◇549 -琥珀の魔女 シェイネ-
非情な笑いも、歩み来る気配も、何もかもが
『......これが噂に聞く魔の深淵......凄い凄い、凄い! この力、ねぇ見て黝簾! わたしの
『............』
瞳孔を忙しく大小させ、シェイネは喜ぶ。
もう既に深淵の
『アハハハハ───......は?』
ボロリ、とシェイネの指先の肉が腐り剥がれ落ちる。絶頂から絶望へと落ちるように静かに。
露になった骨は砂のようにサラサラと崩れ、身体に無数の亀裂が嘲笑うクチのように歪み走る。
『な、に、これ』
『......お前は深淵を覗く事だけ許された。覗く事だけしか許されていない。それなのに......お前は踏み込み......』
『は? どういう、どういうこと......嫌、なんで割れるの? わたしの身体が、なん、で、嫌、嫌嫌嫌嫌、嫌!』
『踏み込むだけじゃ満足せず、勝手に詠唱譜を持ち出した。その対価......いや、罰か?』
わたしへ歩み寄り何をしようとしたのか知らないが、笑ってた時点でお前の死は確定していたんだシェイネ。
わきまえず、深い部分に踏み込んだ対価は命。
無断で【ミセリア スペル】を持ち出した罰は死。
『警鐘を無視したお前が悪い。勉強不足だったな』
『嫌、嫌だよ、助けて黝簾、助けて黝......簾......エミ、エミリオ、助け......』
子供のように膝をつき、泣きながら手を伸ばし助けを求めるシェイネ。
───神様という言葉が譜や記号ではなく存在する者を指すなら、それはきっと、どうしようもなく幼い子供だろう。物を知らない子供でなければならない。
魔の深淵の更に奥、魔境へ最初に到達し支配した魔女【メーディア】の最期の言葉を思い出し、わたしは自分でも驚く行動に出た。
崩れ散るシェイネへ手を伸ばすという行動。そして、
『誰にも助けられない。けど、泣き止むまで一緒にいてやる......シェイネ』
あろう事かシェイネへそんな言葉を投げかけ手を握っていた。
コイツは騎士学生の命を使魔に喰わせていた。
騎士学生の心に滑り込み誘惑、オゾリフやラトゥールを殺した。
グリフィニア、ネリネ、アゾール、双子、トゥナ、紅茶男をたった今【ミセリア スペル】で......。
地界で勝手を通した魔女だ。
許す気など微塵もかい、願わくばわたしの手で殺してやりたい。そう思う、そう思っていた相手へ、驚く事にわたしは手を伸ばし看取る言葉を添えた。
ハッキリした理由は自分でもわからない。
でもひとつだけ、もしこれが理由になるなら、そうなのだろう。
『......名、......で......れた......』
崩れ散るシェイネの泣き顔が、幼い子供のようで、とても独りには出来なかった。
初めてシェイネと会った時にした “約束” を思い出したから、手を伸ばし看取った。
理由をつけるならこれで充分、これ以上ない。
◆◇◆
羨ましい。
母魔女が迎えにくる魔女達が。
羨ましい。
母魔女と触れ合う魔女達が。
羨ましい。
他の魔女と楽しく話す魔女達が。
シェイネは図鑑をわきに抱え、毎日そう思っていた。
母魔女に
あらぬ方向へ曲がり潰れる指先や足首。
日に日に増える痣。
満足な食事も与えられず、傷の治癒などできるものか。
そんな子を見て母魔女は『
シェイネの母魔女は何度となく子を
魔女界ではあまりいないものの、禁忌でも何でもない行いに誰ものクチ出しはしなかった。
シェイネは幼くして死の未来を受け入れていた。生きていても何も楽しくない、生きる事は痛い事だ。とシェイネは泣く事もせず抗う事もせず、簡単に受け入れていた。
図鑑を返した帰り道、シェイネは耳を疑う言葉を聞いた。
妙な色気を持つ薄桃色の魔女の横に色気も品性もない青髪の魔女。頬を涙で濡らす薄桃色の魔女へ青髪の魔女は、
『おまえの
と、言い放った。
相手が好き勝手やってるのに、自分は好きやれない。
当たり前だと思っていた自分の現実が、母魔女が好き勝手やって自分は好き勝手やれない現実が、実は当たり前ではなかったとシェイネは知った。
品性の欠片もない青髪の魔女の、相手を気遣っているのかも疑わしい砕けた言葉がシェイネにはとても真っ直ぐ届いた。
『あ、あの』
新たに借りた図鑑を抱きかかえ、気が付けばシェイネは話しかけていた。
『あー? 誰だおまえ』
『......このこ、たしか使魔の』
青髪の魔女は訝しげな声で、薄桃色の魔女は鼻声で。シェイネは震えた声で。
『わたしも、好き勝手に、やりたい事をやってもいいと......思う?』
初めて自分の声が震える事をシェイネは知った。
初めて人と話す事がとても恥ずかし事だと知った。
『おまえなにやりたいの?』
『わたしは、わたしは使魔を使役したい。自分で選んだ使魔を』
『おー、いいじゃん。やれよ』
『で、でも、えっと』
『迷ってんならとりあえずやってみろよ。失敗したら......おまえがショボいだけだ。痛い思いするかもだけど、びびってたら何もできないしょ』
