第3話 D・32が作られた理由

「さあ、見てください。これがあなたがクローン技術を使って、再び西暦4500年に呼び戻された理由です」


 やっと慣れてきた目でなんとか見開くと、そこには大型飛行機が一台入ってしまいそうな空間があった。真っ暗で何も見えないその空間のちょうど中心、まるで神が降臨しそうなその一帯に、空からの光が一点に降り注ぐ。辺りのクリスタルがその光を迷わず乱反射させると、時折目をふさぎたくなるような白光が俺を襲った。

 一歩ずつ前へ進み、その中心におかれた物との距離を近づけていった。ようやく視界に入る距離まで歩みを進めると、中央には人と同寸代の物体が置かれ、それは濃い桃色のカプセルによって包まれていた。


「これです。これが先程申し上げた、人類最大の危機、『命・カオスティング』ウイルスから人類を救う、最後の希望『HITOMI・LOVE・PEACE』です」


 そう言って力強く押されたボタンによって、濃い桃色のカプセルが大きい音を立てて開いた。巻きあがる白煙、一瞬、天井からの白光が止んだ。辺りに暗闇が一瞬にして広がる。

 しかし、その中に入っていたものを見て、俺は自分の目を疑った。

「唐鎌さん!」

 俺はその「物体」に急いで近づいていった。そこにいたのは紛れも無く、彼女、唐鎌さんだった。安らかに今にも寝息を立てそうな彼女の体に俺は近づいていった。

「良かった、唐鎌さん。生きてたんだね!」

 しかし、ジョーはただうつむき、先程と同じように表情には薄暗い闇をおとしていた。

「やっぱりそうでしたか。彼女こそがデリトス様が唯一愛した女性、唐鎌様だったんですね」

「何言ってるんだ。彼女は彼女じゃないか、訳の分からない事を言うな!」

 ジョーは無表情で、俺たちの方に近づいてきた。

「見た目は人間に見えるかもしれません、でももし一つでも腕を切り落とせばそこには無数の電子回路が飛び出します。これは精巧につくられた『機械』です。本物ではありません」

「何だって? だってこんなに」

 ジョーがいつもの様にゆっくりと口を開けたその瞬間、一人の白人が飛び入ってきた。

「ジョー! 大変だ」

「なんだ、今、一番大事な時なんだ。もし『D・32』の精神状態に変化が訪れたら、二度と人類にチャンスは無いぞ!」

「来たんだ。ついにここにも……奴が、悪魔が……」

 そう言い終える前に、その白人の姿にかげりが見えたかと思うと、テレビのスイッチが押されたように消えていった。気付けば、辺りにいた白人も数人同じようにもがき苦しみながら、ぐにゃぐにゃと歪んでから消えていった。

「まさか、ひょっとしてもう気付かれたのか、もうここまで『みこと・カオスティング』ウイルスの手が来たのいうのか?」

 ジョーはモニターのスイッチを押した。数々の人々が同じようにもがいていた

「なんてことだ……計算上で、ここは少なくとも後20年は逃げ隠れられはずなのに。ここを失ったらもう人類が助かる見込みはない! 『D・32』よ。一度しか言わない、しっかり聞いていてください」

 俺はゆっくり頷いた。

「デリトス様は消滅なさる直前、『命・カオスティング』ウイルスを撃退するワクチンソフトの開発に成功していたのです。しかし、極秘裏に行われたその研究結果を知るパスワードは、本人以外誰にも教えなかったのです。そのパスワードを私達に告げる直前、デリトス様はウイルスに消されてしまったのです。そこで私達は考えました、このワクチンソフト『HITOMI・LOVE・PEACE』のパスワードはデリトス様の青年時代に何かヒントがあるのではないか、と。そこでデリトス様と全く同じ人間をもう一人作成してみれば何かわかるのではないか、と。そこであなたの登場です。さあ、チャンスは三回、あなたなら、一体どんなパスワードをこれに作りますか?」


