◇楼華島から



 胸が喉が顔が熱くなりながら芯は冷え震えまでもが起こる。頭の中にあった境界線が突然取り払われた混乱とは裏腹に、千秋は正確に理解していた。

 自分が何をしようとしていたのか。

 自分が何をされたのか。

 自分がどうなるのか。


 全て理解していた。


 ゆっくりと歩み寄る複数の足音に力強さがない理由も。



───迷惑かけちゃってすみません。



 千秋は機能を失い始めた喉に力を込め発言しようとするも、クチから出たのは濃い血液だけだった。

 痛みはない。

 恐怖もない。

 不安も、ない。

 ただ、自分を止めてくれた相手へ謝罪と、感謝をしたい。

 そんな気持ちだけが残っていた。



───どこで間違えちゃったのかな?



 今更考えても遅い、どうしようもなく遅い思考が押し出され頬に線を引き、意識をさらっていった。





 月光がやけに明るく、周囲の雲を照らす夜。

 着崩された着物から露出する肩や脚を気にする様子もなく、月を見上げる。


「あらあらまぁまぁ、相も変わらずはしたないですわね」


「おー? こりゃ珍しい客じゃのぉ。どうじゃ? 一杯付き合わんかえ?」


「そうですわね......一杯だけでしたらお時間もあるでしょう。よろしくてよ」


 シルキ大陸、様々な品種の桜が咲く【楼華島】を見守るように聳える城【摩天楼】の最上階。

 城の中───最上階は霊樹があるという事もあり屋根はなく庭園のような構成で建築されていて、数ヶ月前、新たに社が設けられた。寝泊まりこそ不可能ではない大きさだが、住み暮すとなれば設備は不十分と言える社には神様───と呼ぶには少々品性や神秘さに欠けるが───が宿っていた。


 大瓶を傾け、大平皿にそれをどぼどぼ注ぐのが【大神族】の療狸やくぜん

 大平皿を見て「......どのような意を含んだ盃ですの?」と訝しげに質問した人物も【大神族】だ。

 神名持ちはシルキ大陸では言うほど珍しくはなかった。今となっては2人しか存在しないが、以前は探すのも容易いほど存在し、神聖神秘な称号ではなく、通称や役職のように【大神族】と添えられていた。

 勿論それは昔の話だが、シルキ大陸にとっては【大神族】と呼ばれる存在は際立って崇め奉る存在ではない。今もそれは変わらず、だからこそこうしてある程度の自由が【大神族】にも許されている。


「......! あら、これは火酒ですの?」


「そうじゃよ。中々じゃろ?」


「上等なものではないですわね」


「なにを言う。極上じゃよ......特に今は」


「今は? まぁいいですわ。それより貴女は毎晩ここで花見酒をしてらっしゃいますの?」


 火酒の出来に不満を漏らしていたが味は嫌いではないらしく、艷やかな黒髪の女性は一杯と言わず二杯目を頂く。


「昨日は寺にったわい」


 煙管に火種を灯し、普段よりも濃い煙を吐き出す療狸やくぜん。なにかを憂いているような表情に黒髪の女性はクチをへの字に曲げる。


「全く、そのような湿気たツラを見せられるとこちらまで参ってしまいますわ。これと言う用事もございませんし、失礼させていただきますわね」


「なんじゃそれ。なにしに来たんじゃ」


喧嘩じゃれ合い売りに来たつもりでしたが、今宵の貴女は弱々しく見えてやる気が削がれましたの。持参した喧嘩は四鬼にでも投げ売ってきますわ」


喧嘩なんてそんなもんワラワは買わんぞ。鬼にちょっかいもほどほどにのぉ、暦永つくえ


 療狸やくぜんへ既に背を向けた状態で鬼が統括する歓楽街を目指し石畳を小気味よく蹴り、足音を響かせる。

 見た目は20歳前後と若いが、実年齢は人や妖怪を遥かに超えている。療狸と同じ【大神族】でありながらも夜楼華の一件にさえノータッチだった【暦永つくえ】と呼ばれいる女性。

 月を見守り、暦を永遠に詠み続ける一族の【大神族】が彼女。



「......今夜は辛いと思うわ今宵は冷ゆと思ふそれでもさりとてひとりで居なさいふりたまへ悲しいわびしき思っても思ひせむ寂しいさうざしき思っても思ひせむそれでも一人でさりとてひとり居なさいふりたまへ。それが療狸貴女生きた証拠暦の欠片儚いいたづらな願いなんてユメなど見るだけ無駄みるばかり徒事願うだけ無駄願ふばかり徒事受け入れなさい飲み込みたまへ受け取りなさい呑みたまへ───............たまには詠んでみるのも悪くありませんわね。悲しい寂しい辛い痛い、と泣き喚き嘆ける間は、、大丈夫ですわ」



 ご機嫌に影踏みをするよう、月の兎のよう、小さく跳ね、暦永つくえは桜模様の羽織り袖を子供のように揺らして去った。





 霊樹は───夜楼華ヨザクラは魂を逝くべき所へ送り届ける。

 世界樹はマナの調整を重視し、夜楼華は魂の残留を調整する霊樹と言われている。


 今、ふたつの魂魄がついとなり、ゆらゆらと現れ、療狸の周囲を浮遊し停滞する。

 療狸は無言のまま魂魄のひとつを見詰め、何度も頷くように頭を揺らす。話を聞いているかのように、何度も何度も。


「......大丈夫じゃ。大丈夫じゃから、早ぅ両親の元へお帰り」


 少し離れた位置で停滞していた魂魄へ療狸は視線を送り、その魂魄がもうひとつの魂魄を抱き寄せるようにし、夜楼華の元へ。



「............」


 火酒を呑み、喉を焼くような熱に瞳が少しだけ熱くなる。



「イフリー大陸産の火酒さけは、やはり辛いのぉ......」



 千秋とテルテルを楼華島から見送りながら、火酒で胸を焼いた。




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