レース開始
「さあさあさあ! ついに始まりました。大きな出遅れはなく直線コースを走ります。やはり群を抜いて早い! デビット選手出た! 大きくでた! そして二番手はハンプ選手。そしてその後ろランド選手、ロック選手と続きます。さぁ全八匹、第一コーナーを右に曲がります」
司会者は仁王立ち状態のまま、コースの中央部で豚たちを目で追いながら、マイクを強く握り締め、興奮した声で実況を始める。
「やはり早い! デビット選手、第一コーナーを曲がり直線ぶっちぎりで走る! その二豚身あとをハンプ選手、ランド選手と続きます。そして二番人気のピンキー選手は、最後方からのスタートとなりました」
デビットがちらりと後ろを見ると、司会者の実況通り、ピンキーは八匹中、八位。つまり一番後ろで走っていた。あのポークより後ろのビリッケツである。
「へっへ! あのピンキーとかいう、いけ好かない豚野郎。偉そうな口を叩いておきながら大したことないじゃねぇか。最後尾かよ。やっぱり優勝はこのデビット様のようだな」
先頭を走りながらも、鼻をクイッとさせて声を張り上げたデビットは、その重厚な身体からは全く想像も出来ない敏速な動きで、瞬く間に後ろの豚たちと差をつけていく。
「さぁ一周目、最終コーナーに差し掛かりました。依然先頭は一番人気、イーストン家のデビット。身体に似つかわしくないこの速さ! さすがは名門イーストン家だ!」
強靭な脚力が地面を踏みつける度に、足元の土埃が舞い散る。
「さてピンキーはどこにいる! 去年惜しくも優勝を逃した二番人気のピンキーは――なんと、最後方から四番手に上がっている! 一体なにがあったのか! 前回も見せたピンキーの追い上げ! やはりすごい! すごいぞピンキー!」
ヒートアップした司会者の実況を聞くなり、デビットが再び後方を見やると、なんと最後方にいたはずのピンキーが、目視出来る距離にまで迫っていた。距離にして七豚身後ろ、順位にして四位。驚くべき追い上げである。
「アイツ、あの状況から追い上げてきやがった。あんな細い身体でどんな脚力してやがんだ」
デビットは若干焦りながらもトップのまま二周目の第一コーナーに差し掛かっていた。
しかし着実に、その脚力は落ちていた。
鍛え抜かれた四肢は驚異的な瞬発力を生むが、豊満な腹肉のせいで持久力が持たない。これこそがデビットの走りにおける唯一にして、重大な欠点だった。
「……はぁ……っ……ふぅっ……ふぅっ……」
二周目、第四コーナー後の直線コース。誰が見ても明らかにデビットのスピードは落ちていた。
苦悶の表情を浮かべ、額に浮き出た汗は眉間を伝い、フゴフゴと荒く息をする鼻を伝い、顎の先端から雫となり地面に落ちる。
「おおっと、これはどうしたことか。デビット選手の速度が明らかに落ちてきています。それに対するピンキー選手はというと……デビット選手のすぐ後ろまで迫っています!」
デビットは無意識だった。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながらも、無意識に短い首を左後方に曲げ、そして驚愕した。
ピンキーは文字通り、目と鼻の先に迫っていた。あの涼しげな表情を崩すことなく、デビットの真横につく。真っ直ぐ前を見据えながら、ピンキーは口を開く。
「……イーストン家の力はそんなものなのか?」
がっかりしたとも言いたげにそれだけを言い残し、デビットをひと目見ることもなく、軽々とした足取りで――
「抜いたーっ! ピンキー選手、最後方からの追い上げをものともせず、軽快な足運びでデビット選手を抜き、トップへ躍り出たーっ!」
余力を残した顔をして、ピンキーは易々と三周目、つまり最後の周の第一コーナーをトップで駆け抜ける。
そんなピンキーに反して、抜かれたデビットはというと……抜かれたショックからか、魂を抜かれたかのようにその場に立ち尽くしてしまっていた。
完全停止。抜け殻状態のデビットを次々と追い抜いていくのはハンプ、ランド、ロック、メイの四匹。そしてその三豚身あとをヨウクが追いかけるように抜いていく。
最後尾にいた我らが主豚公、ポークも続いて追い抜こうとすると、呻くような声をデビットが洩らした。
「……は…………者だ……」
「ブヒ?」
短い首を傾げるポークだったが、次の瞬間、耳に届いたデビットの
「グゥオオオオオオオ」
七位まで落ちたデビットは突然、猛獣のような唸り声を上げた。
眉間に皺を寄せ、血走らせた目を赤く光らせ、顎が外れそうなほど開けた口からは夥しい量の涎が垂れ落ちていた。
「イーストン家は……絶対王者だ……」
デビットは既に限界を超えていたはずだった。
しかしピンキーの一言はデビットの脳内を駆け巡り、彼を狂わせた。
歴代優勝者の家系であるイーストン家は絶対的な王者。その王者を、その王の家系である自分を侮蔑する言葉で彼の精神は、崩壊した。
瞬間、デビットの爆発的な脚力が地を蹴る。鈍い音を立てた地面が抉られ、重戦車のような肉の塊が――跳躍した。それは生命を賭した最期の力であった。
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