◎エピローグ(または旅立ち)


 窓から太陽の光が侵入してきて、あたり一面を明るく照らし出している早朝。

 真っ黒い肌の少年――否、あれから身長が伸び、体格もよくなり、すっかり成長した――サンは、揺れる船首で大きく伸びをした。


「うん。いい天気だな!」


 答える声はない。たまたま同室になった船旅の友は、まだ寝ているのだろう。

 小さな船だ。豪華客船のように大きくもなく、ヨットのように小さくもない。普通というにも些か小さいが、それでも頑丈で悪くない船だと思っている。


 持っていた白いタオルを頭に巻く。そうすると、ただでさえ真っ黒の肌が際立って黒く見える。また船旅の友に「暑苦しい」と言われてしまうかもしれない。でもこれはサンのトレードマークのようなものだった。

 まだ十五歳だったあの夏の日。初恋の少女と出会った時にも巻いていた、大切な思い出の品。あれからもう十年近く経って大人になってしまったけれど、それでもこれを巻いていたら、きっと彼女も自分に気づいてくれる。そう思っている。


 彼女は、一体どんな女性になっているのだろうか。

 きっと美人になっているに違いない。あの夏の日、彼女が見せた笑みを思い浮かべる。

 彼女は――リリは、あの頃から変わらずとても綺麗な女性になっているはずだ。

 まだ見ぬリリの大人の姿に、頬がにやける。


「早く逢いたいな」


 彼女は旅をしていると言っていた。

 だから自分も、また旅をする決意ができた。旅の途中、リリとはどこかで再会できるだろう。サンはそう信じている。

 背後で足音がして、遅れて声がかけられた。


「なにやってんだ、サン。朝から叫ぶな。他の乗客に迷惑だろ。まだこんな時間だというのに、俺を起こしやがって」

「おはよ。ロンもそんな影に立ってないで、日差しを浴びろよ。ぱっちり眼が覚めるぜ」

「……」


 険呑な緑の目でにらまれた。低血圧なのだろう。仕方ない。

 ニコニコしていると、「にやけ面きもちわりぃ」と顔を逸らされてしまった。

 サンと同じ年ぐらい(年齢は教えてもらえなかったけとたぶん)の青年――ロンは、赤茶けた髪の毛をガシガシと掻く。


「俺はまた寝る。船着き場についたら起こしてくれ」

「寝すぎも体に悪いから程々にな。飯持っていくから、ちゃんと食えよ」

「……朝食はいらん。俺は、船着き場に着くまで寝てるから。起こしたら殺す」

「そんなやる気満々にらみつけんなって!」


 両手をひらひらさせてこちらに悪意はないことを示すが、ロンはもう一度にらみつけただけで、無言のまま背を向けると部屋に戻って行った。

 たらりと垂れた汗を、掌で拭う。ロンの殺意は本物だ。旅の友として同室となって早二日。心を開いてくれる気配がない。まるで目に見えるすべてのものが敵だとでも言わんばかりに、彼の周囲にはどこか倦怠感に似た殺意が渦巻いている。ひとたび触れれば、こちらの命も危ういかもしれない。


 産まれてこのかた殺意を向けられるというのは、はじめての経験だった。

 サンはいつだって笑顔で、いろんな人と仲良くなりたいと思ってきた。自分にはその才能があるのだと、信じて生きている。

 だからロンともなんとか打ち解けようと考えているのだけれど、それはどうやら難しそうだ。


 眉根を寄せて、サンは考える。

 あと半日もしない内に、目的地である港につくだろう。そこに着けば、せっかく旅の友として同室になった彼とも別れなければいけなくなる。その前にできれば冗談を飛ばしあえるぐらい仲良くなりたいと考えているのだけれど……。


