第13話 四日目 稚内→幌延

 北端の旅行者の朝は早い。

 稚内駅前をから宗谷岬方面へ向かうバスは5時45分発を筆頭におおよそ三時間に一本しかないのだ。私が乗ろうと思っている列車の時間から逆算すると、二本目の8時38分発では間に合わぬ。稚内についてほとんど調べてこなかったので、道内時刻表のバス欄を見るまで宗谷岬に行くのに50分もかかるとは知らなかった。手近なノシャップ岬で妥協するという悪魔の囁きが脳裏を掠めたが、ここまで来て最北端まで行かねば意味がないと振り切った。

 5時40分の営業所の開始時刻に合わせて稚内の駅に向かう。泊まった宿は駅のすぐそばだったので問題はなかった。

 稚内駅は2012年に駅舎が改築されたばかりで綺麗だ。道の駅なども併設され、土産屋やバスの券売所、果ては映画館まである。私は十年前に観たテレビ番組の稚内駅の駅舎で情報更新が止まっていたので、昨晩着いたときには驚いた。

 駅舎の中の営業所で宗谷岬までの往復乗車券を買う。いくらだったか思い出せないが、割引とかはあまりなかったような気がする。

 五分後、バスが来た。昨日の沿岸バスと同じように新しめのバスが使われている。自分も含めて乗客は二、三人で駅前のターミナルを出た。南稚内駅を通り、宗谷湾を半周していく。稚内市の市街地は稚内駅よりもむしろ南稚内駅の辺りのようで、国道40号線沿いに東京でも見かけるチェーン店が立ち並ぶ。マクドナルドハンバーガーを見たときには流石に驚いた。南稚内駅が元々の稚内駅で、現在の稚内駅は樺太へ向かう船との利便性を重視して延伸したものであるから、市街地が南稚内周辺であるのも当然なのかもしれない。

 市街地を出ると海沿いの四車線道路を進む。この辺りは天北線の廃線跡に沿っているはずだ。声問集落を過ぎると、右手に空港が見えてくる。稚内空港だ。市街地から外れた不便な場所にあるとはいえ、新千歳から鉄道やらバスやらで来るよりはよっぽど便利だろう。ビジネスならともかく、観光でそれをして楽しいかどうかはわからないが。

 朝が早いせいでうたたねをしていると、いつの間にか宗谷岬の手前まで来ていた。これで楽しいのか自分にもわからない。6時35分、宗谷岬着。雲がかかっていて寒い。

 宗谷岬では自分のほかに一人降りた。帰りのバスは7時21分、50分は観光できる。

 とりあえず最北端の石碑に向かった。日本の国土の範囲としては択捉島の方が北にあり、主権が及んでいる範囲の最北端も宗谷岬から見える弁天島という無人島になるそうであるが、一般人が問題なく行ける範囲ではここが最北端だ。自分が国内で最北にいる人になった瞬間だった。天気が良ければ樺太が見えるのだが、その日は曇りだったからか、ただ海のうねりが見えるのみであった。

 宗谷岬の見所は石碑だけでは無い。背後に広がる宗谷丘陵には多くのモニュメントや建築物がある。それらを見に行こうと坂を上り始めたのだが、道が凍っている。今回の旅に際して、私はそんなに路上は歩かないだろうと普通のスニーカーで来ていた。凍った坂道を登るなど想定外である。当然滑る。思うに、真に凶悪なのは雪ではなく氷なのではないか。雪ならば脚を踏み込む角度さえ気をつければ滑ることはそうそうないが、氷は表面が平らでないことからして脚の角度に気をつけていても滑る。坂道だと更に顕著である。そんなことを考えながらアスファルトが出ているところと雪の場所を選んでなんとか登っていった。

 坂登りに思った以上に時間を費やしてしまったので、旧海軍望楼だけ見た。これは1902年に対ロシア警備の為に造られた監視塔である。1904年に始まった日露戦争では、ロシア太平洋艦隊の動向やバルチック艦隊の進行経路が問題となったこともあり、重要な拠点として扱われた。日露戦争終結後も使われ、太平洋戦争では潜水艦監視基地として使用されていた。実際には一隻を撃沈した他は監視をすり抜けて日本海に進出されたのだが……。望楼の脇には当の撃沈された潜水艦の乗員の慰霊碑がある。ちなみに現在、自衛隊の稚内分屯地は宗谷岬ではなくノシャップ岬にある。

