◎あの時に誓ったこと。(一)
「あのすみません。少し尋ねたいことがあるのですが。リリという十四歳ぐらいの女の子知りませんか?」
たまたま通りがかった妙齢の女性に、赤毛の青年が声をかける。
女性は訝しみながらも、彼の問いに答えてくれた。
「知らないねぇ。ここらに、リリって名前の女の子はいないと思うよ」
「そうですか。ありがとうございます」
青年は女性の傍から離れると、次は別の人に同じ問いを繰り返す。でも納得のいく反応は得られなかった。
いままでに何人の人に聞いてきただろうか。
もう何年もこうして、ある少女を探していた。
それなのに目的の少女とはまだ巡り合えていない。
青年は諦めるわけにはいかなかった。
あの時の自分自身に誓った大切なことを果たす、その時までは。
諦めるだなんて、それは他でもない自分が許さないのだから。
その為に少女を探さなければならない。何年かかっても、絶対に。
目的を果たす、それまでは――。
◇◆◇
まだ十歳にもなっていない少年、ロンは商店街を彷徨っていた。母親から頼まれたお使いを済ませるためだ。
初めてのひとりでのお使い。緊張している反面、ワクワクしている自分は本当に正直なのだろう。
お使いで行く先は、家から十分ほど離れたところにある市場。夕飯に使う野菜を買いに来たところだ。いつもは母親と一緒に来るのだけれど、今日は忙しいらしくお使いを頼まれた。ロンは冒険に出るような気持ちですぐ承諾をした。
だけどそれは甘かったようだ。市場は、夕方ということで沢山の人で賑わっている。右を見ても左を見ても、後ろにも前を向いても、見渡す限りの人、人、人。
自分よりはるかに身長が高い大人たちの迫力に気圧されてしまい、どうすればいいのか右往左往してしまう。
「うぅ……どうすればいいのぉ……」
自分がどこにいるのか。どこに行けばいいのか。どうすればいいのか。頭が真っ白になってしまう。
意味が分からずただ震える足を動かして、ロンは歩き出した。
キョロキョロと辺りを見渡すが、いつも買い物をしている八百屋は人混みに紛れて見つからない。
右、左、と見渡していたため、ロンは前を向いていなかった。だから。
ドンッ。
人とぶつかってしまい、尻餅をついた。
「うわッ」
「キャッ」
ロンの声に少女の声が重なった。
慌てて前を向くと、そこには彼と同じように尻餅をついている、ロンよりいくらか年上の少女がいた。
最初に艶やかになびく黒髪が目に入った。黒髪から見え隠れする肌はまるで雪のように白く、雪を見たことないロンは思わず目を惹かれてしまった。その白い肌の中心で、睨みつけるかのように黒く鋭い瞳が向けられる。
怒っている。そう思ったロンは、慌てて尻餅をついたまま謝罪する。
「ごごごごめんなさいいッ」
「別に」
そっけなく返された。少女は立ち上がると、服についた汚れを払い落し、徐に手を差し出してきた。
困惑したものの、恐る恐るロンはその手を掴む。優しく手を引かれて立ち上がった。
「あ、あのッ」
「別に謝らなくってもいいわ。気にしてないから」
「で、でも……お母さんが、悪いことしたら謝りなさいって、いつも言ってるから……」
「前方不注意でぶつかったのはお互い様だと思うけれど。あたしも前見てなかったし」
少女は眉を潜めて困った顔になる。ロンは呆けた顔をしてしまう。
口元に微笑を浮かべると、少女はロンを見た。
「で、きみはこんなところでなにをしているの? ひとり? お母さんとはぐれたの?」
「ち、違う……ます。お、お使いで……」
「ひとりでお使い? ふーん。その歳で偉いわね。なにを買いに行くの?」
「お野菜、です。お母さん忙しいからって」
「そう。八百屋?」
「うん……」
ロンは思わず顔を伏せていた。泣きそうな顔を隠すためだ。
最近、ロンの母親は夕方に家を空けることが多くなった。父親は幼い頃に亡くなり、兄妹もいないひとりっ子のロンは、母親と二人で暮らしている。学校に行っている間に母親は仕事をしているため、家でひとりということはほとんどなかったけれど。
