第03話:少年の物語は暗黒へと動き出す
体内の魔力を練り、呪文を唱えながら杖を振って……グレートヴィナス島に於ける《魔法》は、そういったいかにもという王道タイプとは大きく系統が異なる。
神秘の根源的エネルギーを抽出・精製した《魔力結晶》。それを動力源に稼働する事象改竄装置《魔導機》を使って、小さいものは日用品から大きなものは兵器クラスまで、様々な超常の力を行使する機械技術――《
それがこの世界の魔法、電子機器に替わる人類文明のスタンダードだ。
神官たちが持つ武器も魔法の杖というより、鉛玉の代わりに数種類の魔力弾を放つ杖型拳銃式魔導機と呼ぶ方が相応しい。製品名もズバリ《ガンズワンド》である。
そしてグレートヴィナス島では才能でも努力でもなく、いかに性能の高い魔導機を持っているかで戦闘力と人間としての格付けが決定する。魔導科学は女神から授かった叡智であり、女神の加護厚き選ばれた者だけが、より強い魔導機を持つことを許されるからだ。
故に所持する魔導機で身分や地位を判別できるし、王都の庶民でも魔力結晶のクズ石で動く日用品魔導機しか所持を許されない。
王族に次ぐと言っていい地位と戦力の宮廷神官隊を、人間一人や二人へ差し向けるなど過剰にも程がある。
町の外に出て、見渡す限り続く金網の柵沿いに走りながらフレイは叫んだ。
「だああああ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 宮廷神官が使う魔導機の魔力弾とか、通常弾でも直撃したら身体に風穴空くじゃねえかああああ!」
「なんですか、急にお姫様抱っことか。主人公気取りですか、好感度を稼ぎにきてるんですか。ベタベタな恋愛小説でもあるまいし、こんなあざといやり口で女の子がときめくと思ってるんですか? 私がそう簡単にときめく甘い女だとでも? ……ちょっとときめいている自分がチョロ甘で辛いです」
「人が抱えてやってるのをいいことに余裕だな、あんた!? 俺もちょっとドキドキしてるけど状況考えて! 今は命の危機的な意味でのドキドキが勝ってるから!」
「というか、なぜ私を連れて逃げているのですか?」
フレイに抱えられたままで、少々居心地悪そうにしていた少女が問いかける。
「彼らの狙いは、魔族である私でしょう。私さえ見捨てれば……」
「悪い! そっちの事情は知らないけど、たぶん今回巻き込んでるのは俺の方だ!」
例の顔写真の男だ、と確かに神官の一人が言った。
つまりあの神官たちは、最初からフレイを探していたのだ。
であれば、心当たりなど一つしかない。
「こんな辺境に宮廷神官隊が出張ってくるとは、貴方は一体なにを仕出かしたんですか?」
「なんやかんやあってぶん殴ったクズ勇者が、腹いせに俺を異端認定しやがったんだよ!」
「はあ!?」
神殿が魔族と並んで憎悪する存在、それは女神の教えや加護に背く異端者だ。
この島で神殿に異端認定されることは、率直に言って死刑宣告と同義。異端者として捕まった者は拷問で自白を強要され、凄惨な手法で処刑された挙句、死体は肉が腐り落ちて骨になるまで晒し者となる。最早、異端審問ではなく魔女狩りの様相を呈していた。
また勇者召喚は神殿の管轄であり、それ故に神殿の権威は大きく、勇者を手厚く庇護している。つまり、勇者は神殿に対して多大なコネが利くのだ。
その辺りの事情は少女も把握しているらしく、表情を若干引きつらせる。
「殴られた仕返しに異端認定って、正気ですかその勇者は!?」
「正気だけど、常識と倫理観と良心が欠如していやがるのは確かだな!」
そうこう話している間にも、後ろから上空から神官隊は迫ってくる。
育ち柄、足の速さには自信のあるフレイだったが、やはり乗り物まで持ち出されては分が悪い。それにここ辺境は大地が酷く汚染されて、森どころか草の根一本生えないような荒野が広がるばかり。相手を撒こうにもロクに遮蔽物がない。
第一、仮にこの場を逃げ切れたところでどうするというのか。
少女にもそれを指摘される。
「しかし、どこに逃げるというのですか? 異端認定されたとあっては、もうどこにも逃げ場などないのでは?」
「ああ、そうだな! 異端認定された時点でもう詰んでるよ、クソッタレ!」
女神の加護に反する者、庇護に値しない者の存在を、女神の尖兵たる神官隊は決して許さない。草の根をかき分け、ドブの底まで浚い、どこまでもどこまでも執念深く追ってくることだろう。そして異端の烙印を押された者は捕まって処刑されるまで、残る一生を迫害され排斥されて過ごすことになるのだ。
最早フレイの人生は破滅も同然。
もう世界中のどこを探しても、フレイの居場所は存在しない。
(なんだよ、これ。なんなんだよ! もうなにもないのに。俺の手にはもう、なにも残ってなんかいないのに! これ以上、これ以上俺からなにを……!)
