第4話 おじいちゃんの家<大番頭さんについて>

 大番頭さんのお父さんは、木を切る仕事(木こり)をしていのだそうです。

 とても無口な人だったそうですが、性格はまじめで一途、外見はすらりと背が高くて男前だったのだそうです。


 お母さんは「村で一番のべっぴん(美人)さんや」といわれ、お公家さんのお屋敷に奉公にあがるほどの器量よしで頭も良かったのだそうです。


 ですから、「何も木こりの嫁にならんでも、奉公先からいいとこに嫁にだしてもらえたやろうに」とまわりから散々に言われたのだそうですが、お母さんは誠実でまじめな大番頭さんのお父さんと結婚したのだそうです。



― これは、祖母から聞いた話しですが、大番頭さんは本当にすらりと背が高く、なかなかの男前さんだったのだそうです。


祖母は「私が大番頭さんに初めて会ったときは、大番頭さんももうええ年やったけど、それでも男前さんやったわ。お義母さんから大番頭さんの家の話しを聞いてたら、両親のどっちに似ても顔はええなるわな。背は、お父さんに似はったんやろうな」と言っていました。―




 大番頭さんの両親の夫婦仲はとても良く、子だくさん(祖母から聞いた話しでは、大番頭さんは一番末の男の子で上に兄が二人と姉が一人、下に妹が二人)の家庭だったらしいのです。


 それに当時としては珍しく大番頭さんの両親は、どんなに生活が苦しくても子どもを小さいうちから奉公に出すということはしなかったと聞いています。


それどころか、なるべく子ども達を学校に行かせようとしたのだそうです。



 ですが大番頭さんが、今でいう小学校低学年くらいのときに、お父さんが仕事中の事故で大怪我をしてしまい働くことが出来なくなってしまいました。


 現在のように、労災補償や生命保険などというものが一般的ではない時代ですから、働けない=は、収入がなくなるということです。



 このとき大番頭さんの年の離れた一番上のお兄さんは、お父さんと同じ木こりの仕事をしていました。



 その一番上のお兄さんは、一番末の弟は(大番頭さん)勉強が好きで、学校の先生が認めるくらい頭もいい。


 だから、なんとかこのまま学校にいけるようにしてやりたいと頑張ったのだそうですが、いかんせんまだまだ木こりとしては修行の身、お父さんと同じような稼ぎは出来なかったのだそうです。



 そして、一家の暮らしはたちまち苦しくなっていったのだそうです。

 勿論、そうなるまで何もしなかったわけではありません。一番上のお姉さんは庄屋さんのお家に毎日家から通いの手伝いとして働きに行ったのだそうです。


 ですがとうとう一番下の弟(大番頭さん)を奉公に出すか、下の女の子を売るかの選択をしなければならないくらいに追い詰められていったのだそうです。




 この話しを聞いた子どもの私は、「なんで誰も助けてくれへんかったん?」とすごく疑問に思ったので祖母に聞きました。


 すると祖母は「そういう時代やったんよ、みんな貧しくて毎日を生きるのが精一杯の時代やったんよ。今のように、みんな平等じゃないのよ」と言いました。



 そしてもう一つ疑問に思ったのが、人でありながら売られるなどという恐ろしいことをされるよりも、するよりも、どこかのお店に奉公(働きに出る)に出る方がまだましではないのか?と思ったことでした。




 その疑問を素直に祖母に聞いてみると、祖母は「それはね…」と話してくれたのは、まだ大番頭さんのお父さんが元気で、大番頭さんがおじいちゃんのお店に奉公に来る以前のお話でした。


 子どもだった大番頭さんが、今でいう小学校に入学すると、その頭の良さに先生たちが驚いたのだそうです。


「こんな頭のいい子は滅多にいない。特に算術(算数)が素晴らしい、この子は絶対に上の学校に行かせるべきだ」と言ったのだそうです。


 大番頭さんのご両親は、生活が苦しくても子ども達みんなを、せめて小学校だけは出してやりたいと考えている人だったので、出来るなら先生が勧めてくれるように末の息子(大番頭さん)を上の学校に入れたいは思いましたが、進学させるためにはお金がいります。


