◎クリスマスに、さよならを。(一)


 十二月二十五日。クリスマス。

 小さなこの町も、他と変わらず活気づいていた。町中に流れるクリスマスソング。行きかう人々の間には、溢れんばかりの笑顔。


 積もる雪に底の厚いブーツで足跡を残しながら、少女がひとり、俯きがちにプレゼントの包みを抱えて歩いていた。

 俯いた瞳からは表情が伺えず、視線はずっと地面に向いたまま。クリスマスだからと、送り出してくれた老齢のシスターに被せられた赤いニット帽の下からは、サイドで結った栗色の髪が垂れている。


 今日は、いつもよりもめいっぱいおしゃれをしている。大切な日なのだ。まだ十五歳だというのに、軽くメイクもしてもらった。送り出してくれたシスターの暖かな手を思い出す。あんなにも温かい手を握るのは初めてだった。これまで一緒に旅をしていた少年は、よく思い出すと一度もラナの手には触れなかった。頭を撫でられたことはあるけれど、それもほんの少し。きっと大事にされていたのだろう。ラナは自分を助けてくれた少年のことをすべて知っているとは言えないけれど、それでも彼がとても優しい人だということぐらいは知っている。知っているからこそ、打ち明けられた言葉は、辛辣にラナの心に突き刺さった。


 いまラナは彼の真実を知った。同時に、自分は彼のことをなにも知らなかったということを実感させられた。

 彼はあんなにも大きな秘密を抱えていたのに、自分は助けられて優しくされただけで、なにも返すことができていないのだから。これからも。ラナの力では、なにひとつ少年に返してあげられるものはないのだろう。


 待ち合わせの教会の前。

 ラナがいま暮らしている平屋建ての建物のすぐとなり。

 先に外に出ていた少年が鼻の頭を赤くしながら待っていた。

 茶髪に、柔らかな笑みを浮かべた彼は、ラナを見つけると手を上げる。

 ラナは少し迷ってから手を上げ返した。


「じゃあ行こうか」


 近くまで寄ると、少年はそう言って手袋をした手を差し出してきた。雪が降っているのだ。手袋をしていないと、手は凍えて青白くなってしまう。ラナは物足りなそうに、自分の手袋をした手を重ねる。



 きっと傍から見ると、ラナたちはデートをしているように映るのだろう。クリスマスだから他にもカップルはたくさんいる。けれどラナたちの関係は、けっしてカップルというわけでない。確かに最後のわがままでクリスマスに一日だけデートをして欲しいと頼んだのは彼女だけれど、彼はけっしてラナの好意を受け入れることはないのだろう。彼の境遇を考えると、問いかけなくてもわかってしまう。


 町外れの教会から、ラナたちは町中に向かって歩いていく。小さな町。祭りのような大きな催しものはないものの、広場にあるモミの木がイルミネーションで飾られており、きれいなのだとシスターから聞いた。特に観光名所などない小さな町だから、デートするならそれだけでも見てきなさい、とシスターは言っていた。


 そっとレイの横顔を伺う。普段と変わらない顔をしているから、彼がなにを考えているのかはわからない。

 前を見る。クリスマスの昼過ぎだ。昨日降った雪は足を覆うほど積もっており、子どもたちが雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊んでいる。そういえば、ラナは雪で遊んだことがない。


 そっと足元の雪を一握り掴み、軽く固める。

 そしてレイの背中めがけて雪玉を投げた。うまくコントロールできた。


「え? ちょっと、ラナ? どうしたの?」


 目を丸くしたレイが振り返る。

 ラナはいたずらっぽく笑った。


「なんでもないです」

「……意味なく雪玉投げないでよ」


 呟くと、屈みこんだレイが雪玉を生成しはじめた。ラナも負けじと、スカートやタイツ、コートの裾が雪まみれになるのを構うことなく雪玉を作る。

 ひと時の、雪合戦が幕を開けた。



    ◇◆◇



「ラナ、お別れだよ。きみは、今日からこの孤児院で暮らすんだ」


 いきなりレイから突きつけられた言葉に、ラナは困惑した。


「どういうことですか?」


 問いかける声は震えていた。

 ラナは、これからずっと、レイと一緒に旅をするものだと思っていた。旅を続けた果てで、ラナたちは一緒に暮らすのだと。ラナはレイのことが好きだから、レイもラナのことを好きだと言ってくれれば、結婚できるのだと。勝手に、そんな根拠のない夢を見ていた。


