◎ブラックサンタをやっつけろ。
雪が飛んできた。しかも顔面に。
思わず目を瞑ると、続けて腕、足、お腹に、雪玉が飛んでくる。
――なにごと?
突然のことでリリは混乱していた。
恐る恐る目を開けると、リリから三メートルほど距離を空けたところに、小さな人影が三つあった。
子供だ。リリの見た目よりも若い、十歳にも満たない少年たち。
子供らは、キャッキャと笑い声を上げながら、雪玉をリリに向かって投げてくる。雪玉はすでに子供の傍らに十個以上積み上がっていて、リリは目を細めるとその雪玉をただ受け入れた。
バシッ、バシッ、バッ。
(顔に当たるのはさすがにつらいわね)
「ブラックサンタを、やっつけろー」
「……ブラックサンタ?」
何十年も生きているリリは、その名称には覚えがあった。
赤い服のサンタクロースが良い子のところにプレゼントを届けてくれるのに反して、ブラックサンタは悪い子を懲らしめるために現れる存在だ。
なるほど。
リリは自分の服装を見下ろす。
美し黒髪に、濡れたような黒い瞳。最近は黒いコートを愛用しているから、これで黒い三角帽子でも被れば、ブラックサンタに見えなくもない。
だがリリの見た目は、十四歳の少女だ。サンタといえば年老いた老人のイメージなのに、子供たちは構うことなくリリに雪玉を放ってくる。
雪玉が少なくなれば、三人の子供の内ひとりがせっせっと、雪玉をこさえている。
永遠に途切れそうにない雪玉に、リリはついに倒れた。
わざと、頭から後ろに倒れる形で。
道には厚めの雪のクッションがあるから、大事にはならないし、もし頭を切ってもリリは不老不死だ。死ぬことはない。
「わあ!」
子供たちから歓声が漏れる。
ボフボフボフボフと、足音が近づいてくる。
リリは目をつむっていた。
「やっつけたか?」
「しんだのか?」
「しぶとかったな」
顔を覗き込んでいるのだろうか。
リリはパチッと大きく目を開けると、勢いよく上半身を起こした。
「食べちゃうぞー!」
両手を上げて威嚇すると、少年たちは悲鳴を上げて一目散に逃げていく。
「ふう」
リリはため息をついた。
せっかくのクリスマスなのに、雪まみれになってしまった。
でも子供たちは散り散りに逃げて行ったし、これでもうちょっかいを掛けてくることはないだろう。
(それにしても、あたしがブラックサンタ、ね)
十二月二十五日。クリスマス。
ここは毎年雪が降る地域なのだろう。厚めの雪にしっかり足をつけて歩いている人々が傍を横切っていく。
腰を下ろしているリリを不審そうに見るものの、ほとんどの人が素知らぬ顔で通り過ぎていく。
(なんだか冷たいところね。あたしも人のことは言えないけれど)
クリスマスは大切な家族や恋人など、愛する人と過ごす大切な日だ。
だけどリリには、家族も恋人もいない。当然愛する人もいない。昔は血の繋がっていない老婆と暮らしていたこともあったけれど、老婆が亡くなってからはずっと旅をしている。ちょっとした出会いや別れを幾多も経験したが、それでももう何年も、いや何十年、何百年かもしれない。気が遠くなりそうなほど長い間、クリスマスはひとりで過ごしてきた。
(さて、そろそろ宿にもどりましょうか)
そう重い腰を上げたところで、目の前にひとりの少年が立っていることに気づいた。
さっきの三人組のひとりかとも思ったが、彼はもじもじと、じっとリリの顔を見上げている。
「どうしたの?」
そう問いかけると、少年はビクッとして、でもリリの目を見て言った。
「あの、お姉ちゃんって、ブラックサンタなの?」
「違うわ」
即答すると、少年はなぜか残念そうな顔になった。
「そうなんだ。あいつらを脅かしていたから、てっきりブラックサンタだとおもったのに」
「あら、どうして?」
「だってあいつら、いつもぼくをいじめるんだよ! だからわっるいーいあいつらを、ブラックサンタが懲らしめに来たんだと思ったんだ」
少年は鼻息荒くまくしたてたが、すぐに肩を下ろすと「はあ」とため息を吐いた。
「そうだよね。ブラックサンタって、もっとガタイが良くって怖いおじさんだよね。お姉ちゃんかわいいし、違うよね」
「期待に添えなくって、ごめんなさい」
「ぼくが勝手に勘違いしたんだ。もういいよ。ぼくは良い子だから、サンタさんからプレゼント貰えるし。あいつらはきっと本当のブラックサンタがやっつけてくれるよ!」
「そうね」
あくまでもブラックサンタが存在したらの話だろうが、まだ幼い少年をこれ以上傷つける必要はないだろう。
大人になっていくにつれて、夢を見ない人は増えていく。もしかしたらそのきっかけはサンタを信じなくなったからかもしれない。他の要因かもしれない。でも、不老不死で何年も何百年も生きているリリはそう簡単に子供の夢を壊したくはなかった。
