第12話 三日目 留萌→稚内
留萌からはバスに乗る。直近のバスは12時45分に留萌駅前を出るバスで、その後一時間おきに二本出ている。その後の接続を考えると、12時45分か13時45分のバスに乗れば良い。バスまで駅前を散策することにした。
駅前から続く通りには商店が並ぶが、人通りはあまりない。少し歩くと土産物屋があったので、「留萌いも」という若狭芋っぽいお菓子を買った。昼食の参考にするために店員氏に留萌の名物を尋ねる。店員氏曰く、海鮮丼とルルロッソというパスタが名物だそうである。しばらく駅周辺を散策したが、結局土産物屋の店員氏に教えていただいたルルロッソを扱っているという喫茶店に入った。
ルルロッソは留萌産の小麦粉で作られたパスタだそうである。私が食べたカルボナーラに使われていたのは平麺で、コシがあり食べ応えが良かった。他にも種類があるのかもしれぬ。
そんなこんなしている内に12時45分のバスは行ってしまった。更に駅付近を散策するが、特に何があるというわけでもない。留萌の市街地は駅より南西に進んだ辺りだったようだ。
沿岸バスの営業所で「萌えっ子フリーきっぷ」を購入した。これが2370円であるのに対し、私が降りる幌延駅前までの運賃は2670円。フリーきっぷの方が300円安い。しかしこのフリーきっぷ、留萌から名付けたらしいが、一般人が買うのは勇気が要りそうである。券の絵柄は少女のキャラクターである。
木材を積んだトラックが走る駅前のバス停で待つことしばらく、13時45分発のバスが来た。三分の遅延で発車する。バスについては詳しくないないが、車両は東京なんかで走っていそうな路線バスタイプのバスで、これで三時間乗っていかねばならないのかと少し残念に思う。乗車率はそこそこである。私は運転手の後ろの席に座った。
駅前を出たバスは北上する前に留萌市街地を回る。途中の病院で乗客が増え、立ち客が出る程になった。予想外の混雑である。
街を出たバスはオロロンラインを走り、日本海に沿って北上を始めた。オロロンラインは小樽から稚内までの日本海側を走る道路の総称である。右手に不自然な平らの土地があり、なんだろうと思っていたらトンネルが現れた。国鉄羽幌線の廃線跡の様である。羽幌線は1987年に廃線になった路線である。乗ってみたかったものだ。しかし、羽幌線が海沿いを走っていたとは知らなかった。
道路沿いの集落ごとにバス停があり、止まるごとに乗客が減っていく。山が海まで迫っており、川の河口付近の平地に集落がまとまってできている形になっている。集落から大きな買い物や病院通いの人が主な乗客の様だ。この中に長距離客はどれだけいるのだろう。
国道を行き交う車はトラックが主であるが、それなりの頻度で出会うから閑散としているわけではない。
風力発電の風車などを見つつ、北上すること一時間半、羽幌ターミナルに着いた。後ろを振り向くと、乗客は自分含めて二人に減っていた。前に座っていたせいで気がつかなかったが。
羽幌は留萌と幌延の間で最大の街である。天売島への船の出ている港町であり、周辺地域とは比べものにならない程の商店が建ち並んでいた。全国チェーンの薬局を見たときには、本当に至る所にあるのだなと関心した。天売島も含めて降りてみたい街であるが、今回は素通りせざるを得ない。
バスターミナルに着いた時点で留萌から乗車していた客は自分一人になったが、ついに運転手も交代した。これで羽幌以北まで乗り通す人は正しく自分一人になった。一抹の寂しさを感じる。
バスターミナルからは小学生が三人乗ってきた。この辺りだと小学校に通うのにもバスに乗らねばならぬのか。苦労が忍ばれる。
羽幌の街を出ると、これまでよりも平地が広がり道路沿いに牧場とも空き地ともつかぬ、雪原の丘陵地帯が広がるようになった。羽幌から乗ってきた小学生が順々に降りていったから、たぶん牧場なのだろう。羽幌線の廃線跡は丘の向こうをちらりちらりと姿を見せながら通っている。これでは海は見えなかっただろう、と思う。
途中のしょさんべつ天文台で一人乗客が乗ってきたが、すぐに降りてしまった他はずっと一人だった。羽幌から一時間半程して天塩に着いた。天塩は天塩川の河口に広がる街であり、ここまで来ると幌延は目の前である。天塩の先で留萌方面に向かうバスとすれ違った。自分の乗るバスとは違い、高速バスに使われるタイプの車両である。羨ましい。
17時を回った頃に天塩川を渡った。水面は一面氷に覆われ、真っ白である。日本でもこのような風景を見られるのかと驚きであった。
サロベツ原野に向かうオロロンラインと別れ、幌延駅に着いたのは17時11分のことであった。幌延駅に丁度特急サロベツが着く時間であり、駅前には数台の自動車が停まっていた。数人の下車客を見かけたが、バスに乗ったものはいなかったようである。乗客のいない豊富行のバスが出て行った。幌延駅は宗谷本線と羽幌線が接続していた駅であり、現在でも駅構内は多少広い。列車も人もいない今となってはむしろわびしさを際立たせる一因になっているが、昔はもっと賑やかだったのだろうと思いをはせる。
私の乗る鈍行稚内行は17時43分発である。三十分の待ち時間ではろくに街を見ることもできないので、ストーブの置かれた待合室で待っていたのだが、35分頃になって「ただいま下りの稚内行は三十分遅延しています」との放送が入った。駅に着いた時点で放送入れてくれていれば、少し街を見に行けたのに、と不満に思う。遅延の理由を言わないのも良くない。これは今回に限らず、普段の生活の中でも思うことである。遅延しているということだけでなく、理由も説明してほしいものだ。
幌延で交換予定だった特急スーパー宗谷4号が発車した後、またぽつねんと待合室で待つ。いよいよ外は暗くなってきて、もう列車に乗っても車窓は楽しめないだろう。それがまた不満を募らす原因になる。
18時10分頃になって稚内行が入線した。車両は留萌本線でも乗ったキハ54である。18時15分着の上り名寄行を待ち、出発する。乗客は稚内住民と思われる三人と、同好の士二人、そして私と計六人。単行気動車でも十分すぎる人数だ。
明るければ良い風景が広がる区間なのだろうが、今の車窓は闇ばかり。車窓を楽しむのは明日にお預けである。十五分走り、豊富着。私が留萌から乗ってきたバスの終着であるが、乗降客無しで発車した。
兜沼、勇知、抜海と過ぎ、四十分ほど走ると街の明かりが見えてきた。19時12分、南稚内着。南稚内はかつて天北線との接続駅であり、今でも周辺は栄えている様だ。南稚内を出て三分、稚内に着いた。日本の鉄道最北端にようやくたどり着いたのだった。
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久しぶりの更新です。ちょっと忙しかった……とか言っても言い訳にしかなりませんね。これからは精進していきたい。
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