第二部

◎プロローグ(または新しい旅の友)

 その日は、雪が降っていた。

 この町では珍しい雪は、ぽつぽつと、少年の着ているコートに落ちて、染みるように消えて行く。

 この雪はすぐ止むだろう。この町での雪は珍しい。あの町の雪とちがって、足跡を残せるほど積もることはない。


「暇だなぁ」


 五年近く、少年はひとりで旅をしていた。

 こんなことをいえば、少年の容貌を見たものは驚くだろう。または「かわいそうに」と自分のことのように涙を流すかもしれない。もし何も知らない他人が少年の言葉を信じるならば、彼はまだ十歳にもならない頃からひとりで旅をしていることになってしまう。実際は違うのだが、さすがにまだ年端も行かない子供がひとりで旅をするというのは、傍目からはちょっとした悲劇として映ってしまうのかもしれない。


 少年の見た目から、年齢は十四歳ぐらいだと窺える。

 少なくとも、少年はそう偽っていた。

 だけど実際の年齢は、少年の知るところではなかった。

 彼は、気づいたら不老不死の体で、この世界を彷徨っていたのだから。

 彷徨って、偽って、その果てに旅をしている。


 彼の旅の目的は、ある日を境に明確な意味を持ち始めた。

 それまで何となく、気まぐれに、目の前に傷ついている人がいれば手を差し伸べていた。そうすることにより、少しでもやさしさを与えられればと思っていた。

 それがいいことだったのか、どうなのか、いまでもわかっていない。


 けれど、彼は、五年ほど前のクリスマスに、ある少女との別れを経験してから、本当の意味で人にやさしく生きる道を選ぶことにした。ただの上辺だけではなく、もっと本質的に、「やさしさ」をいろんな人に与えて、同じ時間を生きていく。

 そうすれば、もう百年以上前にしでかしてしまったことの、贖罪にもなるのだろうと、いまでも考えている。

 偽善者だと馬鹿にされようが、少年の心意気が変わることはこれからもないだろう。

 それほどまでに、あの少女との出会いと別れは、不老不死という長い人生の彼の中に、深く根付いている。


「暇だなぁ。でもいつまでもひまひま言っていても仕方ないし、そろそろ別の町にでも行くとするかな」


 よっこらせ、と立ち上がる。

 すると、近くの青年と目が合った。いや、顔立ちと服装から若く見えるだけで、実際は「青年」と表すよりも上の年齢なのかもしれない。

 ――それにしても黒い。

 少年は思わずしげしげと見た。

 青年の肌の色は、真っ黒だった。褐色を通り越して、黒。

 しかも青年の服装は、この寒い日には不相応な、白い半袖一枚。その恰好では風邪をひいてしまうだろう。頭にはなぜか白いタオルを巻いている。


 青年は、じっと少年を見ていた。だから少年も微笑み返す。

 少年の視線にやっと気づいたとでもいうように、青年が近づいてくる。


「なあ、アンタ。もしかして、お姉ちゃんいる?」

「え?」


 少年は首を傾げる。

 少年は気がついたら独りだった。家族がいた覚えはない。


「いないよ」

「そ、そうか。いや。実は探している女の子に面影が似ている気がしてな。いきなりすまんかった」

「女の子?」

「ああ。リリっと言って、黒髪に黒い瞳の、美しい少女だったんだ」

「だった?」

「その女の子と会ったのは、まだオレが十四の頃だったから、十年近く前かなぁ。ほんの一日一緒にいただけなんだけど、オレはあの日、いつか旅に出てその女の子を探しだすって決めたんだぜ」

「つまり、その女の子も旅をしているのかな?」

「うん。そういうこと。リリはきっと、いまでも旅を続けていると思うぜ。だからオレもやっと町から出る決意ができたから、旅をはじめたんだ」


 青年の瞳は、真っ直ぐどこかを見つめているように見えた。

 微笑ましくなり、少年は柔らかな笑みを浮かべる。


「会えるといいね、その女の子と。いや、十年前と言うと、女の子も大人になっているのかな」


 自分は成長することはないから、少し羨ましく思う。

 少年の言葉に、青年は頷いた。


「ああ。絶対に、美人なっていると思う!」


 うしし、とまるで子供のように、無邪気に青年は笑う。

 少年は今度こそ歩きだそうとして、後ろから呼びとめられた。


「アンタはどこに行くんだ? 家に帰るのか?」

「ううん? 僕も旅をしているから、これから隣町にでも行こうかな、って」

「旅って、まだ子供なのに? すげーな」

「その、さっき話していた女の子も、まだ子供なのに旅をしていたんでしょ? 僕と同じだと思うけど」

「うん。だから、すげーっと思った」


 白い歯を剥き出しに、青年は笑う。


「オレ、サンって言うんだけど。アンタ、名前は?」

「レイ」

「レイか。よし。よろしくな」


 右手を差し出された。

 レイは首を傾げる。


「握手だよ、握手」

「握手?」

「運命の出会いを祝して、握手をしようぜ」


 歯をキラッとさせて、サンが言う。

 レイは困ったように頬を掻いたあと、右手を差し出す。

 固い握手を交わした。


「というわけで、行こうぜ」


 脈絡のないサンの言動に、今度こそレイは困惑の声を上げた。


「どこに行くんだい?」

「どこって、隣町だろ?」

「そうだけど。でも、君まで一緒に行く必要はないと思うんだけど」

「え? だって、一緒に旅しようぜって言ったら、頷かなかったか?」


 首を振る。

 さきほどの会話に、そんな言葉は微塵も含まれていなかった。


「まあいいや」


 サンは満面の笑顔を浮かべると、


「きっと、これも運命だと思うんだよ。十年近く前のあの日、リリに出逢えたように。今日、リリと雰囲気の似たアンタに出逢った。きっと、これは一緒に旅をしろという神のお導き? みたいなもんなんじゃないかって、オレは思ったわけ」


 鼻の下を人差し指の背でこすりながら、サンはやはり無邪気に笑う。


「だから、一緒に旅をしようぜ、レイ。旅の友は、ひとりでも多いほうが楽しいだろ!」

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