棘と女

makoto

 僕は、あの体験を鮮烈せんれつに覚えている。

 まぶたを閉じれば情景が浮かぶ。

 安っぽいベッドとシーツ、タバコの残り香。

 カビ臭い空気清浄機、薄暗い部屋。

 情事ことが終わった後の気まずい空気。

 「私の名前、覚えてる」

 女がたずねた。

 「覚えてるよ、ゆうなだろ」

 僕が答える。

 「ちがうし」

 女が答えた。

 気まずさが倍増した。

 ただ、それだけのこと。



 僕の彼女は僕以外の男をる。僕と付き合うまでに何人かとお付き合いをしていたと聞いていた。

 僕は気になってしまう性質たちで、彼女を責めるように昔の男の話を執拗しつように聞いた。彼女はサッパリとした性質で、表面上のことは何でも教えてくれた。

 どこに旅行に行ったのか。

 何年付き合っていたのか。

 どこまでやったのか。

 聞かなければ、幸せだったと思う。でも聞きたかった。それを知っても、彼女の事を愛することができれば、それは本物だと思っていたから。

 きっと、僕の愛は本物だった。そのはずだ。



 彼女と付き合い始めて、そろそろ一年が経とうとしていた。もう結婚の話も出て、お互いに幸せになる予定だった。

 二人の回数は月に四回程度。週末の土日に、五時間のをとるようにしていた。

毎回、僕は平均で三回程度、彼女は平均で四回程度達していた。体の相性は良かったと思う。不満など、まったくと言って良いほど無かった。だから僕が、そういう店に足を運んだのは、ちょっとした気まぐれだったと思う。彼女以外の女性を知らないまま、一生を終えるのが無性に悔しくなったんだと思う。

 本当に、つまらない理由だったと思う。



 「いらっしゃい、どうします?」

 恰幅の良い髭もじゃの男が聞く。

 「ホームページに載ってる、このコースで」

 僕が答える。

 「お相手、こちらの中からお選びください」

 口が臭い。話し方がオカマっぽい。

 「じゃあ、この人で」

 黒髪で一番大人しそうな人を選んだ。

 「代金先払いです。」

 下ろしたばかりのお札を渡す。

 「それじゃあ、隣の部屋でお待ちください。すぐにお呼びします。」

 僕は、この時かなりハイになっていた。初めての経験だし、をお金で買えてしまう事に奇妙な達成感を感じていた。



 「それじゃあ、少し歩くから、着いてきてください。」

 とても写真写りの良い女は言った。

 僕は女の横を歩いた。少しがっかりしていた。手をつなぐかと聞かれたが、断った。

 女は息が荒く、体調が悪そうだった。呼吸が乱れ、少し歩いただけで、暑いと愚痴をもらしていた。

 その場所は、五分ほど歩くと着いた。着いてからは、流れるような作業だった。

 シャワーを浴び、情事を済ませた。店で禁止されている行為こともした。

 僕は、きっと特別なんだと思った。舞い上がって、ラッキーだと思った。

 結果的に、手と口が疲れるから、というのが女の言い分だった。

 僕は、最後に病気の検査をしたのは何時いつか尋ねた。

 女は、したことが無いと答えた。


 

 情事の二日後は週末で五時間の休憩だった。僕はいつもどおり三回で、

彼女は四回だった。何もかが、いつもどおりだった。

 その日の晩、熱が出た。37度5分だった。

 「微熱かな?」

 そう思った。一時間後、熱は38度まで上がった。

 明日は、彼女とデートの約束だった。

 彼女に電話をして、デートは延期した。

 「大丈夫?無理しないでね」

 彼女の言葉が痛かった。

 すぐにインターネットを使って、病気のことを調べた。

 なんだか太腿ふとももの付け根が腫れている気がする。

 息子にも異常がある気がする。

 熱も、上がっている気がする。

 何もかもがだった。気持ち悪かった。黒いもやがかかったみたいだった。

 なにより、彼女に黒い靄が感染うつってないか心配した。

 彼女には打ち明けることはできなかった。


 僕は不安ではち切れそうだ。

 眠れないし、食欲もない。

 仕事も彼女との会話にも身が入らない。

 一生背負い続けないといけない場合もある。

 検査は一ヶ月経たないと正確な結果が分からない。


 ああ、死にたい。

 死にたい、死にたい、死にたい。

 時間を戻せるならやり直したい。

 彼女と一緒に笑いたい。

 楽しい時間をすごしたい。

 


 写真写りの良い女は、僕とした日以降、店には出勤してないそうだ。

 なんでも、体調不良らしい。 

 今日も僕は、不安を抱いて生きる。

 三ヶ月後まで、不安は続く。

 もしかしたら、三ヶ月経っても、不安は残るかもしれない。

 


 棘は目には見えない、そして心に刺さる。

 棘は抜けない。

 黒い靄がかかる。

 靄がかかる。

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棘と女 makoto @makotohanaoka

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