第2話 三枝淳二の正体が明らかになる…

 俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。

「おかしい。俺は今の今まで、薄汚い自分の部屋に寝ていたはずだ。それなのに……」

 俺は四方を囲んでいた「鉄のような」壁を触ってみた。薄暗く、どこか青白い。なんと表現していいか分からないその色を指でこすると、まるで粘液を分泌している生き物の肌のようにぬるりとして気持ち悪い。


 そのままなぞった指を上に移動させ、そのまま天を仰いだ。

 青黒く、そして重々しいその壁はまるで天国まで続きそうなほどに高くそびえたっていた。その先にあるまぶしい白光は果たして太陽になのか、スタジアムを照らすようなまばゆいライトなのか、あまりにも遠すぎて確認できなかった。

 俺が思わずあとずさりし始めたその時、


「うわっ!」


 喉の奥から思わず驚嘆の言葉が飛び出した。

 もうそこに今まで俺が潜っていた布団はきれいさっぱり無くなっていた。気付けば自分は全身銀のタイツを穿いていた。よく見ると、SF映画で出て来る宇宙服のようにも見える。

 これは一体なんなんだ、夢? それにしては体が思うように動かせ過ぎる。ひょっとして、あまりの俺の緊張した精神状態が、俺の頭をおかしくしてしまったのか? そう思いながら俺はもう一度上を見上げてみた。

 一生懸命ジャンプして、やっと届くか届かないくらいの高さに、監視窓のようなものがついている。


 誰だ……?


 そこには3人程の「人影」らしきものが見え隠れしていた。その様子といったら、ただじっと俺の一挙手一投足をにらみつけているようにさえ思われた。この状況を一言で言うのなら、俺はまさにそいつらの「実験動物」だった。


 何なんだ、これは。そもそもここは一体? 


 この、俺を囲むおよそ4m四方の奇妙な壁が、俺の心を次第に締めつけていった。今にも気が狂いそうだ、お願いだから助けてくれ……

 しかし、そんな俺の祈りは結局天には届く気配は無かった。事態は予想だにしない、恐るべき方向に進んでいったのだ。


 突然、ギーーー、という音と共に、なんの変哲も無かった鉄の壁のようなものが、大きく開いた。そしてゆっくりと何者かが近づいて来る。


「誰だ?」


 その暗闇に潜む人影はしばらくその場に立ちつくしていた。辺りには、キー、だとか、キュルルル、だとかいった不気味な電子音が相変わらず響く。

 その暗闇の人影がやがて歩き出し、次第に光のあるところにやって来た。するとその人影の様子がうっすらと浮かび上がってくる。しかし、その見えてきた人影の正体を見て、俺はその気持ち悪さに吐き気を催した。思わず口内には酸味のある味が広がった。


 白い……足元から頭の先まで、全身が真っ白な服だった。うっすらと見える顔の表情も、一かけらも人間らしさをのこしていない。

 こいつは一体誰なのか? 俺は一体どうなってしまうのか? 俺は思わず、口内にたまった唾液飲みこんだ。喉にちくり、と唾液の酸味が刺さった。


「お久しぶりです、デリトス様」

「お久しぶりだって? 俺はあんたなんか見たことも出会った事もない、変な事を言うのはよせ」

 すると、その白い人、白人とでも言おうか、そいつは、少し目つきを緩めた。ひょっとしたら笑っていたのかもしれない。

「相変わらずですね、デリトス様。あなた様にこうやってもう一度会えるとは思ってもみませんでした。もうかれこれ100年になりますね、あなた様を我々が失ってから」

 失ってから? その響きに俺は、言い様のない不安を覚えた。俺はこいつらの物なのか? それとも……そう考えている俺をよそに、その白人の周りにはどんどん他の白人が出てきた。総勢4,5名といったところだろうか?

「……なんだ、お前ら! 俺はデリ……なんとかじゃあない! 三枝だ、三枝淳二だ」

 それを聞いて白人達は目を合わせた。それからゆっくりうなうずくと、こう説明を始めた。

「驚かせてすみません、デリトス様。あなた様に納得のいってもらうように、少々説明をしなければなりません。それはあなたにとって、とても残酷かつ、とても信じられない事かもしれませんが、仕方の無い事です。これが事実なのですから」

