『パン』とペンと剣
「【男は言った。「私のパンをどこに隠した!」部屋に集まっていた人々は皆笑みを隠し切れない。誰かが言う。「寝てしまったあなたが悪いんじゃないですか」「寝てしまったのは、パンから良い匂いがしていたからだ!私ではなくパンが悪い!」別の誰かが笑った。「じゃあその悪いパンが無くなって良かったですね」良い匂いがした。男は皆の帽子に気付いた。「いや、やはり悪いのはパンではなく貴様らだ!」帽子の中に、パンは無かった。皆大笑いした。「僕らが隠し持っているって言うんですか?」「今度は隠されないようにあなたが肌身離さず持っていないといけませんね」男は良い匂いを嗅ぎながら、皆の身体検査、屋敷全体の捜索まで行ったが、結局見つけることは出来なかった。】」
見せるだけでは足りない。言い聞かせる一編さん。
一字一句間違えずに一息で言い切った。
「ああ、それは先日先生が書かれた物じゃないですか。検閲したはずだと認識していますが」
「先日?・・・まあそれも定義は曖昧だから良しとしますか?」
検閲さんは首を傾げる。
「仰っている意味が・・・」
「試すというなら、これこそ検閲さんを試したんだけどねえ。ま、検閲さんはそうだよな」
鼻で笑う一編さん。
「しかしどうして検閲したはずの作品が」
「そっちが不思議か。そりゃ検閲さんが検閲しても無くならねえよ。これは、もうずっと書き続けている物だからな。お前に見せたのはこれで三度目になったな」
「二度ではなく三度・・・?」
「一度目を覚えてねえのは、やっぱりお前が検閲さんだからだ。これは始まりの物語なんだよ。俺とお前の。あの頃は、「先生」じゃなくて「一編さん」だったよな」
「私が先生のことをそんな野蛮な呼び方で呼ぶ訳がありません」
「野蛮て」
一編さんは笑うが、検閲さんは至って真剣である。
「覚えていないものは仕方ありません。とにかく、その『パン』という作品は検閲します。先日も言いましたがこれは食物を粗末にしており、更にいじめ教唆でもあります」
「昔のお前はそんなことは言わなかった」
「覚えていないものは仕方ありません」
「・・・そうかい。じゃあ、この際はっきり言わせてもらう。俺は、今のまま、ショートショートショート作家を続ける気は無い」
沈黙が流れ、検閲さんの眼鏡が光る。
「どういう事です」
「そのショートショートショートってのも定義は曖昧なもんだが、これほど書いてて窮屈なもんはねえや」
「先生はその昔、俺は短いのしか書けないから、と仰っていたように思いますが」
「そーいう事だけは覚えてんのな。昔はそうだとしてもよ、今書きたい物は違うんだよ。もっと新しい事がやりたいんだよ。なのに何だよ。検閲検閲検閲検閲検閲検閲検閲検閲。そんなに俺の自由を、書きたい思いを奪って楽しいか?」
「別に楽しくてやっているわけではありません。私はショートショートショートのパイオニアである先生のことを思って・・・」
「それこそ自由を奪っているんだよ。そんな昔のイメージ押し付けられてさ」
「それだけではありません。先生の作品が規制されては世に出せません。どころか検閲対象の作品ばかり書いていたら先生自身が検閲対象になってしまいます」
「望むところだ。やれるもんならやってみろってんだ。書きたいもんが書けない作家なんてもう、死んでるのと同じだ」
一編さん、書き出す。検閲さん、検閲しようと検閲用短剣を取り出すが一編さんのペンに阻まれる。
一編さんは検閲さんにペンを向けたのだ。
「「ペンは剣より強し」、て言葉があるよな」
一編さんは笑っている。
「・・・先生は間違って覚えているようですね。それは一般的には、「文章で表現される思想は世論を動かし、武力以上に強い力を発揮する」という意味であってペンが剣に物理的に勝てるはず無いじゃないですか」
「それであってるよ。俺の文章は、世論を動かす。「検閲」だなんてお国の権力は俺のペンで刺し殺してやるよ」
検閲さんも笑う。
「それも実は間違いなんですよ。「ペンは剣より強し。されど権はペンより強し」。ああ分かりませんか。後者の「ケン」は権力の権です。権力の元でこそペンは剣より強くなれるのです。いくら先生のペンが強かろうと、権力には勝てませんよ」