奪うもなにも最初から空っぽの胸に、ただやりきれない気持ちが燻る。
食いしばった歯はカタカタと音を鳴らし、震える手は拳を握ったところで行き場がない。
覚えがあるつもりだった剣の腕も、勇者の女神が与えたという人知を超えた力や、国家という巨大な組織の前ではまるで無力だ。
約束された絶望を前に、フレイは口汚く喚き散らすことしかできなかった。
「ああああクソクソクソ! 女神とかいうヤツは絶対外面だけの性格ブスだ! 面食いで自意識過剰でブリッ子その上ビッチなんだ、間違いない! 謂れのない罪で魔女扱いされて火炙りになりそうな、心の清い本物聖女の身代わりになって、絶望と苦痛にのた打ち回りながら消し炭になっちまえ! バーカバーカ!」
妙に具体的な例を挙げた、まさに神も恐れぬ悪態に、背後で神官たちの殺気が爆発的に膨れ上がるのを感じる。
流石は宮廷神官。女神への信仰心も一級品らしい。信仰心が前世の日本人そのままで薄っぺらなフレイからすれば、狂気との違いがサッパリだ。
しかしこれで、捕まった場合の凄惨なデッドエンドがますます確定的になった。
「ああもう! この際、なんでもするから誰か助けてくれええええ!」
「今、なんでもと言いましたか? 悪魔に魂を捧げてでも?」
「ああ! どうせこの世は神も仏もクソなんだ! 助けてくれるなら悪魔でも邪神でも構うもんか! 魂でもなんでもくれてやるよ!」
藁に縋りつくというか、掴んだ藁を投げ捨てるくらいのヤケクソでフレイは叫んだ。
「いいでしょう。その願い、悪魔に代わって魔族の私が確かに聞き届けました」
謳うような、深い水底から届くような響き。
惹かれた者を丸ごと余さず呑み込む蠱惑的な声音に、フレイは思い出す。
自分の腕に抱えた少女が、魔を冠する種族の者であることを。
「【開け。影より通じる秘密の裏道よ】」
朗々と涼やかに読み上げられる調べは、しかし鼓膜を震わせるものではなかった。
皮膚を、筋肉を、骨を、脳を、細胞を。
あらゆる障壁をすり抜け、直に精神へとその声は木霊する。
神によってバラバラの民族、バラバラの文化に引き裂かれる以前。天に至る塔を築き上げんとした古代の人々が用いる、原初にして唯一の言語。そんなものが実在したとすれば、それはまさにこういうものなのだろう。
種族を問わず、国家を問わず、文明を問わず、有機物無機物さえ区別しない。
森羅万象に己が意思を伝える絶対の言葉。
それに命じられるがまま、足元に差す影が真っ黒な口を大きく開いて、二人を迎え入れる。
「へ? ちょ、おわああああ!?」
踏み出した先の地面が消失し、突然現れた穴の中へフレイは成す術なく倒れ込んだ。
ドポン、と水音を立てて、一切の光が届かぬ真っ暗闇に放り出される。視覚も聴覚も黒く塗り潰されたように利かず、全身を液体に浸したような感覚が包んだ。
まるで、深海の底に沈んでいるかのような……と思考が及んだところで、フレイの心を一挙に混乱と焦燥が押し寄せた。
「あ、あばばばば!?」
「落ち着いて。水中ではないから呼吸できますよ」
酸素を求めてバタバタさせた手が、横から優しく掴まれる。
見れば、いつの間にか腕の中から降りた少女が、フレイの隣で暗闇の中に浮いていた。周りが黒一色だというのに姿がハッキリ見えるのは、彼女が身に纏う《闇》のおかげだろうか。
なるほど呼吸は問題なかったが、魚にでもなったようでなんとも奇妙な感じだ。
自分たちを引っ張る緩やかな流れに、慣れた様子で身を任せながら少女は語る。
「ここは影と影を繋ぐ、言わば《影の水路》です。どんな生物であれ物体であれ、地に差す影は等しく重なり交わるモノ。故に万物の影は見えざる道で一つに繋がっている。世界に満ちる生命の力、《マナ》が引き起こす超自然現象の一つですよ。まあ、王国の人間である貴方には馴染みのない概念でしょうね」
マナ、という言葉には、フレイも地球でなら覚えがあった。
魔法の源泉とされるエネルギーであり、ときに魔力そのものと同一視される言葉。
魔導科学でいう「神秘の根源的エネルギー」、要は魔力結晶の源のことだろうか?
