第5話 おじいちゃんの家<曾おじいちゃんについて>
おじいちゃんのお父さん、曾おじいちゃんは大番頭さんとの約束どおり一切の贅沢はしませんでした。
祇園に出かけるのも町の旦那衆との付き合いの中で、どうしても断れないようなことがない限りはいくこともなかったのだそうです。
逆に、人が捨ててしまうような草履まで「まだ履けるし、捨てるんやったらおくれ」と言って貰ってくるような人だったのだそうです。
そして、当時の大きな商家の旦那衆がするように、妻以外の女の人をよそに囲うということもなかったのだそうです。
私のおじいちゃんは末っ子で、お姉さんが3人います。
初めにお話しましたが女系家族であったおじいちゃんの家では初めての男の子の誕生に、それはそれは喜んだのだそうです。
そのままいけば、多分、幸せな家族ですんでいたのかも知れませんが、この話しを聞かされ続けてきた私には、おじいちゃんという跡取りの男の子が生まれたことで、なにか目に見えないものを運んで来て、それぞれの人生が少しずつ初めに考えていたこととは違う方向に行きだしていたのではないかと思ったのです。
勿論、戦争という、一人の人間の力では避けられない出来事も大きく影響したのだとは思いますが…。
どうしてそう思ったのかというと、今とは少し事情が違うとは思いますが、昔は家(家長制度が当たり前の厳格な時代)を継ぐ跡取りの男の子が生まれたというのは、とても重要なことでした。
まして、女の子ばかりが生まれて婿養子をとり続けていた家にとっての初めて生まれた男の子は、周りの人たちから見ても重要なことだったようです。
婿養子に入った養子さんのお陰で女系家族の家に男の子が生まれた。
跡取りさんが出来た。
(今の時代からは考えられないような受け取り方というか、考え方ですが)
今までは肩身の狭い養子さんも、ちょっとくらい羽目を外してもいいやろうと、知り合いの旦那衆が、
「えらいべっぴん(美人)さんで、舞いの上手な舞妓がいてるから」と言い。
何度も断る曾おじいちゃんを「まぁ、いっぺん騙されたとおもうて…」といって祇園の座敷に連れて行ったのだそうです。
そして曾おじいちゃんの目の前に現れた、その舞妓さんは旦那衆が「祇園で一番や」というのも無理はないというくらいのべっぴん(美人)さんで、舞い踊るその姿はまるで天女のように美しかったのだそうです。
この話を祖母から聞かされた私が思うには、そのとき曾おじいちゃんは、その舞妓さんに恋したのでは無いかと思います。
多分、本人さえ気づかない一目惚れだったのではないのかと思ったのです
そして、まるで天女かと思うほどの舞い姿を見せてくれた舞妓さんのことを、曾おじいちゃんは曾おばあちゃんに、男女の関係を持つ気はない、ただ、あの舞いの才能を自分が花開かせてやりたいから、金銭面で後押しさせてもらってもいいかと聞いたのだそうです。
それまで曾おじいちゃんは大店の主にもかかわらず、贅沢は一切してきませんでした。
女遊びもしませんでした。
大番頭さんとの約束通りに、ただただ店を大きくすることの為に身を粉にして働いてきたのを、もしかしたら好きな人がいたかもしれんのに、自分を大事にしてきてくれたことを曾おばあちゃんは知っていました。
そしてなにより、正直に自分に相談してくれる曾おじいちゃんの誠実さに対して「この店の主はあなたです」と言って、その舞妓さんの後押しを曾おじいちゃんがすることを受け入れたのだそうです。
そして、曾おじいちゃんはその舞妓さんに向かい、
「私はあんたと男女の関係になる気は無い。ほんまにあんたの芸を花開かせたいや、お金は心配せんでええ」
といって、自分がその舞妓さんの旦那になってもいいかと本人に聞いたのだそうです。
初めはその舞妓さんも、口であんたの芸に惚れたとか、男女の関係はないとは言っても、そんなもんは花街の口約束だけのことで信用は出来ん。
おまけに自分よりも随分と年上で、しかも養子さんに自由になるお金があるのか?口だけで自分を騙そうとしているのではないか?と疑ったのだそうです。
多分、それは至極当然のことだと思います。