「・・・。じゃあ証明してみろよ。そんな短い剣ならペンでも勝てそうだ。お国だけじゃなく検閲さんも刺し殺されたくなかったら、抜いてみろよ、そのロングソード」
「本気でお国に楯突くつもりなら仕方ありません。しかし先生、この剣を抜かずとも、このショートショートソードでも人は殺せるんですよ?」
沈黙。
「それショートショートソードって言うのか。そのネーミングセンスたるやよ」
「もしくは短短剣と読んでも差し支えありません」
「お前らしいなっ!」
一編さん、ペンで突こうとするが短短剣に弾き飛ばされる。
「先生は甘いですね。ペン先をこちらに向けないようでは、先ほどの「刺し殺す」発言が砂糖まみれに甘い言葉になります」
「よく考えたら俺そのペンしか持ってないんだよね。ずっと。一張ペン」
「一張羅みたいに言わないで下さいよ。ならペンを壊せば早かったんですね。しかしもうあなた自身を放っておく訳にはいきません。あなたはお国の敵です。一編先生を、検閲します」
検閲さん、短短剣で突き刺そうとする。一編さん、避ける。攻撃は続き、一編さんは床の紙を拾ってはばら撒き、避け続ける。
「先生。楔形文字の先生。「楔」の意味、覚えてますか?」
「鎖じゃないって事は覚えたよ!」
「私のショートショートソードは楔になるんです。先生を真っ二つに割る為の」
一編さん、避けてすれ違い様に検閲さんのロングソードを抜く。
「ペンは剣より強し。されど権はペンより強し。だけど、剣は権より強し。ってな。分からねえか?剣は権力に勝るってことだ」
「それくらい分かりますよ」
一編さん、剣を振り被ろうとするが、持ち上がらない。どころか剣先が落ちる。
「お、重い・・・」
検閲さんは笑う。
「やはり、先生にロングは荷が重い、とうことです」
一編さん、長剣を捨て紙を拾って舞い上げては逃げるが、机に追い詰められる。
書いてばかりでほとんど運動したことのない一編先生は、もう既に息も絶え絶えである。
「一編先生には、これくらい短い方が良く似合う」
検閲さん、短短剣で突き刺そうとする。
「痛って!」
が、一編さんは紙に足を滑らせて転んでいた。
短短剣は机に突き刺さる。そこには、数枚の紙が。
検閲さん、抜こうとするが抜けない。
「何やってんだよ」
「抜けないんですよ」
「シュールだなぁおい。何だっけ、「楔」には物と物が離れないようにする役割もあるんだっけか」
「何言ってるんですか。ちょっと手伝ってくださいよ」
笑う一編さん。
「意味わかんねえ」
一編さん、起き上がって机に目をやる。
「・・・おいおい。おいおいおい。これ『ひきぬけん』じゃねえか。偶然にしちゃ出来すぎてるな」
楽しそうに笑う。
「先生がここに置きっ放しだったからでしょう」
尚も抜けない。
「あーあーあーあー何枚貫いちゃってんだよほんとに。引抜けなきゃこれ机付きの本じゃねえか。机とショートショートソード付きの本じゃねえか。・・・『ひきぬけん』、『鹿の角』、『父と子』、『馬と貴族』、『くるしたのし』、『殺人小説』、『パン』・・・」
一編さんの顔から笑いが消えた。
「どうしたんです?」
「おもちゃの剣、馬と鹿、戦争、帽子、王子、医者、鍛冶屋・・・」
「はい?」
暫しの沈黙の後、一編さんは急に大声で笑いだした。
「先生、生まれて初めての殺し合いでおかしくなりましたか。ああ、先生は殺す気なんて無かったんでしたっけ」
「ああ、もう殺す気なんて失せたよ、検閲さんも、お国も」
楽しそうに、さぞ楽しそうに笑っている。
「もう少しだけ、検閲さんの検閲に付き合ってやるよ」
検閲さんの眼鏡から光が消え、その奥の眼が見えた。穏やかな瞳だ。
「・・・そうですか。お国の敵で無いのならば、一編先生は検閲対象外です」
「いやー、いやいやにしても確かにこの剣は楔だな。よし、パン食うぞ」
「・・・だから何故そうパンに拘るんです?あの、あのショートショートソード無いと何だかそわそわするんですけど」
二人、言いながらハケる。
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