 細かいことを考えるのが苦手な頭脳を全力投資して、考える。

 沸騰しそうだ。

 考えるのをやめた。

 サンは、考えるよりも直感で行動するタイプだ。

 いままでそれで損をしたことは、ほとんどない。

 サンは笑顔を浮かべた。


「よしっ」


 一度、部屋に戻ることにした。

 その前に、食堂に寄って朝食のパンでも見繕ってこよう。

 船着き場につく前に、少しでも親交を深めるために、ロンに殺される覚悟で彼を起こすことに決めた。コーヒーもあるといい。落ち着くはずだ。



 頬を赤く腫らしたサンは、まなじりに涙を溜めながら、しくしくと船着き場に足をつける。その横には険悪面のロンが。

 殺されずに済んだものの、思いっきり頬を一発殴られてしまった。めっちゃ痛い。でもいつまでもめそめそとしているわけにはいかない。


 よしっ、と気合を改め、サンは笑顔でロンの肩に自分の腕を回す。

 はじかれた。

 いってー、と腕をさすりながら、非難がましい目でサンはロンを見る。


「暴力反対だぞーう」

「るっせー」


 まだ機嫌は悪いらしい。

 サンはどうしたらロンが笑ってくれるのか、直感でしか行動ができないから考えるのはよそう。

 サンは拳を握ると、右手を大きく上に掲げた。


「おい、ロン! 友情の証を立てようぜ」

「はぁ?」


 思いっきり怪訝な顔をされる。

 めげることなく、サンはロンに向かって拳を差し出す。

 拳同士をうちあって、腕を組むと親友になれるらしい。男の友情だ。

 サンは、ロンと友だちになりたかった。


「なんでだ?」

「オレは、ロンと友だちになりたい」

「……なんでだよ。ただ、たまたま船で同室になっただけだろ。俺と、お前は赤の他人だ」

「たまたまじゃない。偶然じゃないんだ。運命の神さまが、オレとロンを同室にしたんだよ。きっとそうだ。だって、オレはこんなにもロンと友だちになりたいと思っている。きっとそうなる運命なんだよ!」

「……運命、ね。キラキラとした目しやがって」


 億劫そうに、ロンがため息を吐く。

 緑色の瞳はどこか遠くを見ているのか、視線はサンに向いていなかった。


「運命なんて、クソくらえだ。……もし運命なんてものがあるのなら、あのとき、俺は……」


 はっと、ロンが目を剥く。

 取り繕うように頭をガシガシ掻くと、彼は背を向けた。


「とにかく、俺は、お前と友情ごっこするつもりはねぇんだよ。他をあたってろ」


 歩きだしたロンの背中はどんどん遠ざかっていく。

 サンは慌てて追いかけた。ロンの足は止まらない。脚力なら自信があるのでこのまま追いかけても良かったのだけれど、サンは足を止めると、遠くなっていくロンの背中を眺めるだけにとどめる。


「ま、こういうこともあるよな」


 この世界中のすべての人と親友になれるだなんて、さすがのサンも思ってはいない。

 けれどロンとは近しいものを感じたし、彼となら仲良くなれるのだと信じてもいた。


「うーん。今日は運がついていると思ったんだけどなぁ。太陽がオレのためにサンサンとしていると思ったんだけど」


 ロンとの別れは呆気なかった。それに寂しさを覚える。もう少し話したかったな、とも思ったけれど、あの様子だと難しいだろう。


「旅の最初の友だちになれなかったのは残念だけどな、仕方ないか」


 気持ちを切り替えると、サンは大きく伸びをした。

 いつからロンが旅をしているのか。これから彼がどこに旅をしに行くのか。それはなにもわからない。

 けれどサンもこれから旅をするのだ。またどこかで、偶然に彼と会えるのではないかと、そんな運命も感じている。彼とは、きっと、またどこかで出会う。なんて言ったって、サンの直感は常に冴えているのだから。


 寒い冬も終わり、春がやってきている季節。

 サンサンと降り注ぐ太陽の下。

 サンの旅が始まった。

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