第02話:少年は女の子の慰め方を知らない


「どうやら、見られてしまったようですね」

「あば、あばばばば」


 女性は動じた様子もなく男を解放すると、油断のない佇まいでフレイと向き合う。男は口から泡を噴いているものの、どうやら恐怖で失神しているだけのようだ。

 丁度顔を出した月明かりで改めて見ると、女性はフレイとそう歳の変わらぬ少女だった。

 最初に女性と感じたのは、歳の割に大人びた雰囲気が漂わす、仄かな色香のためか。


 肩口にかかる部分を三つ編みでまとめた、月光で輝く艶やかな紫紺の髪。

 静かで透き通った、しかしどこか硝子の空虚さを湛えた薄紅の瞳。

 肌は雪のように白く、手足もスラリと細い。硝子の瞳と相まって人形のような美しさだが、か弱さはまるで感じられない。香るような華がある一方で、迂闊に近寄れば細切れになりかねない寒気も覚える。切り裂くような美貌、とでも称すのがピッタリな容姿だ。


 ここまではただの「王都の貴族にもいないような美少女」というだけ? に見えなくもない。

 しかし少女には無視できない、王国の人間では決してありえない特徴が二つあった。

 一つは異形の右腕。肌が鋼の質感を持つ青白い鱗に覆われ、肘からは大きなナイフにも似た平たい三角形の突起が伸びている。突起物については説明できないがトカゲ人間、つまりリザードマンを彷彿させた。

 そしてなによりフレイを驚愕させたのは……。


(露出、多っ!?)


 彼女の、露出度の高さだった。

 髪飾りは蝙蝠の翼。腕輪は紐で連ねた牙。腰布には蜘蛛の巣模様。

 なにかしら動物を模した装飾の、まるで秘境の先住民族のような恰好は、とにかく肌を晒す面積が大きい。上はヘソやら鎖骨やら丸見えで胸元も大胆に開かれ、下はとても丈が短いホットパンツ。それにピッチリしたなめし革の黒衣が彼女の肌の白さと、無駄が見つからない完成されたプロポーションを強調している。


(ふぉぉおおおおおおおお!)


 内心で興奮気味に喝采を上げるフレイだが、これには一応事情があった。

 王国を始めとした人間領は、島の北方に位置している。

 薄着でいるには肌寒い気候が年間を通して続き、要するに服装の露出が非常に少ないのだ。

 野郎はどうでもいいとして、女性の露出が乏しいのは由々しき事態である。

 この世界には圧倒的に目の保養が足りていない。露出過多の煽情的な衣装を楽しめるのは、贅を凝らした暖を用意できる金持ちのみ。なんという悲劇か。神はいないのか、と多くの男が涙したであろう。

 その一人たるフレイからすれば、目の前の美少女こそが荒んだ現世に舞い降りた女神。

 思わず、できれば下よりも上からのアングルで拝みたくなるのも無理はない話なのだ。


「あの?」

「すいません! 出来心なんです! でも正直眼福ですありがとうございます!」

「どこを見てたのかと問い質したいところですが……その、もっとこう、他に反応は? 私、見ての通り魔族なんですよ?」

「へ? 魔族?」


 魔族――数多のファンタジーに登場する、人間と似て非なる異種族にして人類の天敵。

 ここグレートヴィナス島にも彼らは存在し、特に王国では滅ぼすべき絶対悪とされている。

 おぞましい暗黒で母なる大自然を汚し、汚染された大地から醜悪な《魔物》を生み出して人類を脅かす邪悪の化身。余談だが、近年問題になっている急激な出生率の低下も、魔族の邪悪な呪いが原因だとかなんとか。

 しかしなるほど、王国では場違いに過ぎる格好も、島の南方に住むという魔族であれば一応の説明がつく。

 右腕の変異はさしずめ噂に聞く、自然の理を歪める邪法といったところか。


「そうかー。魔族なのかー。…………えーと、だから?」

「だから、って……。『邪悪な魔族め!』とか色々とあるでしょう?」

「そう言われてもな。教会の神様狂いどもじゃあるまいし、人間かそうでないかなんてことで、いちいち目くじら立てる気にはなれないんでね」


 剣にかけていた手も下ろし、こちらに戦意がないことを示す。しかし怪訝そうな顔をしながらも、警戒は解かない少女。どうしたものかとフレイは頭を掻いた。

 問答無用で襲いかかってくるなら応戦もしようが、話も十分通じそうな相手に剣を向ける理由がない。魔族だから、人間ではないからなんて理由は殊更にナンセンスだ。人間にだってクズやゲスはいくらでもいるくせに、魔族全てを邪悪呼ばわりする資格がどこにあるのか。