 それが一番の問題でした。


 このとき二番目のお兄さんが、自分が何処かの店に奉公に出て働くから、そのお金で末の弟を上の学校に行かせたてあげて欲しいと、お父さんに頼んでくれたのだそうです。そして二番目のお兄さんは、人を介して京都市内あるお店に奉公に出たのだそうです。


 当時、奉公に出れば住み込みで、今のようにきちんと毎週末がお休みというものではなく、藪入りといって年に二回お盆と正月に実家に帰ることが許されたのだそうですが、奉公に出た二番目のお兄さんは一度目の藪入りにも帰ってはこず、その年の冬に奉公先から連れに来い(役立たずはいらんと言われたのだそうです)と連絡があり。


 お父さんがお兄さんを迎えにお店に行くと、二番目のお兄さんは見るも無惨にやせ衰え、骨と皮になりはてて起き上がることも出来ずに布団に寝かされていたのだそうです。


 後からそっと、お父さんに同じ奉公人の人が教えてくれたのは、その店の番頭と女将が、お兄さんを夜も寝させないで働かせ、殴る蹴るの暴力、そして食事を与えないなどのいじめを繰り返していたのだそうです。


 教えてくれた人は、自分もそうされるのが怖くて何も出来なかったと泣きながらお父さんに謝っていたのだそうです。そして、祖母が言ったのは、昔の奉公人は弱い立場にあったから、どれだけ酷い扱いを受けても文句はいえんかったんやと言いました。



 そして、二番目のお兄さんは「ごめんな、ごめんな、おとうちゃんごめんな」といって、その後すぐに亡くなられたのだそうです。


 そんなことがあってから、どんなに生活が苦しくても大番頭さんのお父さんは、もう絶対に子どもを商家に奉公には出すまいと誓ったのだそうです。


 ですがお父さんが怪我で働けなくなって、お兄さんとお姉さんが働いても日々の生活がやっとの状態では、大番頭さんを上の学校へやりたいなどということは夢の夢です。


 それどころか、お父さんが誓った、子どもを誰一人として自分の手元から離さないの誓いさえも出来ない状態だったのです。


 そんな時に、大番頭さんの頭の良さを褒めた先生が、何とかしてこの子が学校に行けないものかと、人を介していろいろと声をかけて相談してくれていたのだそうです。


 その先生の話しを人づてに聞いた知り合い(のれん分けをした昔の大番頭さん)が、「偉い頭のええ子がおるらしい。学校に行かせてくれる条件での働き先はないかと、先生がわざわざあちこちに声をかけて探してるくらいやから」そんなに頭のええ子なら、奉公人として雇うのはどうかと。


 そして、もし見込みがあるようなら、おじいちゃんのお母さん(曾おばあちゃん)の将来の婿にどうかという話しを持ってきたのだそうです。


(時代は明治に代わり、天皇さんが東京に行かれたので京都にいた親戚のお公家さんたちも東京にいってしまい、曾おばあちゃんのお婿さんになる養子さんをどうするかと、おじいちゃんの家では丁度悩んでいたときだったので、それほど頭のいい子なら、先生のいうように学校にもいかせよう。見込みがある子なら、将来は娘の婿にも考えようということになり、話しを持ってきた人に、その話しを進めて欲しいとお願いしたのだそうです。)



 初め人を介してこの話が持ち込まれると、大番頭さんのお父さんはけんもほろろにこの話しを断ったのだそうです。

 

 それは無理の無いことかもしれません。


 大番頭さんのお父さんからすれば、二番目の息子さんの身に起きた悲惨な出来事がトラウマになるのは仕方のないことだと思います。


 今度も騙されて、大切な自分の子どもを殺されるかもしれんと思ったとしても不思議の無いことです。


 ですから、何度人を介して話しを持ち込んでも、しまいには庄屋さんが出てきて話しても、大番頭さんのお父さんは、大番頭さんを奉公に出すことに「うん」と言わなかったのだそうです。




