◇488 -欲心観音-6



 千手の雨───妖力を纏う無数の観音の腕───が荒々しく降り落ちる中、半妖精ハーフエルフの動きにワタポは違和感を覚えた。

 ワタポだけではない。前衛の冒険者陣は違和感を感知していた。普段の半妖精───ひぃたろならば簡単に対応出来る、考え悩む必要もないほど当たり前に片付けていた攻撃に危うささえ感じるギリギリの対応でやり過ごしていたが、今対峙している相手が相手だ。前衛はおろか中衛、後衛のメンバーも余裕がなくひぃたろのカバーへ入る事さえ許されない猛攻の中、ついに観音の攻撃がひぃたろへヒットする。

 左側───眼帯の死角から抉るように腹部を殴りつけた観音の腕彼岸は、触れた事によりひぃたろをターゲットとする。

 タンクを務めている者達の挑発技術も無視し、腕彼岸はひぃたろへと群がるように伸びる。


「ひぃちゃん───え?」


 白銀の尾に雷を散らす魅狐ミコプンプンが助けるべく一歩踏み込んだ時、プンプンにもそれが訪れる。ガクリ、と膝が力を失い全身が一瞬で重くなり、神経の一本一本が軋み始める。

 身体の自由を奪うようにめまぐるしく廻る痛みがプンプンだけではなく、ひぃたろにも訪れていた。


 ウンディーポートからシルキ大陸へ、新たに見出した戦闘技術を初めて使いレッドキャップを討ったかと思えば魔女の鎮静。まともに休む暇もなく楼華島サクラじまへ赴き、今は観音戦。

 いくら凄腕の治癒術師がいようとも、いくら大神族の治癒や加護を受けようとも、限界というものは存在する。

 体力的にも、肉体的にも、精神的にも既に限界値に達しているであろう面々の中で、運悪く半妖精と魅狐の身体が限界を越え悲鳴をあげた。

 ひぃたろは打撃の余韻か身体の限界か両眼を強く閉じ倒れたまま動かない。プンプンも雷のコントロールが危うい状態となり雷への対応に全神経を使うしかなかった。つまり今、ひぃたろへ迫る千手をどうにかしようと行動出来ている者は───。





 ひぃちゃへと迫る無数の腕。プンちゃの速度なら充分に間に合うと踏んでいたワタシだったが、そのプンちゃも今は動けない状態。

 ワタシも、他の人達も今この瞬間まで腕への対応に集中力と神経を向けていたため───誰も動けていない。

 このままじゃ、ひぃちゃが異形にやられる。

 でもどうすれば......ワタシはプンちゃみたいに速く走れないし、エミちゃみたいに高火力魔術を使えないし使えたとしても高火力魔術の詠唱はとても大変だ。クゥもいない。


 どうすれば........あれ? なんだろう、異形の腕が、みんなが、ゆっくり動いてる?

 水の中にいるような......いいや、もっと遅い。でも、ワタシの身体も同じように遅く───違う。

 ワタシの眼だ。無意識に今ワタシは、左右の眼で白と黒を分けている。


───貴女は左右の瞳で効果を限定なさい。そうすれば両眼時限定で別の能力が開花するわ。


 エミちゃの魔力が、魔女が暴走していた時にお城で会ったあの女の人......あの人が言っていた別の能力ってコレの事だ。そして多分、この能力は瞳を閉じる事で終わる、つまり元の速度に戻る。

 今この瞬間にひぃちゃを助ける方法を考えなきゃ。


 走っても間に合わない。飛燕剣術......ダメだ、半端な威力では何の意味もない。魔術も同じ理由でダメだ。一歩でひぃちゃの所まで行って上にでも躱せれば───..........できる、かもしれない。純妖精エルフの都を後にした日から毎日練習、反復してきた詠唱がワタシにはある。その魔術なら走るよりも速く、跳ぶよりも高く───出来るかもじゃない、


「やるんだ」





 2秒強、3秒は無い時間の中でそれは見事な存在感を放った。白く瞬く黒の微粒子を散らし、白黒の翅が風を鳴らし、半妖精を抱き飛んだ。


 無数の腕は空気を殴り掴み、空振りした怒りに手を広げたかと思えば、糸で繋がれたようにピクリと動きを止めた。今まで見せた事のない反応───停止した身体を必死に動かそうと痙攣する観音に、レイドメンバーは直感的に “今しかない” と読み、突撃する。

