第14話 四日目 幌延→旭川

 宗谷本線は旭川から稚内を結ぶ全長259.4キロの路線である。国鉄時代には道央から道北へ向かう路線が複数あり、そこから分岐する路線も含めてある程度の路線網が形成されていたが、それらはことごとく廃線となり現在では宗谷本線のただ一本となってしまった。当の宗谷本線も赤字であり、廃線が取り沙汰されている。

 私の乗っている列車も、宗谷本線では主要駅の一つである幌延を出たところで乗客に変動が無く、特急はともかく普通列車は採算が取れていないのだろうと推察される。更に除雪費用なども考えると、明るい車窓と対照に暗い気持ちになってくるのだが、一乗客として考えてもどうにかなる問題でもない。

 幌延から少しして、右手に川が見えてきた。天塩川である。天塩川は昨日渡って、見るのはこれが二度目であるが、今度は一瞬ではない。川面に氷片を浮かべて悠然と流れている。かなり気に入った。

 幌延から先、普通列車であるが小駅は通過する。次の停車駅は雄信内である。山と川と国道と雪しかない景色の中十二分、定刻どおり雄信内に到着した。川と山に挟まれた狭い土地である。街は川の向こう側、国道沿いの様だ。山には白い幹の木が植わっている。シラカバだろうか。

 雄信内の次の停車駅は問寒別である。「問」を訓読みさせる地名は北海道の当て字ならではと言えるのだろう。問寒別は駅前に街が広がり、北大の施設もあるようだ。

 問寒別から先は狭くなった平地を天塩川、国道と共に南下していく。立派そうに見える国道であるが、走行している車は全くと言っていいほど見かけない。対稚内の主要道路は昨日通ったオロロンラインなのだろうか。天塩中川から先は平地すら無くなり、谷地を行くようになる。川に沿って褶曲した国道。海沿いのオロロンラインの方が道路条件は良い。谷の先の小さな平地に着くとそこが音威子府であった。

 音威子府はかつて天北線の分岐していた駅であり、現在でも特急の停車駅である。天北線は1922年に稚内まで開業した路線だ。先述の道北への複数のルートの一つに数えられる。当初はこちらが宗谷本線の名称を持っていた。現在の宗谷本線は1926年に天塩線として開業したが、こちらの方が短距離だった為か1930年に天塩線が宗谷本線に、宗谷本線が北見線に改称された。その後北見線は天北線に改称され、1989年に廃線となった。国鉄解体前の路線網が維持されていた頃を歴史としてしか知らない身としては、ただただ乗ってみたかったと言うほか無い。

 音威子府といえば、そばが有名であり、駅構内にも常盤軒という立ち食いそば屋があるという話であるが、車内から見た限りではどこがそれなのかわからなかった。いつかまた来たときには食べてみたいものである。その時に今と変わらず営業しているという保証は無いが。

 音威子府を13時08分に出た列車はまた天塩川に沿い南下する。二駅目は天塩川温泉という駅で、近くに温泉があるのだろうが、通過する。憐れ、天塩川温泉。まぁ、温泉客は鉄道など使わず自動車で来るのだろう。

 豊清水で下りと交換し、恩根内、紋穂内と停車した列車は13時43分に美深に到着した。谷間を抜け、平地に入った。

 美深からはかつて美幸線が分岐していた。美しく幸せ、と書けば縁起の良さそげな路線名であるが、実態は正反対で、九州の添田線と共に国鉄の収支係数ワーストワンを争っていた路線である。美深から終点仁宇布の21.2キロ、全線が美深町内を走り、町長が銀座で美幸線の切符を売るなど存続に向けた努力をしていたが、結局廃止されてしまった。美幸線の幸は計画上の終点である北見枝幸の幸であり、相当な部分が路盤完成状態だったらしいが、それらも使われることのないままである。

 美深を出ると終点の名寄は目の前であり、二十分程で着いた。

 名寄市は稚内市を出て以来の市であり、上川総合振興局内では旭川に次ぐ規模の都市である。現在でこそ宗谷本線しか通っていないものの、かつては名寄本線と深名線が名寄で宗谷本線と接続していた。名寄本線は1989年に、深名線は冬季の代替交通が無いという理由で当初の廃止を免れたが、1995年に結局廃止されてしまった。

 しかし駅の規模は今でも大きい。名寄止まりの列車も多く、運行系統の境目となっている。経営上でも名寄以北がJR北海道単独での存続が困難とされているのに対し、名寄以南は今のところその指定から逃れている。

 旭川~名寄は全駅に停車する列車が2.5往復しかないのに対し、途中駅を通過する普通列車は9.5往復となっていて、むしろ全駅停車が少ない。通過駅のある列車でも「なよろ」の名を冠された列車とそうでない列車がある。ややこしい。調べたところ、昔の急行格下げや名寄本線直通との兼ね合いのようである。特に名前があってもなくても変わらないので手つかずなのだろう。名寄14時35分発の旭川行も快速で、なよろ8号を名乗っている。車両はキハ40。名寄以南は流石に利用客が多いようで、かなりの座席が埋まっていた。それでもボックスを一つ確保できた。14時35分、定刻に発車。

 名寄駅周辺は市街地化しており、これまでとは打って変わって人家が密集している。市街地を抜けると畑が広がっているが、これはこれまで通り広い雪原にしか見えない。地図を見ると道路が碁盤の目、屯田兵村の様だ。札沼線でも思ったが、こういうのは地上から見ていても分かりずらい。

 二十分程で士別の市街地に入る。街の外れに工場が見える。砂糖工場らしい。士別の名産品の一つに甜菜がある。士別では稚内行の特急サロベツと交換し、14時57分に発車。士別もある程度の街で、ここまでは高速道路が来ている。

 剣淵、和寒と二つの町を通り、列車は塩狩峠を登り始める。塩狩峠と言うと、1909年に起きた鉄道事故とそれを基にした三浦綾子の小説「塩狩峠」が有名である。頂上の塩狩駅付近には石碑が建立されているらしいが、快速なよろは通過。また、分水嶺となっていて、ここで長らく見てきた天塩川水系とは別れることになる。

 塩狩峠を下ると比布町に着く。かつて某エレキバンのコマーシャルに使われたらしい。塩狩峠以南は旭川の経済圏なのか、旭川比布間の短距離列車が運行されている。ここで乗客が増え、座席は満席になった。

 比布を出た列車は石狩川を渡り、永山に着く。もはや旭川の市街地の中である。永山を出ると左手に車両庫が見えてきた。旭川運転所である。ここから旭川までは電化されていて、函館本線の電車が回送として走る。車両庫の宗谷本線を挟んで向かい側には貨物駅の北旭川駅があり、貨物列車輸送を取り扱う駅としては最北の駅となっている。

 石北本線と合流し、石狩川の支流を渡ると高架になった。左手から富良野線が近づいてくると旭川である。15時59分着。稚内から五時間七分であった。

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