◎クリスマスに、さよならを。(二)


 詭弁を使うのには慣れていると思った。

 その昔、ラナに出会う前――いや、それよりも前、マザーに出会う前まで、レイは嘘ばかりついてきたのだから。今更ちょっとした嘘を吐くのぐらいなんてことないんだと、そう思っていた。

 だけど、思いのほか、自分の本心を隠してつく嘘は、苦しくのしかかってくるようだ。


 ラナと過ごしたここ一年と少しの間。レイはいままでの人生にないぐらい満ち足りていて、想い出は楽しさでうめつくされている。ラナではなくても、と考えたことは幾度もあったけれど、それでもこの想い出にいるのはラナだった。彼女がいたからこそ、レイは平穏に暮らすことができていた。


 確かにラナを助けたのはただの贖罪だ。その昔、レイはたくさんの罪を犯した。もう百年以上前のことで、その当時のレイを知っている人間はひとりも生きていないだろう。でもあの時のことを、レイは忘れることができないでいた。忘れてはだめだと思っている。


 自分の罪を償うため、飲まず食わずの旅を続けたこともあった。旅の途中、レイは何度死んだだろうか。死んでは生き返って、また死んで。その苦しいだけでなにも得ることがないつらい旅は、マザーと出会ったことにより優しさを知って終わりを告げた。あの日からレイの旅は変わった。いろんな人間の人生を奪った分、人の繋がりを大切にして、少しでも傷ついている人がいるのなら助けたいと思ったのだ。


 その何十年と続いた旅の途中、たまたまラナと出会っただけのこと。

 ラナと旅をすることになったのも偶然だ。本当はそこまで干渉するのはレイの体質から考えると得策ではなかったものの、彼女と旅をすることによりなにかが変わると思った。


 一年間と少し。長すぎたぐらいだ。

 レイとラナの間には大きな隔たりがある。

 過ごしている時間の違いという、隔たりが。


 ラナは他の人間と同じように、進む時間の中、たくさんの幸せと共に過ごしていけるけれど、レイにはその時間がない。レイの体は成長することなく止まっている。まるで進むことのない秒針の上、永遠に回り続けている歯車のように。

 体の成長が、十四歳で止まってしまっているのだから。


 白い息を吐き出す。

 寒い。

 そういえばもうすぐクリスマスだ。

 クリスマスはこの小さな町も、少し賑やかになる。

 レイは早く町から出て、ラナから離れなきゃいけないということばかり考えていた。


 時刻は夜九時前。

 レイは前から来る男性に気づくことなく通り過ぎようとして、すれ違いざまに呼び止められた。


「マザーから聞いた通り、レイ兄ちゃん、本当に成長してねぇんだな!」


 豪快な声は低く、レイは思わずビクッとする。顔を上げると、そこにいたのは七十過ぎているだろう男性。男性は、皺のある厳つい顔に明るい笑みを浮かべながら、レイの掌を握ってきた。


