第11話 三日目 新十津川→留萌

 突然であるが、私の旅装備について話したい。まず、カバンはリュックサックとカメラバックの二つ。リュックサックには期間分の着替えとか大判の時刻表とか、かさばるものが入っている。カメラバックには一眼レフカメラとそのレンズ、財布にスマホにモバイルバッテリーと貴重品が集められている。服装は適当な服にコート。コートとリュックサックは列車の中では網棚に乗せていることがほとんどである。


 新十津川に着いた。新十津川は1889年の奈良県十津川村での水害がきっかけで入植してきた人達が開拓した土地である。昨日は北広島を通ったが、それと同じように出身地の地名を持ち込んできたパターンだ。

 駅では子供がポストカードを配っている。調べたところ、空知中央病院の保育園の園児達らしい。ほほえましい。

 列車から降りた同好の士達は、バス停へ向かうもの、しばらく駅にいるものなど様々である。私はバス停へ向かった。

 石狩川を挟んで札沼線と函館本線が並走しているというのは前述の通りである。つまり、川を渡れば函館本線の駅にたどり着ける。新十津川は行き止まりで、列車だけを使うなら折り返すしかないのだが、バスやら徒歩やらで函館本線の滝川に出ることで乗車を効率化する試みは常套手段になっている。私もそれをする。

 300mほど歩いた先にある新十津川町役場の前にバス停があり、私を含めて十数人バスを待っていた。程なくしてバスが来て、整理券を取る。

 と、そこで私は何か違和感を感じた。背中に手をやると何もない。スカスカする。すわ!列車の中にリュックサックを忘れた!私はあわててバスを降り、駅に向かって走り出した。

 駅に戻るとすでに列車はいなかった。新十津川発石狩当別行は9時41分発車であった。とりあえず一番近い有人駅の石狩月形に電話して、リュックサックを回収してもらおうと思った。しかし、駅員氏からは「うちじゃ無理だから石狩当別に電話してくれ」とすげなく断られた。なんでや!ちょっと車内見るだけやないか!と思ったが、諦めて石狩当別に電話した。

 石狩当別の駅員氏にリュックサックの場所を訊かれる。札幌向いて右側の前から二つ目のボックスの網棚、と言うと、駅じゃなくて列車の中でしたか、と言われた。駅に忘れたものと思われていたらしい。恐らく石狩月形でもそう思われたのだろう。列車が着き次第、車内点検してくれるとのことだった。

 さて、私はどうしようかと思う。リュックサック忘失に気が付いた時には旅程を変更して札幌に戻る必要もあるかと思っていたが、なんとかなりそうな気がしてきたので当初の旅程をそのまま続けることにした。切符やら金やら、貴重品は手元にあるのが幸いであった。

 バスは当分無さそうなので、滝川まで歩くしかない。新十津川駅と滝川駅は直線距離で言えば2.3㎞程度なのだが、石狩川を渡る橋のために北か南かに迂回しなくてはならない。バスのルートは北回りで、私もそのルートで歩くことにした。

 新十津川から4㎞、スマホで地図を見たりコンビニで店員に道を尋ねたり、凍った歩道で転んだりしながら進むと函館本線を潜るトンネルがある。私がそこにたどり着いたとき、頭上を特急スーパーカムイ9号が通過していった。私が乗ろうと思っていた列車であった。これ、旅程を完遂できるのだろうか、と不安になる。

 すぐに滝川駅に着いた。滝川は函館本線と根室本線の分岐駅であるから、なかなか大きい。待合室には売店があり、時刻表を失った私はそこで道内時刻表を買った。道内時刻表は、交通新聞社の発行している北海道内の鉄道・バス・フェリーなどの交通機関についての時刻表であり、500円台と安価である。それを待合室のベンチに座って読んでいると、滝川発10時39分の特急オホーツク3号があるではないか。これに乗ればなんら影響なく旅程を進められる。良かった良かった。

 オホーツク3号の自由席は一号車と二号車の半分である。滝川から深川までの自由席券と乗車券は出発前に買っておいた。この区間は普通列車が少なく、特急を使わないとどうしようもない区間であった。私は一号車に乗った。

 すぐ前にスーパーカムイが走っているためか、自由席は空いている。一駅十五分で降りるので特に選り好みもせず適当に座った。車窓は相変わらずの雪原で、運転台を通して前面展望が出来る。リュックサックに関して気を揉んでいたのでゆっくりとは楽しめなかったが、次に乗る機会があったらじっくりと楽しみたいと思う列車であった。

 10時54分、深川着。留萌本線に乗り換える。留萌本線の列車は四番線発である。車両はキハ54という国鉄末期に作られた気動車の二両編成である。後ろに乗った。車内には札沼線で見かけた顔がいる。自分と同じパターンで動いているようである。窓と座席の位置が合っていない中、なんとか良い席を探しだし座る。発車を待っていると石狩当別駅から電話が来て、リュックサックが見つかったとのことである。明日取りに行くことにした。石狩月形で確保されていたら取りに行くのが面倒だった。

 11時05分、スーパーカムイ11号が入線した。これでも間に合ったようである。慌てて損した気になった。

 11時08分、深川発車。駅の周りに広がっている市街地をすぐに抜け、雪原の中を進む。北一已きたいちやん秩父別ちっぷべつと、アイヌ語由来の難読駅を過ぎる。一已の由来はアイヌ語のイチャン、鮭や鱒が卵を産むところ、であり、秩父別の由来はアイヌ語のチクシベツ、通路のある川、だそうである。

 雨竜川を渡り11時23分、石狩沼田着。留萌本線の中では大きめの駅であり、かつては札沼線がここまで来ていた。札沼線の沼は沼田の沼である。モータリゼーションやらなんやらで1972年に廃止になり、現状に至っている。札沼線で見た顔はここで降りて行った。

 留萌本線は深川から増毛までを結ぶ全長66.8㎞の路線である。末端部分の留萌と増毛の間は利用者がよほど少ないらしく、2016年12月4日に廃止されることが決定されている。その区間に乗りたかったのだが、雪解けで雪崩の危険が云々とかなんとかで乗車日現在、廃止当該区間は全列車運休、バス代行となっている。それで困らないのだから廃止も止む無し、と思わなくもない。

 石狩沼田から二駅目の恵比島はかつて、炭鉱まで結ぶ留萌鉄道との接続駅であった。駅の手前に土山があり、ボタのような石炭関係の遺物なのかもしれないと思った。実際はどうだか知らないが。

 恵比島から先は山間部に入り、分水嶺を越える。勾配を緩やかにするためにカーブが多い。留萌川に沿って峠を下り、大和田を過ぎると平地が広がり始める。市街地の端を走り、留萌川を渡ると留萌の駅に着いた。12時04分のことである。

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