 なお視界の端で失神している男については、ただの自業自得なので割とどうでもいい。

 尤もフレイがそう感じるのは「ニホンジン」の記憶と価値観が、生まれ変わった今も根強く影響しているためだろうが。エロエロしい悪魔がヒロインの話とか、最早王道だし。

 しかしこの世界の――特に王国の人間は、殆どが顔も知らない魔族を害虫同然に忌み嫌っている。それがこちらの世界では当たり前なのだ。

 少女がフレイを訝しむのも無理はないが、はてさてどう納得してもらったものか。


「あ、それともアレか。これって『フハハハハ。正体を見られたからには生かして帰さぬわー』的な流れだったりする? そうなると流石に俺も応戦せざるを得ないけど」

「…………フハハハハ。正体を見られたからには生かして帰さぬわー」


 見事なまでに棒読みだった。

 オマケに、猫でも真似るように指を曲げた手で「がおー」などと言い出す少女。

 なんなのだろう、これは。本気で脅かすつもりがあるのだろうか。

 そんな可愛い仕草されても、萌え悶える以外にどう反応しろと。あんまりやる気のない感じが、かえって逆にあざとい。あざとくても可愛いのがちょっと悔しい。

 それでも本人的には頑張ったのか、フレイの反応に少女は不満げだ。


「もしや、私が本当に魔族かどうか疑っているんですか? 私がこの寒空の下、無意味に肌を晒しているだけの破廉恥娘だとでも?」

「いや、別に疑ってはいないけど。つーか場違いな格好してる自覚はあるんだな。大丈夫か? 寒くない?」

「こう見えて私、結構な高体温ですのでお気遣いなく。というか、やはり信じていませんね?」

「信じる信じないは別にしても、まあ戦う気には到底なれないな」

「そうですか。それなら……」


 ゾワリ、と突然フレイの肌が粟立つ。

 少女が発する気配が重みを増したかと思うと、彼女の肌に黒い紋様が浮かび上がり始めた。

 出処は首の辺りだろうか。そこからまるで植物が枝葉を伸ばすかのようにして、紋様が全身に広がっていく。暗闇にすら塗り潰すような漆黒は、月明かりと少女の白い肌に際立たされ、どこか幻想的な美しさを醸し出している。


 ――オオオオ。


 しかしその黒い紋様は、唸り声を上げていた。

 ひび割れた音色に宿るのは恨みか、怒りか、嘆きか。

 いずれにせよまるで生き物のごとく、暗い負の感情に満ちた叫びを紋様が上げているのだ。

 それが幻聴の類でない証拠に、紋様から発せられる禍々しいオーラが、声に合わせてユラユラと揺らめいた。少女の姿を霞めるどころか、周囲の暗闇さえ色褪せさせて誇示する、黒よりも深い漆黒。まさに光を食み、絶対零度で燃える《闇》の炎だ。


「…………っ」


 込み上げる感情が心臓を締めつけ、フレイは音になり損なった呼気を吐き出す。

 行き場なく握られた拳は震え、眼差しは黒炎から目を背けるように俯いた。

 その反応に満足げ、と言うには酷く、なにかを押し殺したような顔で少女は微笑む。


「これで理解できたでしょう? 私は貴方たちの敵、人の皮を被ったバケモノ――って、貴方はなにをしてるんですか」

「えっと、その、えーと……………………あ、飴ちゃん食べるか?」

「意味がわかりません」


 歩み寄って両手をオロオロと虚空に彷徨わせた末、懐をまさぐって包みがクシャクシャになった砂糖菓子を差し出すフレイに、少女は死んだ魚みたいな目をした。

 こいつ頭が残念な人なのでは? と言いたげな視線が痛い。

 涙目で項垂れたフレイに、少女は毒気を抜かれたように嘆息する。


「変な人ですね、貴方。コレが怖くはないんですか?」

「怖いというかなんというか……」


 突きつけるように差し出された少女の手を包む、漆黒の《闇》。

 黄泉の炎にも似て燃えるそれに、フレイは遠慮がちな手つきで触れた。


「その、大丈夫か? なんか凄く、辛そうに見えるんだけど」


 確かに恐ろしさ、禍々しさはある。

 しかし少女が纏う《闇》に対して、フレイが真っ先に感じたのは「痛ましさ」だった。

 バケモノというより、あたかも泣きじゃくる幼子の幽霊にでも出くわしたような感覚。

 怖いけど、放っては置けない。なんとかしてあげたいのに、どうすればいいかわからない。かける言葉も見つからず、涙を拭うことさえできない情けなさに、俯いて拳を力なく握った。黒炎を見ての反応は、誓って忌避や嫌悪の感情からきたものではない。

 どうしてそんな風に感じたのか、フレイ自身にも不思議だった。この《闇》に覚える懐かしさ……こちらの世界に転生するよりずっとずっと以前の記憶を刺激されることと、なにか関係があるのだろうか。


「えい」

「ひゃ!?」


 不意打ちで少女に手を掴まれ、思わず女みたいな悲鳴が出た。

 肌を舐る黒炎は、身体の熱を奪うようにひんやりとしていた。しかしそれよりも少女の手、上等な絹のようにスベスベした感触の方が気になって仕方がない。異性と触れ合う経験など前世から振り返ってもないに等しいフレイに、これは刺激が強すぎた。

 真っ赤な顔で硬直するフレイの様に少女は、


「なるほど。不思議な人ですね、貴方は」


 そう先程とは少しだけ違う言い回しで、少しだけ温かみを含んだ微笑みを浮かべる。

 人生史上最高レベルと言っていい美少女に至近距離から微笑みかけられ、フレイはわけもなく叫びながら走り出したくなった。

 なんなのだ、このいい感じの空気は。なんでまだ手を離さずニギニギされているのか。

 魅了の魔法にでもかかったような心地で、いっそ惑わされたままでもという気持ちになる。


(――って、浮かれてる場合か!)