 レイの目は真剣だ。その瞳に、嘘は含まれていない。

 胸がキュッとしてから湧き上がってきた気持ちをまなじりに留めながら、ラナは小さな声で再度問いかける。


「どうして、そんな冷たいこと言うんですか。わたしは、これから先も、レイと一緒に旅を続けたいです」

「ごめん。無理なんだ。これ以上、ラナを連れていけない」


 そう言って目を細めたレイは微笑んでいた。どこか苦しそうにも見える。

 そんな顔をするぐらいなら、別れなんて告げなければいいのに。レイがどうしてラナと旅を続けていられないのか、その理由はまだわからない。けれどレイもつらいことなのだと、ラナに伝わってきた。

 ラナは手を握り絞める。


「それでも、わたしはレイと一緒にいたいです。あの夜、レイに助けてもらったから、いまのわたしがあるんですよ? それなのに、そう簡単に手を離すのですか。助けたのなら、最期まで責任をもって面倒を見てください!」


 ちょっと意地悪な言葉になってしまった。

 唇を噛み締める。

 けれど我慢ならない。

 感情が高ぶっているいま、言いたいことをすべて言おう。ラナは心に決めた。

 レイが頬を掻く。


「ごめん。本当に、ごめんね、ラナ。僕は、自分勝手な贖罪から、きみを助けた。正直言うとね、あそこにいたのがきみじゃなくても、僕はその人を助けていた。ただ偶然、あそこにいたのがラナだっただけだ」

「それでも、わたしは嬉しかったです」

「ごめんね。でも、僕はもうこれ以上きみとは一緒にいられない。最後まで面倒を見ることはできないんだ」

「……どうして、ですか?」


 突き放すようなその物言いに、ラナはますます混乱する。

 どうして、どうして、レイは……。

 こらえきれない想いが、まなじりを零れ落ちていく。

 ラナは溢れる気持ちに身を任せたまま、レイの胸倉を縋りつくように掴み、泣き叫んだ。


「ど、どうしてそんな意地悪なこと言うんですかぁ!」

「本当に、ごめんね。いままで、ありがとう」


 耳元で再び囁かれる、意味の分からない謝罪と感謝の言葉。

 お礼を言うのはこちらの方だ。ラナは、レイと過ごした一年以上もの間、とても幸せだった。レイが助けてくれたから、こんな幸せに満ちた日々を過ごせていたというのに。


 残酷に囁かれた言葉は耳元から離れ、床に崩れ落ちたらラナに手を差し伸べることもなく、レイは背を向けると教会を出て行った。いくら彼の名前を呼んでも、その背中はけっして振り返らなかった。



「落ち着いた?」

「……はい。温かいスープ、ありがとうございます」

「いいのよ、お礼なんて」


 ふふっと、顔中にしわを寄せて老齢のシスターが笑う。その眼差しにあるのは優しさだった。

 同時に、ついさっきラナの前から姿を消した少年の優しい笑みを思い出す。

 胸に悲しみが込み上げてくる。先程冷たく突き放されたばかりだというのに、忘れることができない。ラナは、彼の優しさをたくさん知っているから。いまさら冷たく突き放されたところで、レイを嫌いになんてなれない。


 どうしてこれから一緒に旅を続けられないのか、その理由を教えてほしい。

 納得もできないまま、これで終わりだなんて、そんなの嫌だった。


「ラナ。今日は私のところで止まりなさい。もうマザーは引退して別の人に託しているけど、孤児院を経営しているの。もう夜も遅いから空き部屋に案内するわ」

「……レイは、どうしてわたしを置いて行ってしまったのでしょうか。もう、戻ってこないのですか?」


 訊く相手は間違っていると思った。

 老齢シスターは気にすることなく言葉を返してくれた。


「安心しなさい、ラナ。まだレイはこの近くにいるはずだから、モトに探しに行かせるわ」

「モト?」

「ええ。私の子供よ。といっても血の繋がりはないのだけど。私がまだ若く、孤児院のマザーをしていた時に育てていたの。いまはもう七十過ぎたおじいちゃんになっていて、孫の世話をするのが生きがいだとか言っているけど、たまに私のところに訪ねてくるのよ。きっとモトも会いたがっているから、レイのことを話せば、探してくれるはずよ」


 彼はずっと命の恩人にお礼を言いたいと言っていたのだから、と老齢のシスターは遠くを見るような目つきになる。


「すぐモトに連絡するから。今日はもう落ち着いて、安心してお眠りなさい」

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