「因果応報って知っているかしら?」
「いんがおうほう? なに、それ?」
「わるいことをしたら、必ず悪い報いを受けることになる。逆もまた然り。良いことをしたら、良いことが訪れるものなのよ。だからきっとあの三人組は、このまま悪いことを重ねていったらそれ相応の罰を受けることになるわ。だからあなたは、これからも良い行いを重ねていくのよ」
少年は考え込むように、目をつむっている。
「よくわからないけど、いいことをしたらサンタさんからたっくさんのプレゼントがもらえるってこと?」
大きく手を広げる少年に、リリはクスっと笑った。
「そうね。きっとサンタさんは、あなたを見ているから」
「わかった! あ、そろそろ暗くなるから、ぼくもう帰るね。お姉ちゃんも家族と過ごすんでしょ。早く帰った方がいいよ」
「……あたしは」
言い淀んでしまい、リリはしまったと口を閉じた。
「どうしたの?」
少年に良い行いを諭した後に、自分が嘘を吐くのは悪いことだろう。
リリは素直に自分のことを話すことにした。
「……あたしは、ひとりで旅をしているの」
「え、そうなの! それはすごい。ぼくも大きくなったら旅をしようかな」
「いろいろな世界を見ると、物や人の見え方も変わってくるからいいものよ」
「……あれ。旅をしているってことは、お姉ちゃん今夜ひとりなの? クリスマスなのに」
「ええ。でも慣れているからいいわよ。あたしはひとりでずっと旅をしてきたのだから」
「でもクリスマスだよ? ひとりはさびしいよ」
「平気よ」
「ならさ、ぼくの家においでよ」
「え?」
少年が真っ直ぐな目をして、リリの黒いコートを引っ張った。
「ちょっと、なにするの?」
「いいからいいから」
グイグイグイグイ引っ張られながら、リリはしっかりと雪を踏みしめて歩く。
少年に引っ張られてやってきたのは、イルミネーションでデコレーションされた庭の、おおきなお家だった。
「ぼくね、お父さんと、お母さんと、それからおばさんと、おじさんと、いとことかと暮らしているの。だから一晩ぐらいひとり増えても、気づかれないよ」
「いくらなんでもバレるわよ」
「それにみんなパーティーが好きだから人が増えると喜ぶかもしれないよ! ちょっとお姉ちゃん、ここで待ってて。ぼく、お父さんに話してくるから!」
呼び止める間もなく、コートの裾から手を離した少年は、家の中に入って行ってしまった。さすがに黙って帰るのももうしわけないので、リリは門の横に立ち止まって、空を見上げた。
白く澄んだ空から、白い雪がパラパラと落ちてくる。まるで黒づくめのリリを白く染め上げようとしているかのように。
(これでは、ブラックサンタじゃなくって、ホワイトサンタかしら。なんちゃって)
「あら、お客さんかしら」
少年が戻ってくるより先に、ひとりの女性に声を掛けられた。目元がどことなく先程の少年と似ているので、もしかしたら彼の母親なのかもしれない。
お辞儀をすると、女性は微笑んで、「どちらさま?」と訪ねた。
なんて答えればいいのだろうか。少年の名前も訊いていないのに、友達と答えるのは変だろう。
悩んでいると、玄関から少年が飛び出してきた。
「あ、お母さん! その人、ぼくの友達。今日のパーティーに招待したんだ!」
少年の言葉に、少年の母親の顔がぱあっと輝いた。
「あら、そうなのそうなの。それならあなた、もっとおめかししなくっちゃね。雪でぬれているみたいだし、先にお風呂で温まったほうがいいわよ。せっかく綺麗な顔をしているんだから、きっとあの服が似合うわ」
「あの、あたしはこれで」
どうにかして断ろうとするが、腕を引っ張る母親の力は少年よりも強い。なによりも弾丸のように飛んでくる言葉に、口を挟む隙がない。
「さあさあ、はやくはやく。どうぞどうぞ、あがってくださいな」
「……はあ」
ため息を吐き、リリはとうとう観念した。
「ではおじゃまします」
玄関を潜ると、外とは違って家の中はとても温かった。宿も温かいけれど、それとは違う温かさがする。
それはもしかしたら、家族の温もりというものなのかもしれない。
(なんちゃって)
今年も、ひとりでクリスマスを過ごすものだと思っていた。
だけどたまには、こうして大人数で過ごすのも悪くないかもしれない。
(少しうるさそうだけれど、せっかくだから行為に甘えましょう)
真夜中までガヤガヤとうるさい大きな家の中は、翌日目を覚ました後も、少し温かかった。
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