『痛い思い? それはどんな思い?』
青髪の魔女がいう痛い、とはどういう事なのかシェイネは理解出来なかった。毎日のように繰り返されたは母魔女の教育はシェイネから痛みを奪っていた。
『は?』
『えぇ?』
青髪の魔女と薄桃色の魔女は戸惑うようにわたしを見た。
そして、薄桃色の魔女がそれを知り声をあげる。
『ちょっとあなた! その指どうしたの!?』
『指? あ......これは......』
他の指とは違った方向に捻れた指。この指だけ曲がらなくて、この指だけみんなと違う。ただそれだけ。そう答えるも薄桃色の魔女は聞かず魔術を詠唱した。警戒したわたしへ青髪の魔女が、
『大丈夫だ。下手くそだけど
その意味がわからなかった。頼れる、とはどういう意味なのか。
薄桃色の魔女の魔術はあたたかい光で、シェイネの指を治してくれた。
『───ふぅ。これで大丈夫だよ。下手くそは一言多いよ』
大丈夫、と笑顔で言い、振り向くと同時に青髪を睨むように言った薄桃色の魔女。
治った指。あたたかい光。治った指。あたたかい───何かが溢れた。
『おいおい失敗したのか!?』
『え? えぇ!? ごめんなさい痛かった!?』
『───?』
シェイネを見て言う2人の魔女が、水の中にいるようにぼやける。ここで初めて、涙というものを自分も持っているのだとシェイネは知った。
2人はシェイネを泣き止ませるため気をつかってくれた。色々な話をしてくれた。シェイネはどうして自分が泣いているのかもわからないのに、2人はどうしてか優しくしてくれた。
15時を告げる魔塔がラッパを吹き、
『そろそろ帰らなきゃ』
帰ると言った。
『そう。またお話ししましょ。かわいい魔女子さん』
『先輩気取りか? わたし達も同じ魔女子だぞ?』
薄桃色の魔女をからかうように青髪の魔女が言い、最後まで賑やかな2人だった。
シェイネは図鑑を抱き、2人の前から去ろうとした時、
『おい、おまえ名前は?』
『?......シェイネ』
名を訪ねられたのは初めてだった。何のために名前など知りたいのか、そもそも名前とは何の意味があるのか、シェイネには全くわからなかった。
『シェイネか。
『ちょっとあなたこそ先輩気取ってるんじゃない? エミリオ』
『あー? わたしとシェイネどっちが先輩かって言ったらわたしだろ。おまえは......世話焼きがウザい先輩って感じだけどな、プリフィア』
青髪がエミリオ、薄桃がプリフィア。
シェイネは2人にも固有の名前がある事を知った。虫などはどの個体も同じ名前なのに、魔女はみんな違う名前がある。当たり前の事でシェイネも理解はしていたが、実際目の当たりにして少し不思議な感覚がした。
『エミリオ、プリフィア......エミリオ、手?』
『ん? あぁ、手だ。泣きたくなったら手を伸ばせ。約束だぜ』
『約束?』
『うん、約束。そんかわり、使役できたら使魔見せてくれよ。これも約束な!』
『約束......約束............名前呼んでくれる?』
『おまえの? いいぜ? シェイネ』
『約束......』
胸の中があたたかく、クチが自然と緩む現象。これがきっと、うれしい、という気持ちなんだとシェイネは思った。
『約束......うん、約束する。使役したら一番に見せるね』
その日わたしは産まれて初めて約束というものをした。
その夜わたしは治して貰った指をまた曲げてしまった。
その日からわたしはずっと母魔女に監視される事になった。
ある日わたしは知った。
母魔女はわたしを使魔に喰べさせる気だろ。
喰べさせる好き勝手。
なら、
わたしも喰べていいよね?
叩くなら、
わたしも叩いていいよね?
潰すなら、
わたしも潰していいよね?
自分がよくて相手はダメって、
おかしな話。
わたしを喰べようとする使魔をわたしも喰べていい。その権利がわたしにはある。
使魔を使ってわたしを殺そうとした母魔女を、わたしも使魔を使って殺していい。その権利がわたしにはある。
なんだ、簡単だった。
とても簡単だったよ。
わたしは愛されたいから、使魔を愛した。
使魔も愛されたいから、わたしを愛した。
約束だよ、約束だよ、
約束だから見せてあげる。
ずっと閉じ籠ってたわたしは青髪の魔女とした約束を果たすため外に出て、青髪の魔女がもう
産まれて初めて、悲しい、という気持ちを知った。
産まれ初めて、悲しいと涙が出る、と知った。
手を伸ばしても青髪の魔女はいない。
悲しいよ。悲しいよ。
苦しいよ。悲しい。
助けて。
手を伸ばして助けを求めた。
手を伸ばして──────
『誰にも助けられない。けど、泣き止むまで一緒にいてやる......シェイネ』
崩れる身体。朽ちる命をエミリオがあたたかく握り、最期の一欠片まで一緒にいてくれた。
エミリオの手はあたたかくて、琥珀に包まれる小さな小さな命のように、その温もりに最期まで包まれて。
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