一章:運命という筋書きを書き変えるように

第01話:しかし少年は未だ俯いてばかり


 誰もが自分という物語の主人公だ――一体誰の口にした台詞だったか。

 その言葉はきっと半分正しいのだろうが、半分は間違っていると思う。

 誰しも所詮は他人の物語の脇役だ――こうも言えるのではあるまいか。

 物語に主役と脇役が存在する以上、脇役の座に収まる人間は必ず出てくる。

 主役が八面六臂の活躍を見せる画面の隅っこで屍を晒す、名前も出てこないその他大勢。

 自分が「そちら側」でないという保証を誰がしてくれるだろう?

 両者を分けるのは環境、運、才能、努力、人格、エトセトラエトセトラ。

 多かれ少なかれ。大きかれ小さかれ。良かれ悪しかれ。

 主役の座を勝ち取るのは、往々にして持たざる者より持つ者だ。

 だから――


「金がねえ……」


 所持金すら雀の涙という自分は、生まれ変わったところで主役の器ではないのだろう。

 路地裏に蹲ってどんより曇天を頭上に漂わせながら、そうフレイ=ドルギエルは結論付けた。

 切れ長の青眼と、八重歯がやけに目立つ口元が特徴の、そこそこ整った精悍な顔立ち。だがいかんせん表情が覇気に欠けているため、初見だと頼りない印象をまず受ける。乱雑に切られたボサボサの黒髪も大いにマイナスだ。

 皮製のレザーアーマーを身につけ、両手足に金属製の防具。それと袈裟懸けに巻いたベルトには、心臓を守るように大振りの鉈とダガーが一つずつ、投擲もできるナイフが三本収納されていた。マントを羽織った背に片手半剣バスタードソード、さらにその上から盾を背負う。これでも一応騎士のだが、傭兵の方が余程しっくりくる完全装備だ。

 またフレイの傍らには、食料調理器具その他諸々の入った荷物袋もある。このような装備で一人旅をしている事実こそが、彼が見かけ通りの子供でないことを雄弁に物語っていた。

 ――特に女神歴八三〇年を迎えた今のご時世、場所がグレートヴィナス島北部、人間領の辺境であるから尚更に。


「マジで金がねえ……」


 しかし今のフレイは平時に増して覇気がない。鬱々とした暗いオーラを纏い、それこそ物乞いと並んで座っても違和感がなさそうなほどだ。

 その手には銅貨一枚と金属の大粒が三個。これがフレイの全財産だった。

 財布を盗まれたとか、脅し取られたわけではない。

 単純に、現在失業中で所持金が尽きたのだ。

 なぜ職を失ったのか問われれば、不幸な事故だったのだと断固主張したい。


「ちくしょう。これも全部、あのクズ勇者のせいだ。いっそ高慢ちきな鼻も物理的にへし折れたらよかったのに、無駄に頑丈なヤツめ」


 不幸にも、勇者を顔面グーで殴り飛ばして失業しただけなのだと。


「いや、そりゃ中学生相手に、俺も大人気なかったかもだけどさ。でもアレは駄目だろ。あいつクズ野郎にも程があるだろ。DQNも真っ青だよ。なまじチート持ってるせいで、理性とか良心のブレーキぶっ壊れてる感じだし。誰かがぶん殴って止めないといけなかっただろ。ああでも、それはそれとして、これからどうしよう。こっちの世界じゃ百円ショップも漫画喫茶もないしなあ」


 グチグチ呟く中に混じる、島の住人には学者でも理解不能な単語の数々。

 そして「こっちの世界」などという言い回しからもわかるように、この少年フレイ=ドルギエルは普通の人間ではない。

 グレートヴィナス島どころか、こちらの世界のどこにも存在しない場所。異なる世界の島国からこちらの世界へ、前世の記憶をそのままに生まれ変わった――言わば『異世界転生者』とでも呼ぶべき類の存在なのだ。