 俺の額から大粒の汗が零れ落ちた。

「今の時代は、ミッドネス3.5。あなたの知っている西暦というもので表現するならば4500年といったところでしょう」

「……4500年? 俺の時代は2000年のはずだ。すると、タイム……スリップ、なのか?」

「いえ、正確には違います。というよりむしろそれは、全くの間違いです。何故ならあなたは、ずっとミッドネス3.5、つまり西暦4500年代をさまよっていたのですから」

 意味がわからない、本当にふざけるな、こいつら。俺は体の中に熱い苛立ちが徐々に立ち込めるのを感じていた。

「どういうことだ? だって俺は……」

「こちらをごらんください」

 すると、先程の俺を囲んでいた鈍い銀色の壁の一部が正方形に、まるでスクリーンの様なものに変化した。そこには一人の科学者らしき人物が何か実験をしている姿があった。

「ミッドネス……いやこれからは分かりやすいように西暦と呼ぶ事にしましょう。西暦2050年、我々人類の歴史を大きく変える発見がありました。それはイギリスのマグネット氏が責任者を努める、L.M.R実験団が開発した『脳生存持続法』です」

「脳生存?」

「そうです。肉体的には死んでしまっても、脳さえ生きていれば、その人物の人格、その他の能力は半永久的に生きつづける、というものです。これによって、その後現れた様々な天才の脳が死ぬ事は無く、永遠に動き続ける事になったのです。また、様々な保存されていた歴代の科学者の脳も、もう一度動き出すことが可能となったのです。ニュートン、アインシュタイン、そして……あなた、デリトス様」

 俺はその場違いな言葉に耳を疑った。

「天才……科学者?」

 白人は何も言わずに先を続けた。

 スクリーンには様々な一般人がコンピュターに向かう姿が映し出された。

「あなたが見ていたシュミレーション……いや、あなたが見てきた人生は丁度インターネットが生まれた時代ですね。今の私達から見れば古き良き時代です」

 その言い方は明らかにその時代の事を馬鹿にしていた。

「その、『脳生存持続法』によって生み出された沢山の科学者のおかげで、インターネットはどんどん普及していった……例えば、インターネットを使った遠隔地方の人々の医療行為、発展途上国への技術の提供、これらも全てインターネットで行う事が出来るようになったのです。さらには、学校や大学等の授業、そして毎日の買い物、結婚、戦争、政治、その全てがインターネット上で行われるようになったのです。西暦3000年代の話です」

 さすがの俺でもそんなSFをどこかで聞いたことがある。大体その結末は危険なオチが待っている。

「そんなことをして、もしウイルスにでも感染したら……」

 白人はまた、先程の笑みをこぼした。

「そうです、その対策方法を考えたのがデリトス様、あなた本人です。あなたが、いや正確にはあなたの脳が、史上最大のウイルス対策ソフト『VENKEI』を考えだしたのです。もうかれこれ、あなたの肉体が滅びてから800年後のことです。この功績が無かったら、今のようにインターネットが生活の隅々まで普及することは無かったでしょう」

「……いまいち良く分からない。そもそも俺は一体何者なんだ?」

「では説明しましょう。あなた様、つまり三枝淳二氏は1987年、日本に生まれる。その後様々な活躍をした後、2062年、死亡……」

「死亡?」

「そう、その後脳生存持続法により、三枝・デリトス・淳二として生きかえります。その後、2871年デリトス様がウイルス対策ソフト『VENKEI』を発明しました。しかしその1000年後、三枝・デリトス・淳二氏、消滅……」

 どきり、とした。他人事と思いたくても、つい感情移入してしまうそのデリトスとかいう人物、というか存在が消滅。それはまるで自分が殺されたような気持ちの悪い感覚だった。

「なんだよ、消滅って。そのなんとか法を使えば、脳は半永久的に生き続けるんじゃないのか?」

 白人は顔をしかめたようだ。その他の数人も、うつむき、何かを胸の中にこらえていた。

「デリトス様。あなただけではありません、その他の沢山の科学者を私たちは一瞬にして失ったのです。たった一つの悪魔によって。その悪魔の名前、それは……」

 一瞬時が止まった。

「その悪魔のウイルスの名は、みこと・カオスティング、です。あぁ、口に出すのもおぞましい、そのウイルスがついに『VENKEI』を打ち破ってしまったのです。それからはあっという間でした。歴代の科学者の脳は、修復不可能になるほど壊され、インターネットを脳に内蔵していた様々の人々は人格崩壊に陥りました。それによって、正常に生きている人は元の100分の1までに減ってしまいました」

