◇炎塵の女帝 7



 自分が何をしたのか。

 自分が何をしてしまったのか。

 そんな事を考える余裕など、当時の【炎塵の女帝】には無かった。


 ただ生きるために、死なないために、この地獄から逃れるために、この現実を終わらせるために、身体が勝手に動いたのだ。


 内容物を全て押し出すほどの拒否。

 それでも入れられる圧迫感。

 そんなものに意図せず跳ね喘ぐ身体。

 汚される、汚れを汚れで厚塗りにされる。

 何度も何度も、拒否権もなく、欲望のまま、何度も何度も、何度も。


 これが現実だというのならば、地獄とはどれほどのものなのか。

 当時の炎塵にはそんな事を考える余裕さえ無かった。


 現実だとか、地獄だとか、苦痛だとか、快感だとか、そんなものはその瞬間には感じられない。

 現実味は現実味のある状況に立ち、時間が過ぎ去って初めて湧く。地獄という感想も、苦痛も快感も、全てはその状況に立ち、全てが終わってからの話だ。

 怪我をすれば痛い。これも、怪我をしてから初めて知る。怪我をする前にその痛みを明確に理解出来る者は存在しない。全ては事が終わってからの余韻に湧く感覚と感情。



 だからこそ、未練や後悔などの言葉が存在するのだ。


 どう足掻いても取り返しのつかない結果に対して、どう転んでも戻らない時間に対してそのような言葉が、嫌なほど綺麗にハマるのだ。




 自分が何をしたのか。

 自分を守るために、殺したのだ。

 自分が何をしてしまったのか。

 自分を守り続けるために、喰らったのだ。


 そう実感する頃には自分は【炎塵の女帝】という記号が与えられていた。


 理想が現実になったような、腹の奥で蠢き湧き上がる何か。

 これが自分の力なのだと理解した時には周囲の人間は、人間だったモノへとなり変わり、汚く散らばり転がっていた。


 炎塵は共喰いを続けた。

 自分よりも脅威な存在が現れないように。

 炎塵は共喰いを続けた。

 自分が何よりも脅威になるために。

 炎塵は共喰いを続けた。

 汚れを汚れで厚塗りするのは得意だった。

 炎塵は共喰いを続けた。

 膨れ上がる力を支配するために。


 そして炎塵は所有権を指揮棒を、支配力を手にした。


 イフリー大陸という国を根城に、自分を守るために他人を奪い、自分が奪われないように他人を支配する事を決めた───のだが、

 今になって、既に絶命した自分の亡骸を見ながら炎塵のマナは後悔を浮かべ未練を焼いた。



 間違っていたのは自分ではない。

 しかし、

 間違えたのは自分なのかもしれない。


 矛盾のような感情が───今更なんの役にも立たない感情が湧き上がる。


 共喰いした事については後悔などない。

 そうしなければ殺されていただろう。

 そうしなければ生きられなかっただろう。

 しかし、

 続けた事には今になって少し後悔が痛んだ。

 続けなければ違った結果があったのかもしれない、という未練が。


 何もかも半端、と言われた事を今思い出し、全くもってその通りだと笑った。


 化物のような力を得て、化物になって、それでも自衛する事ばかり考えていた。奪うも支配するも、根本には自衛があったのだ。

 その具現化が手なのだろう。

 見たくないモノを見ないよう、瞳を隠す手。

 肩から生えた手は助けを求める手か。

 嫌なモノを破壊する攻撃的な円柱腕。

 そして───下半身に生えた無数の手。


 何度も汚され苦しめられた部分を守るように生えた無数の手、もう何も奪わせない。と訴えるように生えた無数の手。今度はこちらが奪う番だと、壊れそうな自分を支えるように生えた無数の手。