今は知りませんが、当時、舞妓さんの旦那になるには相当な財力がなければ後ろ盾になれないと聞いていたので、いくら大きな商いをしている店の主人とはいえ、養子に店のお金を自由にできるのかは疑問だったでしょうし。
事実、曾おじいちゃんのしまつ(節約)ぶりは有名だったそうですから、お金の心配はいらんと言われても「はい、そうですか」とは信用出来ない、まして、舞妓さんにしてみれば、自分よりも随分と年上のおじさんに対して恋愛感情をもつことさえ想像出来ないことだったと思います。
だからでしょう、その舞妓さんは(客商売ですから)はっきりとは断りませんが、やんわりと曾おじいちゃんの申し出をはぐらかしていたのだそうです。
そんなことが暫く続いて、とうとうその舞妓さんも曾おじいちゃんの申し出に根負けしてしまい。それでは、「男女の関係がないなら」と自分の旦那さんになってくださいとなったそうです。
ですが世間は「やっぱり養子さんとはいえ、所詮は男、若いきれいな女には弱いんや」と陰口をたたかれたそうですが、事実は違います。
曾おじいちゃんは世間が言うようなことは一切しませんでした。
ただただ、その舞妓さんの芸に惚れて、舞い姿に惚れて金銭的な援助をしただけです。
二人の間には世間の言うような男女の関係は一切ありませんでした。
そんな関係が一年、二年と続き、ある日その舞妓さんが、えらく怒った顔で曾おじいちゃんに言ったそうです。
世間では、自分(舞妓さん)と曾おじいちゃんは男女の関係があると嫌らしい噂している、そんな事実はどこにも無いのに、いくら自分が違うと言っても誰も信用しない。
それどことか、舞妓に嘘つかせるセコイ男やとおもしろおかしく噂して、旦那さんのことを養子のくせにと影で散々悪く言っているのを聞いて腹が立った。
旦那さんは、そんな嘘八百言われて腹が立たないのかと真剣に怒りながら聞いたのだそうです。
でも、曾おじいちゃんは舞妓さんに対して笑いながら、そんなのはほおっておけばええことや。人さんいうのは何かにつけて他人さんのやることが気になって噂するものやから、いちいちそれを気にしてたら身体がもたん。
それに、このことはあんたと私の約束事やから、いちいち人さんに言うてまわる必要もない。私は、あんたが祇園の晴れ舞台で一番に舞うのをいっぺん見てみたいだけなんやと言ったのだそうです。
それを聞いて、その舞妓さんは泣いて曾おじいちゃんに謝ったのだそうです。
自分も旦那さんは、自分の芸に惚れたといいながら、本当は自分の身体が目当てのいやらし男さんやと思っていた。だから、お金を出してくれるというなら出させたらええ、もし、いやらしことをちょっとでもしたら、約束が違うと大声出して恥じかかせて逃げたらええと思っていた。
でも、今日の今日まで旦那さんは自分に指一本ふれへんかった。それどころか約束通りに自分の芸の上達の為に惜しみなくお金を使ってくれた。
それなのに自分は、旦那さんのそのきれいな心を見ようともせんと、気ぃつきもせんと、世間のいやらし人たちと同じ目で旦那さんを見てたんやったと、その舞妓さんは泣きながら、自分は心の卑しい人間ですと言って曾おじいちゃんに謝ったのだそうです。
この話を祖母から聞きながら私が思ったのは、
多分…、
そう、初めはこの舞妓さんも曾じいちゃんのことを自分に金を使ってくれる都合の良い客、どうせそのうち本性を現すだろうくらいにしか曾おじいちゃんのことを見ていなかったのでしょう。
そして周りの人たちと同じように、いくら大店の主人とはいえ、たかが養子さんがとバカにしていたのかもしれません。
ですが、月日が過ぎるとともに曾おじいちゃんのその誠実さが、この舞妓さんの心の中にしみこんできたのではないでしょか。
だから二人の清い関係を何も知らん無責任な他人さんが、おもしろおかしく、おまけに嘘八百のいやらしく噂する言葉に、この舞妓さんは腹立たしさを覚えていったのでは無いでしょうか。
たぶん、そのときから、この舞妓さんも曾おじいちゃんに恋し始めていたのだと思います。
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