 そろそろ時間かと稚内駅方面のバス停に向かう。待っている間、オウゥッ、オウゥッと動物の鳴き声が聞こえてくる。沖合の弁天島に棲息するトドの鳴き声の様だ。カメラの望遠で島を覗くと、茶色い生き物が動いているのが見えた。

 なかなか来ないなと思っていると、沖合に太陽の光を受けて白く輝く船が現れた。船よりもバスに来て欲しいし、船なら白ではなくて灰色のロシア海軍艦でも見たかったのだが、自分にはどうすることもできぬことだ。スマホの船舶レーダーアプリで見てみると、海洋研究開発機構の白鳳丸なる船のようだ。確かに白い。これからどこに向かい何を調査するのか、ただ陸から見る身にはわからぬことであった。

 少しして来た宗谷駅前行のバスは、通学時間に当たるのか高校生が乗っていた。バスの定員からすれば微々たるものだが、遠いところから通学しているものだなぁ、と思う。帰りも行きと同様にうとうとし、気がついたら稚内市街だった。今度は駅前まで乗らずに次の観光地に向かおうと思う。

 次に向かったのは北防波堤ドームだ。稚内駅からほど近いこの防波堤は、1936年に完成したもので、稚内駅構内仮降車場扱いであった稚内桟橋駅から稚泊連絡船までの通路兼防波堤として使われていた。敗戦で樺太を失い、連絡船も消失したが、防波堤としての役割は未だに担っている。カーブを描く壁から屋根へのコンクリートの流れと古代ギリシャ風の柱の組み合わせは珍しく、一度見てみたいと思っていたものだった。設計者である土谷実は当時26歳というのだから驚きだ。いや、若かったからこそ斬新な設計を出来たと言えるのかもしれない。

 防波堤の向かいには海上保安庁の巡視船れぶんが停泊している。2014年に建造された最新鋭の巡視船である。北方の領海警備に当たっているのだろう。

 北防波堤ドームから徒歩で宿に戻り、途中のセイコーマートで買った朝食を食べた。今後当分北海道には来ないだろうが、勧められるままにセイコーマートのカードを作った。あって損なものでもあるまい。特典でお菓子を貰った。

 宿をチェックアウトし、駅に向かう。駅の土産物屋で買い物をする時間などを考え、相当に時間を取ったが、あまり時間はかからなかった。改札が開くまで待つ。

 入線してきた列車は昨日と同じキハ54で、座席は集団お見合い式のリクライニングシートである。座席を換装しているものは座席と窓枠のピッチが合わず、外を眺められない座席が生まれることがよくあるが、今回は上手く進行方向向きかつ外を眺められる座席を手に入れられた。

 10時52分、稚内発車。乗客は同好の士が2,3人いる他、地元客が5,6人乗っている。これから先、東京に向かって南下していくのみである。

 道路をまたぐ高架を抜けると南稚内で、そこを出ると程なく丘陵地帯の勾配を登るようになる。朝の宗谷岬とは違い晴れていて気持ちが良い。暖かい列車の中だからのんきにそんなことを思っていられる。11時03分、これまで丘と木ばかりだった右手の車窓が開けた。海を見下ろす。運が良ければ利尻富士を見られるポイントであるが、今朝の樺太と同じく利尻島も見ることが出来なかった。島から見放されているのかもしれぬ。

 雪を被った丘陵の中を行き、11時08分、二駅目の抜海に着く。木造駅舎に広がる雪原と、魅力のある駅だ。名所案内に天然お花畑とある。夏かなんかに降りてみたい。

 その後また雪の中を進み、兜沼で下り普通列車と交換。その先にはサロベツ原野が広がっている。しかし、サロベツ原野と言われても遙か海まで少しの木と雪原が広がっているだけで何が何やらよくわからない。本州では見られない景色と言われればその通りなのだが、あまりの白さに辟易する。原野と丘陵地帯の境を走ること三十分、幌延着。ここでスーパー宗谷1号と交換した。12時02分、発車。ここから未乗区間に入る。

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