ゆとり世代は自主性がない?
「ゆとり世代」は自主性がないとも言われていますがこれは僕的には
「半分ウソ」
前述の指示待ち人間やマニュアル人間から関連付けてくるイメージなのかもしれませんが、決して自主性がないわけではないと思います。それこそ僕達の代は前述した通り「失敗を恐れる」傾向が強く、仕事の場面ではなかなか自分から行くことはあまりないのかもしれません。しかし今の子たちになればなるほど「溢れるアイディア」を持っていたり「リーダー性」を持っている子が目立ちます。僕達の頃と違って仕事を軽く見ていることが良いように言えば「失敗を恐れない」と言い換えてもいいのかもしれません。
例えば会社側はよく「失敗してもいいからチャレンジしなさい。」と言ったり「自ら引っ張っていく立場に挑戦しなさい」と言います。しかし僕達の代はあの「就職氷河期」の内定取り合戦のトラウマがあるのでなかなかこういう時に自主性を発揮しません、と言うか言い訳がましく言えばできません。しかし今の子たちは自分の考えたことをどんどんやりますし、「プロジェクトのリーダー」のようなものもやってみたいと思えば立候補します。逆に僕達の場合は入社以来そういうのを避け無難に仕事をしてきた人が多いので今更そういうところにしゃしゃりでていくことが「やりたがり」と見られるのではないかと後に引けなくなっていることもあります。なので後輩が「販売部でなく本部に行きたいんです。」と行けば僕達は「おう、がんばって行って来い。応援するから」とは言うものの無難に平社員を守ってきた僕達にとって若干のジェラシーは感じているものなのです。
会社がどんどんやれと言っているのだから思ったことはやればいいじゃないか。それで失敗して不条理なことを言われれば辞めればいい、ただそれだけのことさ。という具合に実際ここ数年で入社してきた子たちの方が僕達の代よりも肩書きが上に行っている子、僕達が同じくらいの歳に成しえなかったことをやってのける子たちが目立ちます。なので僕達くらいの代なら自主性がないと言っても問題ないのかもしれませんがここ数年で社会人になった子たちには自主性がないとは言ってはいけません。だから「半分ウソ」。
更に「ゆとり世代」は会社に夢も希望もなく上を目指そうとしない、と言うのも同じような理由で、やはり僕達辺りの世代は上を目指そうとする人が少ないのは確か。しかしこれもただただ自主性がないというだけではなくて、自然な流れで、会社が認めてくれるのならそれでいい、今与えられていることを必死でやろう。それに伴って働きぶりを認められ、昇進する、それなら良いじゃないかと思う訳です。
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