クローン人間は世界を救う

木沢 真流

第1話 三枝淳二はただ告白をしたかっただけ

 汗がだらだら垂れる。心臓が破裂しそうに波打っている。先生の黒板の字を写す俺の手もゆらゆら揺れて覚束ない。ああ、どうしよう、ついにこの日が来てしまった。もう駄目だ、神様、助けて……


「ではこの問題を、三枝。答えてみろ」


 はっ! と俺はその場に飛びあがった。


「はっ、はい。えーとですね、それはかなり重要な問題、かつ人生の岐路を分ける、むずかしいものです」


 一瞬、3年C組は時が止まった。


「つまりですね、人を愛するという事は、神が与えた試練であり、その……」


 俺はやっと我に返った。あーあ、またやっちまった。

「おい、三枝。おまえみたいな中学生が、よく人生だとかなんとかの話をできるよな。もういい、次、富内。答えてみろ」

 俺はへなへなと椅子に転げ落ちた。そしてすかさずあの子を見る。

 その美しい横顔が俺の視界に入ってくるとまもなく、また心臓が激しく波打ち始める。

 しかし、あの子はただ前をみつめ、静かに黒板の字を写しているだけだった。

 

 大丈夫だろうか? 変な人に思われていないだろうか?


 そんな俺の不安をよそに、あの子は隣の席、サッカー部の吉田に話しかけられていた。にっこりと笑うあの子、太陽のようにまぶしくて目を細めたくなった。奥の吉田の笑い顔は洗う前のジャガイモみたいに黒ずんでいた。


 あー、きっと俺のことを笑っているんだ。もう駄目だ、俺はおわり、おしまい、おしまし……


「はい、じゃ、今日の授業はここまで! 明日は終了式だな、みんな……」


 俺はその先生の言葉を一つたりとも頭に入ってこなかった。ただ遠くを見つめ、持っていた鉛筆は床におち、だらりと椅子に体をもたれかけさせていた。


「おーい、三枝。大丈夫か、みんなもう帰っちゃったぞ?」

 俺はその中村の声にやっと現実世界に戻った。

「今日は三枝の大事な日だろ? しっかりしろよな」

「あ、ああ……」

 そんなこと俺にも分かっている。だがもう駄目だ、きっと俺はおかしな人と思われているに違いない。第一、唐鎌さんのようなかわいい人はぜっったいに俺なんかには目もくれない。

「もう駄目だ。俺」

「おい! そんなこたぁ分かってる。駄目で元々だろ? 頑張って『明日の終了式の後、会ってくれないか』って聞いてみろよ。噂だとサッカー部の吉田も明日、唐鎌を狙ってるらしいぜ」

 なんだって? 俺は0.2秒でその場に立ち上がった。思いっきり立ったその衝撃で膝を机に当て、そのしびれでもう一度椅子に座った。

「なんだって? あぁ、もう駄目だ。俺の人生良いことなかったな」

 中村は俺の背中を、ボン、と叩いた。

「おい、しっかりしろよ! あんな女ったらしより、お前みたいに一途な奴の方がずっとカッコイイぜ。俺には分かるからよ」

「本当にそうか? なんだかちょっとだけ、勇気が沸いてきたかもしれない」

「そうだ、その調子だ。俺も途中まではついていってやるからよ」

 俺の手の震えもやっと収まってきた。

「よし、分かった。やってみる」

 中村は大きくうなずいた。


 だが、告白実行場所であるC号棟の廊下までくると、やっぱり駄目だった。

「なあ、やっぱ帰ろうぜ。チャンスはきっとまだあるって」

「それじゃあいつまでたってもお前は変われねえよ。あの吉田なんかに唐鎌を取られてもいいのか?」

 それは絶対にイヤだった。その俺の表情をみて中村は、

「そうだろ? 今しかチャンスは無いんだ、だから………あっ、来た!」

 俺はその方向を見た。本当に来た、しかももうすぐそばだった。友達の土屋と一緒だ、肩にはテニス部の部活のラケットバッグをかついでいる。

「よし、ここは一つ男を見せてやれよな!」

 そういって中村は馬鹿力で俺を廊下に押し出した。


 そんな、ちょっと待ってくれ……


 不恰好に俺は彼女と土屋の二人の前に現れた。

 時が止まった。

 俺の頭の中は真っ白だった。頭から足のつまさきまで血の気が引いていって、今にもそのまま倒れそうだった。


「三枝……くん?」


 そういう土屋の声が少し笑っていた。

「いや……ち、違います。いや、違いません。そうです、そ、その通りです」

 隣の土屋は笑い出すのこらえていた。いつもこうだ、何故かみんなは俺の顔を見るだけで笑い出す。だが、彼女だけはただひたすら俺の目を見つめているだけだった。

「なにやってるの? こんなところで」

 彼女の声だ、一瞬だけ、そこに天使が舞い降りた。

「い、いや、唐鎌さん。明日……明日の終了式の後……」

 どうした、俺よ! 何百回も家で繰り返してきた言葉じゃないか!

「明日の終了式……晴れるといいね、なんてね。何言ってんだろ、俺」

 そう言って笑い出す俺に、彼女もやっと少し笑みをくれた。

「そうだね、晴れるといいね。でも予報だと降水確率90%で大雨だって。でも晴れるといいね、せっかくの終了式だもんね」

 そう言って、彼女は土屋に連れられるようにその場を去って行こうとした、あぁ、もう少しだけ待って、お願いだから……


「ねえ、あのさ!」


 そう叫んだ俺の声に二人は振り返った。俺は彼女の方をじっと見つめた。


「明日の終了式の後、またここに来てくれないかな……もし、暇だったらでいいんだけど」


 彼女はただじっと俺の目を見つめ返してきた。

 俺もじっと見つめ返す。駄目だ、ここで負けて目を反らしてしまったら、本当の意味で負けになる。俺はフラフラしながらも、視線だけは一箇所、彼女の瞳を見つめていた。

 やがて彼女は、ふふっ、と笑みをこぼした。

「いいよ、分かった。じゃあね」

 そう行って二人は去って行った。

 その様子を影でみていた中村が、おそるおそる姿を現した。

「よくやったじゃないか、今のお前、すごく男らしかったぜ」

 俺はただその場に呆然と立ち尽くしていた。

 それから俺は何をしたのか、何を思ったのか、まったく思い出せない。ただ俺の心の中は、不安で一杯だった。期待など一かけらもない、ただ、不合格発表を待つ受験生の様に俺の心は暗く沈みこんでいた。


 夜の布団の中、俺は考えていた。

 明日はいよいよ、不合格発表だ。今までの中途半端な学校生活から、いよいよただ薄暗い学校生活になっていくのだ。あぁ、気が重い、そう思いながら俺は布団を頭から被り、目を閉じた。


 「………」


 俺が布団の中に入ってから、一体何時間たったのだろうか? 外はほんのり明るかった。

 ひょっとしてもう朝なのか? 

 いや、まさか……確かに俺が布団の中に入ってからそれなりの時間は経っているだろう。だがさすがに朝を迎えるには早すぎる。俺は思いっきり布団を跳ね飛ばしてみた。すると、


「なんだ、これは……」


 俺はその場に飛びあがり、ただ茫然と立ち尽くすしかできなかった。

 何故ならそこには驚愕の世界が広がっていたからである。

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