厩舎にて 2
人工芝生が敷き詰められたドーム状の建物の中央で一人の人間が大声で何か喋り、数百人もの人間たちが、すし詰めになって盛り上がりを見せている。
ポークには声しか聞こえていなかったが、その緊張感と高揚感は誰よりも感じているようで、股の部分をこれでもかというくらいに滾らせていた。
「あぁっ。オイラも早くあの緊張感を味わいたいブヒっ」
毎朝食べる亜鉛入りの特製牧草のおかげだろうか、服の上からでも分かるほどに股間が盛り上がっている。
「おい、キング。よだれ垂らしながら、おっ勃ててんじゃねーよ」
突如、ポークの目の前に黒い影が現れる。
「優勝を勝ち取るのは一番人気のこのオレ、デビット様なんだからな。オマエみたいな落ちこぼれは目障りなんだよ」
鉛のような豊満で黒い身体をした濁声のデビットが黄色いサングラスを光らせながら鼻を鳴らした。
デビットはポークより一歳上。例えるならば、彼ら二匹の関係は文化系の後輩とそれをいびる体育会系の怖い先輩のような関係である。
ちなみにキングというのはポークのあだ名で、由来は養豚場時代、あまりに遅すぎていつもビリッケツだった為に皮肉を込めてキングと呼ばれた事が始まりらしい。しかし、本人は割と気に入っていたりする。このレースでビリッケツになる事は死を意味する。つまり彼は優勝し、本当のキングになる事を本気で夢見ているのだ。
だからポークは言い返した。怖くて怖くてたまらないが、勇気を振り絞り、デビットに
「や、やってみないと、分からないブヒ! 初レースで優勝して高級飼料をたらふく食べるんだブヒ!」
しかしデビットはその表情を変えることなく、ポークの方へ躙り寄ると、いつも以上に鼻をヒクヒクとさせ、嗤った。
「キングぅ? オマエは優勝どころか最下位になって食肉行き確定に決まってるだろう? 身の程を――」
「……その辺にしておきなよ。レースは何が起こるか分からない」
デビットの左後方から現れたのは、額に月のような形の傷がついている真っ白な毛並みをした細身の豚である。
デビットが眉間にシワをよせながら振り返ると、その豚は一呼吸おいてから続けて言った。
「歴代の優勝者の家系か何か知らないけど、君にそれだけの実力があるとは到底思えないね」
「……なんだと?」
威圧感たっぷりのオーラを放つデビットに恐れおののくポークだったが、純白の豚は全く物怖じしていない。
「デビット君だっけ? あまり自惚れない方がいいんじゃないかな? 負けた時に恥をかくのは嫌だろう?」
「お前こそ、誰だか知らねぇが調子に乗るなよ。盛大に恥をかかせてやるからな」
ピリピリとした雰囲気を一瞬で打ち砕く歓声が上がったのはその時だった。
「紳士、淑女の皆様! 大変お待たせ致しました。澄み切った青空が広がる、ここ競豚場マシゴカから私、司会のアントニオがお送りいたします」
ひときわ大きな人間たちの歓声がまたも上がる。すると同時に、固く閉ざされていた鉄製の扉が勢いよく、外側へと開け放たれた。
「まず紹介するのは、いわずとしれた一番人気、歴代優勝者イーストン家のデビット選手! 鉛のような身体からは想像もできない、その瞬発力に期待です!」
「おおっと、司会者様がお呼びだぜ。じゃあな、落ちこぼれ。もう二度と会うことはないだろうな」
デビットは鼻をクイッとさせると、頭を振り、黄色いサングラスを床に捨て、ポークらを押しのけてドアの向こう側へと飛び出した。
デビットが厩舎から出た途端、堰を切ったように大勢の観客たちが一斉に叫び出す。
「へっへ。俺様の人気はさすがといったところか。今年は俺様が優勝を頂くぜ」
鳴り止まない喝采を聞きながら、デビットはスタート地点へと向かい、客席へ軽く会釈をする。
「続いて二番人気は去年の二位、ピンキー。細身の体だがスタミナには自信あり、今回こそはピグキングレース優勝を狙います」
その声を聞くや否や、純白の毛並みをした一匹の豚もデビットと同じ扉をくぐった。
ふとポークがその白豚の腰回りの布を流し見ると『ピグキング二〇〇七年・準優勝』という刺繍がされていた。
デビットに負けず劣らずの喝采を浴びた白豚は凛とした様子でデビットの真横に並ぶ。
「お前が前回二位のピンキーだったとはな。お前の泣きっ面が見てみたくなったぜ」
「……お手柔らかに頼むよ。イーストン家のデビット君」
「フン。潰してやる」
睨み合う二匹の豚を横目に、何かを悟るように司会者は黙って頷いた。
「続きましてハンプ選手、ポーク選手、メイ選手、ランド選手、ロック選手、ヨウク選手……以上の八匹の豚たちで競い合っていただきます」
「よ、よし。オイラも行くブヒ」
ポークを含む残りの六匹も移動を開始し、全ての豚がスタート地点に揃うのを確認して、司会者が一通り喋ると今まで騒がしかった人間たちが一斉に静かになり、名状しがたい緊迫感が辺りを包みこんだ。
「ゴールではたくさんの雌豚がお尻を振って、勝者を今か今かと待ち侘びています。あの可愛いお尻にたどり着けるのは果たして一体どの豚なのか。最後を締めくくるにふさわしい最終レース。まもなく始まります」
司会者が赤旗を振り下ろすと同時に大きな銃声が聞こえ、それに合わせて人間たちの歓声が湧いた。
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