 少女の微笑みに見惚れてのぼせ上がった思考を、どうにか正気に引き戻す。

 人類の敵とされる魔族が、辺境とはいえ人間領にいるのだ。堂々と姿を晒していたことといい、居場所を失って流れ着いたという様子でもない。少女の目的がなんにせよ、どう考えたって厄介事、それもうっかりしたら人類の存亡がどうこうしそうな大事の予感だ。

 なにやら興味を持たれた様子だが、選ばれた勇者でも特別な力を持つ主人公でもない自分に、彼女の相手は荷が勝ちすぎている。

 露出の高い美少女との遭遇にはテンションが上がったものの、できればこれ以上関わり合いにならず済ませたいというのが、フレイの偽らざる本音だった。

 前世では思春期全開の頭の悪い「ダンシコーコーセー」だったが、今は前世と同じ年頃ながら、人を斬っても動じない程度には世慣れした戦士だ。相手が美少女といえども、引き際を弁えるだけの損得勘定はできる。

 どう穏便に別れたものかとフレイが考えを巡らせ始めた、そのとき。


「いたぞ! 例の顔写真の男だ!」

「絶対に逃がすな! 回り込んで挟み撃ちにしろ!」

「見ろ、魔族も一緒だぞ!」

「神に背く異端者に鉄槌を下せ!」


 怒鳴り散らす声に振り向けば、自分が入ってきたT字の突き当たりに、親の仇とばかりにこちらを睨む男たちが。

 豪華に装飾された杖と礼服は、神殿武官――通称神官と呼ばれる聖職者の証だ。

 世界の創造主にして人類の守護者だという女神に仕え、神の敵を一切の慈悲なく滅する神の戦士。全てが女神の信徒とされる人類の中でも、随一の信仰心を認められた光の使者。

 彼らがこうも敵意をむき出しにする相手は、この世に二つしかいない。

 一つは、女神が滅すべき邪悪と定めた魔族。


「貴様ら、そこを動くなよ! 抵抗することなく裁きを受けろ!」

「貴方は――」


 今までのやり取りを、最初から神官隊が到着するまでの時間稼ぎとでも思ったのか。

 失望の色濃い少女の声に、しかし応えているだけの余裕はなかった。

 フレイは胸のベルトから投擲用ナイフを引き抜き、綺麗なアンダースローでこちらへ向かってくる神官に目がけ投げつけた。


「死ねやおらああああ!」

「ぬぎゃ!?」


 ナイフは狙い通り足に突き刺さり、一番前の神官を転ばせる。

 倒れた一人目に躓いて後ろの神官も転び、更に後続の神官たちが次々と折り重なっていく。


「こっちだ!」

「ひゃん!?」


 反対側の道は既に塞がれているだろう。

 驚きに目を丸くした少女を片手で抱え、フレイはスイスイと壁をよじ登る。こんな窓枠やら板同士の隙間やらと凹凸の多い壁、山の木々や崖を登るのに比べれば欠伸が出るほど簡単だ。

 屋根を渡って表の通りに着地。しかしすぐに、待機していたらしい神官隊と目が合う。

 二十人はいる、一人を相手にするには明らかに過剰な数に冷や汗が頬を伝った。


「異端者だ! 捕まえろ!」

「抵抗するなら射殺して構わん! 撃て撃て撃てええええ!」


 血走った目で神官たちが、杖をこちらに向けてくる。

 魔法の杖と呼ぶには、「エスエフ」作品に出てきそうな近未来的デザインをした錫杖。

 銃口に似た十字の先端から、実際に弾丸が飛び出す。直線的な図形で構成された魔法陣が展開され、光の弾丸がフレイと少女に襲いかかった。


「おわああああ!?」


 光弾が耳元をかすめてヒュンヒュンと鳴る音に血の気が引いた。

 それでも少女を自分で隠すように強く抱え直し、フレイは町の外へと一目散に走り出す。

 日頃から人気のない通りだが、町の住人たちが我関せずと家に引きこもったため、神官隊と自分たちを遮るものはなにもない。

 しかも神官隊のうち数人が、円盤状の物体に乗って宙に浮かび上がった。

 それを見たフレイは、思わず目を剥いて絶叫する。


「携帯型の飛行魔導機って、王都の宮廷神官隊かよ!? 神殿の連中、本気出しすぎだろうが!」

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