俺が暗黒騎士に転職して人外嫁と結婚するまでの話

夜宮鋭次朗

序章:悪趣味な脚本を引き裂くように

第00話:勇者の冒険はここで終わる


 その騎士には牙が、爪が、角が、尾が、翼が、鱗があった。

 人と呼ぶには余りにも禍々しく、獣と呼ぶには余りにも高潔で。

 闇より暗き漆黒を纏うそれは、まさしく暗黒の騎士だった。




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 少年は誰もが夢見る物語への切符を手にし、その主人公となる――はずであった。

 美しき女神に誘われた異世界。人類を脅かす闇の勢力。邪悪な異形の怪物たち。

 目覚める力は選ばれし者の証。頼れる仲間たちと共に繰り広げる冒険の数々。

 そして華々しい活躍を飾り、称賛と祝福と美女に囲まれた、歴史に名を刻む英雄に……



「――そんな手前勝手な世迷言がまかり通ると思ったら、大間違いだ」



 ここは民も戦火の記憶を忘れ去って久しい、森の深奥に座する古城。

 壁や床には亀裂が走り、調度品は時の流れで劣化し、全てが灰色に色褪せた玉座の間。

 物語の大詰めに相応しい月下の舞台で繰り広げられた善と悪の戦いは、しかし物語にあるまじき決着を迎えていた。


「なんだ? その顔は。まさか『正義は必ず勝つ』などという言葉を本気で信じていたのか? お笑い草だな」


 敗者を傲然と見下ろすのは、人類最大の裏切り者《暗黒騎士》。

 人間でありながら魔族に与する背徳者。闇の力に魂を売り渡し、騎士鎧までも真っ黒に薄汚れた大罪人。勇者たちの行く手を幾度となく阻んできた、不倶戴天の宿敵だ。

 三本の尖角を生やした龍の兜。その悪鬼が如き面貌には、紫電の眼が輝く。


「あ、あ、ああ……」


 問いかけに応じず、ただ蒼白の顔を引きつらせる《勇者》。

 邪悪な魔族から世界を救うべく女神が遣わした、不朽の肉体と不滅の魂を持つ光の使徒。

 勝利と栄光を約束されたはずの主人公は、しかし今敗者として膝を屈していた。

 斬れぬものなしと豪語していた聖剣は、柄まで粉々に砕けてガラス片同然の有様。

 仲間も無残な屍を晒している。

 戦士は胴から真っ二つにされ、魔法使いはドロドロに溶けて原形も留めていない。

 僧侶に至っては日頃からの酷使に次ぐ酷使の末、生命力まで使い潰されてミイラ化していた。

 敗北。奇跡も逆転劇もない完膚なきまでの敗北。

 戦いと呼べたのかさえ怪しい。圧倒的な力による一方的な蹂躙だった。

 握る剣も支える仲間もなく、地面にへたり込んだまま、勇者は金切り声で喚き散らす。


「なんだよ、これ。ありえない。おかしいだろ。俺は、俺は勇者だ! 主人公なんだぞ! それなのに、それなのにこんな……。バグだ! バグだろ、こんなの! やり直し! やり直しだ! くそ、リセット! どこだよ、リセットボタンは!」


 こちらの世界の住人には理解できない単語を口走りながら、勇者の視線は逃げ場を求めて彷徨う。

 その無様を無感情に見つめながら、刃まで黒い剣を手に暗黒騎士が歩み寄る。

 天井が落ちてくるかと錯覚するほどの重圧に、勇者は腰を抜かした。それでも表情筋を総動員して、気丈な笑みを取り繕う。


「い、いい気になるなよ! 俺が負けたのは、パーティーがクソ過ぎて俺の足を引っ張ったからだ! もしくはただのレベル不足だ! 俺は何一つお前に劣ってなんかいない! いいか、お前なんかには言ったところで理解できないだろうけどな! たとえ俺が死んでも」


「『』か?」


「え?」


 なぜそれを知っている、という顔で勇者は目を瞬かせる。


「な、なんで。まさかお前も――」

「知る必要はない。貴様はここで死ぬのだから」




 ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!




 暗黒騎士が哭いた。

 否、暗黒騎士の身に纏う、漆黒の鎧が哭いていた。

 地獄から轟くような叫びに呼応して、鎧は炎を纏う。

 赤より赤い血色の赫と、夜の暗がりをも塗り潰す闇色の黒。

 二色が絡み合って燃える赫黒の獄炎は、鎧から剣へと集約される。

 そして霞むほどの速度で放たれた剣閃が、勇者ごと世界を両断した。

 比喩ではなく、空間そのものに一筋の線が走る。そこから天井が、床が、壁が、勇者の身体が、絵画を切り裂いたかのようにまとめて斜めにずれた。真っ黒に口を開けた己の断面を、勇者は左右の眼球で互いに凝視する。

 直後、勇者を除く全てが元通りに修復された。天井も床も壁も繋いだ跡一つ残らない、まるで錯覚だったとでも言いたげなほどに。

 しかし錯覚でない証拠に、勇者は二つに分断されたまま。

 奇怪にも未だ絶命していないその身体が、突如として発火する。


「あ、が、ああああああああ!?」


 正中線をやや傾いて走る切り口に、赫黒の炎が燃え上がる。

 さらに獄炎から、黒い手が這い出した。煙のようでいて確かな実体を持つそれは、次々と数を増やして勇者の身体を掴む。

 その腕の向こうになにを見たのか、勇者は恐怖と絶望に彩られた顔で泣き叫んだ。


「嫌だ! 来るな、来るな! 俺は悪くないぞ! 俺はなにも悪くなんか……ひぎぃ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 許して! やめで! 死にだぐない! たずげ、たず――あぎっ、ぎぃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 何本もの黒い手が、勇者の身体をバラバラに引き裂く。

 肉片一つ一つで断末魔を上げながら、勇者は血と闇の業火に呑み込まれた。


「…………」


 暗黒騎士が鋭い牙の並んだ顎を開くと、獄炎が勢いよくその口中へと吸い寄せられる。

 火の粉も残さず飲み干し、暗黒騎士は死臭漂う玉座の間に一人佇んだ。

 天井の大きな亀裂から覗く夜空には、罪人を串刺しにするためのように尖った三日月。それを見上げる双眸の奥には静かな輝きが秘められ、勇者一行を惨殺した悪役とは思えない、気高さにすら似た風格を佇まいに漂わせていた。



 ――オオオオオオオオ。



 あたかもその矛盾を咎めるかのように、鎧がざわめく。

【憎め】【怒れ】【邪悪に全てを委ねよ】【目に映る全てを破壊しろ】

 そう駆り立てる声が、星の光をも引きずり込む暗黒の渦が如し強さで響く。

 しかし、暗黒騎士は毅然とした態度で闇よりの誘惑を退けた。


「悪いな。戦う理由を、お前たちに丸投げするつもりはないんだ。俺は他の誰でもない、俺の意志で戦う。それに――可愛い嫁さんが俺の帰りを待ってるからな。世界はぶっ壊したいけど、嫁さんとイチャイチャすることの方が俺は大事だ」


 禍々しき異形の姿に、あまりにも不釣り合いな台詞。

 やはり悪役には似つかわしくない穏やかな声は、誰の耳にも届くことなく優しい夜風に溶けていった。

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