 前衛、中衛が観音へ大接近し、後衛は回復や補助を捨て攻撃魔術を詠唱する最中、観音の影に意識が引かれた。


 異形なシルエットを掴むように抑える別の影と、影に刃を突き立てるような影。

 そこに何者も存在しないのに影だけが現れていた。


「───大丈夫だ!」


 トウヤはその影が何者なのかを理解し、レイドメンバーへ叫んだ。

 不思議と全員、その言葉に安心感を覚え、全力で攻撃に集中出来た。


 色とりどりの攻撃光が輝き、一瞬の隙を永遠のものとするかの如く猛攻を放ち、影を抑える影が消えた頃、レイドの攻撃も止まった。

 観音の下半身───腕彼岸は見るも無惨な状態となり上半身を支える事も出来ず倒れているが、右手には錫杖を握ったまま上半身は原型を留めている。想像以上に硬く高密度だった腕彼岸はレイドの攻撃すべてを受けきったのだ。


 そしてここで、全員の疲労が限界値へと達したのかディレイではない何かに身体を圧し抑えられ立つ事もままならない者も。


 腕彼岸の細胞が膨張や収縮をむごく繰り返し、治癒再生しようと活発に動く。

 腐敗仏を捕食し、鬼を捕食した事で観音の再生力は折り紙つきとも言える。本体である上半身へのダメージも微々たるもので、問題なく再生活動出来る。

 それでも、誰ひとりとして諦めてはいなかった。


───この程度の痛みで俺を抑えられると思っているのか?


 誰に言うワケでもなく、胸中でそう笑い、トウヤは影を伸ばし繋いだ。


 天井から急降下する影はワタポのものであり、ワタポの背に白黒蝶の翅───エアリアル。

 赤く燃え焦げる長剣が落下時の空気に煽られ更に熱を高め、降下の速度を乗せた剣術が観音の左二の腕から入り込み、右二の腕へと抜けた。

 同時にワタポは剣を手放し、それを合図にトウヤは影手でワタポを掴み飲み込んだ───かと思えば観音の上半身の影からワタポを吐き出した。

 出ると同時に、いや、出る前からワタポは左腕で拳術を構え、今まさに観音の胸と左腕を突き刺した。初級も初級な拳術だが何の防御もない状態では高性能義手から放たれる重心を乗せた拳術は簡単に肉体を貫く。


 小さな声を溢した観音の瞳は、虚ろなモノではなく、何かを羨むような子供の瞳に見えた。

 渇いた唇を血液が潤し、何かを喋ろうとする観音へワタポは、


「今更何を言っても、お前を殺す事に変わりは無い」


 そう告げ、ワタポはディレイから開放された右腕で左義手の接合部分を掴み回した。


「───羨ましいな」


 観音がポツリと呟いた言葉は、義手を回した鋼鉄音にかき消され誰の耳にも届かなかった。

 ワタポは左義手を観音の胸に突き刺したまま外し、エアリアルを使い大きく下がる。

 数秒後、義手は爆発し観音の半身を粉々に、マナさえも粉々に消し飛ばした。


 戦わなくとも、観音のイノチは刻一刻と破滅へと向かっていた。それでも、現実に絶望する事しか出来なかった観音は、現実を変えてやろうと立ち上がる弱き者達の連繋、結束に負けたのだ。



 影から影を抑えていたのは観音が捕食した者達の魂魄こんぱく、残滓。

 トウヤが持つ導入能力ブースターのオリジナル、うさぎが影と影を繋ぎ混ぜ、その影から力ワザで観音を引っ張り止めたのは四鬼を含む捕食された面々、一瞬生まれた瞬間をしのぶの能力、その瞬間を縫い縛る能力で縛り付けた。

 観音の力───生命や妖力が文字通り化物クラスだったので長くは持たない拘束でも、レイドメンバー達は無駄にせず全力で挑んだ。

 腕彼岸を斬り捨てるには時間が足りなかったが、螺梳ラスの領域ならばその時間は充分にあり、螺梳は───観音への憎悪よりも今この瞬間の希望を繋ぐ事を優先した。四鬼の弐も同じく、過去よりも今を選んだ。