 白人達は全身で肩を落とし、いかにもがっかり、というしぐさを見せた。本当に悲しそうだった。

 その直後、すっと顔を上げると、その背後にあったトビラが一度閉じ、また開いた。

「こちらへ来て下さい」

 そう言って白人達は扉を出ていった。俺も一つ辺りを見まわしてから、その後に続いた。

「生き残っているのは、もうわずかになってしまいました。かろうじてそのウイルスの打撃からの修復が可能な人々はここに収容されています」

 白人はそういいながら廊下のようなものを歩いていた。慌ててその後ろをついていくと、その横の窓から見える部屋には過度に笑い続けるもの、同じ所を歩き続けるもの、何かに怒ったり、泣いたりをしつづけるもの、様々いた。そのまま歩きつづける俺に、その白人は、

「申し遅れました。私の名は、ジョー・中村・プレイシュース、といいます。中村というところはデリトス様がつけてくださいました。皆は私のことをジョーと呼びます」

「ちょっと待て!」

 何かが俺の頭を過った。思わず俺はその場に立ち止まった。

「すると、中村はどうなっちゃったんだ? 土屋は? 吉田は? それから彼女……」

 俺と他のジョーを含めて白人の4人はその場に立ち止まった。

「彼女、唐鎌さんはどうなったんだよ?」

「……ました」

「え? なんだって?」

「死にました。みんな、とっくの昔に。もうすでに燃やされ、灰になり、骨だけになってから久しいです」

「何だって? 何言ってるんだ、お前」

 ジョーは、表情一つ変えなかった。

「何を言ってるんですか、デリトス様。今はもうあれから2000年以上経っているんですよ? 生きているはずないじゃないですか」

「……そだ」

「はい? 何ですか? よく聞こえませんでした」

「そんなの嘘だ! 嘘に決まってる! 昨日まであんなに元気に生きていたじゃないか! あんなに元気よく……中村だって、いつも困った時は俺を助けてくれて、昨日だって俺をいつものように勇気づけてくれたぞ。……そうだ、俺は明日、彼女に告白するんだ、うまく行かないかもしれないけれど、彼女に告白するんだ。死んだなんて嘘だ、俺は絶対に信じないぞ!」

 そんなふさぎこむ俺に、白人達はジョーに一つ耳打ちをした。それを聞いてジョーは一つうなずいた様子だった。

「デリトス様、申し訳ありませんでした。少し言い過ぎました。でも今私が言ったことは全て本当の事なのです。信じていただくしかないのです」


 もういやだった。


 何がデリトスだ、何がジョーだ、俺の知ったことではない。俺はただ普通の中学に通う、普通の中学生だったはずだ、そりゃちょっとさえない奴だったかもしれない、だけどだからと言って、こんなひどい仕打ちは無いじゃないか。もう何千年も前にみんな死んでしまっているなんて。

「わかりました、言いましょう。いきなりこの事実を告げるのは衝撃が強過ぎると思って伏せていたのです。あなたの本当の正体をお教えしましょう」

「本当の正体だって?」

「そうです。あなたはデリトス様ではありません、もちろん、三枝淳二でもないんです」

 俺はふとジョーを見上げた。

「デリトスでも三枝でもない? じゃあ俺は一体……」

 ジョーはうずくまる俺に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「あなたはクローンです、デリトス様のクローンなのです。デリトス様の脳細胞のかけらを用いて作られた、我々の実験作32号。コードネームは『D・32』」


 D・32。おれはその響きをぼそっと反復した。


「そうです。クローン作成を開始してから、32番目に成功したから、32なのです」

「クローン? そんなものに何の意味がある。結局クローン技術を使って全く同じ遺伝子を持った人を作り出したとしても、周りの環境や、置かれた状況によって、みんなほとんど別の人格になってしまう、違うか?」

 ジョーはその表情の無い白い塊の顔で、うんうんとうなずいた。

「そうですね、でもこうだったらどうしますか? もし全く同じ遺伝子を持った人物二人、その二人が、全く同じ環境、状況に置かれたとしたら……。そこには全く同じ人が二人出来上がるわけです。あなたは、デリトス氏の青年時代と全く同じ環境のシュミレーションを過ごしてきたのです。今の時代、こんな事はたやすいことです」

 全く同じ? シミュレーション? その言葉が俺の頭をぐるぐると回った。

「そんな、じゃあ俺が過ごしてきた何年間は嘘だったっていうのか? でもなんでそんな面倒なことを……?」

「それはこれをご覧になれば分かっていただけるはずです」

 そういって、ジョーは突き当たりの壁に手を当てた。すると他の白人達も、各々、同様に突き当たりの壁に手を当てていった。

「この部屋の奥には、パンドラの箱に残された、人類の希望が入っています。今こそ封印を解く時です」

 そう言って徐々に開きだしたその扉に、俺は思わず目を伏せた。あまりにその部屋からの光が眩しかったからだ。

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