◎クリスマスに、さよならを。(三)
最初に尻餅をついたのはラナだった。肩で息をしながら、雪の降り積もった地面に手形をつける。
「はあ、はあ。レイ。もう、タイムです……ッ」
「うん……そうだね。僕も疲れたよ」
持っていた雪玉を放り、レイは「ふぅ」と息を吐いた。
それからラナの傍に近寄ると、雪まみれになった手袋を脱いで、手差し伸べる。
「立てる?」
「あ、は、はい。ありがとうございます!」
疲れていたはずのラナが慌てて自分の手袋を放り捨てると、レイの手を掴み、ガバッと勢いよく立ち上がった。
危うく頭がぶつかりそうになり、レイはすれすれで避ける。
「げ、元気そうだね、ラナ」
「あ、はい……いいえ! 疲れているので、ツリーまでこのまま連れて行ってください!」
大きな声に動揺したものの、レイは素直に頷く。
今日、このデートが終わったらラナとはお別れだ。彼女のわがままには、いくらでも付き合おう。
「キレイですね、レイ」
「うん。キレイだね、ラナ」
「こんなにキレイなイルミネーション、わたし初めて見ました。レイに助けられてから一度クリスマスを経験しましたが、あの時はごちそう食べただけでしたし。レイに助けられる前のクリスマスは、ずっとひとりでしたから」
レイは静かに、ラナの話に耳を傾ける。
「あの頃は、本当に寂しかったです。楽しくないクリスマスなんて、あっても意味がないのだから、なくなってしまえばいいのに。そんなことを考えて、世界を呪ったこともありました。幸せな家族を見れば見るほど、つらくなったものです。あの頃のわたしは、自分の不幸を嘆いて人の幸せを呪う、とても孤独な人間でした」
ぽつり、ぽつりと、ラナは思い出を噛み締めるように、口の赴くまま話している。
「でも、レイと出会って変わりました。レイがわたしに優しい言葉をかけてくれて、わたしをあの最悪な日々から救ってくれたから、わたしはいまの幸せに感謝を覚えるようになるまで成長することができました。――レイ。ありがとうございます。いつも思っていてもなかなか口にできない言葉ですが、明日からはもうレイに伝えることができないので、改めてもう一度言わせていただきます。ありがとう、レイ。大好きです」
ギュッと目をつぶるラナ。
レイは湧き上がる想いを自覚しながらも、彼女の感謝の気持ちをすべて受け止める。
「こちらこそ、ありがとう、ラナ。ラナがいたから、僕は大切なことに気づくことができた」
成長しないこの体でも、他人の時間に残ってもいいのだと。自分のことを、すべて隠す必要はないということを。不老不死ということは隠さなければいけない。けれど、長く続くこの命は、これから出会うだろうさまざまな人間の残りの時間を、幸せにすることができる。
ラナの想いに応えることはできない。それは、彼女にとっては悲しいことかもしれない。レイがここまで悲しいのだから、ラナの想いは計り知れない。
だけど、彼女はこれから幸せに過ごしていけるだろう。
マザーやモト、それから孤児院の新しいマザーや子供たちと共に。
ラナは幸せな日々を過ごしていくことになる。
レイは、なぜだかそう確信していた。
祈っていた。
(――ラナ。僕は――)
◇◆◇
積もった雪に浸っていると、体温を吸い取られてしまいそうになる。けれど、繋いでいる手が、互いの体温を補ってくれている。
だから、とても温かい。
「もうこんな時間ですね」
「……そうだね」
覚悟していたはずなのに、頬を涙が伝って落ちていく。
それをラナは拭わずに、ただ微笑んだ。
最後は笑顔がいい。どうせ別れるのなら、さいっこうの笑顔で背を向けたい。
レイも微笑んでいる。なら、ラナはもっともっと笑みを浮かべるのだ。できれば、レイの心にずっと刻み続けるような、素敵な笑顔を。
最後の言葉はなににしよう。
考えれば考えるほどわけがわからなくなる。
それなら、もう思うがまましゃべっちゃおう。――とラナは決めた。
「レイ。レイ」
これから彼の耳に、伝えることのできないかもしれない彼の名前。何度も読んでみる。
「ラナ? どうしたの?」
もう一生聞くことができないかもしれない、自分を呼ぶ彼の声を耳に刻みつけよう。
「レイ。レイとの旅は、わたしにとって、あまりにも幸福に満ち足りた日々でした。本当に、感謝以外の言葉が思いつきません。ありがとう。レイのおかげで、わたしはとてもとても幸せです」
感謝の言葉を言えるのもいまだけだ。だから、きちんと口にする。
「こちらこそ、ありがとう。ラナとの旅は、僕にとっても満ち足りた日々だったよ」
これ以上なにを言えばいいのか。
口があわあわと動く。
彼の名前と、感謝の言葉と、それから自分の想いも、すべて彼に伝えてしまった。これ以上、なにも思いつかない。
もう、クリスマスが終わる。
クリスマスの間にさよならをすると、約束したのに。
ラナはいまになって、それが嫌になった。
レイと離れたくない。ずっと旅を続けていたい。たとえレイが不老不死で成長しなくても、ラナはこれからどんどん大人になっていくのだとしても、最期の時まで一緒にいてほしい。
たとえそれがレイを傷つけることになったとしても、ラナの一生は、それで幸せになることができる。
こんなにも、悲しい思いをしなくてもいいというのに。
でもそんな残酷なこと、ラナはしたくなかった。
ラナは、レイにも幸せになってほしいと思っている。ラナの時間に、これ以上付き合わせてはいけない。レイがまた苦しい思いをしてしまう。
だから。
だから、ラナは。
精いっぱいの笑顔で、別れを言うのだった。
「さようなら、レイ。わたしは、これからこの町の孤児院で暮らしていきたいと思います。ここまで一緒に旅をしてくれて、ありがとう。大好きでした。だから、レイ」
「ん?」
「またいつか、この町のことを思い出したら、ふらっと遊びにきてはくれませんか? 何十年かかったって構いませんし、思い出したらでいいのです。また、この町で、逢えませんか?」
「それは……」
レイが言い澱む。優しい彼は、言葉を選ぼうとしているのだろう。
ラナは答えを聞くことなく、もう一度別れの言葉を口にした。
「ばいばいです。レイ」
「うん。ラナ。また……さようなら」
ラナ。十五歳のクリスマス。
この日は、人生で一番幸福で、愛しくも悲しい別れの日だった。
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