 何度も何度も、何度も、助けを求め手を伸ばすように生えた、無数の手。


 最後に、背中に突起して生えた2つの手は、

 母の肉片を喰らった事で現れた、守る手だった。


 母も自分の事に巻き込んでしまった。

 元々デザリアで生物研究していたが、デザリア軍ではなかった母を、自分が巻き込んでしまったのだ。

 混合種の研究をやらせたのも自分。

 母から優しさを奪ったのも自分。

 手段や過程を気にせず結果だけを提示するようにしたのも、自分。


 そんな自分を......母があの瞬間生きていようとも最終的に喰らうつもりでいた自分を、最後まで守ろうとしたのは母の大きな手だった。





 自分が何をしたのか。

 きっと取り返しのつかない事をしてしまった。


 自分が何をしてしまったのか。

 それは......心から後悔している。



 何もかも、もう遅い。

 それでも言えるなら、



───許して欲しいとは言わない。ただ───これ以上 “誰も死なないでくれ” と願わせてほしい。



 炎塵の女帝はそう願い、マナはリソースマナへと返還され消え去った。


 オレンジ色の小さな花。

 子房部分には小さな小さな、女の子が膝を抱え眠る花。

 【ペドトリスファラー】を咲かせ、消滅した。






「......終わったの?」


 半妖精が小さく言い、一歩進む。


「終わったよ」


 ヨゾラがそう言い、冒険者陣は小さな溜め息を吐いた。

 どう言葉にするのが適切なのか、そんな事を考えるほど【炎塵の女帝】の最後は今まで対峙してきた女帝種の中でも異質だった。



 許して欲しいとは言わない。ただ───これ以上 “誰も死なないでくれ” と願わせてほしい。



 全員の耳に届いた声は炎塵の声であり、幻聴ではないと確信出来る。

 だからこそ、理解できないのだ。消化できないのだ。

 手段などこの際どうでもいい。ただ、なぜ最後にそんな事を全員に伝えたのか。なぜそんな事を願ったのか。それが理解できない。



「............疲れた」


 少女メティが控えめに、それでいて不機嫌そうに呟くと、き止めていた疲労が余す事なく全員に押し寄せた。


「わからない事を考えていても仕方ないよね。とにかくどこかで少し休もう」


 ワタポが今度は疲労に対して溜め息を吐き出し、無人の宿屋へ入る事を決めた。



 今までにない濃厚な数時間だった。

 日が落ちてからイフリー大陸へ入り、日が上がる前に【炎塵の女帝】を結果的に止める事が出来た。


 過程は酷いモノといえるが、結果的に【クイーンクエスト】は終了した───というのに、


「エミちゃはどこにいるの?」


 トレードマークの帽子を残し、魔女エミリオは最後まで姿を見せなかった。






 能力呑まれ───フレームアウトした千秋を止めた直後、エミリオの前に現れた黒曜の魔女。

 空間魔法を展開させエミリオを別の場所へ転移させ、2人の間には重い沈黙が今も続いていた。


「......何の用事だ? ダプネ」


 帽子はない。箒はある。

 それを確認し、箒をフォンポーチへ収納。左手に持ったままの剣は───そのまま握る。


「魔結晶塔がこの国に出現する」


 ダプネは月を見上げ、どこか冷たい声で告げた。

 魔結晶塔。

 クリスタルタワー、マテリアルタワー、様々な名称て呼ばれるそれは御伽話のような扱いでエミリオも詳しくは知らない。かろうじて名前を知っている程度の知識では、ダプネが伝えたい事を掴むのは不可能。

 普段のエミリオならばここで「意味わかんねーよ」や「ハッキリ言えよ」くらいは吐き出すが、今はとてもじゃないがそんな気分にはなれない。


「お前は魔女か? それとも冒険者か?」


「......あ? 何言ってんだお前」


「わたしは魔結晶塔に眠っている魔結晶を手に入れる。フロー達もそれを狙っているがわたしは【クラウン】としてでも【魔女】としてでもなく、だ」




 まだ掴めないダプネの言葉。

 しかし、

 何かしらの決意をエミリオは拾った。




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