それなのに最近は家に帰ってきてからもひとりになることが多くなった。仕事だろう。母親は夜遅くなるまで帰ってこないのだ。しょうがないと、ロンはいつも自分に言い聞かせていた。
一緒に出掛けることも少なくなり、ロンは寂しさを紛らわせるのにはどうしようかと考える日々を過ごしている。家には本やゲームはなく、小さいテレビしかない。それでも、テレビでやっているアニメだけではロンの心の空白は埋まらなかった。
そんな中頼まれたお使いだ。ロンはとても気分がよかったのだけれど、思わずひとりの時を思い出してしまいとても悲しい気持ちに陥ってしまっていた。
少女は辺りを見渡すと、人差し指であるところを示した。
「八百屋はあそこよ。きみが探しているところかはわからないけど」
少女の指が示すところを見る。店先にスマイルを浮かべて店番をしているおばさんがいた。よく知っている顔だ。
ロンは目的のところを見つけて嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
「別に、御礼はいらないわ。たまたま見つけただけだから」
そっけなく言うと、少女は踵を返して歩き出した。
ロンはその背中にもう一度礼を言うと、八百屋に走り出す。気分は絶好調だ。
帰り道。ロンは買い物袋をぐるぐる振り回し、スキップをしていた。
八百屋のおばあさんはひとりでお使いに来たロンを褒めてくれたし、野菜のサービスまでしてくれた。それがとても嬉しかったことと、初めてのお使いが成功した安堵、なによりも母親の役に立てたんだという達成感が彼の背中を押してくれている。
「ふんっふふふーんっ」
家まであと三分。ちょっと疲れてきたので、スキップをやめて歩く。
空は夕闇で、オレンジと黒が混じりあう幻想的な風景に、ロンは目をキラキラさせていた。
その時。
ドシャッ。
なにかが潰れるような音が、近くの路地から響いた。
足を止めたロンは、好奇心に駆られて路地裏を覗く。
「なんだろ」
日が差し込まない路地裏は暗く、よく見えない。
気になったロンは、暗闇に負けずと、それにさっきまでの高揚感がまだ残っていたこともあり、路地に入っていった。
徐々に慣れてきた目が、先にいる人物を見つける。
長く濡れたように輝く美しい黒髪。それがついさっき見た少女のものと一緒で、横顔もさっき見た少女のもので。
ロンは、さっきぶつかった、心の優しい少女だということに気づいた。
先ほどのお礼を再び言いたい気持ちがあり、大きな声を出す。
「お姉ちゃん! さっきはほんとうに――」
少女はロンの声にビクッと肩を震わせると振り向いた。いままで見えなかった彼女の正面が見えた瞬間、ロンは口を開いたまま停止する。
「きみは……」
少女は赤い血の付いた頬を手の甲で拭い、震える声を出した。
「どうしてここにいるの」
少女の胸――心臓があるはずのところになにかが突き刺さっている。白い服には、そこを中心に赤色が滲んでいた。
その赤色は、彼女の頬や靴にも飛び散っている。でも、その赤は彼女のものには見えなかった。
「おねぇ、ちゃん……?」
状況が飲み込めない。どうして彼女は赤く染まっているのか。いったい、なにがあったのか。
少女から目を逸らし、地面を見る。そこでロンはもうひとつ、見つけてしまった。
「……えっ?」
そこにある赤い塊を。血で真っ赤に染まった、人を。
「う、ぇ?」
変な声がでる。ロンは目を凝らして赤い塊を凝視する。
それは知っている人だった。とてもとてもよく知っている人だった。
というか知らないはずない。毎日会って話している人なのだから。
朝はご飯を作って学校に送り出してくれるし、帰ってきたら「おかえり」って言ってくれる。最近、夕方はいないことが多いから、「おかえり」という言葉はあまり言ってくれなくなったけれど、夜に帰ってきたら「ごめんね」と言ってくれる。寝るときには、子守唄を歌ってくれる。
本当に、とてもよく知っている人だった。だってそれは――、
彼の母親なのだから――。
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