『ひきぬけん』

並ぶのは、沢山の本棚。その中に並ぶ物は、ほとんど無い。沢山の空白が並ぶ、とでも書けば格好が着くであろうか。

 あるべき読書媒体は棚の一段に一冊あれば良い方だ。あるべきとまではいかないがあっても良い媒体ならば幾つか見受けられる。

 小冊子や、ノートパソコン、皿など、ちらほら。


 一編さんは、机に向かって何やら書いている。白い紙に黒いペンで何やらさらさら書いている。

 検閲さんは、それを上から覗くように見ている。体は微動だにしていないが、眼球だけは、瞳だけは新たに塗りたくられていく黒を下へ上へと追いかける。

 一編さんの容姿に関して特筆すべき所は無いが、検閲さんは腰に長剣を差しており、首には小さな剣を模ったようなものを着けている。


「へぇー。ほぉー」

「気が散るんでやめてもらってもいいかな。はい、出来た」

「出来たなら良いじゃないですか」

 一編さんが書き終えた紙を検閲さんに渡すと、検閲さんは一度読んだ文章を再びじっくりと読み直す。

 口と瞳だけが動くその姿は、一部のみ動くことを許された機械のようであり、「読む」ことと「発する」ことに特化した効率的な動きでもあった。

「そりゃ短いからね」


 一編さんが認めた文章は、手紙にしては長いが、一枚の紙の中に収められている。

 それは、短い物語であった。


『ひきぬけん』

【ある所に王子と世話係が居ました。二人が狩りに出かけていると、途中で石に刺さった剣を見つけました。

 世話係が、「これは伝説の剣ですよ。抜いた者は王になれるんです」と言うや否や、王子は剣を引抜こうとします。

 しかしなかなか抜けないのでお抱えの鍛冶屋(米寿)に頼みましたが、それでも抜けません。

 王子が鍛冶屋に鞭を打つと、冷静だった世話係も怒りました。

「王子なんて抜いた剣が刺さって死んでしまえばいい」。するとどうでしょう。

 森の中から現れた子供が剣を抜いて、王子に刺してしまったではありませんか。

 世話係と鍛冶屋は、次期王様(7ヶ月)と共に楽しく暮らしましたとさ。】


「うーん。これはまずいですね」

 紙を一通り読み直した検閲さんは、顔を顰めている。

「あーまずい?やっぱ7ヶ月の子供が剣抜くのはさすがに無理あるか」

「違います。ぶっ刺して殺してしまっているのが良くありません。これは殺人教唆です。国に害をなす書物です。検閲します」

 検閲さんは、首から提げた短剣を抜いて紙に大きく×印を付けた。剣の先端に赤いインクが付いているのか、印がとても分かり易い。


「あーあーあー検閲さん。もー時間かけて書いた折角の話なのに」

 検閲さんは検閲された紙を、本棚の小冊子の隣にそっと置いた。

「確かにこの物語は『高慢な人をやり込める』という意味の『折角』な話ですが、殺してしまうのは良くない。しかも子供が殺している。もっと言えば王子が米寿の老人に鞭打つのも虐待行為ですからね。検閲対象だらけです」

「あのねえこれは、そんな酷い王子だからやっつけられて当然、それに、子供の方が悪を感じ取って正義の力で成敗することが出来るっていう教訓を含んだ物語なの!って説明させんな!・・・にしても、『折角』ってそんな意味もあったんだな。勉強になった。俺、『わざわざ』って意味しか知らねえわ」

 勉強になった、とは言っているが、一編さんが検閲さんを尊敬しているようには聞こえなかった。

「『折角』とは『角を折る』と書きます。『わざわざ』という意味は、郭泰という偉い人の頭巾の角が雨に濡れて折れ曲がっていたのを見て、郭泰を慕っていた人達が真似をしてわざわざ自分たちの頭巾の角も折った、という故事から由来します」

「へえー。じゃあその、『高慢な人をやり込める』ってのは?」

「五鹿という地域に住む高慢な人たちを論破して負かした人が、『よくぞ鹿の角を折ってくれた』と洒落て褒められたという故事から来ています」

「ふーん。検閲さんはやっぱ物知りだねえ」

 尊敬しているようには聞こえない。

「一編先生がここまで物を知らないとは驚きました」

「だってよ、本買っても検閲さんが『検閲、検閲』ってほとんど切り裂いちゃうんだもんなー。本書くのだって昔の知識に頼ってるところあるんですからね」

 尊敬していない理由は恐らくこの辺りにある。

「仕方ありません。一編先生は世界に名をはせる予定の作家です。そんな先生の名が汚らわしい害本によって汚されるのは避けなければなりません」

「気遣ってくれるのは嬉しいんだけどさ、ちょっと規制厳しすぎやしない?」

「仕方ありません。これはお国が決めている規制ですから」

 検閲さんは眼鏡のずれを直す。窓から入る光。一編さんの目が細くなる。

「だから、そのお国が頭おかしいんじゃないかって事」

「でもそのお国のおかげで一編先生は作家になることが出来たわけです。お国の決めた厳正な審査によって、選ばれたのです」

 恐らく検閲さんは、一編さんのことを尊敬しているのであろう。

「・・・そうですね。はー、じゃあ書き直すか」


 一編さんと検閲さんは、再び机に目を向けてペンと瞳と口を動かす。

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