 なにがどうしてこうなったのか。始まりの始まりから、順を追ってフレイは思い返す。




 まだ地球という惑星、日本という島国で、漢字五文字の名前を持つ少年だった頃のこと。

 どこにでもいる……というのは若干語弊があるものの、概ね平凡な一般人だったと思う。

 世の大多数と同じく退屈で平穏な少年の日常は、驚くほど呆気なく崩壊した。

 さしたる予感も前兆もなかった、携帯充電器を大量に買い込んだコンビニ帰り。

 突然強い風が顔を撫でたかと思うと、少年の身体はそのまま宙に投げ出された。

 天地がグルグル回転し、まるで洗濯機に放り込まれたような心地の中、少年は見る。

 瓦礫や自動車や人間を巻き上げる、自然発生したものとは思えない電を帯びた竜巻。

 その竜巻ごと全てを呑み込んでいく、空に開いた巨大な穴を。




 そして気づくとそこは豪奢な王宮で、王様から勇者として魔王を倒してくれと頼まれる……巷で流行りの小説なら、大方そういう展開になったのだろう。しかし残念ながら、フレイは物語の主人公ではなかった。

 というか、どうも主人公の巻き添えをくらった挙句、フレイは死んだらしいのだ。

 人間領最大の国家、マーデガイン王国が行った《勇者召喚》。

 世界の壁を超えて選ばれし者を招く。その大魔法は、しかし相手を周囲数キロメートルの人や物ごとまとめて転移させるという、酷く大雑把で乱暴な代物だった。

 結果、召喚の巻き添えになった本命以外の人間は全員死亡。

 犠牲者の一人であるフレイはなんの因果か、前世の記憶を持ったままこちらに転生したのだ。それも何故か、勇者が召喚されるより十年以上も過去の時代に。


 まさに『なにを言っているかわからないと思うが俺も』というヤツだ。都合よく説明してくれる、神様や世界の声的ななにかも一向に現れない。ついでに言えばこの手の話の主人公によくある、異世界転生の特典的な反則能力も与えられた様子がない。

 ともかく名もない村で生まれ育ったフレイは、なんやかんやあって村にいられなくなった。

 村から三日で行き倒れたところを「師匠」に拾われて剣を学び、独り立ちしてからは野盗退治や用心棒で日銭を稼ぐ日々。自分が勇者召喚の巻き添えで命を落とし、異世界転生するに至った経緯を風の噂で知ったのもこの頃だ。


 そして山賊退治で偶然出会ったある貴族に、騎士見習いとして拾われたのが人生の転機。

 ファンタジーに於いてもメジャーな職業の騎士。しかしこちらの世界では基本、貴族や領主だけに与えられる名誉称号だ。とはいえ平民でも貴族の従卒となって武功を重ねれば、実績次第で騎士となって貴族の仲間入りも夢ではない。

 貴族の下で働くこと一年、フレイは異例のスピードで騎士の称号を授かり、なんと勇者の御供という大任を任されることになる。

 トントン拍子の出世にも程があり、却って胡散臭いものを感じたが、案の定この大抜擢には裏があった。


 早い話、件の勇者がとんだクズだったのだ。

 常に他人を見下し、仲間は使い捨ての道具同然。なまじ力が強大なだけ始末に終えない。

 そんな勇者の御供に、同年代という理由だけで息子を差し出すよう命じられた貴族は、息子の身代わりとするために同じ年頃のフレイを拾ったわけだ。

 しかし、フレイには致命的な欠点があった。

 抑圧の多かった前世の反動か、それは生来の癇癪持ち。

 なにかとすぐ頭に血が昇り、「ブツン」すると気づけば拳が飛び出す悪癖である。

 これが招いた余計なトラブルは数知れず、持病のようなものと改善はとうに諦めた。

 結果、今回も一ヶ月と持たず勇者を殴り飛ばし、やってられるかとそのまま任務を放棄。

 辺境で一番大きな町から三つほど町を移動したところで、所持金を使い果たしてしまい現在に至る次第だ。




「ま、あのクズ勇者についてはもういいや。二度と会わないし会いたくもないし」


 煤けた表情から一転、ケロッとした顔で立ち上がるフレイ。

 正直なところ、勇者を殴り飛ばしたこと自体にこれといって後悔も反省もなかった。

 あのまま勇者の蛮行を見逃す選択肢はなかったし、日頃の鬱憤があったので非常にスカッとした。元旦の朝に新品のパンツを履いたくらい爽やかな気分になれたものだ。

 開き直ったところで、財布に秋風が吹いている現実に変わりはなないが。


(それより金だよ、金。クズ勇者のヤツ、俺に荷物を全部丸投げしたくせに、王国からの支援金だけは自分の懐に収めていやがったからなあ。使い走りで持たされた金から、少しずつくすねた金も尽きた。一三〇ゴルドぽっちじゃ、宿はおろか晩飯にもありつけないぞ)


