◎あの夜きみと出会ったから。
ある街の小さな公園。ペンキの禿げたベンチにひとりの少女が座っていた。
栗色の髪を両サイドで結った、大人しい顔立ちの少女だ。
真夜中に近い夜の公園に、少女以外は誰もいない。
「やっぱり、夜はいいですね……」
寂しそうな声で少女が呟く。少女には居場所がなかった。昼間誰もいない時間に家にいるぶんには平気だけれど、夜家にいると痛い目を見てしまう。自分がそこにいるだけで、あのふたりは暴力をふるってくるのだ。
それがいやでいやで仕方なく、彼女は二人が帰ってくる前に家を抜け出しては、二人が寝静まるまで公園で過ごしていた。
少女がいる公園はとても小さく、昼間ですら誰もいないことのほうが多い。それにいまは夜だ。少女以外は誰もいない。そのはずだった――。
近くで、少年の声が響くまでは。
「僕も夜が好きだよ。夜にひとりで外にいると、この世界の人間すべてがいなくなったように感じて、余計なわずらわしさがなくなる」
「……でも、ひとりは寂しいですよ」
「そうだね。だから夜にひとりでいると気づくことができるんだ。他人の必要性……大切さをね」
少年はふっ、と笑う。その横顔を見て、少女は驚いた。
あまりにも美しい顔立ちの少年だったからだ。やわらかい茶髪が、それに相まって儚げに映る。
少女はそこで、はっ、と、やっと自分以外の存在があることに気づいた。
「誰ですか?」
震える声で問いかける。
少年はふんわりと微笑むと、あっさりと名前を名乗った。
「僕はレイ。旅をしてるんだ。きみは?」
「わたしは、ラナです」
「よろしくね、ラナ。あ、いまは夜だから、こんばんはと挨拶をした方がいいのかな?」
「こ、こんばんは。よろしくお願いします。……ところで、あなたはその歳で、旅をしているのですか?」
ラナは改めて少年を見る。彼は、どこからどう見てもラナと同じぐらいの子供で、大人には見えない。その歳の子供が、ひとり旅をしているのは不思議に思えた。
苦笑しながら、レイは答えた。
「うん。そうなんだ」
「子供のひとり旅は、危なくないですか?」
「そんなことないよ。ひとりで好き勝手にできて、けっこう気楽さ」
「そうなんですか? ……羨ましいです」
ラナは自分で好き勝手なことができないから、自由に旅をしているレイが少し輝いて見えた。
「きみはどこかに出掛けたりしないの? ……たとえば、家族とかと」
苦笑すると、首を傾げながら少年が問いかけてくる。
ラナはそんな少年の輝く顔から視線をそらし、地面に向けた。
「わたしに家族はいません。わたしが四歳の時に、両親は交通事故で死んでしまいました。いまは、お母さんの弟――叔父さんの家で暮らしています」
「それは悪いことを訊いてしまったね。ごめん」
「い、いえ。別に、謝る必要はないです。レイは知らなかったのですから」
「そうだけど……」
レイは困ったように笑うと、指をくるりとしてから、ラナを見た。
「きみを悲しませてしまったみたいだから」
瞬間、ラナの頬をひとすじの涙が流れ落ちた。
慌てて頬を拭う。泣いてはいけない。そう自分に言い聞かせる。
両親の葬式後からの記憶が脳裏によみがえる。最初顔を合わせたときに優しかった叔父夫婦の豹変ぶりを。その叔父たちの本性がひどく悲しくって泣いたラナを、叔父夫婦は「泣くなんてみっともない」と責めたてた。あれ以来、ラナはふたりの前で泣かないように、気を使って生きてきた。
久しぶりに、ラナは誰かの前で涙を流してしまった。
不愉快にさせてしまったかもしれない。
そう思いながら流れた涙を拭っていると、頭に温かい感触がした。
レイの掌だ。
「なにかつらいことがあったんだね。泣きたいなら、泣けるうちに泣いた方がいいよ。無理して泣きやまなくていい」
そう言って、彼はやさしく微笑んだ。
そんなことを言われてしまえば、ラナは泣きやむことなんてできなかった。
涙とともに吐き出すように、ラナはポツポツとこれまでのことを語りはじめる。
