◎リリという少女の話。(一)


 女の子の母は病に侵されていた。昔から体が弱く、床に伏せる回数が多く、噂では心臓が悪いらしい。母は、女の子を心配させまいと自分の病気のことは話さずに、いつも口癖のように――大丈夫――そう、言うだけだった。

 だけど今回の病気はどうやら重いみたいだ。女の子の看病も虚しく、一向に病は回復に向かわない。


「お母さん?」

「こほっ、大丈夫、すぐ、良くなるからね」


 全然大丈夫そうじゃないのに、母はまたそう言った。


 女の子は本を読むのが大好きだった。

 毎日のように、近くの図書館に出かけると沢山の本に囲まれて、一日中読書に明け暮れる。たまに帰る時間が遅くなり、まだ元気だった母に「もう」と怒られたこともある。でも母は優しく、泣きそうな彼女の頭を最終的に撫でては和やかに微笑んだ。

 そんな女の子の最近のお気に入りのお話しは、『願いを叶えるモモの花』という、ひとりの少女が自分の大切な望みをかなえるために、モモの花を探しに世界中を旅するお話しである。


 モモの花というのは、桃の花でも、桃のなる木でもない。『モモの花』という架空のお花であるそれは、この世に存在しない花と云われていた。誰も知らず、誰もが探すのを諦めたモモの花。

 その本は五巻に重なるほどの長編で、文字が小さく、女の子は毎日図書館に通っては、その本を一日中読みふけっていた。二巻の終りにいたるころには、母が病で伏せる日が続いていた。



 今日は母が少し元気だった。けれど赤い顔と温かい吐息は、まだ母が病気だということを告げている。

 母は、女の子がここ数日好きなこともしないで、自分の看病ばかりしているのを気に病んでいた。


「お母さん今日はね、とても気分がいいのよ。だから今日は、図書館に行っておいで」


 女の子は、「でも」と言葉を続けようとした。それでも口を噤むと、久しぶりに図書館に行くことにした。それを母が望んでいるのであれば。

 女の子は、『願いを叶えるモモの花』の二巻の最後のほうを読むべく本を探して、図書館の中を歩き回った。


 いつもと同じ場所にあるはずの本が、今日はなかったからだ。どこかに紛れ込んでいるのかもしれない、と女の子はすべての本の背表紙を眺めながら図書館の中を歩き回ったのだけれど、なかなか見つからない。

 もしかしたら誰かが借りて行ったのかもしれない、と、そう泣きそうになっている女の子の視界に、読書スペースで本を読む少女の姿が映った。


 とても綺麗な黒髪に、肌の白い、まるで物語に登場する東洋のお姫様のような少女が、椅子に座り本を読んでいる。背表紙がチラリと見え、少女の読んでいる本が女の子が探している本だということに彼女は気づいた。

 話かけようか、迷いながら少女の後ろをうろうろしていると、ふいに少女が黒い髪を耳に掛けながら振り返った。


「あたしに、なにかよう?」

「あ、そ、その本」

「あら、借りにきたの? あたしはもう読み終わったから、どうぞ」


 差し出された本を、女の子は反射的に掴む。

 長い黒髪の少女は、にっこりと微笑んで言った。


「じゃあね。その本、面白かったわ」


 探していた本だ。見つかって嬉しいはずなのに、どうしてなのか女の子の顔色は晴れなかった。

 家に残してきた母のことが心配で仕方がなかったのだ。

 いま思えば、暗い顔をした女の子を、少女が気遣って悩みを訊いてくれたのは、ちょっとした暇つぶしだったのだろう。意志の強い黒い瞳は、女の子の顔と本の間で行きかうように揺れていた。


「よかったら、話ぐらい聞くわよ」


 長い人生、ちょうど暇を持て余していたところだから。



 少女は、リリと名乗った。

 女の子は名乗るのを躊躇った。

 二人は図書館から出るとすぐにある生垣の前に座り、話をすることにした。

 女の子は、自分の母が病に侵されていること。全然治らないこと。どうしたら良くなるのか。

 そういったことを、たどたどしくリリに話した。


 リリは、辛抱強く最後まで話を聞いてくれた。

 だから、


「どうしたら、母の病気は良くなるの!」


 女の子は、いつしかリリに詰め寄っていた。

 リリなら、なにか教えてくれると思ったから。女の子の知らないようなこと、知っているように見えたから。

 しばらく迷ったあと、リリは口を開いた。

 それはどこか躊躇うように、けれど彼女ははっきりとした言葉で、女の子に誘いをかける。


「それなら、あたしと一緒に、『願いを叶えるモモの花』を探しに行きましょう」

「でも、お母さんが家で待ってるから」

「いまから、ほんの少しだけよ。夕方すぎには帰れるわ」

「すぐ近くにあるの!」

「そうね、モモの花は結構近くにあるのかもしれない」


 ないのかもしれない、という言葉をリリは口にしなかった。


「だ、だったら連れてって!」

「それは無理よ」

「どうして」


 ひんやりと告げられた言葉に、女の子は狼狽える。


「連れて行くのは無理。けれどね、一緒に探すことならできるわ」

「探したら、見つかる?」

「探してみないと、なにも見つからないわよ」


 頷き、女の子はやはりまだ曇りのとれない笑顔で微笑むと、差し出されたリリの手を握った。

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