高校時代ー1
2003年春、進学を決めた人は概ねここで高校へ入学していることでしょう。僕も志望高校への合格を果たし、真新しいカバンにまたまた新しい校章付きの詰襟学生服で入学式へ行きました。学校は福岡の中心地天神から近い副都心薬院周辺にありました。天神へは徒歩でも行ける距離で、かなりの街中にあったのかと思われがちですが、学校のあった場所は福岡の中でも屈指の高級住宅地のど真ん中にありました。近くには御坊っちゃんしか行かない男子校とお譲様しか行かない女子高があり、なんと言うかその中にごく普通の公立高校があって、なんとなく違和感をはじめに抱いたのを覚えています。学校の周りもお金持ちばかりで、大きな家ばかりが立ち並び、クリスマスになれば壮大なイルミネーションを庭先でやってくれるのでわざわざ見に行かなくとも学校からイルミネーションが楽しめたものでした。とはいえ公立高校としては戦前からの歴史を持つ文武両道の伝統校なので厳格な雰囲気はありました。
さて、今回は初めから学年ごとに高校時代を書いていきたいと思います。入学してからは同じ中学から進学した知り合いも多く、何より幼稚園からの腐れ縁とも言える友人が再び高校でも一緒だということで友達づくりには困りませんでした。この時のクラスは1組、担任は書道の優しいおじいちゃん先生でした。これはうろ覚えなのですがやはりこの時も学級委員をやっていたような気がします。なぜだか1年の時になってしまいがちなんですよね。こうして高校生活がスタートしましたが、僕はこの時志望校に受かったという満足感で完全に安心しきっていました。所謂「燃え尽き症候群」のようなものに陥っていた気もします。頭の中は楽しい学校生活と部活を何にしようかということしか考えていませんでした。学校は自宅からかなり遠い場所にあり、来るまでも30分は掛る場所にありました。しかしあの時はバスだと乗り換えもあり面倒だということになり、自転車で通うことにしたのです。もちろんそうなってくれば中学校の頃のように野球部など激しいスポーツをやるのは自殺行為だと思い、友人たちと何の部活に入ろうかと悩んでしました。もちろん恒例の部活動紹介や体験入部などもあり、その中で「剣道部」が前年先輩が引退してから男子の方が部員がいなくなり、名前だけが残っている状態だということになっていたのです。そこで同じ中学の友人数名は、ここなら先輩も居ないし(女子の方はあったので女子の先輩はいました。しかしそちらも僅か2名)皆初心者だから男子剣道部復活させるか、ということになり、僕達数名と更に剣道経験者が数名入部し、男子剣道部は再び立ち上がったのです。初心者といっても腐れ縁の友人は経験者だったのですが。顧問は若い体育教師。かなり熱血で熱い人でした。更に剣道らしく厳しいこちらも体育の先生が顧問を務めていました。僕達は摺り足の基本から稽古に励むことになったのです。丁度この頃学校のすぐ隣にあった市民体育課では毎年剣道と柔道の全国大会、「玉竜旗・金修旗」が行われていました。野球で言う「甲子園」のようなものです。この年も行われ、確か初めのお仕事はその係だった気がします。すぐ隣に学校があるということで、道場を控え場所として開放し、また様々人が学校を利用できるようにスタッフのようなことをやっていました。そして練習試合も行います。多かったのは御隣のお譲様校。女子高だったので入るのに若干の抵抗がありました。男子もそこで練習試合が行われるのですが、何せ人数が足りないため経験者と上達の早い人がいきなりチームとして出場させられていました。僕はもちろんまだチームには入りません。他にも遠征や合宿などにも行き、ようやく防具も付け始め夏休みも近くなってきた頃、これまた事件が勃発。僕はなかったのですが、顧問と生徒の間に大きな壁が出来てしまったようで、部内の雰囲気が一気に悪くなってしまったのです。そんな時期末テスト前の試験勉強期間の時、剣道部員の長身爽やかイケメンに呼ばれ、屋上に繋がる立ち入り禁止の階段のところで話を聞いて欲しいと言われました。
「俺、剣道部辞めるわ。」
僕はああそうなんだとしか思わなかったのですがそれよりも何よりも「なぜ俺に言うんだろう。」という疑問の方が大きかったですね。
「俺あいつ(お年の方の顧問)と合わんっちゃんね。」
という会話をしばらくして、
「お前ももう辞めた方がいいぜ。」
と言われたのを覚えています。それから彼は試験明けには辞め、それをきっかけに他の友人もずるずると辞めていき、ついに腐れ縁の友人まで辞めると言い出したのです。さて、出遅れた僕はそんなに真剣に剣道がしたかったわけでもないのでじゃあ俺も辞めるか、と思いある日顧問の元へ退部届を出しに行った時でした。
「お前も人のケツ見てまねするんか!!皆が辞めるけんお前もなんやろうもん!」
と職員室中に響く声で怒鳴られ、一瞬職員室が静まり返りました。その時僕は恥ずかしいやら好き勝手言われて腹が立つやらで一瞬かっとなっていました。更にその時、少し前のクラスメートとの会話を思い出していました。
ある日、クラスメートの少しおとなしめの奴と部活の話をしていた時、そいつは演劇部に所属しているらしいことが分かりました。僕も中学時代に興味を持っていたので話が盛り上がり、
「うちも部員足りんくてね。困っとるんよね。演劇部入らん?」
と言われたのです。
それを思い出して僕は咄嗟にその顧問に
「演劇部に転部するんです!」
と言い返していました。一瞬顧問も怯んだようでしたが、急に笑い出し、