「わたしの両親は、ふたりとも、わたしが四歳の頃に、死んでしまいました。叔父さんたちに引き取られたのはそのあとです。ふたりとも最初は優しくしてくれたけど、でも、すぐに本性を露わにしたのです」
ラナの叔父夫婦は、親切心からラナを引き取ったわけではなかった。叔父たちは、死んだ両親の遺産が目当てだっただけなのだ。
両親の遺産を手に入れて、もう必要な無くなったラナは、満足にご飯を与えてもらうこともできずに、日々静かに息を殺して生きてきた。喋れば殴られる、それを理解していたためだった。
「逃げたい。いますぐ逃げて、家族のもとに戻りたい。そう何度も願いました。でも、お父さんも、お母さんも、もう死んでしまった……ッ。帰る場所なんて、どこにもない……ッ」
幼心にも、ラナは自分がもう帰れないのだということを悟っていた。両親がいないのだから、帰る家なんてありはしない。もう自分の居場所なんてどこにもないのだと、そう思いながら十四歳まで生きてきた。
十年間も耐え抜いて。
涙を流すことなく、堪えて。
だから。
いままで溜めていたぶん、涙はあとからあとから溢れてきて止まらなかった。
そっ、と指が伸びてきて、ラナの頬に軽く触れる。
レイの指だ。レイは涙を拭うようにラナの頬を撫でると、呟いた。
「だからきみは、こんな夜遅くに、ここにいるんだね。つらいことなのに、話してくれて、ありがとう」
そう言いながら、レイは目を細めて、優しく微笑んだ。
ドキリと、ラナの心が弾む。俯くように、ラナは視線を下げる。
「……あ、あのっ。その、話を聞いてくれて、ありがとうございます。レイのおかげで、あの、溜まっていたものが、流れてくれたようで……えっと。その、ありがとうございます。すこし、勇気が出ました」
こんな自分の話を、きちんと聞いてくれる人がいるなんて思わなかった。
叔父夫婦の影響で、ラナはすっかり大人に対して警戒心が芽生えていたから。きっと年齢が近い子供にも関わらずに、レイが真剣にラナの話を聞いてくれたからこそ、話すことができたのだろう。
吐きだせて満足したラナは、服の袖で涙を拭うと、にへらと笑った。
「すっきりしました」
「そう。それならよかったよ」
「あの、レイ。相談があるのですが」
ラナはレイに顔を近づけると、レイの瞳を真剣に見つめながら、
「わたしを一緒に、旅に連れて行ってはくれませんか?」
そうお願いして、レイの服の裾を掴んだ。
「え?」
困惑したのか、それともラナの顔があまりにも近かったからか、レイは後ろに下がろうとする。
ベンチに座っていたラナは立ち上がると、レイに詰め寄った。
「お願いします。わたしはもう叔父さんたちの家に帰りたくはありません。一緒に旅をさせてください」
「……断ると言ったら?」
「ひとりで旅をします」
「それは、自殺行為だね。きみはいくつ?」
「十四です」
「それならなおさらだ。十四歳の少女がひとりで旅をするのは、おすすめできない。危険だよ」
「どうしてですか? レイも、わたしと歳は変わらないはずです。だったら、わたしも旅ぐらい、できるはずです」
「あー」
レイが苦笑をもらして、口ごもる。
「そうだね。……でも、やっぱりきみにひとり旅をさせるわけにはいかないよ」
「それでもレイが一緒に旅をしてくれないのなら、わたしはひとりで旅をします!」
「いや、だから、さ」
そっと、ラナの前に手が差し出された。
あっけにとられてそれを見つめるラナに、レイは優しく言った。
「ぼくと一緒なら、たぶん安全だ」
レイの服の袖から手を離したラナは、差し出された手を両手で掴む。
「一緒に旅をしてもいいんですか!」
願ってもない申し出に、ラナは心の底から喜んだ。あまりにも嬉しくて、レイの手をぶんぶんと上下に振ってしまった。
おっとっと、とレイがよろける。
ラナはそんなレイに向かって、満面の笑みで――
「これから、よろしくおねがいします!」
そう言った。
こうして、ラナは会ったばかりの少年とともに、一年という短くも長い旅がはじまった。
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