けに傾く。
どおんと地響きを立てて倒れたオニビグマは、完全に絶命していた。
フレイも力を使い果たしたように、オニビグマの隣に尻餅をつく。
「うっわー。本当にオニビグマを狩っちゃったよ」
リオはただ感嘆の息を漏らす他なかった。
戦闘そのものの時間は一分を超えるかどうかといったところだが、いつの間にか手に汗握っていたほどの濃密な激闘だった。
そこまでの御膳立てもなかなかだったが、特筆すべきは見上げる巨躯の敵にも臆さず、か細い勝機の道を躊躇いなく駆け抜ける胆力と勝負度胸。そして鋼を貫くまでに鍛え上げ、研ぎ澄まされた《ダーク》の力だ。
如何に毛皮で守られていない口腔を狙ったとはいえ、並の武器でオニビグマの筋肉を貫くことは至難の業。それを成し得たのは《ダーク》を剣と両足に注ぎ込むことで、その強度と機能を高めたおかげ。
フレイは無意識ながらも、既に《ダーク》を操る術を身につけているのだ。
これが彼に宿る《ビーストソウル》の恩恵だとすれば、なかなか強力なソウルらしい。
ともあれフレイの武勇は、バルゴスに勝るとも劣らぬものとしてここに証明された。
リオから見ても、ミクスの婿としてひとまずは花丸をあげてもいい健闘だった。
無論、ミクスを傷つけたり泣かせたりすれば、即座に首を噛み千切ってやる気満々だが。
(まー、ミクスなら自分で百倍返しにやり返しそうだけど)
ともかくリオも含め、キマイラ族は喜んで彼を迎え入れるだろう。
「…………」
唯一例外であろうバルゴスは、なぜかフレイがオニビグマを倒してから無言だった。
この男のことだ、さぞかし荒れるものとばかり思ったのだが。
(ショックのあまり枝の上で失神してるとか?)
そうリオが訝しんでいると、バルゴスは怖気が走るほど穏やかな声で喋り出した。
「ん? ああ、確かに大したもんだったなあ。余所者の分際で、生意気なことによお。村に戻れば英雄みたいにチヤホヤされるかもなあ。…………生きて森を出られたらの話、だけどな」
「なにを――」
問い質しかけたところで、嗅ぎ慣れない匂いがリオの鼻をかすめる。
同時に本能が訴えかけてくる特大の危険信号に、血相を変えて匂いの出所を探る。
そして出所の方角と、木々が続けざまに倒れていく様を見て、血の気が凍った。
「まさか……!?」
リオは悟る。
バルゴスが、決して許されない禁忌を冒したことを。
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