 どんなパスワードだって? チャンスは三回? そんなこといきない言われても。


 その間にも、モニターに映し出された人々は耳をふさぎたくなるような悲鳴を上げて消えていく。なんとかしなければ。

 一つ俺はうつむくと、拳に力を込めた。

「分かった。やってみる」

 それから俺は、その機械に向かっていった。それにしてもそっくりだ、茶色がかった美しいロングヘア、控えめな唇、すらっとした白くて滑らかな腕。胸の前で組まれた腕はまるで天使が祈りを捧げているよう。

 これが偽者なんて……いやそんなことはどうでもいい。まず俺は一つ深呼吸をした。


「よし、い、行くぞ……ひ、ひ……」

 辺りは一斉に息を飲んだ。ただ辺りには静かに電子音だけが響く。それから俺は大きな声で、

「ひらけーごまぁぁぁぁ!」

 辺りに静寂が走った。しばらくたって機械が反応した。

 唐鎌さんの胸の辺りがゆっくり赤く点滅した。

「ジョー、これは?」

 ジョーは冷汗を垂らしながら、こう言った。

「駄目です、赤の点滅は失敗という事です。チャンスは後二回、いい忘れましたがパスワードはなにも言葉だけとは限りません。何か動作も混じっている可能性もあるのです」

「それを早く言ってくれよな。パスワードって言ったって……分かった。じゃあこういうのはどうだ」

 俺はその機械の肩の上に手を置いた。辺りの皆も思わずその様子を覗きこむ。それから俺はその機械を大きく揺さぶった。

「おーい! 唐鎌さん! 起きてくれ! そして人類を救ってくれ……」


 しばらく辺りに沈黙が走った。


 ジョー、そしてその他の白人達の冷汗が少し増えたような気がしたのは気のせいだろうか。

 そして間もなく、やはりその機械の胸には赤いランプが点滅した。

 くそ、やっぱり駄目か……

「『D・32』よ。真面目にやってください。あなたの動作に人類の命運がかかっているんですから」

「分かってるさ、そのくらい。パスワードなんて言ったって……」

 そんなパスワードだなんて言われたって。だがしかしその時、俺の頭の中には別の思考が働いていた。


 人類の危機、ウイルスの蔓延、デリトスのクローン、訳の分からないことが起きすぎた。

 たとえ人類が全て滅びてしまおうとも、たとえ自分が人類最後の希望だったとしても、関係無かった。


 もうすでにあの子はこの世にいないんだ。


 もうあの横顔を見つめることも、話を交わす事も出来ないのだ。何がパスワードだ、何が最後の希望だ、俺には関係無い、ただ俺の最後にしておきたかったことは………


「おい、『D・32』よ、何をする気だ?」


 俺はその機械…いや、彼女を抱き起こした。

「うるさい! もう全部止めだ! 俺は『D・32』なんかじゃない。もちろん、デリなんとかのクローンでもない。一人の『三枝淳二』だ! 必死に十数年を生きてきた、たった一人の彼女を好きになったただの一人の人間だ! もう人類なんてどうでもいい、ただ俺の遣り残したことは……」


 おいっ、待て! そう言って白人達が俺を止めようとする間に俺は彼女を抱き上げたまま彼女の閉じた目をじっと見つめた。


「ねえ、唐鎌さん。こんな変な男だけど……」

 俺は少しためらったが、そのまま胸を大きく張るとこう言った。

「こんな男だけど、君の事が好きだったんだ。もう君はとっくにこの世にいないかもしれない。とっくに燃やされて、とっくに骨だらけになっているかもしれない。でもここにいる俺は確かに……君の事が」

 俺の目蓋から一粒の涙が零れ落ちた。

「君の事が好きだったんだ!」

 しばらくの間の沈黙が辺りを包んだ。


 これでいい、これでいいんだ。俺は自分の思いを彼女に届けたのだ。天国の中村よ、見ててくれたか? 俺の勇姿を。もういい俺は……そのまま俺はその場にへなへなと座りこんだ。

 ジョー、そしてその他の白人達もがっくりとその場に倒れこんだ。それはまるで精気を抜かれた針がねのようだった。

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