しかしフレイは少女が《影の水路》と呼ぶこの空間に、なにか魔導科学との大きな「違和感」を覚えた。この空間が不自然というより、魔導科学に潜む不自然を気づかされたかのような感覚。自分でも上手く言葉にできず、少女にどう説明を求めればいいかもわからなかった。
その後しばらくは会話もなく、小舟に揺られるようにして影の水路を進む。
途中でうっかり眠りこけてしまい、時間の感覚も怪しくなってきた頃、身体が浮上を始めたのがわかった。上方へ引っ張る感覚が一瞬強くなったと思うと、またドポンと水音を立てて身体が地上に投げ出される。
「ぷはっ!」
呼吸できたとはいえ、暗い影の中はわけもなく息苦しさを覚えた。
そのためフレイは深く息を吸い込んで、まず肺を満たす空気の清浄さに驚愕。それから周囲に視線を巡らせて、再度の驚愕に零れ落ちんばかりの大きさで目を見開いた。
影の中で思った以上の時間が経過していたらしく、地平線から太陽が顔を出している。
朝日に照らされた地上には、まさに緑の絨毯といった風情の草原が広がっていた。草原は北の地平線の向こうまで続き、反対の南には草原より濃い緑で大地を埋め尽くす森。そして森の向こうにそびえるのは、荘厳な雰囲気を醸し出す白い山脈だ。
人間領では決して見ることのできない、どこまでも自然豊かな光景。
それを目にしたフレイの胸を、郷愁の念が激しく揺さぶる。
あまりにも遠く、永遠に失われてしまった思い出が呼び起こされるようで、涙を堪えるために血が出そうなほど強く唇を噛まなければならなかった。
「ようこそ。我ら《ダークの民》が住まう《ネビュラの森》へ」
森を背にし、少女は芝居がかった動きで両手を広げて見せる。
《ダークの民》というのはおそらく、自分たちが魔族と呼ぶ彼女ら本来の名前だろう。
ではここは人間領の反対側、グレートヴィナス島の南部に存在するという魔族の領土か。
そう悟って、フレイは自分たちが移動した距離に唖然となった。人間領と魔族領の間には、《飢餓の荒野》と呼ばれる汚染された不毛の大地が広がっている。王国軍が魔族討伐を掲げて踏破しようと挑み、ある「理由」でただの一度も渡り切れなかった前人未到の魔境。
その「理由」を別にしても深夜から早朝までの数時間で、とても渡れる距離ではないはずなのだ。恐るべしは彼女の魔法……否、マナが引き起こすという超自然現象か。
しかしなるほど、如何に宮廷神官隊といえども、ここまでは追って来れまい。
「さて。それでは契約の代償を支払って頂くとしましょうか」
「え?」
「確かに言いましたよね? 魂でもなんでもくれてやる、と」
薄ら微笑みつつも、言い逃れを許さぬ少女の眼光がフレイを射抜く。
バッチリ覚えているし、現にこうして神官隊から助けてもらったのだ。約束を反故にできる理由がなく、この少女から逃げられる気がまるでしない。そもそも逃げる場所のないフレイに残された選択肢など、最初から「観念する」の一択だけだ。
とはいえこの場で命を頂くという様子こそないが、人類の敵とされる魔族の領域で、自分はどういう扱いを受けるのだろうか。
奴隷、下僕、生贄……脳裏にネガティブなイメージが次々浮かび、フレイは戦々恐々としながら少女の言葉を待つ。
「これで貴方は身も心もこの私、ミクスの所有物。ということで……」
勿体ぶるようにゆっくり持ち上げた人差し指が、フレイの心臓が位置する左胸に置かれる。
そして怜悧な微笑に、少しだけ悪戯っ子のような顔を覗かせて彼女は告げた。
「――貴方には、私のお婿さんになってもらいますね?」
「……………………………………………………………………………………ふぁ!?」
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