 この2人が過去の因縁を選んでいた場合、恐らく腕彼岸は崩壊せず全てが失敗に終わっただろう。


 他にも様々な事が一瞬のうちに起こり、絶望的だった現実を矯正するように運命が重なり、ワタポへと繋がった。


 観音が求めていた現実の矯正は、力では決して成し得ない。

 小さな運命へ飛び込む勇気と覚悟、そして信頼する心が、今起こっている現実を多少だが矯正し、そこへ迷わず乗り進める者達だけが現実を、運命で切り拓く。


 何もかも全てが間違えだった、とまでは誰も言わないだろう。

 それでも、観音は間違っていたのだ。

 観音が心から欲しいと求めたものは、素朴で平凡な、日常という平和だったのかもしれない。が、それも今となっては誰も知り得ない現実。


 最後まで観音は現実に遊ばれ、運命に踊らされ、現実に隠されるようにそのイノチは消えた。





「あいやー、殺されてやんの!」


「放っておいても死ぬ命だったけど、まさか殺されるとは......大神族ともあろうお方が情けないねー」


 何が楽しいのか、フローと酒呑童子は観音の死を指を差し笑っていた。


「酒呑君! 同族、それも四鬼のひとりが喰われたナリよ!? 何も思わないナリかぁ!?」


 突然フローの裏切りに対し、酒呑童子は涙を拭くフリをし、


「悲しいねぇ悲しいよぉ。僕はずっと彼の事を応援してきたから、こんな所で.......」


「ではここで問題! 酒呑君が言う彼の名前は!?」


「.........、..........四鬼の筋肉君」


「あいやー! こりゃビックリ仰天! ウソ泣きまでブチかましといて全然微塵も彼に興味なかったナリね!」


「まぁね! だっていくら四本角がいくら頑張った所で僕の足下にも及ばないんだよ? だって僕は五本角だからね!」


「同族で張り合えるヤツがいないから、少しでも強くなってもらおうって鍛冶屋スミスになったんだったナリね! それでも全然話にならないって......鬼も名前ばかりでショボいっちゃ!」


 この発言が、軽はずみなフローの発言が酒呑童子を撫でてしまった。


「フロー、鬼がショボいって言うのは言い過ぎだとは思わないかい?」


 ピリついた空気をフローが拾えないハズもないが、何を思ったか、


「んやんや足りないくらいわさ。角あるだけで調子に乗った種族ってイメージついてしもーたナリよ? なんなら酒呑君が本当の鬼ってやつをわたしに見せてくれるナリか?」


 フローは人差し指で誘うように酒呑童子を挑発しつつ、煽るような発言をした。


「そうだね。いい機会だし、いいよ───僕が鬼の圧倒的な力を見せてあげる」


「そりゃ楽しみナリ! 周り気にせず遊べる空間を用意するっちゃ! 殺す気で、でなく、殺してみなさいな! そんかわり! わたしが勝ったら一生わたしに従うナリよ? 角有種カタツムリちゃん」





 フローと酒呑が何やら騒いでいる中、ダプネは自分で小さな空間魔法を使い、魔女エミリオの動向を観察していた。


───お前が本当に、私の母を......


 信用出来ないと思う半面、魔女のダプネから見てもエミリオは独創的な異質さを確かに秘めていた。それでも、やはり何か裏があるとしか思えない。

 フローに聞いた所で答えなど返ってこない。

 魔女を裏切ったダプネは天魔女には聞くに聞けない。


 自分で答えを探すしかない。


「───? 何でアイツ立ち止まった?」


 雑魚モンスター数匹を倒し、その場を離れたエミリオが突然足を止め───ダプネの空間を見た。


「な!?」


 隠蔽魔術をかけたうえに小型の空間。エミリオが今いる場所は妖力やマナが唸る楼華島。エミリオのスキル的にも居場所的にも簡単に看破、感知は出来ない。のに、完全にダプネの空間を見ている。


───何だ、何をするつもりだ?


 エミリオの暴挙は今に始まる事ではない。昔から何をやらかすか想像出来なかった。今回もダプネの想像を遥か越えた何かをしでかすに違いない、と構えていると───エミリオは小さく笑って空間魔法を使い、摩天楼の最上部へと飛んだ。



 移動前に見せた顔は、昔と変わらない “頼んだぜダプネ” と言う時の顔だった。



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