「なーにが演劇部や!ふざけとんのか?」
しかしこの言葉が僕の怒りをさらに引き出したのです。その演劇をバカにしたようないいかたと笑い。本気で演劇をやっているやつらに謝れと言いたいくらいの怒りが込み上げていたのです。
「自分は演劇部に行きます!」
もう一度言っていました。すると顧問は再び顔を険しくし、
「なら今すぐ転部しろ!」
その時僕は分からなかったのですが、その顧問の近くに演劇部の顧問もいたらしかったのだ。顧問はすぐにその演劇部顧問のところへ行くと。
「先生、こいつ、演劇部に入りたいらしいんでよろしくお願いしますね。」
と(恐らく)ニヤニヤしながら言っていました。演劇部顧問も急な出来事にキョトンとしていました。
そうして剣道部は辞めることは出来たのですが、僕は演劇部へと入部したのでした。しかし、これがまさか僕のこれからの人生の半分を占めることになるなんて言うことはこの時は思いもしませんでした。演劇部での活動はここでは書ききれないほど長くなるのでまた別の機会にして、演劇部と同時に訪れたのは勉強の悩みでした。
高校へ入学してからあの燃え尽き症候群が取れないまま授業には全く付いていけなくなり、燃え尽き症候群が徐々に諦めに変わってきていました。その甲斐もあってか1年生の期末試験ではなんとなんとの赤点オンパレードという有様を見せつけ、見事なレッドポインターとなったのです。しかも僕の高校には追試がなかったため赤点を続けると留年という悲劇が訪れます。それだけは避けたいとなんとか必死に勉強をするのですが、なぜだかもう頭には何も入って来ず、やはり勉強に関してはもう諦めていました。今高校の頃何の勉強をしたのかなんて言われても全く思い出せません。それほど頭に何も入れなかったのいうことですね。
そして高校初めての夏休みは、演劇部では秋の大会に向けて稽古が毎日入り(一応僕も初端から役者として出ることになったので。)、夏休みの補講に、赤点を取った人専用の補習も行われ、夏休み後半からは体育祭の練習も入り、休みらしい休みは無かった気がします。どうも家に居るよりも学校に居る時間の方が長く、勉強は嫌いでしたが学校自体は僕の落ち着く場所になっていました。もちろん今でも学校へ行くとなんだかほっとします。
因みにこの時の学校の授業は平日の他に土曜セミナー、通称「土セミ」が土曜日に行われ、結局は週5日間授業が行われていました。但しこの「土セミ」は確か選択制で、自分の不得意教科や伸ばしたい教科を自分で選んで午前中だけ行われる授業だった気がします。なんだか小学校時代にもこんなのありましたね。そしてやはり「新課程」に切り替わったのは僕らの代からということで先生方も中学校時代同様混乱していました。特に高校からは科目も複雑になってきますから先生達自身が理解していないこともあったようで、実はやらなくてもよくなった単元をやっていたとか言うことが度々ありました。そして授業時間は大幅に削られ、先生達も時間数が足りないとよくぼやいていました。
そうこうしていると高校の大イベントの一つ体育祭が行われ(文化祭は6月にありますが僕の学校では2年に1度の為この年文化祭はありませんでした)、その頃仲の良かった先輩に引き摺られ、体育祭の実行委員をやらされ、ここからまた生徒会への道が開いてしまいました。この体育祭も高校時代の大きな思い出の一つですね。そういえば僕には体育祭での自慢が一つ。高校の体育祭もブロックで行われ、その縦割りはクラスごとで分かれ、3つのブロックに分かれます(たしか赤、白、青の3つ)。中学校時代と違ってかなり本格的で、その裏方の実行委員もかなり本番まで様々な作業を詰めてやっていました。僕は主に会場設営と本番までのグラウンドの管理を任されていましたね(というかこの仕事地味な割にかなり重要で責任が大きい)。自慢はそのことではなくて、一応競技はどの生徒が何に出るのかというのはクラスで決めます。また、学年ごとにも競技があるのですが、もちろん学年の枠を飛び越えるのもありで、最終的には全員が集団演技を含めた3つほどの競技に出ることになるのですが、僕はなぜだか他学年からのスカウトが来て、ほぼ毎年5つほどの競技に出ることになっていました。特に3年生メインの花形競技、棒倒しには3年生からのスカウトで1年生から毎年出場していました。これがプチ自慢ですね。
秋には初めての演劇の大会で高校演劇にのめり込み、そうして冬に入る頃には勉強合宿なる憂鬱極まりないイベントが行われます。入学当初遠方の宿泊施設で研修が行われるのですが、同じ場所で今度はひたすら3日間ほど勉強をするという忍耐と気力勝負のイベントが行われます。しかもこれは確か毎年。授業や講義はありません。普段はスポーツの練習や大会に使われる巨大アリーナに1学年全員が机に並び、与えられた課題をひたすらやるのです。例えば英語なら与えられた単語と英文をひたすら暗記する(これがまた半端ない量。A4プリントで何十枚分とか。)食事と睡眠以外の時間は朝から夜は遅くまで(希望者はかなり遅い時間まで自習が出来ました。)僕はもうひたすら睡魔との闘いしかしていなかった記憶があります。そんなわけで最後の最後に試験が行われるのですが僕はやはりとんでもなく低い点数しか取れませんでした。
そんなこともあり、赤点ぎりぎりの点数を取りながらもなんとか僕は2年へ上がる資格を取るという、勉強面ではレベルの低いことに喜んでいました。
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