「久しぶりだな、レイ兄ちゃん。ずっと会いたかったぞ。って、レイ兄ちゃんは昔と変わらねぇけど、俺は変わっちまったからわからねぇよな」

「もしかして、モト……?」


 鮮やかだった紅色の髪と、いたずらっぽい笑みはそのまま大人になった男性は、やっと気づいたのかと、握手をしている手に軽く力を入れた。


「やっと見つけたぞ、レイ兄ちゃん。あの時、俺を助けてくれてありがとな。そんで」


 握られている手は子供の力では振りほどくことができず、レイはここにきて逃げられないことを悟る。


「捕まえた。マザーから頼まれたからな。いまから教会に戻るぞ!」



 そしてレイは再び教会にやってきた。ラナは隣の孤児院で疲れて眠っているとマザーが言っていたので、ここにはいない。

 教会の奥まった部屋で、レイは机を挟んでマザーと向かい合っている。レイの背後には、大人になったモトが逃げられないようにと、佇んでいる。


 チクタク――壁掛け時計の秒針の動く音が。その音は、レイだけを置いてけぼりにして、マザーやモト、それからラナの時間を奪っていく。

 まさか、またマザーと会うことになるとは思っていなかった。モトなんてなおさらだ。

 レイと違って、成長した二人は、見違えるほどきれいな皺を顔中に作っている。ラナ以上に、時間の流れを感じる。


 チクタクと、いつまでも時計の針の音ばかりを聞いているわけにはいかないと思ったのだろう。やっと、マザーが口を開いた。


「あなたは、本当にレイなのよね? レイの子供というわけでも、孫というわけでもなく、まぎれもなく、レイ、なのよね?」

「……うん。そうだよ」


 今更誤魔化すことはできないと、レイは微笑んで答える。


「そう。どうして、あなたは成長してないの? 話せる範囲でいいけれど、教えてくれないかしら?」

「不老不死だから、だよ」


 包み隠さず、一言で告げる。

 マザーの目がまん丸に見開いた。

 すぐに目を細めて、皺くちゃの顔の中に隠す。


「……そう。そうなのね」

「驚かないんだね」

「驚いたわよ」

「確かに、目がまん丸に開いていた」

「ほんと、あなたは意地悪よね。昔から変わっていない」

「不老不死だからね」

「……どうして、あなたは不老不死になったのか、それは訊いてもいいことかしら?」


 レイは少し迷ってから頷く。


「わからないんだ。気づいたら、僕はひとりで、死ねない体になっていたから」

「家族は?」

「それも知らない。こうなる前の記憶を、僕は失くしているんだよね。だから、自分の体のことなのに、僕はこの体についてなにも知らないんだよ」


 ただ気づいたときにはひとりだった。そして、レイは老いることも、死ぬこともできない体になっていた。

 どうして自分だけこんな体になったのかはまったくわからない。調べようにも、きっかけがなにもわからず、結果だけしかわかっていない状況では不可能だった。

 レイは、自分の名前が本当はなんというのかさえ知らない。この名前は、拾われた先で名付けられたものだった。


「ただ、これは事実なんだ。マザー。僕は、老いることも、死ぬこともできず、すべての人間の時間から取り残されて、忘れられていく存在なんだよ。僕たちは、同じ時間で過ごすことができない」

「……だから、私たちの前から消えたのね。あの子にも、あんなに冷たく当たったのね」


 そうだよ、と笑みを形作る。


「バカッ!」


 いきなり乗り出したマザーが、レイの頬を叩いた。昔に比べると力がなくて、ほんの軽く触れられた感じしかしない。

 慌てたモトが、マザーに近寄る。


「マザー。体に障るぞ! もう九十過ぎてんだから!」

「あんたも八十近くだけど元気じゃない! いいからモトは黙っていなさい!」


 気遣うモトを押しやり、マザーは真っ直ぐな瞳でレイをにらんだ。その眼に殺意や非難はなく、純粋な怒りが込められていた。

 レイは思い出す。マザーがとても怒りんぼうだったことを。


「いい!? これだけは言わせてもらうわよ! いくらあんたの成長が止まっていて、老いることも、死ぬこともできなくたって、それでも、あんたの時間はいまも動いているのよ! あんたがいままで接してきたすべての人間の時間に、レイがいるの! 七十年前の私のように、あんたが一緒に旅してきたラナの時間の中にも、あんたは大切な存在として根強く住んでいるのよ! レイも、私たちと同じ時間を生きているのよ!」


 ごほんと盛大に、老齢のシスターが咳をする。モトはやれやれと、マザーの背中をさする。

 レイは、ただ目を見開いていた。


「同じ時間……?」


 そんなこと、考えたこともなかった。不老不死の自分は、どう足掻いても老いて死ぬだけの人間と一緒の時間を歩むことなんてできないと、そう思っていた。思い込んでいた。


「まあ、あれだ、レイ兄ちゃん。……て、兄ちゃんって七十の俺が言うと変だよな。でも、俺にとって、あんたはずっとレイ兄ちゃんのままなんだ。俺を助けてくれた、心優しい恩人のままなんだよ。だからさ。俺も忘れないから、レイ兄ちゃんも、俺らのことを憶えておいてくれよ」

「……モト」


 不老不死なんてそう簡単に受け入れられることではない。望んでそうなったならともかく、記憶を失くしてからのレイは、受け入れることができずに苦しい思いばかりしていた。一時期、受け入れたフリをして、この手を血で汚したことさえあった。

 いまでもわからないでいる。自分は、どうして死ねないのだろう。死んでしまえば楽になれるのに、この体は、老いることも死ぬこともなく、ずっと十四歳という幼い姿を持続したがる。

 それなのに。どうして、マザーも、モトも、こう易々と不老不死のレイを受け入れてくれるのだろうか。存在を、認めてくれるのだろうか。


 珍しく、レイの頭は混乱していた。

 こんなこと、久しぶりだ。

 いままで自分は、達観して過ごしていたのかもしれない。

 やっと、自分の過ちに気づいてしまった。


「ラナ」


 ここにいないはずの彼女の名前を呼ぶ。

 あのまま、彼女を傷つけたまま別れていいはずがなかったんだ。

 ちゃんと伝えないと。自分の体質のことを。

 そして、ちゃんとお別れをしよう。

 これからも、ラナが幸せで過ごせるように。


「ラナ」

「なんですか、レイ?」


 再び呼ぶと、不思議なことに、返事があった。

 部屋の扉が開いていることに遅れて気づく。

 開いた扉の先、ラナは目に涙を溜めながら微笑んでいる。


「もしかして、いまの話、聞いてた?」

「盗み聞きなんて、はしたないですよね」


 指で涙を拭い、ラナはゆっくりとレイの許に近づいてくると、その腕を掴む。

 ラナに掴まれた両腕を、レイは見下ろした。


「レイ。お別れの前に、最後にわたしのわがままをきいて、くれませんか?」


 その瞳は、吸い込まれそうなほど真剣な輝きを誇っていた。


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