 そこで、これは他人任せにした自分が悪いのだと言って、曾おばあちゃんのお父さんが大番頭さんのお父さんに直接話しに出かけて行ったのだそうですが、その場で、子どもだった大番頭さん見て気に入った曾おばあちゃんのお父さんが出した条件が、まず一番に大番頭さんを必ず学校に行かせること。


 そして、将来は娘の婿にするというものでしたから、大番頭さんのお父さんはますます信じられんとこの話を断ったのです。



 当時はまだ身分や、家の釣り合いというものが絶対的にありましたから、大番頭さんのお父さんからすれば、日々の生活がやっとの木こりの息子を、大きな商家の跡取り娘の婿になどという話しは天地がひっくり返ってもない話しにしか思えなかったのだと思います。


 だから、これは騙されているのだと思ったとしても仕方のないことだと思います。



ですが、曾おばあちゃんのお父さんは諦めませんでした。


「大事な息子さんを貰いうけるんやから、それは当然のこと」と言って、それから半年の間大番頭さんの家に、大番頭さんのお父さんに、息子さんを自分に預けて欲しいという話しをしに通ったのです。


 そして、その誠意が通じて、大番頭さんはおじいちゃんの家に奉公に出ることになるのですが、


大番頭さんのお父さんは「末の息子を奉公に出しますが学校は行かせてやって欲しい。けど、お嬢さんの婿は身分が違いすぎます。それは勘弁してやって下さい」と言ったのだそうです。



事実、大番頭さんが家を出るときにお父さんが、


「おまえが奉公に行く先の旦那さんは嘘偽りのない人や、そやから将来おまえをお嬢さんの婿にという話しもほんまのことやろう。けどな、それは世間が許さん。そやから、どんだけ旦那さんや周りの人間がおまえのことをそう見たり、言うたりしても、おまえは自分の分をわきまえなあかんのやで、かなわん夢はみたらあかん」


と言ったのだそうです。



 この話を祖母からきいたときはそうは思わなかったのですが、いま思うと、サチコさんの悲劇もここが出発点のような気がします。


 なぜなら、曾おばあちゃんは大番頭さんが自分の家に来たときから、自分は大番頭さんと結婚するもだと信じて大きくなりました。


 疑うことなど知らない曾おばあちゃんは、大番頭さんのお嫁さんになるものだと信じ切って大人になったのです。



 ですから大番頭さんが自分との結婚を断ったと聞いた時は、結婚出来ないと知ったときには、自分は嫌われていたのかとひどいショックを受けたのだそうですが、大番頭さんからその理由を聞き、大番頭さんの本当の気持ちを聞いて二人だけの秘密の約束をしたのだそうです。



 その約束の内容を祖母から聞かされたときに、その約束もサチコさんと同じなら、信じ切って大人になったというところもサチコさんとまったく同じだと思いました。ただ結末が違うだけ、もし戦争がなければ、その結末もよく似た同じようなものだったのかもしれいけれども…、と私は思ったのです。



 そして曾おばあちゃんのお婿さんとして、婿養子に入った曾おじいちゃんは結婚式の翌日、大番頭さんを自分の部屋に呼ぶと立ち上がって自分が下座に正座して座り、


「私は商家の三男坊です。店の跡取りには立派な長男がいてます。


 仮に親がお金をだしてくれて私に商売が出来たとしても、せいぜい小さな店構えの小間物屋止まりがええとこやったでしょう。


 それが思いもかけずこの大きな家の、大きな商いが出来る店の主人になれました。これも、大番頭さんのお陰です。


 これからはこの家の商いに精を出して、この店をもっと大きな店にしてみせます。お嬢さんを大事にします。お嬢さんだけを大切にします。ほんまにありがとうございました」


と、額を畳みにすりつけて大番頭さんにそう約束したのだそうです。




 因みに、大番頭さんは一生を独身で過ごしました。

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