『釈迦の手のひら』とでも言いましょうか。登れる見込みがないような、でもチョクでワタリをつけられれば希望も持てそうな、逆に近所ばかり見ているとBC級戦犯にされたり、食わせて神輿(みこし)を担がせた連中の暴走が止められなくなって、一緒に心中させられたりする恐れがありそうな、けどやっぱり周りの人達ともハナシを通し合って、みんなで利口にならないと身動きとれなさそうな……(←あさましい表現 [ 笑 ] )。
現実の世界もそうです。今や陰謀史観など持ち出すまでもなく、62人が36億人分の富を持っている。昔からそんな人達は何を考えてきたのか? 生活の向上や情報通信技術の普及で民度が高まり、あるいは高まることが求められ、トンデモ本などではない公式の放送・出版などでも、歴史や社会のそうした部分が明らかにされることが、増えているようです。
それがアングロ・サクソンだろうがユダヤ系の人達だろうが、多国籍特権階層だろうが、はたまた宇宙人だろうが(ⓒヒストリーチャンネル [笑] )、できること、すべきことはあまり変わらないという話もあります。国家間・勢力間のバランスをとりながら、あるいは経済的な部分から世界をまとめていくとか、無駄な犠牲は避けるけど、ひどい連中が増えたら自滅させるとか。
何かあったら『蜘蛛の糸』ほども助かる見込みのない私としては、何とか一休さん的な知識というか、文明の発展に応じて犠牲や費用(コスト)や危険(リスク)を減らし、見知らぬ上から下のほうまで全ての人達のためになるネタを考えて、自分も救われる可能性を高めたいと思うのですが……。
作中の人類になり代わって言うとすれば、(ダンまちのベル君の声で)『神様、一緒に上がって認めてもらいましょう!』。ただし内心の声は、(オルフェンズのオルガの声で)『上の世界も随分えげつなさそうだな。シキタリを知った奴を取り込んでおかねえと、這い上がる目も出ねえ……』(←こらこら! [ 笑 ] ) 。