 何度数え直しても一枚と三個だけの所持金に、フレイは何度目かのため息を繰り返す。

 銅貨と別にあるこの金属粒は「豆金」と言って、こちらの世界に於ける最小単位の通貨だ。

 値は個数でなく重量で換算。食うに困った兵士は、質屋でも買い取ってもらえない武器を潰して豆金に換えたりするものだ。ちなみにゴルドがお金の単位である。


「どうするかな。こんな時間じゃ、即座に金が入る仕事なんてな……」


 伸びをしつつ見上げれば、目に映るのは月も雲で隠れた真っ暗な夜空。

 目を凝らしてようやく一つ二つ見つかる数の星々は地球の都会とまるで大差ない。

 これなら幼い頃、田舎の山で祖父と眺めた星空の方が……そこまで考えて、フレイはかぶりを振る。どうあっても決して戻れない過去を懐かしんで、なんになるというのか。

 見ていて憂鬱になるだけの夜空から視線を逸らし、目を閉じる。

 と、視界が失せた分鋭敏になった聴覚が、なにやら言い争う声を拾い上げた。

 現在フレイがいる場所は、大きな建物に小さな建物二つが隣接してできた、T字状の路地裏。声がするのは小さな建物同士の間、フレイから見て曲がり角の先からだ。

 角から頭を半分出して覗き込むと、そこには口論する男女が。


「ちょっと! いい加減にしないと――」

「うるせえ! とっとと出すもの出さなきゃブスリといくぞ、コラァ!?」


 どうやら口論というか、恐喝現場だったようだ。

 この辺りでは見慣れない、民族衣装のような恰好をした女性に、誰が見ても小悪党とわかる強面の男がナイフを突きつけている。辺境では若い男衆が強制労働に駆り出されているため、内地から落ち延びたこういう手合いが幅を利かせているのだ。

 やせ細った女子供や老人など相手にならないし、皆自分のことで精一杯で、他人を助ける余裕も気概もない。そういった無関心さは、王都でも似たようなものだが。


(痴情のもつれ、ってオチはなさそうか。ナイフの見せびらかし方が、明らかに脅し慣れしていやがる。常習犯みたいだが、戦闘については完全に素人だな。少なくとも、本気で人を殺した経験はまずない。ここらの貧しい住人相手なら、ハッタリで十分金を巻き上げられるか)


 一度頭を引っ込めたフレイは、男が自分の手に負える相手か冷静に分析する。

 生憎と見ず知らずの他人を助けるべく考えなしに飛び出せるほど、自分は熱血漢でも正義漢でもない。むしろ被災地への募金を素通りできるほどの冷血漢だ。それにただでさえ暴発気味な拳を持つ身としては、余計なトラブルに首を突っ込みたくはなかった。

 しかし可能な範囲で、困っている相手に手を差し伸べる程度の偽善も持ち合わせている。

 助けることで得があるなら、尚更の話。


「お助け代、少なくとも晩飯分くらいは期待できるかな」


 上手くいけば一晩泊めてもらえるかも、と打算七割でほくそ笑む。

 主人公補正もインチキ能力もない凡人とはいえ、己の剣だけを頼りに生きてきた身だ。装備がナイフのみのチンピラに遅れは取らない。

 呼吸一つで意識を切り替え、片手半剣に手をかけつつ飛び出した。


「そこまで、だ?」


 さも颯爽と駆けつけたかのごとく見せようとして、しかし目に飛び込んだ光景に、フレイは抜刀しかけた半端な姿勢で固まる。


「あひ、ひぃぃ!」

「おや?」


 いつの間に立場が逆転したのか、男の方が女性に締め上げられていた。

 前世の「マンガ」や「ライトノベル」では割と珍しくない光景だが、リアルファンタジーなこちらの世界でも、実際に拝んだのは初めてだ。

 それだけなら、「異世界だし怪力レディがいても不思議じゃない」程度で済ませただろう。




 ――男の襟元を掴み上げる女性の右腕が、人ならざる異形のモノになっていなければ。

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