高校時代ー3

 丁度この頃2年生の最大イベント修学旅行も行われました。行先は「ニュージーランド」で、これはニュージーランドのオークランドが福岡と姉妹都市だからという理由だそうで、県立、市立高校の修学旅行はここと決まっているそうですが本当かどうかは分かりません。ただ、僕達が行った時入れ替わりで近所の市立S高校にニュージーランドの空港で出会ったのできっとそうなのでしょう。海外はもちろん初めてでした。何泊くらい言ったのか覚えていませんが1週間くらいは行っていた気がします。そのうち真ん中はホームステイ(ファームステイっていうんですかね)。僕達も広大な牧場を持つ家庭に行きましたね。何やらそういう契約だかなんだかしている家庭らしく、僕達の他にもホームステイはあったらしく多くの日本からの贈り物や他校の生徒の写真がその家にありました。皆さんもそんな学生の扱いには手慣れたものらしく、恐らく伝わっているのであろう日本語や片言の英語は無視して、ちゃんとした英語だけを話させようとすることに徹底していましたね。僕達もこれといって不自由はなかったですが。今でもいい思い出ですよ。特にこの時丁度誕生日を迎える友人がいて、ちゃんとホームステイ中にパーティーを開いてくれたり、子どもが集まって一緒に遊んだり(この子たちも多分日本の高校生に慣れている)、農場のお手伝いをしたり(タロイモを植える時期と重なったらしい)、お牛様が飛び交っているのを眺めたり、プライベートビーチとかで生かきをむさぼって「あーあ、当たったな。」とか思いながら身体が強かったせいか誰も当たらずに済んだり、同い年ぐらいの女の子と悪戯仕込んだり、まるで映画の世界のような数日を過ごしましたね。

 そうこうしていると年が明け、さてここで何やら新しいイベントが。福岡の高校演劇界に所属している限り必ず耳にする「地区合同公演」。これは福岡地区の高校演劇部員が自主的に集まり公演を行うというもの。練習は冬休みと学校の終わった後、土日を使って自分たちで公共の稽古場(公民館や市の施設)を使って稽古をします。開場や広報も全て自分達で、費用も持ち寄ります。アルバイトをして稼いだお金やお年玉、お小遣いなどを何とか集めてやります。普段の部活と違うのは1年生、2年生、3年生で完全に別々にやること。因みに3年生は別途「卒業公演」という形で公演を行います。1年生の時はレッドポインター発動で参加していませんでしたが、吹っ切れたこの年は参加しました。この企画、先生方は猛反対でした。もし何かあったら誰が責任を取るのかということを言われていました。なので僕達は高校生が完全に自主的にやっている、学校の部活や先生には迷惑をかけない、社会的ルールを遵守するということを心に誓いやっていました。広報も自分たちで探し、新聞の取材やラジオ出演もするほど積極的に行いました。しかし高校生がそれだけ集まれば何も起こらないはずはない。社会的に迷惑を賭けることはなかったものの、人間関係では青春時代独特の色々なことがありました。その辺りはここでは省きますが、いい経験にはなりましたね。


 さあそして高校生ラスト、3年生。この年は8組。3年生では完全に受験に向けてクラス編成もされるので、愚かな僕は一応国立コースに居ました。担任は数学の親しみある男の先生。まずこの年も部活の勧誘から。この年も豊作となり、この年に唯一いた男子部員の一人が後々僕を驚かせることになるのですがこれもここでは省略。また、この年文化祭は無いので代わりの文化部発表会に向けて引退公演の準備。生徒会もやっていたおかげでまたまた初端バタバタ。そうして引退公演も無事に終えたその日、近所の公園に夜遅くまで最後の終礼をやっていました。わんわん鳴いてくれた後輩達には感謝。そう言えば終礼の儀式は今も行われているのでしょうか。玄関前広場にある丸い模様のところを部員がぐるりと取り囲み、「お疲れ様でしたーーーーー」とひたすら伸ばし誰が最後まで伸ばせるかをやっていて、部長が切らない限りは伸ばし続ける。これはどうも福岡中央高校の風物詩の一つでもあったようで、職員室でも話題になっていたとか。

 そうして夏はまた体育祭の準備に追われ、この年もずっと開場係。しかもこの年は異様に台風が多く、台風が来るたびにテントを片付けなければならないので何度もテントを出し入れしていた記憶があります。しかも皆が練習終わって帰った後にやるのだからたまらんよね。その体育祭が終わるとようやく生徒会引退。僕の後釜にはなんだかちょくちょく関わっていた後輩君が入ったので丁寧に引き継いで生徒会も終わり。体育祭直後僕の性格を変えてしまうような出来事が起こるのですがここではふさわしくないので割愛。

 そこから一気に受験モードといわれるも元々燃え尽き症候群で入った僕だから更にこの時色々なことに燃え尽き症候群が上乗せされ勉強なんてする気も起こりませんでした。3学期になると登校日と卒業式以外は来なくてもよくなるので僕はなにをしていたのか覚えていませんが、一応は各方面に受験に行ったりしてそれなりに受験勉強をしていました。確かこの年からセンター試験も新課程仕様になり、記憶の中では新課程と旧課程が選択できるようになっていた気がします。つまり誤って旧課程を受けてしまうと訳が分からず損をしてしまう。といった感じでなかったでしょうか。更にはこの年からリスニングが始まったのではなかったかと思います。個別に小型の再生機が配られ、自分で聞いて問題を解くのですが、このリスニングでかなりのトラブルがあったようで、まずは機材トラブル多数、騒音トラブル多数あり、結構ニュースでも騒がれていた気がします。あの機材も一度使ったら使い捨てという何とも関環境に悪い仕様でした。今でもきっとああやっているのでしょうね。分かりませんが。


 しかしまあ勉強に関してはもう諦めしかなかったわけで、大学には何処も合格せず。ここで決める選択肢はそのまま高卒を貫くか浪人か。そんなわけで単位自体はあったので、なんとか2005年3月には無事卒業は出来ました。因みに高校では皆勤賞目前だったのですが最後の最後に胃腸炎にかかってしまい、学校でゲロゲロになってしまったので翌日は学校を休み、皆勤賞無しという結果に。

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